興福寺の荘園として成立し、集落は千体寺を中心として発達しました。筒井氏の身内である衆徒丹後庄覚英の館跡が、村の東北に「庄屋畑」と称して残っています。周囲に堀田とよばれる水田があり、中世土豪の館跡であることがわかります。集落の北側には八雲神社があります。