東はりま加古川水の新百景

冊子番号67


かこがわりゅうもんがんかいかいさくあと
加古川流紋岩塊開削跡
■河川名
加古川
■所在地
小野市 黍田町
■参考文献 「加古川舟運の研究」
加古川流域滝野歴史民俗資料館
著者/吉田 省三
発行/藤崎 正弘
市提供資料


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川舟運の開発に関連する跡。




JR加古川線「市場」下車南東500m
概要
「加古川流紋岩塊開削跡」は、二期に分かれて開発された加古川舟運のうち第一期に行われた川普請(かわふしん)の開削跡で、「闘龍灘」に次ぐ規模です。
第一期は、地頭・生駒玄藩が貢米の輸送にあたって加古川に注目し、阿江与助たちに川底をさらえるように命じて、行われました。この川普請の目的は、通船を妨げる岩石を除去し、浅瀬に水路を通すことでした。このうち大門から高砂までの間、数カ所の岩石を切り除き難瀬を掘浚(さら)えたのは、垂井村(小野市)の三郎右衛門、砂部村(加古川市)の彦兵衛の二人でした。阿江与助は大門から上流を担当しました。
3人が中心で通船を妨げる岩石を除去し、浅瀬に水路を通す工事が進められましたが、現在も浅瀬にはその開削跡が認められるところが少なくありません。この開削を経て、昔はこの辺りは鮎漁で賑わったといいます。
なお、開削跡がある右岸には、「桜づつみ梁瀬公園」があります。


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