写真
川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川の舟運開発にかかわった重要人物の記念碑。
JR加古川線「滝」下車徒歩5分
神姫バス「滝野」下車徒歩5分
神姫バス「滝」下車 |
概要
「阿江与助」は、加古川舟運開発の祖と呼ばれる人物です。加東郡河高村に生まれ、後に上滝野村の阿江家を継ぎ、文禄3年(1594)には滝野川(滝野以南の加古川)を、慶長9年(1604)からは上流の田高川(滝野以北の加古川)の開削を成功させました。またその功で滝野船座の座元に任じられ、加古川舟運を支配しました。
加古川舟運の開発は二期に分かれます。第一期は、地頭・生駒玄蕃が貢米を輸送するにあたって加古川に注目、与助たちに通船を妨げる川底の岩石を除去し、浅瀬に水路を通させました。財力、衆望が厚かった与助は滝野から大門村(社町)までを担当しました。第二期は領主・池田氏による滝野以北の浚普請および新町河岸の造立、高砂港の整備です。与助は田高村の西村伝入斎とともに滝野上流の川底をさらえることを命じられ、慶長11年(1606)に丹波本郷までの通船が可能になりました。
与助の銅像は、大正9年6月、正五位追贈により闘龍灘河畔に建立されましたが、昭和20年春、大平洋戦争のため供出。平成2年5月、「闘龍すくえあ」(元の場所)内に先の台座をいかし再建されました。 |