EPISODE03

妻娘の死を悼む、
父親の手記

山口 斐佐子さん(83才)女性の体験

昭和13年7月5日、父は仕事で出かけており、私は祖父母の家に行っていたので、篠原中町の自宅には、母と1歳の妹の二人が残っていました。
自分はまだ幼かったので、災害の記憶はほとんどありませんが、母と妹は泥流にのまれて亡くなりました。
災害の後、自宅内を掘り起こした際、母は妹をかばうように、妹に覆いかぶさった状態で見つかったといいます。
父は悲しみに暮れたようですが、母と妹の思い出として、その時の災害の様子や妻、娘(妹)への思いを記述したアルバムが残っています。
「こんな可愛い服ができましたのよ」 そう言って、死の前々日の夜見せた赤い服。
「紀久子ちゃん、早く着せてあげましょうね、でもまだスナップがついていませんのよ」そう言った赤い服。
お前が悲しい骸となって上がった時、腕にした籠の中から出たこの赤い服。
あゝ母心。
最後まで紀久子を庇ったであろうあの体勢が、何時までも私を泣かす。
常に私の健康を顧念して一汁一菜も傾けて呉れた真心。
理財観念に乏しい私と共にあって、百年の長計に身を萎したお前。
あゝ今いづこにあるのか。
可愛い赤ちゃんだと写真屋さんがほめてくれたと。
その亡き母が喜んで私に語った思い出の姿。
溢れる様な歓喜に満ちた思い出。
私達を喜ばせ、幼い姉が夢寐るも紀久子、紀久子と叫んだお前。
人の世の言葉も語らず死んでいったお前。
可愛いお口に何を語りたかったか。
注)写真は灘区篠原中町付近の惨状