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川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川の舟運開発にかかわった人物。
JR加古川線「船町口」下車徒歩20分
中国自動車道「滝野社」ICから国道175号北へ30分 |
概要
多可郡田高村の西村伝入斎は、池田輝政が播磨一国を治めていた慶長11年(1606)に、加東郡滝野村の阿江与助と共同で滝野から上流の本郷川(佐治川/現加古川)と篠山川の合流点までの通称田高川を開削した人物です。与助と同様に土豪的性格を持った有力な百姓で、川筋の船持ち・山持ちたちも開削に協力しました。
伝入斎は、この開発の功績により田高船座(たこうふなざ)の座元をまかされ、五分一銀の徴収権を与えられるとともに、運上銀の上納を命ぜられました。西村家の船座支配は、その後池田、本多、天領と領主交代の間にあって、寛文5年(1665)まで続きました。
また伝入斎は、船町の新田10石余の開発も行っており、その墓は船町の稲荷神社の少し北の谷筋にあります。 |