■万葉集とは

万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集です。

全20巻からなり、約4500首の歌が収められています。作者層は天皇から農民まで幅広い階層に及び、詠み込まれた土地も東北から九州に至る日本各地に及びます。
万葉の歌の詠まれた時代は、仁徳天皇の皇后であった磐姫皇后の歌(巻二の85~89番)と伝えるものがもっとも古いのですが、磐姫皇后歌や雄略天皇歌(巻一の1番)などの推古朝以前の歌についての記載は信じがたく、磐姫や雄略の実作ではなく、後の時代の人が仮託した作とされています。

ですから、実質上の万葉時代は、天智天皇や天武天皇の父に当たる629年に即位された舒明天皇以降と考えられ、万葉集最後の歌である巻二十の4516番が作られた759年(天平宝字三年)までの、約130年間といえます。

■書名の由来

「万葉集」という書名の意味は、「葉」は「世」すなわち時代の意であり、万世まで伝わるようにと祝賀を込めた命名と考えられています。
万葉集の編纂、成立の経緯については詳しくは分かってはいませんが、一人の編者によってまとめられたのではなく、何人かの編者の手が加わり複雑な過程を経て成立したもので、最終的に大伴家持の手によって20巻にまとめられたのではないかとされています。
その内容は、「雑歌」「相聞」「挽歌」に分類されています。「雑歌」は行幸や遊宴、旅などさまざまな折の歌であり、晴れがましい歌が多く含まれています。「相聞」はお互いの消息を交わし合う意で、親子・兄弟姉妹・友人など親しい間柄で贈答された歌も含まれますが、多くは男女の恋の歌です。「挽歌」は人の死に関する歌です。つまり、万葉集は、人が生を受けて死ぬまでのほとんどの場面が歌われた歌集といえます。
古代は自然を畏怖し、敬い、山には山の神、川には川の神がいると信じていた時代です。万葉の時代はそういった自然に対する畏怖の感情からやがては解放され、自然を自然として讃美するように移行してゆく時代でした。人々が自然とともに生きていた時代であり、万葉集には自然が豊かに詠み込まれています。
山川も万葉人と身近な存在でした。ことに飛鳥・藤原宮から平城京に至るまで日本の中心であった奈良盆地の中央を流れる大和川は人々にとって親しい川であり、人々の暮らしと関わって数多くの歌が残されています。

※万葉集の中で、旧大和川及びその支川が詠まれた歌は70首以上あり、本ホームページ ではそのうち37首をご紹介しています。
また、1704年の付け替え後に大和川の流域となった住吉(大阪市住吉区付近)の風景 を詠んだ歌についても、5首を加えてご紹介しています。

監修
坂本 信幸
(奈良女子大学大学院 教授)
参考文献
「新編 日本古典文学全集 6~9 萬葉集」小学館
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