柏原市と三郷町にまたがる峠を越えると、昔地すべりが多発した亀の瀬地域に突き当たります。亀の瀬地域の西側にある青谷・雁多尾畑は、かつて大阪と奈良を結ぶ竜田越え奈良街道に行き交う人々でにぎわいを見せていました。
JR大和路線河内堅上駅からなだらかな丘陵を登ると、青谷大池が目に飛び込んできます。古代、竜田山を中心とする地域は製鉄業で栄えていたと言われ、青谷大池(あおだにおおいけ)のほとりに建つ金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)とさらに丘陵地に位置する金山媛神社(かなやまひめじんじゃ)は、製鉄の守護神として祀(まつ)られていると伝えられています。さらに丘陵を登ると光徳寺があります。今から約1000年前、第64代円融法皇(えんゆうほうおう)が延暦寺の僧法圓(ほうえん)に命じて建立されました。境内には寺の宝として伝わる藤原家嗣(ふじわらのいえつぐ)作の梵鐘(ぼんりん)が現存しています。
豊富な歴史的遺物と当時を彷彿(ほうふつ)とさせるたたずまいに出会える散歩道、竜田越奈良街道は柏原市内へとまだまだ続きます。
平安時代に制定された延喜式の神社。1998年、当地での製鉄の可能性を検証するための実験が行われ、そのたたら炉の炉壁の一部が置かれている。
延喜式の神社。獄山(だけやま)の嶺上にあったものを今の地に移したと伝えられている。また獄山周辺から鉄のかすである鉄滓(てっさい)が出土していること、またその社名から製鉄との関連が考えられている。