電子植生図鑑 六甲山の植生の変遷

はじめに1:気候の変動に伴う変化2:人の暮らしに伴う変化3:水害などの影響に伴う変化

2:人の暮らしに伴う変化

人の暮らしに伴う植生の変化を見てみましょう。
縄文時代以降の変化です。

縄文時代
5,000〜6,000年前
土に埋まった花粉を調べると、マツ類の花粉の多いことが解ります。
人が燃料や材として木を伐ったことで、照葉樹林に替わってアカマツ林が広がっていたのです。
江戸時代
1615〜1868年
六甲山を描いた江戸時代末期の絵図を見ると、摩耶山や再度山などの寺社にしか森林はなく、全体にはげ山が広がっています。
明治時代
1868〜1902年

明治20年作成の地形図を見ると、荒れ地や岩場や砂原が広がっていることが解ります。
樹林があるのは、裏六甲や山麓に限られています。

明治時代の地形図

明治30年代以降、水害による被害を防ぐために、緑化が始まります。
神戸市が、明治35年から平成8年度までに植えたのは、延べ2287ha、740万本にもおよびます。

大正時代
1912〜1926年
アカマツの切り株

兵庫県では、1914年に松くい虫被害が発生。その後、被害は拡大します。
被害防止に向けて薬剤散布が行われてきましたが、神戸市では、2000年の有馬地域を最後に、今では行われていません。

明治2年生まれ(132才)のアカマツ。マツ枯れで伐採です。
昭和
1926〜1988年
イラスト:アカマツ林

高度成長期頃になると、緑化が効を奏し、全面的にアカマツ林が成立してきました。

現在 イラスト:照葉樹が多くなった現在

現在、遷移が進み、アカマツ林やコナラ林に照葉樹が多くなってきました。

将来
2xxx年
 
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