2001年の入賞作品

作文部門2

<大和川工事事務所長賞>

「大好きな大和川」

 大阪市立安立小学校 6年

 私は大和川が好きです。紀州かい道をこえた所にある橋から見えるゆりかもめが、輪になって飛ぶ姿、夕方太陽がしずむ時川面がキラキラ光る風景がとくに好きです。
  昼はハトも多く飛び水鳥も羽を休めています。時には、橋の上から見るとボラという魚が泳いでいるのを見ることもあります。
  二十年ぐらい前までは、よくおじいちゃんもつりをしていたとききました。フナをつってはにがし、半日川で楽しんでいたそうです。
でも、今では河口に近くなるとしおのかおりにまじって時に、イヤなにおいもしてきます。総合学習で、大和川のゴミひろいをしました。短い時間に、あっというまにゴミはたまってしまい余りの多さにびっくりしました。自分の家のゴミはぜったい家の前にはおかないのに、どうして川なら平気ですてるのかわかりません。川も自分の家だと思うと、すてる人はいなくなるのではないでしょうか。
  大和川は、奈良から大阪わんに流れる大きな川です。私たちの、宝物だと私は思います。
  その川をもっともっときれいにして、みんなに好かれる川にしたいと私は、思っています。そして大和川をだいじにしていきたいと思っています。
  私はこんど家族で、奈良の大和川はいったいどんな大和川なのか、そして大阪の大和川とはいったいどんなちがう点があるのか見に行きたいと思います。私は、奈良の大和川にも大阪の大和川と同じようにいい所がたくさんあるといいなと思っています。

<大和川工事事務所長賞>

「私が伝えたい大和川」

八尾市立龍華中学校 1年

 大和川は笠置山脈に発源し初瀬川として奈良盆地を北西に流れ、佐保川、富雄川、竜田川、石川等の支流を合わせ、大阪府堺市において大阪湾に注ぐ68・の川です。
  年間降水量が全国平均1800・弱に対して約1400・とかなり少なく、地形は流域の平均面積比率が高いことから流量が少なくなっている。水質は、平成4年のBOD調査では、大阪府、奈良県ともに上流部では、BOD10・/_未満で下流部では、10・/_以上です。昭和40年代には、約20・/_と高い値を記録し、これに較べれば大和川の水質はやや改善されいる。
  一方、大和川流域の社会情勢をみると上流部奈良県域、中、下流部大阪府域は、ともに昭和30年以降京阪神都市圏の住宅地として大規模団地等の開発が進み、人口は、著しく増加しています。こうした人口、産業の流域内への集中が進むにつれて、生活排水、工場排水、および畜産排水により水質が悪化していましたが、近年は排水規制の強化や下水道の整備および水質浄化対策等により以前に比べれば改善されてきています。
  今、大和川では、川をきれいにする3つの方法がとられている。接触酸化法・薄層流法・瀬と淵浄化法でどれも石や木炭などを使った浄化方式です。
  しかし、それでも、大和川は、全国の一級河川の中でワースト1です。いつか泳げるぐらいきれいな川になってワースト1からベスト1になってほしいです。


<大和川工事事務所長賞>

「大和川が汚れるのは」

富田林市立第三中学校 3年

 大和川は日本の川の中で二番目に汚い川だといわれています。汚い川というのはゴミがたまっていたり、水が汚れていたりして、魚が住みにくい川のことです。川の汚れは私たち人間のしわざです。私の家の近くには、石川が流れています。石川で汚れた水は大和川に流れ、大阪湾に流れこみます。
  週末になると、石川の河原には大勢の人がキャンプをしに来ます。夏は花火をする人もたくさんいます。みんなでキャンプや花火をするのは楽しいでしょう。しかし、マナーを守れない人がたくさんいます。花火のゴミ、バーベキューのゴミ、ペットボトルなどたくさんのものが河原に捨てられています。このゴミはだれが処理すのでしょうか。自分たちが出したゴミは自分たちで責任をもってかたづけるのがマナーです。ゴミを放置しているとそのゴミが川に流れ、海を汚します。
  海を汚すのは、川に捨てるゴミだけではありません。私達が出す生活排水も大きな原因です。私の家の近くにも、排水用の溝があります。夜にその溝の前を通ると、石けんのにおいやシャンプーのにおいがします。ちょうどその時刻は夕食の後片付けをしたり、お風呂に入ったりしている頃です。この水は全て石川に流れこんでいるのです。毎日毎日同じことのくり返しで、川が汚れていくのです。
  最近では、下水道が完備されている住宅が多くなってきました。しかし富田林の下水道の工事はなかなか早く進まないようです。はやく全地域に下水道を作って安心な水を川に流せるようにしてほしいです。このままでは石川、大和川、大阪湾、世界の海が汚れる一方です。これから未来に向けて私たちができることは何か考えると、水の大切さを理解し、一人一人が自覚をもつことが必要です。一人一人の努力が数十年後には、日本で二番目に美しい川と言われているかもしれません。


<大和川工事事務所長賞>

「アユなど食べれる魚が住める川に」

田原本町立田原本小学校 5年

 ぼくの家の近くに、寺川という川がある。
  この川は、いずれ大和川になる。この寺川も、大和川と同じでとてもきたなく、底など到底見えない。
  しかも、この川で魚つりをしても、アユなど食べれる魚はつれなくて、コイなどしかいない。
  寺川のきたなさは、とてもすごい。
  例えば、ぼくは小さいころ、この川でお父さんとお姉ちゃん、お兄ちゃんとで、魚つりをしていた。
  その時、目がかゆかったので、寺川のきたない水で、目を洗ってしまった。
  すると、目がぶっくーとふくれてきた。お父さんやお母さんたちが、大さわぎをして、大パニックになった。
  幸いお父さんが、病院に連れていってくれたので、助かった。
  また、寺川の水を四年生の時に、パックテストで調べてみると、やはり、とてもきたない水だという決果になった。
  この川に、たくさんの人がゴミをすてている。空きかんや雑誌などが捨てられている。たまに、ナスやスイカなども流れている。
  ぼくは、前寺川を見てみると、金魚がいた。
  「金魚がいる。」と、友達が言っていた。
  ぼくは、(金魚だけでなく、アユやニジマスなども住める川がいいな。)と思った。
  きたない川を美しい川にして、アユなど食べれる魚が住めるようにしたい。
  また、いつ魚つりをしても、あきないで、つった魚が食べれるようにしたい。


<大和川工事事務所長賞>

「花火の似合う川に・・・」

王寺町立王寺南中学校 3年

 八月十三日、王寺町の花火大会が大和川の堤防で行われました。毎年いろいろな所から花火を見るためにたくさんの人が集まります。今年もたくさんの人が集まっていました。私もその中の一人で、出店などがあり、すごく盛り上がっていました。
  そしてついに花火が始まりました。とてもきれいで、人々から拍手が起こるほどでした。私は花火のきれいさにみとれていました。「こんなきれいな花火がずっと続けばいいのにな。」
  私は心の中でそんなことを考えていました。
  その時です。まいごの放送などをしていたスピーカーから『クリンキャンペーン』という言葉が聞こえてきました。私ははっとし、まわりを見わたしました。するとそこには缶など出店で売っていた物を食べた後のごみが捨ててありました。私は頭の中に、大和川=ゴミという式みたいなものが浮かんできました。「こんなことでいいのかなぁ。これ以上私達がゴミを捨てるとそのうち花火大会ができないほどの大和川になってしまうんじゃないかなぁ。」
  と思いました。帰りにまわりをみていると、ゴミがいろんな所に散乱していました。人間の間にゴミがあるのではなく、ゴミの間に人
間がいるというかんじでした。
  『ゴミを捨ててはいけない、ゴミが落ちていたら拾わないといけない』と言われても、分かっていてもなかなか行動できないのが人間です。でもみんなが楽しみにしている花火大会にくっつけて考えると少しでもゴミを拾わなくてはいけないという意識がわいてくるはずです。私は大和川をきれいにしてもっと花火の似合う川にしたいです。そのためには、みんなの協力が必要だということを分かってほしいです。


<大和川工事事務所長賞>

「川のちがい」

王寺町立王寺南中学校 2年

 私は生まれた時ぐらいから、毎年愛媛に住む祖母の家へ遊びに行っていました。そして、祖母の家のそばを流れる川へも、よく遊びに行きました。この川は、とっても水がきれいで、魚も泳いでいます。私は、こんな川で毎年遊んでいたので、どこの川も全部きれいな川だと、小さい頃は思っていました。
  でも、だんだん大きくなってくるにつれて、私の町を流れる川は、汚い川の代表と呼ばれるような川だということを知りました。私は、どうして同じ『川』なのに、こんなに違うのかと不思議に思いました。
  大和川も昔は、水もきれいで魚も泳いでいたそうです。そんな大和川が、汚れていった主な原因は、生活排水だと言われています。つまり、自分たちの手で自分の町の川を汚しているということになります。
  この汚れてしまった川を、どうすればきれいな川に戻すことができるのだろうかと、考えました。例えば、私の家では無洗米を使うなど工夫しています。他にも、油はそのまま流さず新聞紙にしみこませて捨てたり、いろいろできることはあると思います。
  少しでもいいから、川をきれいにしようと一人でも多くの人が思って、協力すれば大和川は汚い川ではなく、きれいな川と呼ばれるようになれると思います。


<大和川工事事務所長賞>

「ベランダから見える大和川」

王寺町立王寺中学校 2年

 私の家は大和川沿いにあります。
  ベランダからはとてもよく大和川が見えます。その大和川はいろんな気分にさせてくれる力を持っています。
  見ていると気持ちが落ちつく感じがするので、嫌な事があった日の夜は時々ベランダに出て、いつも通りの自分にもどすのです。
  朝と夜の川は同じように見えて実は全く別の川になってしまいます。
  早朝の川は山のにおいを運んで来るので、思わず深呼吸してしまいます。
  夜の川は車や電機の光に照らせれて、まるで宝石が浮いているかのように輝やきます。
  そんな大和川には、四季折々に色んな水鳥たちが飛んできます。
  中州では、かもやサギがエサをとったり、休けいしたりしています。
  河原には、春はタンポポやつくしや色んな雑草。そしてバッタやミミズなどの色んな虫がいるし、その虫を食べに鳥がやってきます。
  うちのマンションにもツバメが巣を作って、せっせと虫をとりに来てはひなにエサをやっています。
  私の弟はいつも川へ入りたがっていますが、母に汚いからと言って止められています。
  こんなに自然がいっぱいなのに、ゴミや生活排水のせいで、川がメチャクチャになってしまうのは、とてももったいないと思います。
  みんなが川で遊べるようになるにはどうしたら良いのか。
  一人一人が考えていかなければならないと思います。


<大和川工事事務所長賞>

「私たちの大和川」

王寺町立王寺南中学校 1年

 「いかだレースに出るのかぁ。」
私はウキウキしていた。私達チームは、ベルフェスタの『いかだレース』に出場することが決まったのだ。何でいかだを作るかというと「ゴミ」。大和川のゴミだ。
  大和川というと汚ない川と頭に浮かぶ。けれども『私達の大和川』なのだ。そりゃあ、ゴミを拾う。なんていい気はしないのは、当たり前であろう。そうこう考えているうちに、その日が来てしまった。
  私達11人は、大和川の汚なさに 然とした。空きカンなどはもちろん、馬鹿でかいタイア、バイクなどが捨ててあった。水は黒くにごっていた。
  「・・・・・。」みな言葉をなくした。川ではなくドブのようだった。1番最初に動きだしたのは、私より2つ上のお兄さんだった。するどく光る、あぶないガラスなどを川に入って拾ろってくれた。私達はそれにつづいた。つり針が流れてきたりもした。私はつりをするのだが、さっと頭にその光景が流れた。
「はりや糸は、あのあとどうしたっけ?」もしかするとこの針は、私の針かもしれない。自分が自分でなさけなかった。
  夕ぐれ。目に見える場所は、だいぶかたづいた。もう、そのころには大和川の美化が嫌な事なんて思わなかった。私達の町が、「よりいっそう きを増した。」と思うとうれしかった。
  町中では、ごみをポイポイ捨てる人がいる。けれどもだれかが捨てる時、だれかがゴミをひろっている。だれかがひろわなくてはならない。このことを本当に世界中の人が気付けば、もっと世界は やけると思う。


<大和川工事事務所長賞>

「ぼくの創った大和川」

川西町立結崎小学校 5年

 ぼくは、この夏「アユの住める大和川に」というテーマで研究をしてきた。まず、初めに大和川の見学をした。その日は、雨だった。大和川には、たいりょうのゴミが流れていた。ぼくは、すごくショックをうけた。「なぜこの大和川にゴミをすてるんだ。自分たちからどうしてきれいにしようと思わないんだ。」次に大和川の写真をとった。そこには、見られるとはずかしいような川がうつっていた。その次に、町の役場とそが川じょうかしせつにも行ってみた。そこで、ぼくがほしかった資料をたくさんもらうことができた。もらった中に大和川に住む生き物というものがあった。そこには、野鳥やこん虫や魚のことがのっていた。魚のところを読んでいると、そこには、しんじられないことが書いてあった。それは、何かというと大さかに入ってからの大和川にアユが住んでいると書いてあったのだ。でもこの資料を見てこう思った。ぼくが住んでいるのは、奈良県しきぐんの川西町だ。でもアユが住んでいるのは、大さかに入ってからの大和川なのでここらへんには、住んでいないのだ。
  このままではいけない。アユの住める川にしなくては。これがぼくの夢なのだ。アユがたくさんおよいでいて、子どもたちが楽しく遊んでいる。大和川は、しょう来こんな川になってほしい。
  川の水をきれいにして、アユが住めるようにするのは、ぼくのやくめなんだ。ぼくは、これからも大和川の水を研究して、アユがいっぱいおよいでいるみんなの大好きな大和川を創っていきたいと思った。