神戸市長田区

身近で起こった山崩れの怖さを伝えて
〜長田区明泉寺の山崩れ〜

 当時は、滋賀から嫁いできてまだ2年目くらいの頃でした。家は急傾斜面にあって、主人と両親と生まれたばかりの赤ちゃんと、主人の弟の6人で住んでいました。家の北側にある窪地には3つの牧場がありました。
 当日家にいたのは、私と赤ちゃん、弟の3人だったんです。3日降り続いた雨で坂下の長田商店街は腰あたりまで水につかっていて、交通も遮断されていたものですから大阪にいた主人や両親も帰って来られなかったんです。それで怖くて崖から遠い方にいたんですけど、ものすごい雨の中、犬や牛がちょっと異常に騒ぎだしたんです。「なんでやろね」って話をしていたら、ゴォーっと地鳴りがしてきて、そしたらズンッときたんです。窓から見てみたら、真っ暗でしたけど土埃がすごくて、弟が「がけ崩れやないか?」ということで、すぐに119番したんですが、消防もすぐには来られなかった。夜の間はどうしたらいいかわからず、赤ちゃんを抱いてただウロウロしていたのを覚えています。朝になってから牧場が土砂に埋まっているのを確認しました。怖かったですよ。
 自宅は被害はなかったですが、崖下の牧場では救助隊の方が来て、流れ出した土砂をかき出して埋もれた人や牛などを助け出していました。結局このがけ崩れで5名もの方がお亡くなりになりました。がけ崩れ当日は、自宅前の坂道は川のように水が流れていたそうで、その下の川沿いの道や長田商店街には、いろんなものが流れてきてひどい状況で、主人が翌日戻ってきてくれたんですが、苦労して登ってきたんだと思います。
 崖の復旧はすぐに瓦礫を処理して、法面の工事も1、2年でやってもらいました。牧場の跡はゴミ収集車の保管場所に使われていました。そこに家が建ったのはしばらく経ってからですね。   明泉寺地区のなかでも、この辺りは道の傾斜がきついので、慌てて動かないのが、一番の対策得策だと思います。名倉小学校が避難所なんですが、そこに行くのに、前の坂道は側溝とか整備してくれてますけど、それでも川のように水が流れるのは年に何回もありますし、谷があったり階段もあるし、橋も渡れる状況かどうかわからない。
それに、このあたりは高齢が多く、避難所までいけないねって話してます。どうしても避難しなければいけなくなったら、そこのお寺や公園に集まって、集団でくことになってます。  昭和42年災害のときは、市ケ原の崩落ばっかりニュースで大きく取り上げられて、「うちとこもひどかったんやでえ」と思ってました。その当時の資料は、この辺りのものはあまりないです。それで私の撮った写真を学校に持っていったり、経験者の話が聞きたいと先生に頼まれたりします。私も実際に経験するまで崖が崩れるなんて思ってもいなかったので、身近でこんな災害があったってしっかりと伝えていけたらと思っています。