わたしの住む王寺町には、大和川と葛下川の二つの川が流れています。
昔は、大和川のおかげで、いろいろな品物や荷物を大阪の堺という所から、舟で運ぶことができたそうです。王寺町だけでなく奈良県は大和川があったから、ここまで発てんすることができたのだと思います。
こんなによく使われていた大和川だったのに今は、どうして人々からみはなされてしまったのでしょう。今の大和川を見ていると、とても、そんなことがあったようには見えません。交通が発達して、役に立たなくなってしまったのです。でも、昔から川は人間にとって、なくてはならないそん在だと思います。そんな大切な川を、わたしたちは、自分の手でだんだんとよごしているのです。大和川はきっと泣いているでしょう。わたしも、大和川があまりにもかわいそうだと思います。
でも、大和川だって泣くことだけを考えているのではないでしょう。昔の大和川にもどりたいはずです。そのことをみんなで考えて、川をよごしたことをつぐなうべきだと思います。ひとりの力では、なにもできないけれどみんなで協力すれば、なんでもかなう。とゆうこともあるでしょう。
わたしたちが、これからどのような行動をとればいいか、自分なりに考えてみました。まず一つめは工場や家庭などから流れるはい水をなんども浄化してきれいな水だけ流せばいいと思いました。二つめは、王寺町の町民けんしょう(道路も川も草も木もきれいな町に)をかけ声にして、人々が大和川に目をむけることが大切では、ないでしょうか。 わたしも、これからの行動をよく考えて、もっともっと、大和川を見守っていきたいです。