HOME 事業案内・事務所紹介 亀の瀬 亀の瀬を学ぶ 亀の瀬地区の歴史〜地すべりとの戦い1/2

地すべりを防ぎ、開かれた地域をめざして 亀の瀬

亀の瀬を学ぶ

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亀の瀬では明治以降も数回、大きな地すべりが起きています

4万年以上前からあった?亀の瀬地すべり

亀の瀬では太古の昔から地すべりがありました。地すべりで移動した土の中から発見された木片の年代測定では、約4万年前という結果が得られており、地すべりはそれ以前から発生していたとみられます。また、万葉集に出てくる「畏の坂」が亀の瀬あたりの道をさし、その由来が地すべりにあったと考えられています。「畏れる」は神を畏れる意味があり、昔の人には亀の瀬の地すべりが神の仕業と見えたのでしょう。
明治以前の地すべりに関する記録は残されていませんが、明治以降だけでも昭和6〜8年の地すべりを加えて大きな地すべりが3回あり、その記録が地すべりの脅威を伝えています。

移動土塊中から発見された木片
移動土塊中から発見された木片

明治36年の地すべり

亀の瀬の地質の特徴は、第三紀層の火山岩や堆積岩が積み重なってできた地層の表層をドロコロ溶岩がおおっていることです。これは数百万年前、亀の瀬の北方にあったドロコロ火山が新旧2回噴出してできたと推定されています。
亀の瀬が地すべりしやすいのは、弱い地層が変質して粘土層になった上に荷重の大きい溶岩がのったこと、地殻変動により大和川方向に傾斜していること、さらに大和川断層の活動や大和川による山脚部の侵食なども関係していると考えられています。

地すべりしやすい亀の瀬の地質

明治36年7月、断続的に降り続く雨により、上流部が何度も浸水していたところに地すべりが発生し、大和川の河床が隆起しました。さらに、梅雨の豪雨が重なり、大和川がせき上げられました。
このときの被害は、記録によると浸水面積44.9ha、堤防の決壊13ヵ所、田畑の水没12.1ha、家屋の流出・崩壊など20戸。王寺駅南方の張井・三郷にかけての氾濫被害がとくに甚大で、地すべり地内を通る鉄道(関西本線)のトンネル東口も崩壊しました。

昭和42年の地すべり

昭和42年2月、柏原市清水谷地区で亀裂が発見され、同市峠地区の旧地すべり地もこの影響を受けて活動し始めました。これは、総面積50haにおよぶ大規模な地すべりに発展しました。
大和川を越えた対岸の国道25号は約1m隆起し、大和川も250mにわたって川幅が約1m狭まり、河床も隆起しました。しかし、大和川の閉塞にはいたらず、幸いなことに雨も少なく、上流部の浸水という最悪の事態は免れました。

田畑の亀裂・陥没
田畑の亀裂・陥没
国道25号の隆起
国道25号の隆起
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