文化財検討委員会の提言


I 本委員会設置の目的と審議の経過
  
(1)
 本委員会は、現在そのルートや構造について幅広く検討中である京奈和自動車道大和北道路のうち、平城宮跡およびその周辺地域(国道24号奈良バイパス周辺を中心とした「中央エリア」の北部地域)を対象に、埋蔵文化財保護の観点から配慮事項を検討することをその目的として、本年3月に設置された。
  
(2)
 奈良盆地北部の交通体系を整備することは、奈良市およびその周辺地域の主要道路において現在しばしば発生している交通渋滞を解消し、それらの地域のみならず関西圏全体を活性化させるための緊要事であって、遺跡の保存に十分配慮しつつそれを実現することが望まれている。
  
(3)
 本委員会は当該道路について、そのルートや構造を決定することを任務とするものではなく、(1)の配慮事項を明らかにすることによって今後のいわゆるPI(Public Involvement)プロセスを実施するさいの基礎資料を提供することをその任務とするものである。
  
(4)
 委員会は4回にわたって開催され、検討対象地域について各委員が専門的な立場から意見を述べ、それについての議論を行った。
  
(5)
 その内容は、本委員会に先行して行われた地下水検討委員会の調査結果の検討、平城宮跡の史跡としての意義、埋蔵文化財、ことに木簡の史料としての重要性、世界文化遺産としての平城宮跡の位置づけ、道路建設が埋蔵文化財に及ぼす影響、などの各般に及んだ。
  
(6)
 それらの議論を踏まえ、道路建設にあたって配慮すべき事項についてまとめたのが、以下の提言である。


II 史跡としての平城宮跡の意義
  
(1)
 平城宮は8世紀(奈良時代)における古代国家の宮都であり、当時の政治の中心であるとともに、華やかな天平文化を生み出した母胎でもある。
  
(2)
 その遺跡は784年の長岡遷都後大部分が水田となり、後代の変改を受けることがきわめて少なく、良好な状態で今日まで保存されてきた。その歴史的・考古学的価値はきわめて高い。
  
(3)
 平城宮跡に対しては、明治以後調査・保存のための活動が行われてきた。その間には昭和37(1962)年の近鉄の検車庫建設計画、同39(1964)年の国道24号バイパス建設問題などが生じたが、そのつど適切な処置が行われて今日に及んでいる。
  
(4)
 平成10(1998)年には、東大寺・春日大社などとともに「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された。寺社の建造物や仏像・工芸品などと宮都の遺跡とが一体として遺存していることに大きな意義が認められたものであり、その保存には世界の関心が集まっている。
  
(5)
 その遺構や出土遺物は、当時の宮都の構造や官衙の機構、宮廷生活の具体像を知るための貴重な資料を提供する。なかでも木簡は、他の文献では知ることの困難な官人の勤務状況、地方行政や貢納の制度、また皇族・貴族の家政などについて多くの新しい知見をもたらし、古代史の研究に新しい局面を開いた。
  
(6)
 平城宮跡周辺の地域においても、昭和63(1988)年、長屋王の邸宅跡から大量の木簡が出土するなど、貴重な考古学的成果が挙がっている。また宮跡北方の松林苑は平城宮の後苑であり、宮と一体の施設と目される。
  
(7)
 遺跡は将来にわたって保存されるべきであり、大規模な自然災害による破壊は避けられないにしても、人為による破壊は避けるべきである。遺物は一度滅失すればその価値は失われ、知られうべき貴重な歴史事実が永久に知られないままに終わる。
  
(8)
 平城宮跡の発掘調査を多年担当してきた奈良文化財研究所(現在)は、木簡など有機質遺物の保存の対策として、昭和46(1971)年以来、宮跡各所に水位観測用の井戸を設置して水位・水質などの経年的な変化を調査するとともに、また人工の園池を造成して地下水位の保持に努力を払ってきた。


III 道路建設が埋蔵文化財等に及ぼす影響
  
(1)
 本委員会に先行して行われた地下水検討委員会においては、現地調査にもとづいた精度の高いモデルによって解析が行われ、平城宮跡の地下水位は季節・気候によって変動しており、地下道路を建設することによる水位の変動はそれに較べて微小であるとの結論に達している。
  
(2)
 地下水検討委員会の調査、および本委員会の検討結果によれば、地下水の変動に関しては、道路建設の影響は季節変動に較べて小さいと考えられる。また将来、地下水の取水、宅地開発などの開発行為が大きく影響を及ぼすと予測されるため、地下水の取水、開発などの規制について検討することが望まれる。
  
(3)
 一方、仮に地下に道路を建設する場合、道路工事は適切なルート・深度・工法をとることによって、地下の埋蔵物に対する影響を最小限に抑えることができる。また道路工事と付帯して地下水涵養対策を講じることによって、季節変動を抑えて宮跡の水位をより安定した状況に保持し、現状より地下埋蔵物の保存環境を良好にすることも技術的に可能である。
  
(4)
 懸念されている地下トンネルからの排気、奈良地域の各種文化財・天然記念物に与える影響についても、適切な処置をとることが可能である。自動車の排気ガスについて言えば、高速道路に車が移行することによって一般道路の渋滞が解消され、地域全体としてはむしろ改善されるものと考えられる。
  
(5)
 他面、平城宮跡の発掘はまだ全面積の3分の1程度しか行われておらず、どこにどのような遺構・遺物が存在しているのかは予測しえない。
  
(6)
 また、地下水位の変動が木簡などの埋蔵文化財にどのような影響を及ぼすか、どの程度の乾燥状態がどの程度続けば木簡に致命的な影響が及ぶのか、その科学的な調査はまだ行われておらず、保存のメカニズムも明確になっていない。
  
(7)
 世界遺産を保護し将来に伝えることは締約国の義務であり、その保存状況は世界の注目するところである。世界遺産とその周辺における開発行為に関しては、埋蔵文化財保存といった技術的観点だけでなく、国際的な関心についても配慮する必要がある。


IV 委員会としての提言
  
(1)
 特別史跡平城宮跡は古代宮都の遺構として貴重な文化遺産であり、それに対しては将来にわたって保存のための努力が払われるべきものである。
  
(2)
 地下埋蔵物に対する影響を最小限に抑えて道路を建設することは、平城宮跡直下をも含めて技術的には可能である。しかし平城宮跡の世界遺産としての意義を考え、道路建設に対する反響を考慮すると、道路の建設は特別史跡の指定範囲についてはこれを避け、世界遺産条約において定められている緩衝地帯(バッファゾーン)内においても出来る限り離隔をとって行われることが望ましい。
  
(3)
 平城宮跡周辺において道路工事が行われる場合には、工事の期間を通じて地下水位をはじめとする現状把握調査を継続的に実施し、事態に応じた敏速な処置がとられるべきである。
  
(4)
 平城宮跡周辺での道路建設にあたっては、文化遺産としての古都奈良の景観に与える影響を考え、換気塔など構造物のありかたに配慮すべきである。
  
(5)
 排気ガスが奈良地域の各種文化財・天然記念物に影響を与えることへの懸念については、高速道路整備時の渋滞緩和による大気状況改善の効果や換気塔からの排気ガスによる影響などの諸点を考慮し、奈良地域全域の問題として総合的に評価することが望ましい。
  
(6)
 宮跡周辺の京域や北方の松林苑(後苑)の地域も、宮域と密接な関係があり、多くの遺跡・遺物が存在する。道路工事にあたっては文化財の調査・保存にとくに注意すべきである。
  
(7)
 地下水の変動については今後地下水の取水、宅地開発などの開発行為により大きな影響の及ぶことが予測される。宮跡の地下水位の保持については、奈良文化財研究所によって人工の園池を造成するなどの努力が払われているが、工事完成後も将来にわたり、関係機関による適切な措置が講じられるべきである。地下水の涵養とその適正な利用については、科学的な調査方法を用いて地下水涵養のメカニズムを明らかにすることに努め、広域的・総合的な対策のとられることが望まれる。


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