EPISODE15

頌徳碑で語り継がれる
災害の記憶

 昭和13年阪神大水害で被災し、教員2名、生徒8名が亡くなった湊川高等実業女学校(当時)では、水害犠牲者の慰霊碑として頌徳碑が残されています。

頌徳碑の建立

 湊川高等実業女学校は、水禍後の約1年半、神戸市灘区王子町にある旧関西学院教育研究所での仮住まいを経て、昭和15年4月に神戸市灘区高尾通に新校舎を建築、移転しました。また、敷地内には水禍でなくなった方の慰霊のため頌徳碑が建てられました。

残された頌徳碑

 昭和17年3月に湊川高等実業女学校は、財団法人湊川学園湊川高等女学校への昇格認可により湊川高等女学校と改称しましたが、第2次世界大戦の戦火で校舎を焼失、やむなく神戸市から三田市に移転しました。しかし、頌徳碑は焼け残った校舎の一部とともに神戸市灘区高尾通の敷地に残りました。
 その敷地は、昭和23年に、神戸経済大学付属経営専門部の宿舎として借り上げられ、神戸大学の発足後、昭和39年に当該大学と山岡育成会(財団法人湊川学園は昭和27年財団法人山岡育成会に改称)は当該地の譲渡契約を結びました。
 その際、敷地内にあった頌徳碑は、覚書によってそのまま存置することになりました。

現在の頌徳碑

 かつての湊川高等実業女学校は、現在、学校法人湊川相野学園となり、兵庫県三田市四ッ辻に湊川短期大学と三田松聖高等学校を併設しています。頌徳碑に関しては、長きにわたり神戸大学の寮内にあり、その存在を知る人も少なくなっていましたが、「悲劇を風化させないために」と平成21年の学園創立90周年を機に、三田松聖高等学校の校舎裏手の学園が見渡せる小高い丘の上に移設し同年10月に開眼式を行いました。その後は、過去の災害が二度と起こらないように、毎年この碑に手を合わせているそうです。
現在の頌徳碑 昭和14年春卒業生が寄贈した国旗掲揚柱や神戸市灘区高尾通の敷地にあった校門柱も移設されている。

頌徳碑などの表示内容