写真
川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川舟運繁栄時の船着き場跡。
JR加古川線「滝」下車徒歩10分
神姫バス「滝野」下車徒歩10分 |
概要
「新町船着き場」は、東播磨の貢米輸送のために対岸の滝野河岸に次ぐ船着き場として、慶長10年(1605)姫路城主・池田輝政の新町村造立によって整備されたものです。領主・池田氏は、西岸の滝野だけでは川下げ諸物資の扱いに不便を来すため、対岸に土地を見立てて“船着き場”を造営しました。
その後、新町は郡内物資の船積みだけでなく、奥丹波・東播磨の諸荷物の中継地として日を追って繁盛を極め、ついには対岸の滝野と肩を並べる船着き場・在郷町に発展したいきさつから、加古川筋の多くの河岸の中でも、その成立・性格ともに特異な存在でした。
近世においては、加古川左岸の多可郡の村々はこの河岸まで年貢米を牛馬の背にのせて運び、高瀬舟に積み込みました。
しかし、大正2年(1913)の播州鉄道の開通とともに、高瀬川による輸送は止まり、320年におよぶ加古川舟運の幕を閉じましたが、現在も河岸には、かっての船着き場をしのばせる箇所が残ってます。
|