東はりま加古川水の新百景

冊子番号134


しんぎょうじ(にゅうがいけのでんせつ)
真楽寺(入が池の伝説)
■河川名
曇川
■所在地
稲美町 北山
■参考文献 「兵庫のふるさと散歩 東播編」兵庫県
「東播磨の民俗ー加古郡石守村の生活史」
神戸新聞出版センター 
町提供資料


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
利水にまつわる言い伝えが残る史跡。




神姫バス「見谷山」下車南東1.3km
概要
真楽寺の建立由来を書いた「真楽寺縁起」には、昔から一度も干上がったことのないというため池(入が池)の堤防づくりにまつわる言い伝えがあります。
皇極天皇3年(644)、藤原弥吉四郎という役人が水確保のために池を築こうとしましたが、何度築いても堤が切れてしまいました。その十年あまり後、孫の光太衛の夢に僧が現れ「池の堤を六曲屏風の形に築きなさい。そして、その時通りかかった美女を人柱にすれば池は完成する」と告げました。お告げのとおりにすると池は完成し、それ以降堤は切れることがありませんでした。
しかし、その美女とは蛇の化身でした。蛇から真実を聞かされた村人は、この池から流れる曇川のほとりの地を選んで「川上真楽寺(薬師堂)」を建て、菩提を弔ったといいます。
なお、「入が池」の名は美女の名を“入(にゅう)”と言ったことに由来するといいます。


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