神戸市兵庫区

自治会の活動をとおして防災意識を共通化

 当時、NTTの須磨電話局に勤めており、電話局は宿直があって、昭和42年豪雨災害の日は宿直あけで、帰ってきたら家内がいないんです。まだ土砂降りでどこに行ったのかなって探していたら、婦人部で炊き出しをやっているということでした。崖のすぐ手前にあるうぐいす荘というアパートがかけ崩れでやられていて大騒ぎになったそうで、家内たちは、その被災者や救援隊のためにアパートの空き部屋を借りて炊き出しをやっていた。台所は一番奥の崖側にあったんです。そこに再び土砂が崩れてきて炊き出しに協力していた近所の人たちも生き埋めになってしまいました。家内に聞いた話ですが、匂いだとかの前触れは何も気付かなかったようです。いきなりドサっと崩れきた。
 ただ、うちの家内も含めてあとから埋まった人は助け出されてケガだけで済んだのですが、最初に起きた崩壊で父子が生き埋めになり、子供は助け出されたのですが、お父さんが亡くなっています。消防に聞いても記録がほとんどないです。僕も翌日見に行きましたが、写真を撮るのが好きなのにも関わらず、当事者だと写真を撮っている余裕なんてなかったですね。
 自宅は大きな被害はなかったです。昭和39年にここに土地を買いに来たときは段々畑の町で、40年に家を建てて当時5歳の長男と3人で引っ越してきたばかりでした。今は埋め立てて家が建っていますが、大きな池があってそこが決壊するんじゃないかとひやひやしていましたが、42年の時は大丈夫でした。その後47年の大雨の時に水が溢れてきて道が川のようになった。家は側溝があるので、その時も被害はなかったですね。子供たちは魚が流れてきたというので、喜んでタモを探してたくらいです。
 この里山地区というところは、周囲を山に囲まれていて、いつ土砂災害が起きても不思議ではないというところです。危なくないようにしてくれって県に陳情に行ったり、嘆願書を提出するなど交渉して、それからしばらく経って阪神・淡路大震災のあと、平成8年にやっと斜面対策工事が始まった。完成したのは12年でした。このあたりは交通の便もよく、駅から近いので昔は会社の寮など文化住宅がいっぱいあったんですが、震災やらで潰れて今は新しい一戸建てが増えました。だから、当時を知っている古い人は数が少ない。裏山が対策してあって安心だと思っている。それで、先ほどの埋め立てた池の話も含めて、昔はこんな災害があったと自治会の活動のおりに話をしています。