東はりま加古川水の新百景

冊子番号115


ほりかわ
堀川
■河川名
加古川
■所在地
高砂市 高砂町
■参考文献 「加古川舟運の研究」
加古川流域滝野歴史民俗資料館
著者/吉田 省三
発行/藤崎 正弘
市提供資料


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川舟運の繁栄時の運河跡。




山陽電鉄本線「高砂」下車徒歩3分
概要
「堀川」は、慶長年間(1596〜1614)に姫路藩主・池田輝政が加古川舟運と瀬戸内海航路をつなぐ拠点として高砂の港を構築した時に開削した運河です。
加古川本川から堀川への入口は、堤防改修まではかつて銚子口と呼ばれていました。船町〜滝野〜高砂間の高瀬舟が往来し、幅四間(7.2m)、距離にして2km程だったと思われます。現在は、この分岐点に高砂樋門が設けられています。
堀川筋には姫路藩の米蔵「百間蔵」や「三草蔵」、「土井蔵」など領主の名を冠せた数十棟の蔵が立ち並び、東播磨の幕領・私領の年貢米・商人米が高瀬舟で集積されました。これらの米は港で船に積み込まれ、大坂・江戸へと運ばれました。明治時代ごろまでによくいわれた言葉に『問屋の庭はきをしても食える』というのがありますが、持ち運びをする俵からこぼれ落ちる米をはき集めるだけでも商売になるという意味で、堀川を中心とする高砂の町の繁栄ぶりをよく表わしています。


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