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川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川舟運繁栄時の船着き場跡。
JR加古川線「青野ヶ原」下車900m |
概要
加古川では、文禄3年(1594)から大正2年(1913)の播州鉄道開通までの約320年間、高瀬舟が東播磨の動脈として活躍しました。高瀬舟の役割は、沿岸の領主たちの年貢米や商人米を高砂港へ積下ろすことでした。そのため、川沿いの村には河岸(かし)と呼ばれる船着場と物資集積の町場ができました。
加古川の中流に位置した「大門河岸」(だいもんがし)には、わたし場(大歳神社西)・中ミナト(洗濯場)・下ミナト(水神さんの下)の3ケ所の“船着き場”があり、高瀬舟の港として栄えました。
この地には多数の商業資本家が住み、沿岸きっての町場でした。また、明治31年(1898)に大門橋が架橋されるまでは、渡し舟の発着場としても賑わったといいます。
現在では昭和39年(1964)に完成した三井堰により、岸のすぐ下まで満々と湛えていた水位が約2m低下し、川底が露出して、“船着き場”もわずかにその名を留めるだけになっています。
しかし、周辺には堂々とした家が軒をつらね、往時の面影を残しています。
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