東はりま加古川水の新百景

冊子番号111


あらいかわひもん
洗川樋門
■河川名
加古川
■所在地
加古川市 米田町
■参考文献 「加古川の流れ」姫路工事事務所


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
利水目的の構造物(樋門)。


概要

「洗川樋門」は、加古川堰堤から取水する六ヶ井用水の取水口で、旧洗川が締め切られて設置されたものです。

改修前の加古川は、現在の高砂市米田町米田新周辺より河幅150m〜200mの洗川から分かれていました。この洗川は旧米田村、伊保村を流下した後、法華山谷川と合流し播磨灘に注いでおり、明暦元年(1655)以前は船頭の北方を通っていました。升田築堤に伴い、米田新、中島、今市に新田の開発が進むにつれ、現在の米田新に流入口が変わったと言います。宝暦3年(1753)の古文書によると、米田町米田新で洗川川筋から今市、中島が、米田町古新で加古川筋から古新、小松原、荒井、高砂が取水しています。その後、大正末期まで大きな変化もなく推移しましたが、河川改修に伴って東神吉村出河原地先に両井堰の取水口が統合され、さらに堤外導水路の新改築が行われることになりました。そのため両井堰に合併の機運が生まれ、二ヶ井と四ヶ井に米田町米田新を加え合併し、大正14年4月1日、六ヶ井水利組合となりました。これにより洗川は締め切られ、現在の六ヶ井の水利体系が確立しました。
なお、旧洗川は現在ではほとんど埋め立てられ、往年の面影はなく、小規模な排水河川として播磨灘に注いでいます。


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