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第1部「大和川を100万尾の天然アユがのぼる都市河川に」
人を自然に近づける川いい会 小村一也氏

第一部は博物画家で「人を自然に近づける川いい会」の理事である小村一也氏に「アユの博物誌」としてアユの漢字の由来からアユと人々との暮らしの関わり、芸術や図鑑の中のアユやアユの一生を描いた絵本「石になった魚」について話題提供頂き、第二部のアユの一生を考えるにあたっての問題提起を行って頂きました。

小村一也氏写真
小村氏の講演の様子
大和川の活動にエールを送ってくれました。

(人を自然に近づける川いい会の活動概要)

  • 「人を自然に近づける川いい会」は琵琶湖淀川水域を中心に全国の河川池沼の生物調査や、川歩き・ファミリー達と自然楽習会を開催しています。
  • 活動には4つの柱があり、川でのイベントや交流を目的とした「川で集う」。「川で楽しむ」。そして、自然楽習会として「川と学ぶ」、4つ目の柱が「川で食べる」で魚を捕獲しアユ、アマゴ、カジカ、ナマズやウナギ等旬の味覚、自然の恵みを美味しく頂いています。
  • 様々な活動の中から助成事業を受け、近年は大阪府レッドデータの淡水魚調査やポケット図鑑や子ども向けの小冊子を作り、各地域でのワークショップで配布。地元の自治体等と協働事業を行っています。

(アユの呼び名、漢字、うんちく話について)

  • アユの学名「Plecoglossus(プレコグロッソス)」はギリシア語に由縁、「Plekos(プレコス)=ひだのある」「glossa(グロッサ)=舌」、つまり「ひだのある舌」、「アユ」が付着藻類を食するのに適した口を上手く表しています。
  • 和名、呼び名は2つほどあり「アユル」から来ている説。アユ、アユルは、落ちるという意味、川を上って成長したアユが産卵を控えて、河口の方に秋に下る、すなわち「落ちる魚」から付けられたという説と、「ア」を「小さい」と読み、「白い」という漢字を「ユ」と読むことから「小さい白い魚」という外観からの表現で、この2つが有力です。
  • 漢字の「鮎」は諸説ありますが鮎が一定の縄張りを独占、占領するという説や日本書紀に出てくる神功皇后が戦を占うために行った釣りで釣れた魚が鮎だったため、そこから占い魚があてられ「鮎」となった説と2説が有名な話です。
  • 現在の「鮎」が一般的な書物で登場したのは平安から室町時代頃でそれ以前は一年しか生きないので「年魚(ネンギョ)」や体表の粘膜に香りがあることから「香魚(コウギョ)」、鱗が細かいことから、「細鱗魚(サイリンギョ)」とかあてられていたようです。
  • 「鮎」、「魚」「占」の漢字は奈良時代の頃から一般的に使われていたましたが、当時はナマズを意味しており書物、記録では「鮎」という漢字を使わず当時は「年魚」と記していました。
  • 中国では今でも「鮎」は「ナマズ」。日本では「鮎」以外に、「香魚」「年魚」その他「アイ」「アア」「シロイロ」「チョウセンバヤ」など「雅語(ガゴ)」、いわゆる「みやびことば」で呼ばれ、「幼魚・若魚」を「アイナゴ」「ハイカラ」等成長段階により雅語や稚魚名、呼び分ける等様々な別名があります。
  • 国内のアユは北海道の天塩川を北限としており、海外では朝鮮半島からベトナム北部、中国にも分布しています。中国は「香魚」とかいて「シャンユウ」または「油香魚(ユシャンユウ)」。英語では「ayu」またはその味覚をストレートに言い表した「sweetfish」、フランス語もドイツ語も「ayu」ロシア語は「Aю」(発音不明)と呼ばれています。
  • 日本の「アユ」は世界の多くの国で「うどん」「しゃぶしゃぶ」「すき焼き」と同じように親しまれています。アメリカの著名な魚類学者であるジョルダン博士が世界で最も美味しい魚の2位に「アユ」をあげたことから欧米の共通名称になったのかなとも思っています。
  • うんちくの続きでは、アユは俳句の季語として有名で「鵜飼」は夏を表し、春には「若鮎」、秋には「落ち鮎」、冬には「ヒオ」これは「ヒオ」もしくは「ヒウオ」、「氷の魚」と書き四季折々に使われています。
  • 秋、オスは体が黒ずみそれで一部が赤くなったアユを「錆びアユ」といいます。日本の伝統的な色の名前で「錆びる=枯れる」と表現します。ほかの生き物でも浅葱色をした「アサギマダラ」や「カナヘビ」といったトカゲは「カナイロ」ともいい、茶色の古い呼び名が用いられたりしています。

(芸術・理科美術からみたアユについて)

  • 絵の世界では淡水魚類を含んだ魚が正確に描かれだしたのは近代になってからのようで、生態や行動、形態をしっかり観察して描かれるようになったのは、江戸時代後期くらいではと思っています。しかし、アユに限っては比較的古い時代から正確にモチーフとして扱われていました。
  • 2つほど作品を紹介します。桃山時代頃に制作されたといわれている「蒔絵」で「香魚蒔絵盆(アユマキエボン)」は唐物様式を今に伝える素晴らしい作品です。近代に入った作品では1937年頃に「大野麥風(おおのばくふう)」という画伯が手掛けた大日本魚類画集の一編があります。
  • 理科美術の世界では、魚類学や博物学の世界、文献や資料の挿絵として重要な役割を占めるのが博物学誌です。そのため魚の鱗や鰭は、数がきっちり決まりこの辺りを間違えたり、適当に描いてしまうといくら美しく描いても理科美術としての価値はゼロになります。特にアユは淡水魚の中でも際立って鱗の数が細かく、エラの後ろから尾柄までの鱗が350〜400も連なり本当に描画の作業には苦労させられる繊細な魚です。
  • しかし、理科美術や図鑑の世界では鱗全てを正確に描き込む作品だけではなく、「大野麥風」画伯も鱗を描かず容貌や雰囲気、体色だけで表現しており正確に描くのは必要なのは標本画です。その中で近代日本の博物画の開祖は「牧野四子吉翁」の作品で、広辞苑の挿絵を初版から全て一人で描き、牧野画伯が若い頃に描いた「関東州及び満州国陸水生物調査書」の挿絵は見本的な作品です。
  • 芸術・理科美術からみたアユ
    子どもたちの学習図鑑では生態やイメージを捉えることに重きを置く傾向で、昭和の半ばまで少数の専門画家が大量の挿絵を描いていた事情に加え、学術的な資料や専門的な知識が追いつかず絵本的な挿絵となった時代もありましたが、今から30年ほど前、1980年代の初頭イラストレーションの技術が飛躍的に高まり、スーパーリアルや、ハイパーリアルというイラストレーターが描く作品も表れ、必ずしも今は鱗の描写が必要ではなくなりました。

(作品ー石に棲む魚について)

秋分の頃
  • 私はこのような背景もあり、魚たちを題材に「石に棲む魚」としてライフワークで石に描いています。
  • 本日、作品を展示していますが、個々の作品を紹介しながらアユの四季を紹介します。啓蟄の頃河口から遡上してくる幼い鮎です。次に花筏から葉桜に変わる頃に汽水域から淡水域に上がってくる清明の頃のアユ、夏至、梅雨の頃に堰をジャンプするアユの姿、そして縄張り争いを繰り返す処暑の盛り頃のアユ、そして縄張り争いで競り勝った強いアユが半径1メートルほどのテリトリーに君臨しセミの声とコオロギの声が入れ替わる秋分の頃、繁殖のシーズンにメスに接近し、錆びアユとして一生を終える姿、寒露の頃を表現しています。

(大和川への提案)

  • 「アユ」といえば清流と思う人が多いですが、実はタフであまり誉められない水環境でも回遊しています。私たちは毎年、猪名川水域の支流である尼崎の「藻川」で自然楽習会をやっていますが、初めて参加する人はアユが生息していることに驚きます。
  • では大和川で、今以上にアユやウナギやハゼやボラも回遊し生物層が豊かに連なる宝の川を育み、維持するにはどうすればいいか考えてみました。河川河床のエコトーン等の整備や棲みやすい環境、様々な問題解決は本当に知識や見識のある学識者、専門家の力、そして河川管理者の行政の役割がなくてはならないと思いますが、それだけでは本当に大和川を素晴らしい理想の川に育てられるのか、というところで提案をさせて頂きます。
  • まずはここに集う皆様が主役となり、子ども達や次世代へバトンタッチしていくことで大和川と親しんで育んでいく継続的な文化が必要だと思います。そこで「鮎民ing(あゆみんぐ)」というキャッチフレーズを考えてみました。
  • 鮎民ing
    「鮎に歩む」「ボチボチ歩む」、「民」「たみ」「皆さん」「市民の皆さん」とそれぞれのキーワードを融合させた造語です。「ing現在進行形」「ずっと続けていく」一生懸命走っていては息切れするので「歩む」「あゆみんぐ」「ボチボチいきましょや」と大阪弁で、皆が繋りこの大和川を素晴らしい川にしていけないかと思い命名しました。今後の活動で、このフレーズを何かの形で活用頂ければという想いです。

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