東はりま加古川水の新百景

冊子番号92


くにかねわたしあと
国包渡し跡
■河川名
  加古川
■所在地
  加古川市 上荘町
■参考文献 「加古川舟運の研究」
   加古川流域滝野歴史民俗資料館
「東播磨研究 加古川流域の渡し場・渡し船」    東播磨地域調査学会 
市提供資料(加古川市史第2巻)


写真



川、水との関わり(アピールポイント、その他)
加古川の渡し場跡。




JR加古川線「厄神」下車北東500m 三木鉄道「国包」下車西へ500m
概要
「国包渡し」は、現在の上荘町国包にあり、対岸の井ノ口との間を人渡し(一岸出船)で往来していました。
この国包渡しは、伊丹から有馬・三木・国包・井ノ口・志方・姫路を通る西国裏街道、また有馬街道(湯之山街道)とも言われる非常に重要な道筋でした。それと同時に、加古川舟運の船着き場としても交通のさかえていました。
また、国包には、加古川の上流から良材が筏に組まれて運ばれてきたので、唐箕や建具などの指物細工が栄えました。
元文2年(1737)の村明細帳によりますと、大工、桶屋、医師、木挽、紺屋、材木屋、旅篭、川船宿などがあり、街道と加古川の交差点として大変なにぎわいを見せていたようです。その後河川の改修や鉄道の開通、橋の架け替えなどにより、時代の流れとともに交通の手段としての利用は減ったものの、渡し場は洗濯場として主婦たちの情報交換の場所でもありました。



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