東はりま加古川水の新百景

冊子番号56


おおくぼきいちろうぞう
大久保喜市郎像
■河川名
加古川
■所在地
滝野町 高岡
■参考文献 「兵庫のふるさと散歩 東播編」兵庫県
「加古川舟運の研究」
加古川流域滝野歴史民俗資料館
町提供資料/「滝野町拾遺集2 石像遺物編」


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川の利水開発にかかわった重要人物の記念碑。




JR加古川線「社町」徒歩20分
神姫バス「高岡」下車
概要
「大久保喜市郎像」は、昭和45年(1970)11月に高岡稲荷神社境内に高岡村開発の功績を讃えて再建されたものです。
大久保喜市郎は、享保8年(1723)に幕府勘定所新田方の千種清右衛門から新田開発の命を受け、当時周辺21か村の入会秣場(いりあいまぐさば)だった原野を、「青野原新田」として開発した人物です。この開墾は最初、大久保一族で請負のかたちをとる予定でしたが、水利工事の困難さから代官見立て新田として願い出、幕府の許可を経てまず水路工事に着手しています。水路は加西郡から新田へと送り込まれ、了徳寺池という貯水池に蓄えられました。喜市郎の指導のもとに新田の開発は年を追って進み、元文2年(1737)の検地では、村高534石、天保9年(1838)には815石にまで広がりました。
なお、大久保喜市郎像は昭和4年(1929)の贈位の際に建てられましたが、太平洋戦争に供出され、現在の像はその台座跡に再建されたものです。




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