東はりま加古川水の新百景

冊子番号9


ふなまちのわたしばあと
船町の渡し場跡
■河川名
加古川
■所在地
黒田庄町 船町
■参考文献 「東播磨研究 加古川流域の渡し場・渡し舟」   東播磨地域調査学会 
町提供資料


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川の渡し場跡。




JR加古川線「船町口」下車徒歩3分
中国自動車道「滝野社」ICから国道175号北へ30分
概要
加古川には、明治の終わり頃までには少なくとも渡しが17カ所はあったと推定されています。「船町渡し」は現在の船町蛭子(えびす)神社の付近にあり、加古川の東岸と西岸に開けていた当時の船町村の人渡し(一岸出船)で結ぶ役割を果たしていました。
この船町渡しは明治35年(1902)の架橋によっていったん廃止されましたが、明治40年(1907)の落橋後に復活し、大正3年(1914)5月の架橋により再び廃されたといいます。
しかし、その後も船町橋はたびたび洪水で落橋し、その度に“渡し”が復活していたようです。当時、乗り場には桟橋があり、杭を打った上に1〜2間の小さな板橋が渡してありました。小屋などはなく、渡し場への道は「渡し場道」と称していたといいます。
船は出水で橋が流され、改修する期間だけ運航されましたが、朝から晩まで運航され、客が集まり次第舟を出していました。また、たまには自転車も乗せたそうです。
なお、現在は“段(だん)”と呼ばれる渡し場東岸の乗り場跡が、橋のすぐ北に残っています。



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