淀川水系流域委員会 第1回合同懇談会議事録
日時:平成13年2月1日(木)12:40〜15:30

(13:30〜14:00休憩)

場所:京都センチュリーホテル1階「瑞鳳」





○庶務(三菱総合研究所 恩地)

部会発足会に引き続き、淀川水系流域委員会の主催で淀川水系流域委員会 第1回合同懇談会を開催させて頂きます。

司会進行は、設立会の規約で庶務を担当することになりましたM三菱総合研究所がやらせて頂きます。私は、関西研究センターの恩地でございます。よろしくお願いいたします。本日、合同懇談会を開催するかどうか、決まっておりませんでしたが、委員の方々には予め14時頃まで時間を頂くことにしていました。ただし、午前中しか都合がつかないという委員もいらっしゃいましたので、その方は随時、退出して頂くということで、よろしくお願いいたします。

本日の会議後、議事録の確認修正や謝金・交通費振り込みのご連絡方法の確認等を各委員に郵送させて頂きますので、よろしくお願いいたします。

また、隣の部屋に昼食の用意をはじめていますが、これは委員長の指示に従って召し上がって頂くことになります。会議が予定より1時間程度延びておりますが、合同懇談会をこのまま続け、時間の都合がある方は、退席の際に、隣で昼食を召し上がって帰って頂くということで、先程、芦田委員長と話し合いをしました。従って、お時間の許す限り、ご自由に意見交換をして頂くということで、よろしくお願いいたします。

合同懇談会が終了した30分後に、記者説明を行う段取りになっています。本日は14時までとしていましたが、皆さまにそれぞれご発言頂くと、場合によっては15時頃までかかるかも知れないということで、ご承知おき下さい。

それでは、芦田委員長に進行をお願いします。

○芦田委員長(委員会)

それでは、委員長ということで合同懇談会の司会をさせて頂きたいと思います。1年半で何とか立派な河川整備計画をつくろうということになっています。地域住民の意見を聴きながら進めないといけないわけで、非常にハードなスケジュールになると思いますが、よろしくお願いしたいと思います。

本日のように、多くの皆さまにご出席頂きますと、同志を得たという感じで、非常に心強く感じます。よい川をつくろうということを共通に集まって頂いておりますが、「つくろう」という内容は、人によって大分違うのではないかと思います。いずれにせよ、よい川をつくろうという同志がたくさんここに集まっている、また、この背景には、たくさんの地域住民がおられるわけで、その地域住民は非常に期待していると思います。そういうことを受け、よりよい河川整備計画を何とかつくりたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

本日は、合同懇談会ということで、川づくりについての思い、或いは今後の委員会、部会等の進め方についてのご意見を、それぞれお1人ずつお話して頂きたいと思います。1人2分としましても2時間近くかかりますが、大体15時頃まで懇談会をしたいと考えています。ご用のある方は先にご意見を頂き、退出して頂くということにしたいと思います。委員の皆さまにおかれましては、3分くらいで、どのような思いでいるのか、或いはどうすべきだというご意見を順番にお願いしたいと思いますので、よろしくお願いします。

では先ず、米山部会長、先程部会長としてのご挨拶がありましたが、13時に退出されるということですので、何かございましたらお願いいたします。

○米山部会長(委員会・猪名川部会)

先程、本多委員より地元密着で考えるというお話がありましたが、全くそうだと思います。現地で懇談会等を開催すれば、そこで我々がやっていることのPRにも繋がります。そういう会合をなるべく多く開き、地元の方の声を聴くことが大切です。それと同時に、こちらが考えていることを訴えていくという活動を、是非やっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

この会議の開催が決まる前からの約束がありますので、大変申し訳ないのですが、これで失礼させて頂きます。どうも申し訳ございません。

○芦田委員長(委員会)

その他、お急ぎの方がございましたら、先にご発言をお願いしたいのですが、いかがでしょうか。

○田中(真)委員(淀川部会)

志明院の住職をしております田中と申します。私は、京都を貫流する鴨川の環境に携わってきた1人として参加させて頂いています。鴨川は直轄管理区間の範囲ではないので、どこまで論議できるだろうかと考えています。

淀川の上流都市である京都市の人口は約140万人と言われています。この上流都市を貫流する河川を語らずして、淀川という下流の問題も語れないのではないかと思います。これは琵琶湖の問題と同類のような考えになりますが、約140万人の人たちの使った水が、鳥羽の下水処理場で処理され、処理水が淀川に注がれ、淀川河口で阪神地域の人々の飲料水になっているという実情を考えれば、鴨川をいかに保全していくかということはやはり大きな問題です。防災面もそうですが、環境面も非常に大事だと思います。いかに下流にきれいな水を流していくかというのも、京都市民の1つの大きな課題ではないかと思っています。

そういった意味から、多いといえば多いし、少ないといえば少ないこのメンバーで、いろいろなものの是非を決めていくということに少し疑問も感じますが、地域の人々の意見をできるだけ汲み上げ、総合的に議論していった方がよいと思います。その中で鴨川は、京都府と京都市の管轄ですが、国土交通省の方々も鴨川をどうすべきか、是非、提言して頂きたいと思います。国土交通省が鴨川をふるさとの川と選定している以上、できるだけこれに関わって頂きたいと考えます。ご存じのように、京都は歴史都市であります。世界の歴史都市という宿命を背負っている以上は、鴨川はある意味では世界の川だということができます。そうした視点からみると、鴨川の保全条例を制定すべきだと思います。そうすることによって、下流の人たちへきれいな水を流そうという京都市民の願いも届くのではないかと考えます。このような観点から、是非、議論を進めて頂けないだろうかと思っています。よろしくお願いします。

○芦田委員長(委員会)

どうもありがとうございました。

では、順番にご発言して頂くことにしましょう。矢野委員からよろしくお願いいたします。

○矢野委員(猪名川部会)

私は神戸市水道局水質試験所に勤務しておりますので、行政の立場に分類されます。水源の汚染等を水質の点から考えますと、私たち水道は、どららかというと被害者的な部分もございます。一方、市民の皆さまに水を提供している関係で、いろいろな苦情を頂く立場にございます。

最近、問題になってきていることの1つに、窒素、リン等についてはあまり変化がないのに、アオコが発生する等、いろいろな現象が発生するという状態にあります。最近は生物のダイナミクスが変化してきているのではないかという感じを受けています。将来、もちろん水質汚染の問題もございますが、地球環境が大きく変化してきた時に、果たして水源はどうなるのかと感じながら、最近、水質を見させて頂いています。

また、神戸市水道局には千苅貯水池がございます。その貯水池の水質保全対策を行う上で、いかに上流の方のご理解が大切であるかということがわかってきています。上流の地域住民の方にご意見をお聴きし、それを汲み上げ、かつ水質保全策を策定していくことがいかに難しく大切か、最近、痛感しています。

この委員会でもいろいろ勉強をさせて頂きながら、私共が過去に経験したいろいろな教訓もございますので、お話ができればと思っております。よろしくお願いしたします。

○松本委員(猪名川部会)

現在、池田・人と自然の会という団体で、猪名川流域での自然保護活動、観察会等を行っております。200名ほどの団体です。

個人的な話を申し上げます。実は私、高校生の頃に淡水魚保護協会という財団法人に出入りをしていました。その頃、当時の近畿地方建設局のお話を、当時の協会の理事長であった木村理事長からいろいろ伺っていました。淀川のワンドの保全運動で、アンケート調査を行っていた当時の近畿地方建設局と、今回のこういう形で委員会を設立した近畿地方整備局と、隔世の感を感じております。

しかし、住民参加と言っても、行政は守りの姿勢から住民参加と言いますし、地域住民も勝手なことを言います。いろいろな地域住民がいて、その地域住民の意思をどうまとめていくか、どの地域住民の意見を尊重するのか、非常に難しい問題があると思います。

ですから私は、このような委員会の中で、行政と学識経験者、そして我々地域住民のよいパートナーシップを築いていく貴重な事例にしていかねばならないと思い、興味深く参加させて頂いております。皆さまの忌憚のないご意見をいろいろ参考にさせて頂きながら、微力ながら意見を言わせて頂きたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。

○本多委員(猪名川部会)

みのお山自然の会の本多と申します。私は今、地域の自然観察会を進めながら、箕面市内にある小野原地区の土地区画整理事業や山麓保全検討委員会等で行政の仕組みづくりの中に参画し、環境をどう守っていけばよいかということに取り組んでいます。また、水と緑の健康都市や余野川ダムの問題では、市民運動という形で、どうしたら環境が守れるのか、いろいろな切り口から環境を考えています。

特に余野川ダムに関しては、地元の止々呂美地区の住民の強い関心があります。そして、その環境保全をどうしていくかということと、その地域の住民の自然とのかかわりや暮らしの問題、これも大切な問題がたくさんあり、これらのことについて意見を言わせて頂いたり、また、地域の人の意見を聴く方法について、いろいろ考えていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

○細川委員(猪名川部会)

私は、猪名川とその支流である藻川に挟まれた小さな三角洲の街、園田というところで生まれ育ちました。川の風景が一番心に残る地域に住んでいます。小さいときから、河川行政に対する疑問のようなものがたくさんあり、ここでいろいろ教えて頂けたらと思っています。

どうして堤防に木を植えては駄目なのか、残していきたい植物をどうしたら残せるのか、上流の環境破壊の問題、もっと深刻な問題がたくさんあります。このような中、今、尼崎市では、自然と文化の森構想という、猪名川と藻川の流域を中心にまちづくりを考えていく取り組みをしています。自然と文化の森構想のメンバーも、この淀川水系流域委員会でどう猪名川の堤防が変わっていくのか、猪名川流域が変わっていくのかということに、非常に関心をもっています。

殆ど都会化された、平野の中の本当に小さなこの街の中では、堤防、川というのは、重要な自然環境です。自然環境についても河川整備計画の中で考えて頂けるということに非常に期待しています。子供たちにとっても、堤防、川がとても大切な環境教育の場になっています。是非、その辺のところで意見を言わせて頂きたいと思っています。よろしくお願いします。

○畚野委員(猪名川部会)

流域の行政的、或いは管理的な空間的分割で、本当に川は生き返るのかということを非常に痛感しています。

私は兵庫県川西市に住んでいます。河川法の改正直後、県の管理区間について、地元の元気なおばさんたちの声を県の方に聴いて頂きました。先進的と言うと口はばったいのですが、僅かな場所ですが、河畔林を残して頂くよう、工事の計画まで変更して頂いたという経緯があります。

そのようなことで、私の立場としては、地域住民と行政とが対峙するのではなく、行政が地域住民の声を本当によく受け止め、聴いて頂ける態勢をとって頂くという、住民運動の新しい流れがこれから大事であるという観点から、部会でいろいろと申し上げたいと思います。

猪名川には途中にダムがあり、水資源開発公団が事業を進めていたり、下流の方へ行くと当然、国の管轄というように、管理区間は空間的に分割されています。先程からの議論のように、流域全体の擦り合わせをうまくやらないと、せっかくの我々の議論が生きてこないのではないかと危惧しています。委員会全体として、その点を十分配慮した議論をお願いしたいと思います。

私は兵庫県が管理している河川に関わっていますが、兵庫県でも、県独自の流域全体としての河川整備計画については、国の方からの指導を頂くという話になっています。しかし、現実には、非常に緊急を要するということで、1km程度の河川の区間について、緊急に川懇談会をモデル的に立ち上げ、そこで意見を言うということになっています。1kmの管理区間は都市河川で、その都市河川に水量が多く流入するのは、工事区域よりも上流の急流河川から流入する水量が多いことが原因です。上流は川西市でなく、宝塚市であるため、行政の壁があります。宝塚市の住宅開発で、数年前に山が削られたため、水が多く流入するようになったと、その地域の住民がおっしゃっています。

このように、河川を分担することによって整合性が保てなければ、どうしようもないと思います。当委員会において、国の直轄管理区間外のお話もすると思いますが、ご容赦頂きたいと思います。管理区間外の意見も、何らかの形で広く反映して頂きたいと思っています。

間違っていたらご容赦願いたいのですが、幸い、兵庫県の河川審議会のメンバー表には、会長に芦田委員長のお名前があります。兵庫県に行かれましても、当委員会と共通の問題で、いろいろとお考え頂きたいと、特にお願いいたします。

それからもう1つは、時間軸的なことです。先日、兵庫の川サミットという催しを行いました。これは、猪名川流域で住民運動を行っている約10団体が合同で委員会を立ち上げ、行ったものです。このように猪名川流域では、新しい形の住民運動が徐々に広がっています。そういう芽を潰さないよう、ご配慮願いたいと思います。

そのサミットで、私はコーディネーターを務め、地域住民側からの見解を申し上げました。ここ2、3年の経験でみると、県はまじめに工事設計や変更をし、実行して頂いています。そのことはありがたいのですが、工事の後、川がどうなっていくかというモニタリングという問題等は、人員的なこともあるとは思いますが、現状では非常に手薄だと思います。そういうアフターケアの問題については、地域住民が県にどうして欲しいと言うのではなく、地域住民側が組織を作り、モニタリング等を各流域でやっていくという動きが必要ではないかと思います。

行政と地域住民のパートナーシップは重要な課題だと思いますので、その観点からもいろいろと意見を申し上げたいと思います。

○芦田委員長(委員会)

先程、畚野委員から、「対象区域」「直轄区間」という議論がありました。淀川流域全体の視点から議論する必要があるということは間違いないことでございまして、委員会としても、そのような方向でやっていきたいと思っています。特に、非常に大切である水源地域の問題、それから氾濫地域の問題、そのような問題をどう考えていくかを議論しないと、河川の部分のみを取り上げても、問題解決にはならないと思いますので、そのような視点から進めていきたいと思っております。

○田中(哲)委員(猪名川部会)

私の対象分野は漁業関係となっていますが、漁業は今まで一度もしたことがありません。魚釣りくらいしかしたことがありません。

猪名川にはそれほど出向いたことはないのですが、小学生の頃、違反漁法だった魚扠をもって、止々呂美周辺で大きなニジマスとアユを追いかけた覚えがあります。猪名川に関してはそれくらいしか関わりがなかったわけです。

お手元にある猪名川のパンフレットを眺めていて思ったのですが、人間の住んでいる沖積平野は、もともと河川の洪水によってできあがったものです。その河川の領分をどんどん人間活動、農業、或いは住宅が狭めてきたわけです。親水護岸、或いは多自然型工法等の小手先の技術で、これから先、河川が守られていくとは思いません。河川の領分をもう一度、半分くらい戻さないといけないという視点で意見を述べさせて頂きたいと思います。

例えばこのパンフレットでしたら、河川幅を拡幅し、少なくとも3倍くらい広げることによって、はじめて、洪水を防御し、水流が淵をつくり、瀬をつくり、魚の棲める、或いは子供たちの遊べる場所、また河川敷の植物も保たれるのではないかという気がします。

漁業関係ということで申し上げると、日本の淡水魚は海と川を行き来したり、湖と川を行き来したりします。ですから、海と湖、川のつながりが重要です。それを治水のために、殆ど分断してきたのですが、1水系で1本くらい、海と源流までつながったまともな水系を確保して頂きたいと思います。

例えば、大阪湾から木津川の上流、青山地域のダムまでつながった水系です。琵琶湖でいえばビワマスとアユは琵琶湖と流入河川を往復して棲んでいます。ですから、琵琶湖と源流までつながったまともな水系を、1本くらい残して欲しいという気がします。

そういう意味で、いろいろな理由があったと思いますが、最もまともな河川で、一番よいアマゴが釣れる高時川に丹生ダムを建設するというのは、悔恨の極みです。

○渡辺委員(淀川部会)

私が現在住んでいるのは、京北町周山というところです。河川でいえば淀川水系上流の桂川のもっと上流、日吉ダムの上流域になります。そこの上桂川漁業協同組合に勤務しています。

先程から、たくさんの地域の状況等が報告されておりますが、私も下流部のことはあまり詳しくありません。私は対象分野が水環境ということで委員に選出されましたが、どちらかといえば、地域の特性に詳しい委員の部類に入ると思います。漁協は桂川の場合、どうしてもアユが中心になります。ご存じの通り、下流にダム等ができてから、我々の地域までの天然アユの溯上がなくなってしまいました。現在、琵琶湖産の稚アユ等を購入して放流して、それを地域の地場産業につなげた形で漁協を運営しています。

最近、頼みの琵琶湖産稚アユが冷水病等の様々な病気で脆弱化し、大きな問題を抱えています。その結果、だんだん琵琶湖産アユがなくなり、他の海産アユ、人工産アユを仕入れざるを得ないというのが、漁協の悩みの種になっています。病気の関係で琵琶湖産アユが脆弱化してきたばかりでなく、河川環境自体も悪化していることも見逃せない問題です。

私は研究者でも河川の専門家でもありませんので、専門である皆さまから、いろいろご指導を請いながら、今後、河川が回復する取掛を何かつかみたいと思い、参加させて頂きました。どうぞよろしくお願いしたいと思います。

○和田委員(淀川部会)

私は琵琶湖・淀川水系、或いはモンゴルからバイカル湖に注ぐセレンゲ川等の窒素、炭素、リンの動きを調査・研究しています。研究分野が水系そのものなので、委員に選ばれたのかなと思っています。

私はもともと関東で育ち、関西に来たのは今から10年前です。琵琶湖・淀川水系について一言だけ言わせて頂きますと、水系全体で1,600万人が水を飲んでおり、しかも、その水がめが滋賀県という、ある意味では都市部の中にあり、非常に人の多い、科学技術環境に囲まれた水系であるというのが私の印象です。

このような地域を日本人がどれだけ上手く管理できるのか、これから国際貢献として日本が世界から問われてくることになると思います。国際貢献というのは、共同事業や援助等いろいろあると思いますが、日本はこのようなことができると、アピールすることも非常に大事だと思います。

私は東京に住んでいたのでよく知っていますが、東京の水がめは霞ヶ浦を除き、全て山中にあります。琵琶湖は幸い、都市部の中にあります。この淀川水系全体を100年かけて非常によいものにしてみせるということを是非、この委員会が推進していって頂きたいと思っています。

○山本委員(淀川部会)

私は地域の特性に詳しい委員、流域住民の立場で参加しています。NGO、NPO等の団体にも所属しておりません。NGO等の方々はとても関心が高く、先程からのお話を聴いていて、この委員会は人づくりの場でもあると痛感しました。

河川に関心のある方々が、行政側の方々と手をつなぎ、よい方向にもっていってもらいたいと思いますが、反面、私のように何も知らない普通の流域住民が関心をもち、関わっていくことができるように、委員会の方々から、上手な働き掛けができるよう、考えて頂きたいと思います。

私には中学生になる子供がいますが、社会科の調べ学習で河川管理者の問題を研究していて、市町村、府県、国というように、なぜこんなに細かく管理区間がわかれているのか、自分の家の近くを流れている川が、誰の管理なのかもわかりませんでした。

一般住民の目からみると、1つの水系について、琵琶湖は滋賀県の管理だから滋賀県が、直轄管理区間は国が別々に委員会を立ち上げ審議するということに対して、適切な区切りができないのかと疑問に思います。汚水も流れてきますが、市に問い合わせばよいのか、府に問い合わせばよいのか、そのようなこともひとつひとつ調べないといけません。行政にお願いしたいのは、河川法で管理者は決められており、責任や予算が管理者によって違いますが、それ以外のところで連携というのを深めて頂きたいです。

今後20年から30年のスパンの淀川水系のあり方がこの委員会で話し合われますが、豊かな、前向きな発想で、皆で未来へつなげていけるように考えて頂きたいと思います。いろいろとご意見をもっていらっしゃる方もおられると思いますが、皆が前向きに一生懸命にやっていけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

○桝屋委員(委員会・淀川部会)

私も地域の特性に詳しい委員ということになっていますが、最近は河川と疎遠になっているなという気がしています。私の子供が小さい頃、安威川の近くに住んでいました。よく子供と一緒に安威川沿いに昆虫採集に行ったりして遊んだのを覚えています。河川の問題というのは非常に現場的な話ですから、一度、川を歩いていろいろと考えたいと考えています。

例えば、先程から琵琶湖の水で1,400万人の人が暮らしていると言われていますが、1,400万人のうち、何人がこのような問題に関心をもっているかと考えると、ちょっと心許ない気がします。このようなことに対して、いろいろな関心をもってもらえるようにすることも大事なことではないかと思っています。

○槇村委員(淀川部会)

地域・まちづくりの分野から参加させて頂きました槇村です。

先ず、先程の情報公開についてお話したいと思います。いろいろなご議論がありましたが、情報公開についてこれほど細かく議論するということは、今までなかったのではないかと思います。大変大きな進歩だと思います。河川というのは区切ることができないということですので、県の管理区間等については、重要な資料があれば、委員会に提出して頂き、教えて頂きたいと思います。

2つ目は、私は大阪市内に生まれ育ち、奈良に移り住み、現在は京都に職場をもっていますが、それぞれ河川との関わりがこんなにも違うのかと思います。大阪市内を流れる川の横に住んでいたので、小さいときから、私の記憶だけでも2回くらいは洪水に遭っていると思います。河川というのは非常にいろいろな機能をもっており、祭りの場であったり、昔は貯木場であったり、大阪なので船が航行していたり、まちの営みと一緒に住民の生活がありました。そのような中で、どれくらいの状況になれば水が溢れるのか、降雨量によって河川はどうなるのか、いろいろな状況判断をしながら私たちは行動してきたという経験があります。

技術が進歩し、自然も大きく変化した中、河川はある意味では非常に安全になったので、自分がどのような場所に住み、どのような環境にいるのか、その環境の変化に応じて、どう行動しなければならないのかという判断力自体が少し失われてきているのではないかと思います。

先程、100年かけて淀川水系をよくしていくというお話がありました。私もその通りだと思います。ですから、100年かけてよくしていくという前段階として、この100年の間に、どのように地域との関わりが変わってきたかを知ることは非常に大切であると思います。特に水質については、川の中だけではなく、多方面にわたって議論しなくてはならないと思います。そういう意味で、土地利用も含め、人々と川との関わりを取り戻していくことが非常に重要なことだと思います。

情報の共有ということに関して、もちろん河川整備計画に関する情報の共有もありますが、河川が育んできた土地の歴史、記憶、人々の関わりを100年前に戻り、もう一度共有し、これからどうしていくか、逆のベクトルの共有がなければ、将来のことも見えにくいのではないかと思います。

河川に関して、いろいろな地域によって自分との関わり、抱えている課題、人の関心は違います。大変手間暇がかかると思いますが、懇談会のようなものを地域で開き、このような場に来ない方、或いはホームページを見ない方々のお話を、お年寄りも含めて聴き、河川整備計画ができればよいのではないかと思います。

○原田委員(淀川部会)

漁業関係の分野から参加させて頂いている原田です。私自身、もともと水産関係は専門でなかったのですが、ここのところ、学生さんの希望や、また、いろいろな理由から、主に上流域ですが、アマゴや、ときにはアユの調査等も行っています。

私は三重県におり、淀川本川のような都会の河川はあまり身近にはなく、ちょっと弱い部分もあるかと思いますが、田舎の河川について何らかのことができればと思っています。

現在、三重県では宮川流域ルネッサンス事業が進んでいます。その中に水部会があり、宮川に少しでも流量を戻そうではないかということを、これまで2年間議論させて頂き、その過程でいろいろ勉強させて頂きました。

そういう経験も活かしながら、委員の皆さまに教えて頂き、いろいろなことができればと思っています。よろしくお願いします。

○塚本委員(委員会・淀川部会)

皆さまとこれから、具体論も抽象論も含め、いろいろやっていきたいと思います。これまで私は10年くらい河川のことに関わってきましたが、国の河川行政は、ある意味では、現在に至ってはかなり信頼できるのではないかと思います。

また、20年から30年の期間という理念がいると思います。今までの理念は理論と実際が乖離していました。もう少し実理念、合実理といいますか、これからの子供たちを大きく守っていくということを基に、人間を含めた他の生物たちのことも考え、直接に柵を高くつくったりして守るだけではない、いろいろと考えていきたいと思います。

国は、水路も画一的に整備してきました。そのため、京都の市街地を含め周辺にはメダカだけではなく、ドジョウも殆どいません。いろいろな要素、要因が入ってきて、この30年から40年の間でこのようになりました。ですから、河川だけを考えるだけではいけないと思います。省庁再編で国土交通省になりましたし、これからは、行政対地域住民ではないのです。一緒に現状、現実を先ず見て、どのようにすればよいかというときに、民がある意味で仲人役を果たすこともできるわけです。

例えば、子供の水辺というテーマで、国土交通省、文部科学省、環境省、農林水産省の人たちと我々自身がお互いに話していくことが非常に大切だと思います。そのときに、行政の方も、これからはより横の連携をもって頂きたいと思います。ものの実態を変化させていこうとすると、相互に幾つもの部分が関わってこないとできないということを前提に、努力して頂きたいと思います。

我々も今までは行政とは対峙型でした。例えば隣に座っておられる田中(真)委員は、かなり苦労されました。いろいろな方たちが、行政の方も含め、今まで苦労されて来ていると思います。今、折り返し地点にあると思います。これからは、我々自身もいろいろな調整や交流をしながら変わっていかなければならないと思っています。

○仁連委員(琵琶湖部会)

私は経済という立場で参加させて頂いていますが、今のご発言と関わるので、ここで割り込ませて頂きます。20年から30年先を見越した河川整備計画を策定しようということですが、策定する際は、20年から30年先の我々の社会はどうなっているのか、環境はどうなろうとしているのか、暮らしはどう変わるのだろうかということを、やはり見据えた上で計画を策定していかなければならないと思います。

恐らく20年から30年先になると、日本の人口は減少方向に向かっていると思います。現在では、淀川水系ですと、上流部の滋賀県で人口がまだ増加しているという傾向が続いていますが、20年から30年先になると、人口増加が止まってくると考えられます。経済成長についても考えると、現在、政府が躍起になり、不況を克服しようとしているわけですが、それ程高い経済成長が持続するとは考えられません。従って、政府の使える財政的な余裕はかなり変化するだろうと推測されます。さらに、地方自治体と政府との関係も、地方分権が進み、大きく変わる可能性があります。人々の生活と環境との関わりも大きく変わってくるだろうと思います。

これらのことを見据えた上で、どのような河川の管理、河川整備計画をつくっていくのか、そういった視点が非常に重要だと思います。

基本計画の段階では、いわゆる河川の高水流量、低水流量、渇水流量を前提において計画を立てると思いますが、そこには20年から30年先の社会、環境、暮らしを見据える観点が入っていないと思います。そういう観点が必要なので、恐らく、このような委員会があるのではないかと思います。是非、将来を見据え、将来はどうなるか、それに対して河川をどうしていくのかを、是非、議論して頂きたいと思います。

○松本委員(猪名川部会)

議事運営について、お願いがあります。よろしいでしょうか。朝早くから家を出てきましたので、エネルギーが切れてきました。エネルギーを入れたいのですが、皆さまの貴重なお話も伺いたく思い、どうしようかという状況です。よろしければ、切りのよいところで少し休憩を取って頂けたらと思いますが、いかがでしょうか。

○芦田委員長(委員会)

では、30分程度休憩をとり、食事をしましょうか。14時から再開ということになりますが、少しくらい懇談会が延長してもよいとは思います。どうでしょうか。

○庶務(三菱総合研究所 恩地)

庶務といたしましては、委員の指示に従いたいと思います。

○芦田委員長(委員会)

食事抜きでは他の委員にも申し訳ないので、30分間休憩、14時から再開ということでよろしいでしょうか。では、14時から再開といたしますので、よろしくお願い申し上げます。

[昼食休憩:13:30〜14:00]

○芦田委員長(委員会)

大体の委員がお揃いになりましたので、これより再開いたします。

○田中(真)委員(淀川部会)

河川は山と海の仲人である、つまり、森林の生態と海の生態を結ぶ大事な道であるという言い方があります。実は、私のお預かりしている寺院も、鴨川の水源地をお祀りしています。当寺院は山岳寺院と言ってもよいと思います。現在、各地で水源税の導入等が議論されています。森林の保全・育成という大きな問題は、河川の問題につながります。これは、新しくなった国土交通省、環境省、或いは農林水産省等が、グローバルに一体となった考え方をしていかなければなりません。将来的に河川だけを取り上げる、或いは河川だけを論じるというものではなく、面である森林の保全・育成も非常に大事なことではないかと思います。

特に今世紀は、水戦争が起こるとさえも言われている世紀ですから、こうした水資源に対する森林の公益的機能も含め、河川のあり方を十分考えて頂きたいと思っています。

○小竹委員(淀川部会)

先程、一言お話いたしましたが、委員会で珍しくも、お寺さんの隣にドクターを座らせて頂き、なかなか面白い場面だと思います。

河口付近の、低い位置にある都会では、スーパー堤防の面積が取れません。遺産相続等で家を建て替えるときは、1階は浸水するものとして建築届出をしない限り、建築を許可しないくらいの意気込みで、国土交通省としての考えをもっていって頂きたいです。スーパー堤防の土地が取れませんので、建て替えるときには必ず、地震にも強い、高潮にも大丈夫で、洪水が来たら、少なくとも1階は浸水するものであるということが前提で都会はよいと思います。そのくらいの大英断をして頂きたいと思います。

○紀平委員(淀川部会)

私が淀川に関わり、ほぼ30年近くになります。大学は法学部を卒業したのですが、枚方の中学生のクラブ活動として、淀川の調査を始めたのがきっかけで、魚の勉強を始めたといういきさつがあります。

先程、松本委員がおっしゃっていましたが、当時は河川法が改正され、改修工事で淀川のワンドがどんどん埋め立てられていく最中という時代でした。ワンドは埋め立ての土にどんどん水分を取られ、魚がピンピンはねているという状況でした。私は社会科の教師でしたが、それがかわいそうでたまらなくなりました。その当時、淀川の水は非常に汚く黒い水でした。PCBやDDT等のいろいろな化学物質で汚れていました。瀬戸内海の魚でさえも刺身で食べられないという時代があったと思いますが、それが昭和46年頃です。

しかし、当時、淀川のワンドには、たくさんの魚が残っていました。魚のことが全然わかりませんので、川那部委員をお訪ねし、いろいろと教えてもらったことがあります。マヨネーズやコーヒーの空き瓶に中学生が採った魚を入れ、標本にしたり、理科室に水槽を用意して伺ったのを覚えています。

ワンドの水がなくなると、魚がピンピン跳ねているので、淀川工事事務所に長靴を履いたまま参りました。当時、大石所長の時代でした。大石所長の時代から、現在の宮本所長に至るまで、ずっと淀川に関わってきましたが、最初は耳の痛くなる、喧嘩腰でしか話ができませんでした。それが今回、淀川水系流域委員会を設立し、淀川部会を発足させて頂いて、同じ土俵に立って淀川をどうしていこうかと話ができるのは、本当に嬉しく思っています。

私は、改正された河川法にある、「環境」という言葉を、できれば「自然」、或いは「生物」という表現に変えて欲しいと思っています。「環境」というのは、いろいろな環境が思い出されます。以前、市田ひろみさんが、服装も環境であると言っておりました。いろいろな服装によって、社会を変えていくことができるという意味です。そういうことを聴いたとき、環境という表現はあまりにも広すぎて、淀川を考えるときに、治水、利水、環境と言われたら、河川公園のことが非常に気になるわけです。ゴルフ場が非常にきれいだという人たちがたくさんいます。整地した方がきれいだという人もいますが、私は自然に雑草の生えている方が心もなごみ、その方がよいと思います。河川には自浄作用があります。物理的な自浄作用もあるし、生物的な自浄作用もあります。そういう意味で、河川の水を飲む私たちとしては、河川の自浄作用を損ねないように、できるだけ自浄作用を活かした川づくりをして欲しいと思います。

そういう意味で、「環境」と言わずに、できれば生物をはじめ、川の砂や石がごろごろした自然も含めて、「自然」に変えて欲しいという気持ちがあります。そういう立場で、これからも話をさせて頂きたいと思っています。

1年のうち、300日は淀川に出ていますので、淀川に関してはどこに何があるかということを、漁師にも負けないくらい知っているつもりです。行くたびに、魚や貝類がいなくなったり、前にはいたのに、急にいなくなったりしています。生物は、ちょっとした水質の変化を死をもって知らせるという意味で、生物指標となっています。ありがたいなと思うこともよくあります。

最近、淀川の水がきれいになったという話がありますが、透明度はよくなったと思いますが、私は決してきれいになっていないと思います。昔は、砂地の川の中に入って泥が巻き上がっても、5秒もたたないうちに澄みました。ところが、最近は木津川でも一旦濁ると、透明になるのに1分、2分、或いはもっとかかります。腐泥が川底に溜まっています。ですから、表層水や中層水ではなく、底層水と、その水が接している底の泥、砂の辺りの水質検査をして頂きたいと思います。河川はどんどん汚れています。見た目には水は透明ですが、川底は病んでいます。底生生物はどんどんいなくなっています。水生生物をはじめ貝類が激減しています。

そういう意味で、私は、河川を現在の3倍にして欲しいと思います。ヨーロッパで行われているように、河川の水を一度、どこかの公園に引き、そしてまた公園から川に戻し入れることができればと、あくまで希望ですが思っています。

生物の立場、特に水の中の生き物の立場から、いろいろと意見を言わせて頂きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

○川上委員(委員会・淀川部会)

省庁再編という言葉を聴いたとき、建設省と環境庁と林野庁が一緒になったらよいなと思いましたが、別のところとくっつき、ちょっとがっかりしました。

私は、大阪に生まれ育ち、今から21年前に名張に引っ越しました。大阪にいるころは、よく外の人に、日本で一番まずい水を飲んでいると言っていましたが、上流に引っ越してから、今度は自分がその水を汚す立場になりました。そこで、これはちょっと考えないといけないと思ったのが、河川について考えるようになったきっかけです。

今、大阪に住んでいらっしゃる方で、三重県の木津川から水が流れてきているということを知っている方は意外と少ないと思います。私も全然知らず、琵琶湖からのみ流れてきていると思っていました。

そのようなことで、現在行っている活動をするようになりました。引っ越した当初の周辺は、開発一辺倒で、ひどい状態でした。現在伊賀地域の人口は18万人で、木津川流域には50ものゴルフ場があります。ゴルフ場1つあたり、3,000人の汚濁負荷が発生するとすれば、15万人の都市が流域にもう1つあることになり、伊賀地域には30万人を超える汚濁負荷があると一般的に考えられます。

一昨年から名張川を1年間調査し、昨年から上野地域の河川調査を1年間行い、木津川の汚濁原因は上野市にあるということがはっきりしました。しかし、公共下水道等の汚水処理ができ上がるまでは、今から取りかかっても20年から30年、或いはもっとかかるかもしれません。このまま放ってはおけないということで、私たちが水をきれいにして、下流の人たちに送ることができるように、或いは木津川に棲んでいるいろいろな生物がもう少し楽になるように、自分たちの手を汚して何かできないかなと考えています。

理念を語るのはそろそろよいのではないかということで、木津川上流工事事務所に、市民が関われるような汚水処理場をつくってくれませんかとお願いしました。そうしたら、面白いのでやってみましょうとの返答を頂き、伊賀上野の生活排水が木津川本流に流れ込む3河川のうちの1つに、植生浄化を中心とした汚水処理施設ができることになりました。これは暫定施設ですが、これから約7年間くらい、市民が手を汚して維持管理するというシステムができあがりました。

最近、お役人の顔がちょっと変わってきたように思います。どこの役所に行っても、お役人が市民の顔をもってきました。地域住民とお役人がパートナーシップで河川をよくする、いよいよそういう時代が本当にやって来たんだという実感をもっているところです。いろいろお話をしたいことがありますが、最近のニュースをお話いたしました。よろしくお願いいたします。

○大手委員(淀川部会)

私は砂防が対象分野ということになっています。砂防はご存じのように、土砂害を軽減するのが一大目的ですが、皆さまはその言葉にちょっと戸惑いを感じるかもしれません。と言いますのは、昔は山の中での仕事が砂防でした。水源地対策として、崩壊地を緑に戻すということが主な事業になっていたわけです。

しかし、最近はちょっと変わってきました。土砂害に関する問題が大きくなってきて、かえって都市部の崖崩れ等の方に目が行きがちですが、現実としては河川の流域管理という話にもつながってくるかと思います。

土砂の生産量をどれだけ抑えるかということが主な仕事でしたが、最近では森林の管理という問題、先程田中委員からご提案がありました、森林の保全等という問題が非常に重要です。ご承知のように、水なり砂なりが上流から流れてきて、下流にいろいろな影響を及ぼすということになるわけですが、その土砂の流出をコントロールするのが、我々の仕事であります。

最近は、砂防ダムのため土砂が止まってしまい、下流に影響が起こっているという問題が言われています。昨年、大学入試センター試験に、ダムがあるから海岸の浸食が起こるというような問題が出されまして、建設省が抗議を申し込んだという経緯もあります。

このような立場にいますが、私はその中でも、もともとの崩壊した斜面、荒廃した斜面を緑に戻すということを専門にしてきています。各流域は50%以上の森林を抱えているということは、皆さまご存じの通りです。そこから流れてくる水量はもちろんのこと、水質ということも考えて頂きたいと思います。

皆さまは、雨が降ったら森林がうまくコントロールしてくれることを期待されているでしょうが、実際はそのような現状にはないと私は見ています。森林面積のうち全国平均で40数%が人工林ですので、人工林という、いわゆる林業を基盤にした森林の取り扱い方、これが1つの大きな原因になっているということです。ご存じのように、林業自身は今や疲弊して、なくなったも同然の状態です。そういう問題が一方にありながら、森林所有者たちが、自分の森林の取り扱いを放棄してしまっているのが現状であります。これらの点を考慮して、これからはもう少し考えを改めて頂き、もっとしっかりした森林管理をして頂くような政策に取りかからない限り、一切この問題は解決しないのではないかという危惧の念をもっています。

言いたいことはまだたくさんありますが、これくらいにさせて頂きます。森林の重要性を認識して頂きたいと思います。

○芦田委員長(委員会)

部会でもどんどんご発言下さい。

○今本委員(委員会・淀川部会)

私は水の流れの勉強をずっと続けておりますが、河川は、道路のような人工公共財と比較して、自然公共財ということをよく言われます。しかし、よく考えてみると、日本の中下流部の河川のうち、手の加えられていない河川は殆どありません。堤防があるのは手を加えた証拠です。そのためにいろいろな問題が起こっているといえば起こっているのですが、これを大部分の人が、河川管理が悪かったからと言います。しかし、河川管理というのは、河川をひたすらよくするものであって、河川を悪くしたのは住んでいる我々なのです。

ですから、例えば、先程の名張のお話では、名張に住むから汚染がおこり、滋賀県に住むから琵琶湖が汚れるのであって、やはり我々が悪いのです。しかし、住まざるを得ないから住むのです。河川管理者はどうしたらよいのか、恐らくこの委員会でいろいろな意見が出、また、地域住民の方の意見も聴き、以前とは違った視点で検討されるでしょうが、大した意見にはならないと思います。河川というのは、それほど選択肢のあるものではないからです。

私は委員会と淀川部会に、洪水防御の分野で出席します。現在、堤防は土でつくるのが原則とされていますが、実態は砂でできています。伊勢湾台風以来、日本には大きな台風が直撃していませんので砂の堤防でも何とか耐えていますが、恐らくそのうち鉄槌が下るはずです。やはりその辺りの備えも環境と同様に考えて頂きたいと思います。

○有馬委員(淀川部会)

今からおよそ30年昔、淀川の改修に伴って葦原が壊れるので葦原の保存を求めて淀川工事事務所へ出かけたことがあります。そうすると、建設省から、葦原は建設省がつくっているのだから、建設省が壊して何が悪いのかと一喝されました。このような時代がありました。本日のこの雰囲気と比べ、何と変わったものか、隔世の感があるなと感激しておりますが、そんな暢気なことも言ってはおられません。

淀川の河川公園、その中でも野草公園と言われるところで、ここ20年来、自然教室を開いてきました。はじめの数回はたくさん生き物をみつけましたが、その後、子供たちが淀川の野草地区へ来て見つけるのはバッタばかりです。せっかく淀川までやってきたのに、その辺りのグランドや野原にいる生き物しかいないのか、淀川が淀川でなくなってしまっているという感が、この頃、非常に強くなりました。

淀川の草を食べる会というのもやっていますが、近頃はその会を催す場所さえなくなった、即ち、食べられる草もなくなってきたという状態です。最近、絶滅危惧種に植物が何種類か追加されましたが、淀川でいう限り、私は七草の筆頭に挙げられるセリを絶滅危惧種に指定しないといけなという感をもっています。セリがないのです。それどころか、その辺りの湿地の植物が殆どなくなりました。

私の願いはたった1つです。淀川へ出て、淀川を本当に感じられるような草むら、河原、それが欲しいということです。しかし、それが簡単につくれないのです。つくろうとすると、お話のありました経済の話、砂防の話等が、いろいろと絡まってきますので、淀川の河原だと実感できるような自然を作るのは難しいと感じています。皆さまにいろいろ教わりながら、何とか命のあるうちにそれが実現できるようにと、そればかり願っています。よろしくお願いします。

○村上委員(琵琶湖部会)

こういう場に立たせて頂いて、大変責任のある仕事だと、重く受け止めています。住んでいる人の命、そしてそこに棲む生き物の命、そういうものを握っている仕事だと感じています。そこで、私がこの会議に関わる上での思いと、こうしていきたいということを述べさせて頂きます。

先ず、今回の河川法の改正で「環境」がさらに追加されましたが、その背景には、今まで地域住民代表の方や行政の方等、たくさんの方のいろいろなご苦労があり、ここまで来たと私は受け止めています。しかしその先にあるものは何かと考えたときに、先程おっしゃった方もいらっしゃいましたが、この場でどんなに議論を詰めたところで、完全な計画はできないと考えています。

私は地域の特性に詳しい委員としての参加ですが、地域住民の代表ではありません。今までのやり方は、治水、利水という視点にしろ、環境という視点にしろ、基本的に単なる利用者として地域住民を見ていたような気がします。

先程、住民参加型で河川の浄化を行うという話も紹介されましたが、そのように住民が利用と同時に管理をしていくという、本当に昔の人たちがやっていたような感覚が大事なのではないでしょうか。但し、昔のやり方が一番というわけではなく、これからのやり方をどうやってつくるかだと考えています。ですから、治水、利水、環境というのは評価の軸でしかなく、これからは価値観も地域住民の人たちがつくっていくものだと思います。これらを構築しながら、管理、利用するということを、今後どうつくっていけるのかを特に考えたいと思っています。

今後の議論のことですが、委員の方々の名前を見ますと、琵琶湖部会の場合、河川管理者の立場にいらっしゃる治水関係の方等が、特に少ないという印象を受けます。今までそういう立場でやってきた方々との対話が本当にとても重要だと思っています。半分喧嘩腰みたいなことになるかもしれませんが、そういう対話を繰り返すことでお互いの理解が深まると思います。本日も昼食を頂いた際、委員は委員で、行政側の方とは別に食べていたのですが、懇親会等をできるだけつくって頂き、行政の方ともフランクにお話ができる機会をつくり、そして、このような公の場ではきちんとした話ができるような形でやって頂きたいと思っています。

それと、これは大それた話かもしれませんが、できるだけ現場に近いところで議論がしたいと思っています。例えば、琵琶湖部会の場合だと、本当に川のそばをまわってみる等、その川を見ながら話をするという形もできたらよいと思っています。

○三田村委員(委員会・琵琶湖部会)

私に与えられました対象分野は、環境教育ということになっております。よく見ましたら、私1人だけがこういう分野を頂いているのですが、これまで半数の委員からお話を伺い、各々の委員は環境教育の実践者であると心強くいたしました。

私の本来の専門は、水系での生元素、生物が構成している元素がどのように循環しているか、それが発展して赤潮との研究につながるという、そのような研究をしています。以前いた大学の関係で、少し教育にも関わったので、恐らく環境教育という分野になったのだと思います。

そこで、私はやはり環境教育について少し述べる必要があると思い、少しメモをいたしましたので、そのメモを簡単に読み上げたいと思います。

私の職業柄、学生たちを湖に連れて行きます。そこで、湖沼学の基本のようなことを一緒に勉強していきます。その時に毎年、学生に利き水会というのをやってもらいます。私がペットボトルに用意いたした蒸留水、水道水、それから彦根で湧き出ている名水百選の水、ミネラルウォーター、琵琶湖の水、その5種類を入れ、飲ませると、学生はどの水がどの水か一切わからないのです。正解回答率は20%、5分の1くらいです。蒸留水はまずいということくらいしかわかりません。

学生たちのうちの殆どが、琵琶湖の水が飲めないと思っています。そのようにしてしまったのは私たちです。これは非常に問題だと思います。

例えば、阪神大震災がこれからも起こらないとは限りません。そのとき、自分の生活を自分で力強く生きていくのだという教育が今、欠けていると思います。そういう教育ができる場を、河川に求めて頂けるとありがたいと思います。

記憶があやふやですが、河川整備は国家百年の計であると聴きます。まさに100年後の河川を見守るのは、今の子供たち、或いは孫かも知れません。そういう人づくりが大切だと思います。学習というのも、百年の計だと思うのです。学習をやらない限り、100年後の河川は見えてきません。

「猪名川事業概要2000」というパンフレットが手元にございます。左に子供たちが川に入って何か楽しそうにやっている図があります。しかし、これではまだまだ駄目だろうと思います。これは、川に入って何かをしようとしているところです。魚つかみかもしれませんし、ベントスを採っているのかもしれません。私は、河川との付き合いは、これではないと思います。河川で何かをやろうというのではなく、河川から何かを見つけようといいますか、学ぼうということが大事だと思います。その中で、河川の多様性、或いは子供たちの生き方の多様性、それを自分たちで感じ取って、複雑な世の中を生き抜いていけるのだろうと思います。

そういう意味においては、子供たちが五感で感じ取れるような河川づくりをやって頂きたいと思います。即ち、川に近づけるような川づくり、川と遊べるような川づくり、そういうことをやって頂くと、多分、100年後には、河川行政は随分と明るくなるのではないかと思います。そういう人が、今、河川管理者の席に座って頂いているならば、本当に万々歳になると思います。

○松岡委員(琵琶湖部会)

この席では珍しいと思いますが、私は漁師です。琵琶湖で3代目をやっています。荒っぽい言い方をして、上手く皆さまに伝えられないかもしれませんが、ご了承下さい。

私が漁師をやる少し前、私の父の代までは魚がたくさんいました。琵琶湖の周りがそうだったので、淀川やいろいろなところにはたくさんの魚がいたと思います。それが今、漁師では生活していけない状況が起こってきています。林業が衰退し、森林が何らかの影響を受けているためと思います。

私は琵琶湖の北の方に住んでいますが、かつては3,500人くらいいた琵琶湖周辺の漁師が、現在、消えかかっています。生計を立てていくならば、違反漁業をするしかないような状況にまでなっています。琵琶湖総合開発事業で、ある程度予測はされていたと思いますが、それ以上に何らかの影響があったと思います。いずれ、皆さまにも返ってくるのでないかなと思います。

林業に従事する人の人数は少ないので、世間に訴える力が弱かったのだと思います。琵琶湖の漁師もそうです。皆さまが真剣に関わってくれないと、恐らく琵琶湖の生態系に変化が生じ、いずれ皆さまのところに返っていくのではないかと思います。

昭和50年代に、多摩川に琵琶湖のアユをもっていったことがあります。多摩川の府中の辺りだったと思いますが、琵琶湖のアユを水槽でもっていって放流したときに、魚が棲める状態ではなかったためかもしれませんが、アユは水の中でなく、岸の石の上に転がり上がりました。全部死んでしまいました。それが最近、ここ何年か前ですか、多摩川を一生懸命によくしてくれて、魚が棲める状態になっています。

琵琶湖の魚が減っているのは、1河川のためかもしれませんし、いろいろなダムの工事のためかもしれませんが、真剣に取り組んだら、何とかよくなるような気がします。東京の多摩川でさえきれいになったのですから、琵琶湖に同じような動きがあれば、魚が帰ってくる状態にできると思います。

今、琵琶湖の変化が何らかの形で起こっている、警告だと感じてもらえればよいと思います。

○中村委員(委員会・琵琶湖部会)

私は滋賀県琵琶湖研究所に勤めていますので、琵琶湖の研究に関連する情報をなるべくたくさん、いろいろな形で提供し、かつ、皆さまのお話を伺いながら、課題として客観的なデータを、今後どう取っていくかということを考えながら、参加させて頂きたいと思っています。

また機会があれば、具体的な内容についてご紹介できるかと思いますが、本日は、これで挨拶とさせて頂きたいと思います。

○寺川委員(委員会・琵琶湖部会)

私は滋賀県の比良山麓で育ち、現在、びわ湖自然環境ネットワークというNGOの団体代表をしています。この団体は昨年まで、環境や自然に関わる約37団体が参加していました。21世紀になって、形態を少し変え、現在は個人加盟の団体で68名くらいの参加者がいます。

私が、生まれ育った地域は非常に環境がよいところで、比良山がたいへん四季感を感じさせてくれました。夏になると琵琶湖で泳ぎ、足でシジミが採れました。本当に澄み切って、魚もたくさん泳いでいたという環境でした。しかし、そのような環境であったのが、人生を半分ほど生きてきた中、非常に汚れてしまったということが、私の環境に対するこだわりになっていると思います。

これは行政だけの問題ではもちろんありませんが、世界の動きはもうダム等を壊していっているのに、日本の場合はまだダムを建設しています。滋賀県の場合も、直轄だけをみると、ダムは2つしかないわけです。しかし、全体でみると8つのダムが進んでいます。滋賀県と農林水産省が永源寺第2ダムの整備を進めていますが、この地域は本当に清流のきれいな場所で、どうしても自然のまま残しておきたいところです。

ダムに対する考え方等、世界から取り残されている、遅れている部分を、この淀川水系流域委員会でどれくらい取り戻せるか、大げさに言えば、歴史的使命があると感じています。

大したことはできないと思いますが、皆さまと一緒にやっていけたらと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

○川那部部会長(委員会・琵琶湖部会)

川や湖の魚関係をこれまで研究してきたのですが、生物を研究してきた人間は、時間に対して非常に奇妙な考え方をもっています。例えば10年の間に、仮に15分間、空気中の酸素がなくなったら生物は全て死にます。従って、ある短い時間というのが非常に大事であるというのが1つ考えられます。

一方で、生物が1つの性質をきちっと変えて、種に変わるのに、今まで知られている一番短い時間は、3,000年から4,000年です。今度は逆の言い方をすると、100年、1,000年というのは一瞬です。

このような2つの見方をどうしても取らざるを得ません。そういう両方の時間軸の中で、自然のことを考えていくというのが、私の考え方の根拠になっています。

皆さまが、今までおっしゃったことは、どれもこれも、殆ど全部がその通りだという気がしました。このような妙な言い方をしますのは、流域は全部流域圏として考えなければならない、これはまさにその通りです。

例えば、今年11月に世界湖沼会議が大津の近くで開催されますし、2003年3月には京都を中心に世界水フォーラムが行われますが、その辺りでも、流域を全体として考えていかなければいけないということは非常にはっきりしているわけです。逆に言うと、現場がどれほど大事かということがありまして、流域圏だけであれば話にならないわけで、流域圏と同時に非常に狭い現場まで考えなくてはいけない、ある意味では、時間と同じようなことがあると思います。

もし、国が川や湖に関するものを一元化して全部管理することになったら、私はいけないと思いますし、怖いです。そういう意味で、各々、部分をある程度もっているということ自体にも、私は意味があると思います。ですから、この委員会、或いは部会の中で、全体のことを考え、その中で問題全体としてのいろいろな提言は必要かもしれません。しかし、部分についてどうであるかという議論も、はっきり言わなければならないのではないかという気がしています。

個人としては、このような考えをもって委員会や部会を、皆さまと一緒に考えていくことにさせて頂ければと思っています。

○倉田委員(委員会・琵琶湖部会)

設立会から様子を伺っていて、一番強く感じましたのは、近畿地方整備局が大変な変わり方をしたということです。以前ならもっと簡単にできたのに、このような手続きを踏まえるのは大変だろうなと非常に強く感じました。

私は昨年の秋まで農学部の責任者として大学改革を指揮していましたが、これは大変でした。心身ともに本当にくたびれてしまい、大学以外のことには関与できなかったので、本日ここへ来て、世間も大きく変わっているのだなと、浦島太郎のような気分でお話を伺っていました。

対象分野がいろいろ書いてあり、私は農林漁業分野になっています。これまでに2人、漁業関係の方がいらっしゃったと思いますが、いずれも私から言わせて頂くと漁業関係ではなく、魚関係です。漁業をやっている人がいないのか、これは私が全部カバーしなければならないと意気込んでいたのですが、先程、松岡さんの息子さんが委員になって頂いていることがわかったので、正直、ほっといたしました。

私の対象は農林漁業ですが、実は京都大学の水産学科を出た後、大学院では農林経済を専攻していました。ですから農林漁業の分野になったのかもしれません。私は農業、林業は多少勉強していますが、それほど知りません。むしろ、知らないと言った方がよいと思います。水産経済学を専門にしています。従って、漁業に関わる、つまり河川、湖、海が漁業にどう影響を与えるかというところに実はウェイトがあります。

以前、猪名川流域の一庫ダムの建設の際にも、漁業に対する影響調査を行いました。藻川の辺りも歩きましたので、お話を伺っていて、懐かしいなあと思っていました。滋賀県についても6つか7つくらいの河川の改修等に関わり、最後は補償の問題まで関与しました。それがもとになって、漁業補償の鑑定屋のような仕事も随分しました。

このような意味で、漁業についてフォローできるのは2人だけかと思っています。他にもいらっしゃるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

○川端委員(琵琶湖部会)

現在、京都大学生態学研究センターで、水域のプランクトン、細菌、或いはもっと細かなウイルス等の微生物のダイナミクスについて研究を行っています。私の場合にはむしろ、現場を調査するというよりも、人為的に生物群集を作り、その生物群集が全体として、集団としてどういう機能を発揮するのかという観点からいろいろ調べています。

その中で1つわかりかけてきたことは、多種多様な生物がいれば水のもつ機能が変わってくるということです。多種多様な生物がいれば、水がよい方向に変わる傾向があります。例えば、その1つに、水が酸性化に対して非常に抵抗力をもつ、或いは一旦酸性化しても元に回復する力が強いということがだんだんわかってきました。このような実権結果や、以前、ダム湖、河川、内湾等で行った生物と水質の相互作用の研究結果も併せて考えてみると、たくさん生き物がいれば、それだけその生き物に物質が移り動いていくわけですから、水自体がきれいになる可能性も強いのではないかと思います。そういう意味から、水の中にいろいろな生き物が棲める河川ができたらよい、或いはそのような河川に少しでも近づけるよう、いろいろな観点から携わっていきたいと思っています。

もう少し直接的な希望を言いますと、素足で入れる河川ができたら素晴らしいと思います。私は川の端で生まれたので、多分、川端という姓がついたのではないかと思いますが、幼い頃よく素足で川に入りました。素足で河川の中に入ったときのあの気持ちのよさは今でも忘れられません。最近、ストレスがたまっているせいもあり、お風呂に入る機会を積極的につくっています。浴槽の下に砂か石が敷いてある風呂が一番好きです。体に伝わってくる水と砂や石の感触が体も精神も非常に生き生きとさせるのです。川の中に入ることも同じ喜びです。ですから、先ずはきれいな水の流れている河川を作らないと駄目ではないかと思います。

日本全国全ての河川についてそのような取り組みをしたら、多分、いろいろな意味で破綻すると思います。ですから、先程のダムのない河川を1本でもよいからつくって欲しいという意見に似ていますが、せめて、例えば10キロ程度の河川でしたら、海の河口、或いは湖の河口から源流まで、素足で歩いていける河川をモデルケースとして1つつくって欲しいと思います。

20年、30年の長期スパンで、河川をどうしたらよいかと考えるときに、これからの子供たちがどう考えるかが重要になってきます。子供たちがあるべき河川の姿を考える時、良くも悪くも現在の河川の姿が出発点になるわけです。下手をしたら、全く河川と関わる経験もない子供たちが増えてきて、現状の河川が当たり前になってしまうかもしれません。河川で例えば、沐浴する、野菜を洗う、喉が渇いたときには川の水も飲んでしまうといったことに関わる機会も全く無くなってしまうでしょう。現在消滅してしまった河川の多面的機能がたくさんあると思います。それを表面にきちんと表現できるような河川をモデルとして1つつくって頂けると、大変ありがたいと思います。そうすれば河川のよさがもっと直接的に将来に伝わるのではないかと思います。モデルとしての理想河川を作ることによって、例えば河川を生かした、河川に生かされた土地利用や、流域に住んでいる人の水処理に対する個人の努力等が価値あることとして実践されてくる可能性があるのではないだろうかという、妄想に近い考え方を抱いています。

○鷲谷委員(委員会)

私は、関東の方から参加させて頂いております鷲谷と申します。帰りの電車の時間が近づいてきましたので、先に一言だけご挨拶させて頂き、失礼したいと思います。

私は植物の生態の研究をしています。先程、淀川が淀川でなくなったというお話がありましたが、私も河川から河川がなくなったということを、とても強く感じています。湖からは湖がなくなっているのですが、このようなことがここ10年くらい、とても加速してきているような気がします。

例えば、多摩川には、多摩川のシンボルであるカワラノギクという植物があります。この10年間に、株数でいったら恐らく何万分の1、もしかしたら何10万分の1くらいに減ってしまっているかもしれません。アサザという霞ヶ浦のシンボルになっている植物がありますが、これは、5年間で群落面積が10分の1くらいになっています。

それと、先程、松岡委員より漁師さんのお話がありましたが、霞ヶ浦でも全く同様で、奈良時代以来続いてきたワカサギ漁がもうできなくなってしまい、網を打ってもかかってくるものは、ペヘレイとかアメリカナマズだけになってしまっています。

今、是非、やらなければいけないことは、あるべきものを取り戻すために、力を合わせることではないかと思っています。住民参加という言葉もありますが、協力して働くという意味の「協働」がとても重要ではないかと思っており、霞ヶ浦ではもう既にそのようなことがはじまっており、国土交通省もたいへん積極的に取り組んで下さっています。直立護岸で囲まれてしまい、プール状になっていますが、そこに植生を復元していくような研究や、実際の工事もはじまっています。

私は、関西の河川のことはあまり知らないのですが、関西の河川、或いはその河川に関する知恵をおもちの方がたくさん集まっていらっしゃるので、この委員会で学ばせて頂き、関東の水辺にも役立てたいと思います。何かお役に立てることがあったら、関東の経験等をここで紹介させて頂けたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

○嘉田委員(委員会・琵琶湖部会)

文化人類学、或いは社会学という分野が専門で、1970年代はじめから地域歩きをしておりまして、アフリカ、アメリカ、日本と3つのフィールドを歩いてきました。先ず申し上げたいのは、先程三田村委員がおっしゃっていた、「子供たち」という言葉が重要なキーワードになるということです。各工事事務所のパンフレットを見ても、表面ばかり飾っていて少し違うのではないのかと思いました。それに付け加え、川端委員がおっしゃった、「身体感覚で関われる」ということが大変大事ではないかと思います。

私には、今2人の子供と1人の孫がいます。2歳になる孫を見ていて、子供たちがどう周辺環境の認識を深めていくのかを観察すると、やはり五感が大事です。現在言われている環境教育は、どちらかというとプログラム化して、「ここに魚がいるよ、ですからつかみましょう」という形です。しかし、子供が本当に楽しいのは、いるかいないかわからない、それを発見することから始まると思います。

その観点から、実は琵琶湖周辺での遊びについて、小学生、その両親、その祖父母、6,000人のアンケート調査、3世代調査というのをやりました。そうすると、今の子供たちも、プログラム化されていない、いるかいないかわからない魚をつかんでみたいという希望が大変強いことがわかりました。ですから、行政としてあまり事前に計画をしてつくりこんで欲しくない、プログラム化して欲しくない、これは親として、或いはおばあちゃんとしての願望です。

もう1つは、少し理屈っぽいことになりますが、皆さまのお話を聴いていると、水と人間のかかわりに関して3つの価値観があると思っていた、その思いを一層強くしております。

1つは、近代技術にかなりの信頼を置きながら、技術と制度で対応をとっていこうというものです。そもそもそれで国土交通省、或いは土木工学等も近代技術から成り立っています。それに対して、紀平委員のお考えのように、やはり生物の命が大事だ、命のことを考えて欲しいという自然保護の考え方があります。この2つに加えて、松岡委員の琵琶湖周辺のいろいろな出来事を聴き改めて、3つ目の価値観をとりあげたいと思います。

つまり、1つ目を近代技術主義としたら、2つ目は自然保護主義、それに対して3つ目を私たちは生活環境主義と申し上げています。これは村上委員もおっしゃっていましたが、利用しながら、使いながら関わって守っていく、或いは人と人、人と生き物の関わり、つまりコミュニケーションを大事にする、魚ともコミュニケーションをとるし、森ともコミュニケーションをとる、そういう自主的管理の方法もあるかと思います。

2、3日前に、四万十川のあるおじいさんのドキュメンタリーがNHKで放送されていました。そこでおじいさんは、四万十川でアユを採り、山でシシを捕りながら、最後に、82年間、「川と山で遊ばせてもらった」と言っていました。自然と深く関わるとは、彼にとっては「遊ぶ」という言葉だったのですが、それがとっても心に響いています。

心に響いている言葉でもう1つ、水俣で出会った女性の漁師さん(杉本宋子さん)ですが、大変な有機水銀の被害を受け、一時期は寝たきりで体が動かなかった身なのですが、あるとき、次のように教えてくれました。

「柿の木には最後に実を3つ残さないといけないと、自分の親から教えてもらいました。1つ目は先ずその木のために残す、2つ目は神様のため、3つ目はカラスのために残す、それが自然とのかかわり方だ、そういう気持ちで自分は漁師をしている。」

この辺りのところが日本的な自然観の特色と思います。自然の管理技術の伝統をたどってみますと、3,000年、4,000年のローマ文明まで遡ります。その工学的技術が、近代日本に入ってきています。それに対して、日本人の少しアニミズティックな流れは、インド、東アジアのモンスーンから入って来ています。それをかなり意識しながら、日本はどうしていくのか、これから100年くらいを考えないといけないのではないかと思います。

これまで行政は、ローマ文明的な、管理して保護するという立場が強かったのですが、本日のお話をいろいろと聴いていると、松岡委員が琵琶湖と関わりながら漁師をしてきた、その部分等が大変大事であると思いました。これから意識的に、アジア的な水の文化を取り戻さなければならないのではないか、それはこの11月に滋賀県で開かれる予定の世界湖沼会議を始め、例えば2003年に開催予定の世界水フォーラム等のときに、日本人が独自に主張できる部分ではないかという気がしています。

○江頭委員(委員会・琵琶湖部会)

私は、山の上から川の出口までの土砂の移動現象、要するに侵食、輸送、堆積、それに伴う河川の変化を仕事としてやってきています。最近の川づくりで、我々がこれだけは念頭においておいた方がよいのではないかということをお話させて頂きます。

現象が一方向に進むこと、例えば、川の砂が一方的に細かくなる、或いは一方的に粗くなる、或いは川に植生がずっとはびこり続ける、生物が固定化される、そういったことをなるべくなくし、少し河川に変化をもたせるような川づくりが大事ではないかと思っています。そのための技術的な裏付けについて、現在一生懸命勉強しているところです。そういった立場で委員会、部会で発言していきたいと考えています。

それから、少し生意気かもしれませんが、今まで皆さまのご意見を伺っていますと、バックグラウンドが多種多様で、皆さま、大変立派なことをおっしゃっています。そういうものを私共が今もっている、或いは将来築いていかなければいけない技術にどう反映できるかを一生懸命考えていきたいと思います。すぐに壁にぶち当たるのではないかと思ってますが、努力したいと考えています。よろしくお願いいたします。

○井上委員(琵琶湖部会)

私は大津で生まれ、その後、琵琶湖のそばで、琵琶湖で遊ぶスポーツを提案して生活しております。琵琶湖から大阪までダイレクトに、2日ほどかかってカヌーで下れるような河川になれば、より多くの人たちが河川に関わって、何か考えて頂けるのではないかと思います。

また、水遊びは健康にいいと思います。子供を含め、一般人の方はいろいろな形でストレスがあると思いますが、河川のそばに立てば多分気持ちがよいでしょうし、琵琶湖の湖岸に立てばもっと気持ちがよいだろうと思います。気持ちよいというのは健康によいことです。

河川には治水、利水の機能があると思いますが、より多くの人たちが河川に接し、健康で、そして長生きできるようになれば、河川の値打ちも上がると思います。やはり、河川に接する時間をいろいろな形で多く取ってもらいたい、そのような考えで河川整備計画に何か提案したいと思っています。

○吉田委員(委員会)

私は、生まれは千葉県の利根川流域です。仕事上関わった河川は、石狩川・千歳川、長良川・徳山ダムのある木曽三川、それから吉野川第十堰ということで吉野川、球磨川・川辺川といった大型公共事業のあるところばかりに関わりました。従って、比較的都市の中にある川には直接、現場を知らないこともあります。そのような面では、部会委員のように、現場での詳しいことについての貢献はできないかもしれません。

新河川法には、環境という柱と住民参加という柱の両方あると思いますが、住民参加、或いは市民参加という部分については、ダム審議会があったり、住民投票の動きがあったり、いろいろ試行錯誤の段階で、まだこういうのがよいというものができている段階ではないと思います。そういった意味で、今回の淀川水系流域委員会は情報公開の仕方についてもいろいろ画期的なところがあると思います。そういった面で、今までやってきたことを、多少なりとも参考にさせて頂き、新しい河川づくりのモデルにできればと思っております。

○尾藤委員(委員会)

私の対象分野はマスコミとなっています。私は大学でマスメディアについて研究していますが、はじめて委員のお話を頂いたとき、どういう形でお役に立てるのか、よくわからない部分がありました。この委員会については私個人の問題として考えていかなくてはいけませんし、考えていきたいと思っています。直接、皆さまが今までお話しをされたような形で、具体的に淀川水系流域の問題について、対象分野がマスコミという人間が、どういう形で関わることができるのか、直ぐにはわからない部分があります。

私自身は、長い間ある新聞社の記者をやっていました。そこを辞めて、社会人から大学教員に応募しました。その新聞記者時代の半分以上は環境問題を担当しており、当時、私がはじめましたときには、まだ1960年代の高度経済成長期にあり、それに対比するような形で企業、行政を告発する住民運動が噴出した時代でありました。それも、水俣病、四日市の大気汚染、イタイイタイ病、或いは大阪の主婦の母乳から世界最高濃度のPCBが検出された等、そういう古典的な時代からスタートいたしました。

先程から、「隔世の感がある」というお話が何回か出ておりますが、例えば、当時は「研究者」という言葉はあまりなかったと思います。行政側の学者、地域住民側の学者と分けられていて、その間に悩める学者の人たちがいたという状況だったと思います。一体、学問は誰のために、何のために研究されているのかということが随分問われました。ですから、私も住民運動の中に取材で入り、なかには記者と全く関係なしにいたこともあります。そういう意味で、隔世の感というか、私も年をとったんだと思って聴いていました。

滋賀県では、17年前に第1回世界湖沼会議が開かれました。その時にたまたま、滋賀県に行かないかという話がありました。滋賀県に何があるかと問いましたら、琵琶湖がある、武村県政があるという答えが返ってきました。私はその2つを記者として追えれば、滋賀県も面白いと思い、滋賀県の方に移り、そこで、第1回世界湖沼会議を追いました。

そのときに、確か副読本としてつくられた琵琶湖の歴史に関する本あったという記憶があります。小学生か中学生を対象にしたものだったと思います。その中で、例えば、明治時代、いかに琵琶湖の水が美しくてきれいで澄んでいて、皆がそれを直接飲んでいたという後に、下水道の普及とともに琵琶湖の水は汚染されていったというフレーズがありました。その後、別の取材をしているときに、何回かそのフレーズが私の頭に蘇ってまいりました。

つまり都市化、近代化というものとともに、琵琶湖の汚染が進んだ、その汚染を代償にして、富というものを築いていったのだと思います。私は3年程滋賀県に管理職的な立場で行ったのですが、琵琶湖研究所初代所長のところに何回かお話を聴きに行ったりしました。生態学という言葉も、その頃はまだはじまったばかりの頃でした。

本日の会議に出席して、改めて、人間の富の蓄積や近代技術の進歩と、環境汚染の関係を思い出しました。武村さんも、私がいろいろ行政の問題点について喋っていると、「そういうことは今の若い役所の連中は全部わかっている、常識になっている」ということを何回かおっしゃったことがありました。先程から皆さまのお話を聴いていて、もう常識になってきているのだなと、多少思っておりました。

○芦田委員長(委員会)

どうもありがとうございました。これで一通り、皆さまのご意見をお伺いしたわけです。時間を区切りましたので、もっと言いたいことはたくさんおありになったと思いますが、非常に貴重なご意見を皆さまからお伺いできました。これからの川づくり、河川整備計画を検討していく上で課題がかなり出たのではないかと思いますし、検討する方向性も大分出たなという感じがします。

先ずは、河川というのは河川周辺だけではなく、山地から堤内地、全体を含めたシステムの中で考えないと駄目だということです。これは水量でも水質でも両面から見てそうです。また、社会の変化、生活様式の変化に応じて河川も変化しているわけですから、システムの中の関連で捉えていかないといけないということを、かなりはっきりと皆さまが認識されていますし、提言されたわけでございます。

もう1つは、これから議論していく上で、共通の情報をもたないといけない、情報の共有化が必要であるということです。それには近畿地方整備局がもっている大量の情報を先ず、どんどん出して頂くと同時に、委員の皆さまがもっておられる情報、それからもう1つは、地域住民がもっている、その地域特性に応じた、より貴重な情報を、懇談会という形で吸収していくことが非常に大事ではないかと思います。委員会、部会の今後の進展に応じ、懇談会等を開催し、そういった情報も共有していくということが重要ではないかと思います。

もう少し、委員会、部会の進め方についてご意見をお伺いしたいところではございますが、時間も押し迫ってまいりましたので、この辺りで締めさせて頂きたいと思います。

今後の予定でが、先ず3月中旬頃に次の委員会を開催したいと思っております。皆さまの日程調整が簡単にできないかもしれませんが、次回委員会でもう少し具体的にどう進めていくかを相談します。その後、部会を開いて頂くという段取りになるのではないかと思いますので、よろしくお願いします。

今後も、かなり稠密に委員会、部会を開催することになると思います。開催場所も部会に応じて、地域の人が出席しやすい近くの場所を選ぶという配慮も必要ではないかと思っていますが、それはまた、部会の方でご相談頂きたいと思います。

まだご意見はたくさんございますでしょうが、この辺りで本日は閉じさせて頂きたいと思います。よろしいでしょうか。

○川端委員(琵琶湖部会)

今の自己紹介で、殆どエッセンスが出た感があります。この考え方を共有して、委員会、部会等が開催されたときに突如として意見を出すのではなく、誰が、どのような考え方、どういう立場でものごとを考えているのかがわかると、このような場以外でのコミュニケーションも非常に取りやすくなります。私たち委員にはこの懇談会の記録は頂けるのでしょうか。

○芦田委員長(委員会)

本日の懇談会は議事録を取っていますね。

○庶務(三菱総合研究所 恩地)

はい、議事録を現在取っております。これをまた皆さまに確認して頂いた上で、正式に全員の方に配付させて頂く予定です。

○芦田委員長(委員会)

それでよろしいでしょうか。

○川端委員(琵琶湖部会)

はい。

○芦田委員長(委員会)

それでは、これで合同懇談会を閉会したいと思います。どうもありがとうございました。

○庶務(三菱総合研究所 恩地)

これにて、淀川水系流域委員会 第1回合同懇談会を閉会します。

お知らせがあります。この後16時から記者説明を行いたいと思います。記者説明をなぜ行うかということですが、委員長との話し合いで決まったからというのが先ず第1の理由ですが、実は、本日の審議骨子をこれから30分間でまとめ、委員長を中心にご承諾を得た後、ニュースレターに載せたり、ホームページに載せたりしたいと思っています。議事録は掲載するまでに非常に時間がかかりますので、まずは議事骨子をいち早くまとめて載せるために、記者説明を行うということもあります。

本日の記者説明には、記者の方がどれくらい来られるかはわかりません。ただし、今回からは、近畿建設記者クラブ、大手前記者クラブ、滋賀県政記者クラブ、京都府政記者クラブ、大阪府政記者クラブ、兵庫県政記者クラブ、奈良県政記者クラブ、名張市政記者クラブ、これらの記者クラブにも議事骨子を電子メールで同時に配付しようと思っています。

また今後、様々な事務的な書類等を委員に送付させて頂くことになりますが、よろしくお願いいたします。時間のある方は、記者説明の方にもご参加頂ければと思います。

本日はありがとうございました。

以上




 

Copyright(C) 2006 淀川水系流域委員会 All Rights Reserved.