2002年の入賞作品

作文部門2

<大和川工事事務所長賞>

「大和川」

 
柏原市立玉手中学校3年

 僕たち、柏原市に住む者にとって川と言えば大和川しか思い浮かべられない。昔から、僕たちのそばで、流れ続けている。大きく長く強い川だ。しかし、年々この流れは汚れ、きたなくなっている。今では、日本で2番目にきたないそうだ。なぜ、そこまできたなくなってしまったのだろう。ぼくは、不思議に思う。
  ところで、ある日僕は、自転車に乗った中学生ぐらいの少年たちを河川じきで見かけた。あの少年たちは、花火をしていたのだろう。その楽しそうな声がまわりに飛んでいた。とても明るく光っていた。そろそろ終わったのだろう。みんなそろって帰りだした。
「えっ・・・」
あの、つもっているゴミはどうするのだろう。あの空き缶はどうするのだろう。あいつらは捨てていくのか。予感どうり、ゴミはそのままその場所に置いてあった。
「なんてやつらだ。」
外から見ていた感想はこれだ。しかし、あの中学生たちはどうだろう。どうせ、何も考えていないのだろう。大和川のことなんて。川の大切さをわかっていないのであろう。実を言うと、これは去年の僕の姿である。こうして、花火をし、ゴミを捨てなかった僕たちの姿だ。中学生たち、僕らは楽だ。けれど、大和川にとって重い重いゴミだ。
  大和川は、毎年汚れていく。ゴミが増え、橋の下には落書き。大和川は泣いているだろう。そんなことを考えながら、僕は今日、河川じきで花火のゴミを拾った。

<大和川工事事務所長賞>

「大和川を見て思ったこと」

堺市立新浅香山小学校4年

 私の家の近くにある、大和川は、とてもきたない川です。川のまわりも、ゴミでいっぱいです。私の学校の4年生はまちをきれいにしようと思って、クリーン作戦をおこなっています。だいたいはきれいになりましたが、まだ、大和川の近くに、ゴミをすてる人がいるから、すぐきたなくなってしまう。どうして川の近くとかにゴミをすてるのだろう。初めのクリーン作戦では、ゴミぶくろが、10まいあってもたりないぐらいだった。しかも一番多いゴミは、大人のすった、「タバコ」だった。二番目に多かったのは、「おかしのふくろ」と「あきカン」だった。三番目は、「花火」だった。
  どうしてみんなは、ゴミをすてるのだろう。それだけは、どうしてもわからない。いろいろ思いついたときもあった。「めんどくさいから?」ちがう!それとも、「道がゴミ箱だと思ってるの?」ちがう!私は、人間はそんなに悪いやつじゃないと思う。だれにでも、心がある。心、全部が、悪いって事ないと思う。人間は、だれでも、ちょっとは、やさしい所があると思う。ぎゃくに、すっごくやさしい人でも、悪い所があれば、それを、なおしていけばいい。川、いやまち、いや地球を大切にしてほしい。
  この前、私は、近所の人たちと一しょに花火をしました。もちろん、私たちの花火のゴミはもってかえりました。花火をしてるとちゅうに、まわりを見わたしたら、川はさすがに、もうにごってるから、にごったまんまだったけど、川のまわりは、あまりゴミはなかった。その時は、すごく、うれしかった。その日は、風が強かったから、花火にあまり火がつかなくて、がんばってたら、ビニールぶくろから、花火のゴミが出て、とんでいってしまった。とりにいこうとしたら、また風がふいて、川の中へ入っていってしまった。これで、川の中にあるゴミの半分くらいは、風でとんで入ったのかな?と思った。でもあまりとばないようにしてほしい。私もこれからは、きをつけるから、だから、・・・地球を大切にしてほしい。


<大和川工事事務所長賞>

「大和川と下水道」

柏原市立堅下南小学校5年

 わたしは、小さいころからよく大和川を見ていましたが、あわが流れてきても、きたないなぁと思うだけでした。でも四年生で大和川を勉強して、そのきたなさがワースト1だということがわかった時は、すごくおどろきました。
  夏休み、いなかに行って上流の川を見ると、とてもきれいで、大和川とは比べものになりませんでした。
  大阪に帰ってきて、大和川は、なぜあんなにきたないのだろうと考えていると、ふと思い出した事がありました。わたしの家のすじは、どこも、まだ下水道が通っていません。だから、洗たくの水も、食器を洗った後の水も、お風呂の水も、全部みぞを通って大和川に流れて行ってしまうのです。これを友達に話すと、とてもびっくりされたほどです。そのことを思い出してからは、お風呂洗いや食器洗いの洗ざいを、なるべく少なく使うようにしています。
  一度、洗ざいのポンプがきちんと閉まっていなかったことがあり、手に持ったとたん横だおしになって、中の洗ざいが四分の一くらい出てしまったことがあります。
「やってしまった。また一だんと大和川がきたなくなってしまった。」
と反省をして、以後、気を付けるようにしています。
  最近、下水道工事が進み、わたしの家の近くまで来ました。まだ少し遠いようですが、とてもうれしく思います。一日も早く来てくれるようにと首を長くして待っています。


<大和川工事事務所長賞>

「大和川のためにできること」

奈良市立佐保川小学校4年

 私は昨年、大和川水かんきょう調さたいにさんかして、大和川がとてもよごれていることを知り、ショックを受けました。今年は、川のよごれの一番の原因(家から出るよごれ)をさぐる「エコクッキングこうざ」にさんかして、さらに大和川について考えてみることにしました。
  ゴミをへらし水をよごさない工夫をしながらクッキングしたのと、何も考えないでクッキングしたのとでは、すごいちがいが出ました。特にびっくりしたのは、よごれた水のりょうのちがいです。色々工夫したグループは8リットルくらいですんだ洗い物が、工夫をしなかった方では100リットル以上もの水を使ってしまったことです。食器のよごれをふき取ってから洗ったり、あまり洗ざいを使わずアクリルたわしを使ってよごれを落としたりすると、川に流れていくよごれた水のりょうが、ずい分少なくなります。私たちがふだん何気なく流している食器の残り物は、川をよごす大きな原因になっていることがよくわかりました。例えば、コップ1ぱいの牛にゅうを川に流した場合、その水に魚が住めるようにするためには、おふろ9はい分もの水が必要です。なべ1ぱいの油などは、なんと330ぱい分もの水が必要なのです。本当におどろきました。
  大和川をよごさないためには、家庭から出るよごれた水を、できるだけ少なくすることがぜっ対に必要です。自分一人くらいなら大丈夫という気持ちが、ますます川をよごしていくのです。私はエコクッキングを通して、毎日の生活の中で大和川のためにできることをたくさん見つけました。だからそのことをみんなにも知ってもらって、よごれた大和川をきれいな川に変えることができたらいいなあと思いました。大和川をよごすのもきれいにしていくのも、私たち人間なんだから。


<大和川工事事務所長賞>

「大和川を美しく」

大阪教育大学附属平野中学校1年

 私は、九月二十二日、関西放送のテレビで、「大和川の漁師たち」という番組をみました。
  それを見て、大和川は、一級河川の水質ワースト1だといわれているのに、漁を専業にしている人がいるということに驚きました。大和川では、シラスウナギ漁ができます。昔、もっと水がきれいだったときは、ウナギもとれたそうですが、今は稚魚のシラスウナギしかとれないそうです。シジミも、育たなくなったといいます。しかし、これでも以前より水質はよくなったそうです。なにしろ、二、三年前は、川底を三十センチもほると、ヘドロだらけだったというのですから。
  今でも、水は汚れています。その原因のほとんどは、生活排水です。私は、夏休みに米のとぎ汁の科学的酸素消費量を調べました。とぎ汁一に対し、約千五百倍の真水を加えないと、魚の住める水質にはなりません。とぎ汁でさえそうなのだから、洗剤や油などがまじった生活排水など、すごい量の水がないと浄化されません。そんな汚染を川へ流せば、川の環境は悪化する一方です。だから、汚水を減らし、下水処理場で浄化してから川へ排水を流すようにしなければなりません。
  私の家の近くには、岩井川という大和川の支流が流れています。水量はとても少なく、岸にはありとあらゆるゴミが捨てられています。これも、水質悪化の一因なので、防止しなければなりません。
  私は、川へは絶対にゴミを捨てない、食器洗いや洗たくをするときは、洗剤の量を減らすなど、川を美しくするように心がけ、呼びかけていきたいと思います。
  川の流れは一見美しく見えても、水質は悪化していることもあります。生活環境を改善し守る意味からも大和川は私達にとって大きな目安となっているのです。


<大和川工事事務所長賞>

「大和川に出会った女の子」

桜井市立桜井中学校1年

 ブゥーンというエンジン音を響かせながら固められた道を進む車。その車の後部座席に座っているのは小さな女の子とお母さんです。女の子はどうも車がにがてのようで、さっきからあまりしゃべりません。お母さんはというとじっと窓の外を眺めています。ガタン、おや、どうやら橋に差し掛かったようです。下にはあまり流れのない大きな川が流れています。女の子が(わー、川だー。)と見ているとお母さんが、
「これが大和川か。ワーストワンの川やね。」
と言いました。
「わーすとわんってなに?」
小さな女の子がすかさず聞きます。
「一番汚い川って事や。」
お母さんが言いました。
「こうして見てるとそんなに汚い川に見えへんけどなぁ。」
お母さんが付け加えました。
「うーん。けどすごく汚れてるらしいよ。」
運転席でハンドルを握っていたお父さんが言いました。(えっ、そうなんや!)女の子は少しおどろきました。汚れている川をはじめて知ったからです。
  女の子のおじいちゃんおばあちゃんの家の近くにも川が流れていました。木もたくさんあります。そして、魚やカニやホタルなんかもたくさんいるのです。女の子はその川が大好きでいつも遊んでいました。だから女の子は川のことを楽しくて冷たくて美しいものだと考えていたのです。
  さて、それから何年か経ち、小さな女の子は中学生になりました。今でも女の子は川の事を考え続けています。人々の手によって、どこまで川がきれいになるだろうか。いや、川だけじゃなくて、人の心も美しくなっていくのではないか。そうだったら嬉しいなあ。川のゴミといっしょに汚れをなくし、汗といっしょに心の汚れも流してしまうのです。みんなが川を美しくしようと思えば、川もいつかきっと答えてくれるはずです。
  あの時、大和川と出会っていなければこんな事を考えられなかったでしょう。今度は川の水一滴が光り輝く大和川に会いたいものです。


<大和川工事事務所長賞>

「大和川について」

桜井市立桜井中学校2年

 夏休みになって家族で和歌山県の古座川へ、カヌーをしに行きました。上流でカヌーに乗り、古座川をくだりました。水がきれいで、底まですき通っていました。カヌーに乗るときに「ゴミは必ずゴールの所まで持って、帰ってください。」と、係りの人の注意がありました。みんなはあんまり川がきれいなので、よごしては、いけないと思ってゴミを捨てる人がいないのか、川岸にはゴミ一つ落ちていませんでした。
  夏休みの初めにお父さんと大和川に魚つりに行った川原とは大ちがいです。つりをする人の回りはペットボトルや弁当のからやスーパーの袋が散乱していました。そのゴミの中で釣りをしている人が何人かいました。それを見ていると、タバコを捨てビールの缶を無意識に捨てているようです。そのゴミが魚に悪い影響を与えて魚が少なくなっているのが、気がつかないようです。この人たちは、家でテレビを見ながらゴミを回りに捨てていないと思います。なのに川原では、へいきでゴミをすてられるのがふしぎでしかたありません。さいきん話題になっている多摩川に迷いこんだアゴヒゲアザラシのタマちゃんのニュースを見ていると日本で三番目に汚れている鶴見川にうつったと言っていました。みんなが、よごれた川にいるタマちゃんを心配していました。でも、もしも、日本で二番目によごれている大和川にタマちゃんが来たらどうなるでしょう。そんな事を考えながらみんなで川をそうじしたらすぐきれいになると思います。
  とてもかんたんな事です。○ゴミをへらす ○ゴミを捨てない ○ゴミを見つけたら拾う ○家庭の洗剤をへらして排水に気を使う。 たった、こんな事で大和川が泳いだり魚を取ったりカヌーができる川にすぐよみがえると思います。古座川に遊びに行く人も大和川に遊びに行く人もみんなきれいな川が好きなはずです。手おくれにならないうちにしっかりみんなで、考えましょう。


<大和川工事事務所長賞>

「奈良を支えた大和川」

王寺町立王寺南中学校1年

 大和川は、僕にとってふるさとの川です。その川が汚い川として全国的に有名だということは、とても残念です。
  この前、町の広報誌に、大和川が昔は水運でにぎわっていたという記事が載っていました。今の大和川からは想像できないことです。そこで、大和川の水運について調べてみました。
  大和川は古代から大阪と奈良を結ぶ通路として、さかんに利用されていました。柏原市の高井田にはゴンドラ舟と呼ばれる舟の壁画が残っています。また、聖徳太子が始めた遣隋使舟や大和川を行き来していたそうです。
  さらに、江戸時代には、大和川の水運は一層さかんになりました。王寺町の西部にある亀の瀬を境に、上流では「魚梁船(やなぶね)」、下流では「剣先船(けんさきぶね)」と呼ばれる川船がひんぱんに物資を運んでいたのです。
  この大和川の水運によって、王寺町の藤井や天理市の嘉幡などの港が開かれ、にぎわっていたそうです。なかでも、田原本町は「大和の大阪」と呼ばれるくらい栄えていたそうです。
  大和川は、古代から水運という重要な役割を果たし、奈良県の生活や産業を支え、盛んにしてきたということがわかりました。この大和川の水運は、鉄道が開通するまで行なわれていました。
  大和川はこんなにすばらしい歴史をもつ川なのです。言ってみれば、奈良や大阪の人間にとって大和川は恩人みたいなものです。そんな大和川を、全国でワースト2にランクされるほど汚れた川にしてしまったのも奈良や大阪の人間です。大和川に申し訳ないと思います。少しでもきれいな川にすることが、奈良や大阪の人間の義務だと思いました。