工事現場の紹介

閑院宮邸跡保存修理
(かんいんのみやていあと)
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パース
着工前

所在地 京都市上京区京都御苑3
敷地面積 632,696平方メートルの内
旧閑院宮邸…884.8平方メートル
門番所…23.5平方メートル
作業員詰所…122.6平方メートル
構造・階数 旧閑院宮邸…木造平屋建
門番所…木造平屋建
作業員詰所…木造平屋建
整備内容 旧閑院宮邸…保存修理
門番所…移築保存修理
作業員詰所…新築
予定工期 平成15年9月〜平成18年3月

工事概要
 京都御苑閑院宮邸跡は御苑内に残る貴重な江戸時代の公家屋敷です。保存修理にあたっては現状の保存修復を図るとの観点から、調査検討資料を基に現場にて確認しながら不必要な増築部分及び建具等の撤去を行うと共に、柱、梁等の骨組みを残した半解体でのジャッキアップにより基礎の改修や傷んだ部材の取り替え継ぎ足し等を計画しています。また、屋根、壁面等については既存の再利用と併せて葺き替え、壁塗りにより保存修復を行います。内部用途については、公家屋敷の雰囲気をこわさない範囲で機能の充実を図り事務室等の管理部分の他、資料室については資料の収納展示の充実を図り、御苑の歴史と意義や自然について次世代への伝達と共に、利用者への情報提供を行います。

【閑院宮家の概要】
 閑院宮家は、伏見の宮家、桂の宮家、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家の一つ。東山天皇の第8皇子直仁親王を始祖として宝永7年(1710)創立され、正式に閑院宮と称するようになったのは、東山天皇崩御後の享保3年(1718)からである。
 宮家の禄高は約千石が与えられ、現在の京都御苑の南西隅にあたる位置、九条家の西側に屋敷を構えた。一時東山天皇の系譜が絶え併せて閑院宮家も家系が途絶えたが、明治5年(1872)に伏見宮親王の皇子載仁親王が閑院宮家を継承された。その後他の宮家と同様、東京に移住し永田町に屋敷を構えていた。また、小田原にも2万坪に及ぶ広大な別荘を所有していた。
 7代春仁親王は戦後昭和22年に皇籍を離れ、純仁と改称し本拠地を小田原に移した。その後、昭和63年7代純仁氏が逝去し閑院宮家は絶家となった。

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