3. 道成寺
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟
和歌山県下に現存する最古の寺で、701年(大宝元年)に建立されました。62段の石段を上り、朱塗りの仁王門(重要文化財)をくぐると、正面に本堂(重要文化財)、右手に安珍清姫伝説の鐘楼跡があります。宝仏殿には平安前期作の木造千手観音立像(国宝)や脇侍の日光・月光菩薩像(国宝)をはじめ、数々の文化財が安置されています。
この寺には、若く美しい安珍に心を奪われた清姫が募る思いから大蛇となり、道成寺の釣鐘に隠れた安珍を炎で燃やし、自らは入水したという伝説が残っています。縁起堂では、住職が寺の縁起と安珍清姫伝説の絵とき説法(約20分、随時)を行っています。ここからの夕陽は和歌山県の朝日・夕陽100選に選ばれています。(2006.4.20)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
道成寺耳より情報
名号碑情報提供:市民の力わかやま
善童子王子から歩いて2・3分のところの分かれ道、木々に囲まれた草むらの中に小さな名号碑がひっそりと祀られています。名号碑は「南無阿弥陀仏」と念仏が刻まれた碑のことで、「道中の安全」の祈りが込められています。その隣には「左道成寺」と刻まれた石の道標もたっているはずと聞いてきましたが、見つけられませんでした。残念です。(2010.8.10)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
宮子姫生誕の地情報提供:市民の力わかやま
道成寺は安珍清姫で有名になってしまいましたが、文武天皇の勅願寺という和歌山県最古の名刹で、美しい宮子姫(髪長姫)の伝説がもとになって、この地に建立されました。
日高の村長に生まれた女が、母親の深い祈りと犠牲によって、丈なす美しい黒髪に恵まれます。やがて、藤原不比等の養女になって入内し、文武天皇の妃となり聖武を出産したと道成寺縁起にも伝えられています。このため道成寺は、女人開運を祈願する格式の高い有名なお寺だったのです。(2010.8.9)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
宮子姫の壁画
九海女の里
清姫蛇塚情報提供:市民の力わかやま
道成寺の石段の手前の小道を左に曲がり歩いて行くこと3分程の場所に、「清姫蛇塚(じゃづか)」が畑の中の住宅地にひっそりとたたずんでいます。
この場所は、道成寺で清姫が安珍を焼き殺した後、日高川の激流に身を投じた場所でもあり、清姫の化身の大蛇を埋めた場所とされています。
安珍と清姫の物語を知る上で、道成寺と共に立ち寄りたい場所です。(2010.08.06)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
一里塚跡と道分け地蔵情報提供:市民の力わかやま
紀伊内原駅から熊野古道(県道藤井・日高線)に入り、1.5kmほど歩いたなだらかな上り坂の途中に一里塚跡があります。さらに7・8分進むと古道沿いに数多く見られる道分け地蔵があり、はるか向こうに道成寺の三重塔を望むことができます。昔、熊野詣での人達が、ここで道成寺を見ながら一服したということから、地元の人は「茶処(ちゃど)のお地蔵さん」と呼んでいたそうです。(2010.7.23)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
一里塚跡
道分け地蔵
四ツ石聖蹟地情報提供:市民の力わかやま
四ツ石聖蹟地が原谷皇大神社の道向かい前にあります。
建仁2年(1201年)後鳥羽上皇に随行した歌人の藤原定家の「御幸記」によると、この地で後鳥羽上皇が小憩した旨が、記されています。この場所には4つの石があり、後鳥羽上皇が公卿たちと共にこれらの石に腰掛けられたので「四ツ石聖蹟地」と伝えられているようです。
後鳥羽上皇は熊野に対する信仰が大変厚く、往復におよそ1ヶ月以上も費やす熊野御幸を29回も行われています。(2010.7.20)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
原谷皇大神社情報提供:市民の力わかやま
爪書き地蔵から程近い、西の馬留王子のすぐ手前に原谷皇大神社があります。皇大神社は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を主祭神とし、歴史は2000年を数えるような古い、伊勢神宮の内宮にある格式の高い神社で、熊野神社はこの末社といわれています。この原谷皇大神社には、沓掛王子と馬留王子が合祀されています。(2010.7.8)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
爪書き地蔵情報提供:市民の力わかやま
壁画を過ぎて12・3分歩くと小さな祠があります。弘法大師がこの地を訪れた時、里の住民の無事息災を祈願して、岩に爪で地蔵尊を刻んだと伝えられています。目を凝らしてもよく見えませんが、水をかけると浮き出てくるとも言われていますので、「水かけ地蔵」の別名があります。しかし、信仰心のない人には何をしても見えないのだそうです。そして、横には小さなかわいいお地蔵さんがあります。(2010.6.30)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
爪書き地蔵の祠
爪書き地蔵さん
横のかわいいお地蔵さん
道路沿いの壁画情報提供:市民の力わかやま
沓掛王子を出て熊野古道(県道176号線)を南下していくとすぐに道路沿いに立派な壁画が現れ、少し驚きます。宮子姫に因んでなのでしょうか、朝廷内の人物壁画が2枚、この地域に育つ黒竹の壁画が2枚の計4枚です。何か歩いていてホッとするところです。(2010.6.27)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
朝廷の人物壁画
黒竹の壁画
沓掛王子情報提供:市民の力わかやま
湯浅と日高町を結ぶ熊野古道でも指折りの峻険な「鹿ヶ瀬(ししがせ)峠」越えで、沓(わらじ)も相当に傷んでしまいます。そこで、ひと休みして沓を掛け直したのでこの名がつきました。この峠越えの時には、牛馬にも沓を履かせていたと言われています。人も牛馬も厳しい難関を越え、一息ついた王子社でした。隣に弁財天社があります。(2010.6.26)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
沓掛王子跡
弁財天社
万福寺(足切地蔵院)情報提供:市民の力わかやま
西向山地蔵院万福寺は、紀伊内原駅から熊野古道を南に約40分歩き、道分け地蔵を東に入って少しのところにあります。本堂の屋根に輝く「金の鯱鉾」は飛行機からも見えると評判です。
この万福寺は、地元の人に「あしきりさん」と呼ばれ親しまれています。弘法大師が讃岐で彫った仏像が大師の熊野参詣を追ってきて、帰れと言ってもきかないため爪先を切ってこの地に祀ったと言われています。この仏像は「足切り地蔵」と呼ばれ、足の病に霊験あらたかということで、全国から足の不自由な人の参拝が絶えません。また、通行安全の地蔵として尊崇され、足切りの名から大学入試の守り地蔵として、合格祈願の受験生が多くなってきています。1月の第3日曜日には地蔵尊会式が行われ、大草鞋が奉納されます。(2010.6.23)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
万福寺全景
万福寺の鯱鉾
奉納された草履や草鞋
馬留王子情報提供:市民の力わかやま
馬留王子は、沓掛王子跡から20分ほど歩いた西山浄土宗光明寺を下った県道沿いに石碑があります。そして、王子社跡はの石碑の上のミカン畑の中にあります。「中右記」や「後鳥羽院御幸記」にはこの王子社の名は見えません。地元ではハザマ王子、またはハザマさんと呼ばれていました。「続風土記」には境内周囲60間と記されているので、かなり大きな王子社であったと思われます。有田側の馬留は「東の馬留王子」呼ばれており、この日高側の馬留は「東の馬留王子」ということで、相対して名づけられたものと考えられます。 (2010.6.21)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
内ノ畑王子情報提供:市民の力わかやま
原谷の馬留王子跡から西川に沿って南へ進みます。なめら橋を渡りすぐ左に曲がり畔道を南へ行くと今熊野神社と続きに道端に内ノ畑王子跡が見えます。内ノ畑王子は槌王子とも呼ばれていました。
熊野御幸記に「暫休息山中小食 於此所上下伐木枝随分造槌 付榊枝持参 内ノハタ王子 槌金童王子云々 各結付之云々」とあります。槌を木の枝に結びつけると徳があると伝えられていたようです。
最近の研究では、字槌王子に王子社がありましたが、耕地の拡大と共に、隣の山裾に遷されたとされています。 明治41年に今熊野神社に合祀され、更に萩原の内原王子神社(高家王子)に合祀されました。(2010.6.18)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
大蛇のモニュメント情報提供:市民の力わかやま
道成寺に伝わる安珍清姫伝説に日高川が出てきます。
真砂(現在の田辺市中辺路町真砂)から安珍を追ってきた清姫が日高川までやってくると、渡し船の船頭は安珍に「清姫を渡らせないように」と言われていました。清姫は大蛇の姿となり、川を渡って道成寺へと安珍を追いました。
その日高川にかかる野口新橋のたもと、4本の親柱に大蛇のモニュメントがつけられています。日高川は蛇行の多い急流で、かつては流域に水害をもたらしてきました。そのようすからも、日高川=蛇と連想されたのでしょうか。ちなみに、日高川は日本一長い二級河川です。(2010.6.7)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
ユーカリ等の山林情報提供:市民の力わかやま
日高の山は杉や檜で植林されている所が多いですが、少し変わった照葉樹の山林も結構みられます。種類としては、スダジイ、ウラジロジイ、ウバメガシ、アラカシなど樫の木の仲間が多いです。
中でも、高速道路の湯浅御坊道路の川辺第2トンネルの南側出口すぐの東側、通称「オクボ山」の西斜面に他の山々とはちょっと違う面白い植生が見られます。これは「ユーカリ」。天王寺動物園のコアラの餌としてユーカリは日高川町の森林組合産の手によって20年ほど前からこの地で育てられています。成長の早いユーカリは既にかなりの大木になっていて、やや薄い緑色で風になびくと少し銀色に輝いて見えます。(2008.1.8)
・道の駅「SanPin中津」より車で約15分
徳本上人生誕の地情報提供:市民の力わかやま
江戸時代の念仏行者で全国的にも高名であった徳本上人は、ただひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え日本各地を行脚し、庶民の苦難を救った清貧の思想の持ち主です。上人は、宝暦8年(1758)和歌山県日高町久志の農家に生まれ、幼名は三之丞といいました。生家「誕生院」と関係の史跡が、道成寺と42号線を挟んで距離的にも反対側に残っています。
上人は、4歳の秋、遊び友達の死に驚き嘆かれた時の母の教え「阿弥陀仏に頼り、お念仏を唱えれば極楽浄土で友達に会うことができます。」が幼子の心の奥底に刻みこまれ、厳しい修行と行脚の生活を12年も続け、悟りを開いたと言われています。(2007.11.27)
・道の駅「SanPin中津」より車で約30分
徳本上人の生家「誕生院」*修復工事中です
徳本上人の念仏修行場
高家王子情報提供:市民の力わかやま
熊野古道と国道42号、JR紀勢本線が最も近づくところにあるこの王子社は、有田郡から日高郡への入り口ともいえる場所で、この王子社から紀南河川国道事務所の管理範囲になります。「中右記」には「大高王子」、「源平盛衰記」には「高家王子」と記されていて、格式が高い王子社でした。
境内には、熊野本宮大社など県内の大きな神社によく見られた「長床」という修験者の集まる施設があり、紀北と紀南を結ぶ熊野信仰の一大拠点であったことを物語っています。また、建仁元年(1201)、後鳥羽上皇の熊野詣に随行した藤原定家がこのあたりで詠んだと思われる和歌の歌碑もあります。現在は内原王子神社に祀られています。(2007.11.15)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
高家王子
高家王子解説板
岩内王子情報提供:市民の力わかやま
海士王子のすぐ南のJRきのくに線の踏切を渡り、湯川子安神社の側を通り東南東へ進み、野口新橋を渡ります。日高川に沿って下り、御坊大橋で日高川を渡って最初の王子が岩内地王子です。この岩内王子が文献にはじめて登場するのは熊野御幸記(ごこうき)で 、「河を渡りていわうち王子に参る。此辺りの小家に入る。」と記されています。
旧道に沿った岩内コミュニティセンターの敷地内に王子跡の「焼芝王子神社旧跡」と書かれた石柱が立っています。本来の社地は日高川の中にあったと言われ、岩内王子は焼芝(薬師場)王子とも呼ばれていたからです。也久志波王子とも書き、 明治41年熊野神社に合祀されました。(2007.10.15)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
海士王子情報提供:市民の力わかやま
海士王子は、くまは・くわま・クリマなどと呼ばれ、由緒ある王子社であったと言われています。昔はこの辺まで海で、ここで海女さんが海から観音様を拾い上げ、その観音様が道成寺にお祀りされていると言われています。そして、この王子から、JRきのくに線の線路が見えるのです。
愛徳山王子が八幡山の北の麓、この王子は南の麓にあったそうです。九海士とか海士とかの表示は近世の事であったようで、久和万、クワマ、桑間崎王子等と表現されてきました。
明治41年、前の愛徳山王子と共に近くの八幡神社に合祀され、九海士王子社にあった宮子姫像は道成寺に祀られているそうです。(2007.10.13)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
愛徳山王子情報提供:市民の力わかやま
愛徳山(あいとくざん)王子へは善童子王子から少し広い道に出て100m程南の四差路を左折、家の間の狭い道は100mほどで広い道に出ます。300m程行くと右に花壇、三叉路の古道標識のあるところから家の間の幅50cm程の細い道を進みます。そこから畑の中を10m程行き、右から左に狭い道を進み竹藪の中に入っていきます。昼でも一人だと気味が悪いような薄暗い竹薮を150mほど行った右側奥に10a程の広場があります。その広場の奥に愛徳山王子跡があるのです。神名の愛徳は「アタギ」とも読み、地名の阿多木原からこの名になったと伝えられています。(2007.10.12)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分+徒歩5分
愛徳山王子
道成寺周りの三王子への道標
愛徳山王子はこの竹薮の奥に
善童子王子情報提供:市民の力わかやま
国道42号線からJR紀伊内原駅すぐ北の東へ行く道に入り、県道27号線を南東へ約2km進むと、富安王子とも言われる善童子王子(ぜんどうじおうじ)の小祠の前に出ます。連同寺王子、田藤次王子、伝童子王子、出王子、出童子また若一王子と呼ばれ、人間の耳のあいまいさに加え紀州の人々の発音の特徴を物語る呼び名が一番多い王子です。善童子神社として祀られ、「よい子の神社」とされています。
この王子の格式は、五体王子に次ぐ准五体王子の一つで、大般若経六百卷を蔵する大社であったと伝えられています。従って、神社の前庭はかなりのスペースがあって、昼食などの休憩にちょうどよいところです。明治42年、湯川神社に合祀されました。(2007.10.9)
・道の駅「SanPin中津」より車で約25分
お土産屋さんや朝市情報提供:わかやまインターネット市民塾
道成寺門前のお土産は釣鐘まんじゅうです。作りたてのおまんじゅうが食べられます。空き地では金・土・日の朝5:30〜10:00まで文字通りの朝市が開かれています。地元の新鮮な野菜・果物などが売られています。(2006.3.31)
写真追加(2007.7.28)
・道の駅「SanPin中津」より車で約20分
ジャンジャカ踊り情報提供:わかやまインターネット市民塾
鐘供養の会式(えしき)で、安珍・清姫伝説に基づいて昭和46年から始まった安珍の鎮魂祭が毎年4月27日に行われます。大蛇が日高川堤や町を練り歩き道成寺の石段を駆け上がって、鐘にとぐろを巻きます。(2006.3.31)
写真追加掲載(2011.7.26)
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟