東はりま加古川水の新百景

冊子番号104


ますたつつみ
升田堤
■河川名
加古川
■所在地
加古川市 東神吉町〜米田町
■参考文献 「加古川の流れ」姫路工事事務所
「日本の川 加古川」姫路工事事務所
市提供資料(加古川市史第2巻)


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川の治水の歴史が刻まれた堤。




神姫バス「升田」下車
概要
「升田堤」は、万治元年(1658)から同3年(1660)にかけて、当時の姫路城主・榊原式部大輔忠次により加古川右岸に築堤されたものです。これは加古川における最初の本格的な河川改修といわれ、現在の本堤の基礎となっています。
忠次は、築堤にあたって三つの理由をあげています。第一は、当時、加古川が升田の前から東西二瀬になり、下流では渡し場が二つもあって、参勤交代の諸大名をはじめ旅行者が難儀していたこと。第二は、下流の数ケ村が風雨のたびに洪水の被害に遭い苦労していたこと。第三は、二瀬を一つにして中央に堤防を築けば、従来の河床やその周辺で新田や畑が開けることです。
築堤工事の規模は、底部の幅32.4m、高さ6.4m、上部の幅14.4m、延長約4kmと伝えられています。工事に要した人員は延べ60万人に及び、工期1ケ月余りという驚異的な速さで完成、荒れ地がつぎつぎに開墾されて藩に大きな利益をもたらしました。しかし、水害を抑えることはできず、出水があるたびに堤防の修理や被害者の救済が藩の年中行事のようになっていたようです。



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