2003年の入賞作品

作文部門1

<大阪府知事賞>

「大和川について」

 
大阪市立矢田西中学校1年

 わたしが大和川に初めて来たのは、まだ4才くらいの時で、母と祖母に手をひかれて、川を見るというよりは、大和川にかかる橋の上を走る近鉄電車が、めあてでした。
  夕ぐれ前の土手の上で、ふみ切りのカンカンと鳴る音を聞きながら、赤い特急電車が、右に左に交差して去って行くのをあきずに、何度も見ていたそうです。
  大きくなるにつれて、あまり遊びに行くことは、なくなりましたが、小学校に入ると、学校ぐるみで、「大和川をきれいにしよう」という運動から生徒たちで、大和川の清掃をすることが、行事になりました。
  小雨の降る日や風の強い日は、こまかい、ほこりや小さな虫がとび交っていて、はえも顔にくっついたり、足もともぬれていて、本当に作業しにくいです。
  でも、集めたごみが、どんどんいっぱいになっていくと、やりがいを覚えます。
  台風や大雨の次の日に、大和川に行ってみると、流木やごみが、いっぱい浮かんでいて、にごった黄色い水が、水かさをまして、早いスピードで、ぐんぐん流れていました。
  この大和川は、大阪の東住吉区だけじゃなくて、堺市や柏原市など遠くまで旅をしていて、昔から大和川の流れと共に、くらしてきた町は、たくさんあります。
  もしも、この川が、無かったなら、どんなに、味けない景色になるか、想像もできません。とくに、阪和線の浅香駅は、見所です。
  柏原市など、電車の窓から川の土手をながめると、名産のぶどうの絵のタイルなどが、しきつめてあり、とてもかわいいです。
  川の流れは、町から町へと長い旅をして、鳥や魚や人々を楽しませて、生かせてくれているようです。わたしもそのひとりでしょう。
  わたしたちは、川の環境が、少しでも良いものになるように努力するべきと感じました。

<奈良県知事賞>

「みんなの力で」

桜井市立桜井西小学校2年

 ぼくがかよっていたようちえんのえんちょう先生は、初瀬川というところに住んでいました。そこは、やまと川のしりゅうです。しりゅうのはせ川は、とてもきれいなのになんでやまと川は、きたないのでしょう?
  それは、人げんがよごすからです。ぼくのかぞくはやまと川クリーンキャンペーンに3回さんかしたことがあります。そのおかげでかわったこと。兄ちゃんはボランティアでやまと川のそうじをしました。ぼくとおとうさんはたべものをのこさずたべます。兄ちゃんとぼくはえのぐやスミを水でながさんでかみでふきます。おかあさんはふろののこりゆでせんたくします。せんざいじゃないで、せっけんにします。油はごみにだします。よごれたさらはティッシュでふいてから、クリーンキャンペーンでもらったアクリルタワシだけであらいます。いもうとは、3さいなのでなんもやってませんが、ゆるしてね、やまと川。
  そしてかわらにバーベキューにいくときもざいりょうは、みんなきってタッパーにいれて、あとはやくだけにします。そしたらごみがでません。
  ぼくがいいたいのは、みんながちょっとずつどりょくすれば、やまと川もはせ川みたいにきれいになれるということです。
  やまと川のちかくのひとにも、はせ川みたいなきれいなやまと川をみせたいです。


<近畿地方整備局長賞>

「大和川ゴミレンジャーに参加して」

大阪市立田辺中学校1年

 僕は一ヵ月に一回、高校生の兄と共に、堺市側の阪堺電車大和川駅付近の土手のゴミを拾うボランティアに参加しています。病気になる前は、母も一緒にしていました。参加している人たちは、年齢もばらばらです。皆、黙々と決められた時間内でゴミを拾っていきます。最初、拾い出したときはいろんなゴミが沢山捨てられていることに大変驚きました。一人一人が気をつければ、こんなにも出るはずのないゴミの山。毎回、兄と競って、大漁旗印が出るくらいに集めます。他人が捨てたゴミを拾っていくうちに、ゴミたちの悲鳴が聞こえてきそうな気がします。捨てないで!!とまるで拾われるのを、今か今かと待っていたように、ゴミたちがサインを出してここだよ!ここに捨てられているんだよ!と言っているようにも思えます。ゴミをそのままにしていく大人たちは、どんな気持ちでほっていくのでしょうか?自分らで出したゴミを、片付けない大人たち。それを黙々と片付けていく大人ゴミレンジャーたち。まるで毎日いたちごっこのように、ゴミはなくなりません。哀しい現実です。シンガポールのようにゴミを出す人には、罰金を払わないとだめなようにしたら、ほかす人がなくなるかな。自分たちの家にはなるべく持ち帰りのゴミをおきたくないのなら、最初からゴミを出さない工夫をしてきたらいいのかもしれません。僕たちゴミレンジャーの存在がないと、この先、大和川の土手を歩けなくなってしまうかもしれません。一人一人が気を配って、皆に愛される川作りを積極的に考えてみて欲しいと思います。


<近畿地方整備局長賞>

「国のまほろばを流れる大和川」

王寺町立王寺小学校3年

 「大和は国のまほろば」ー意味はよくわかりませんが、とても美しいひびきです。
  お父さんに聞くと、
「昔、奈良には、飛鳥京・藤原京・平城京という三つも都があったんだよ」
と教えてくれました。また、聖徳太子さんも、大和川を通って、法隆寺から大阪の四天王寺へかよっていたそうです。
  そんな歴史のある大和川がよごれていくのは、とても悲しいことです。
  川原を歩くと、「川を美しく!」というかん板がたくさんたっていますが、そんなかん板があること自体が、はずかしいことだと思います。
  私の部屋も、少しかたづけをさぼっていると、あっという間にうんざりするじょうたいになります。何か、気持ちがきれてしまうのです。大和川も同じだと思います。少しでもゴミなんかがあると、どんどんよごれていくような気がします。
  でも、長い時間をかけてよごしてきたのだから、きれいにするのにも時間がかかることはしかたないことです。
  今の私には、水自体をきれいにすることはできませんが、せめて、ゴミを捨てないことや、川原を歩いていて気がついたら、ひとつでもゴミを拾うことはできます。
  あきらめないで、「大和は国のまほろば」という美しいひびきにはずかしくない大和川になってほしいと思います。
  川原には美しい花がいっぱい咲き、川には魚たちがいっぱい泳いでいる。そして、「川を美しく!」というかん板がひとつもない。そんな大和川になれば、なんてすてきなことでしょう。


<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>

「川のにおいがしたよ! 大和川」

大阪市立遠里小野小学校5年

 また、楽しい夏休みが来ました。私は、夏休みが大好きです。それは水と遊べるからです。毎年家族で、川にキャンプに行きます。夕方、セミの声がして川原で遊んでいると、水面に小さな魚が飛びはねています。そして、石のにおいや、木のにおいがしてきて、とっても楽しい気持ちになります。私の父は、水そうに大和川の魚をいっぱい育てています。私は父といっしょによく大和川に行っています。とった魚のバケツを持ったり自分であみでえびや小さい魚をすくいます。めずらしい魚をゲットした時はとてもラッキーです。川の中を歩いている時、私の好きな川のにおいがしてきました。「お父さん、川のにおいがする。」というと、父は、「ほんまやな。」と言って「ほんまに、大和川もきれいになったんやなー。」と笑っていました。私も、そう思いました。一年生、二年生、三年生、四年生の時よりもだんだん川の水がきれいになってると思います。でも、私は川原を歩いている時、とてもガッカリすることがあります。お兄さん、お姉さんの花火の燃えかすがあっちこっちに散らばっていることです。それを見ると、とってもさみしくなります。もっともっと大和川をきれいにしようという教育や、かん板が必要と思います。私は、六年生になったら大好きな川のにおいがしてくる大和川になるように、いのっています。そんなすてきな大和川の川風に顔から手までいっぱい、いっぱいふかれてみたいです。


<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>

「大和川 今昔」

河合町立河合第二中学校2年

 ふぁー。よく寝た。そろそろ朝かの?この頃だんだん水が濁ってきて、水の中からでは朝になったかどうかが分からんようになってしもうた。昔は水が澄んでいて、よう光が差し込んどったのに。
  少し腹が減ったのう。一昔前まではそこらじゅうにメダカが泳いどって、それをエサにしとったんじゃが、だんだん減ってきてもうこのあたりには一匹もおらんようになってもうた。レッド・データブックなどというけったいな名前の本にのせられとるそうじゃ。おかげで今ではエサをとるのも一苦労じゃ。いったいなんでおらんようになってしもうたんじゃろ?
  ん?なんやあの泡は?ああ。人間どもが使ってる石けんか。まだ川を汚していることがわからんのかな。
  あっ、今度はゴミが流れて来る。発泡スチロール・ペットボトル・カン・ビン・・・。次から次へとぎょうさん流れてきたわ。
  こらかなわん。水ん中に潜ろ。
  え。水の底こんなに汚かったっけな。いろんなもんが沈んどる。自転車まで沈んどるやないか。ここも上とあんまり大差ないわ。
  わしは百年近くここに住んどるが、毎年毎年だんだん汚くなってきとるわ。
  なんや上が騒がしいのう。なにやっとんやろ。
  ああ、なんや。いつも川に掃除に来てくれる子ども達か。よう来てくれんねんけど、いくら掃除してもすぐにゴミがたまって、らちがあかんのや。
  それにしても、一生懸命にゴミ拾いしてくれとるな。あの心のまま大人になってくれればええねんけどな。
  あの子らの祖父の代には、この水もきれいで、泳げるぐらいやったのにな。あの頃の水質に戻るのに、あと百数十年はかかりそうや。わしの生きとる間に戻ってほしいわ。あの子ども達だけじゃなく、一人でも多くの人間がわしらのことをわかってくれたらな。
  ゴミを捨てたり、汚い水を流す前に、一瞬でもいいから立ち止まって考える人間が少しずつでも増えていったらええのに。


<大和川河川事務所長賞>

「大和川について」

賢明学院中学校1年

 私は、大和川の事は、あまりよく知りませんでした。しかし、この作文を機会に、大和川の事を調べて見ると、おどろきました。どんな事におどろいたかと言うと、大和川の最初の流れ、つまり源流は、道ばたの溝の中を流れているとは、知りませんでした。大和川源流は、道沿いに南下し、少しずつ流れを太くしていきます。時には、河床に生き茂った草に吹いつくされ、水が無くなったりしながら、桜井市を目指しています。こんなに細くて少量の水があの大きな川になるなんて本当にびっくりです。
  中流域になる金剛・生駒山地を流れる横谷で亀の瀬峡谷という所では、今だに地すべり地帯で、昔から大きな被害を出してきたそうです。現代でも、延々と、地すべり対策工事が行われている所になっています。その上水も汚れドブ臭い匂いまでするそうです。峡谷といえば美しい眺めを想像しますが、岸辺の木には大ぶりの白い花が咲いており、なんとそれは、ほんとうの花ではなく、上流から流されてきたビニール袋がひっかかって垂れ下がっているのです。見た目も、もちろん悪くいったい川に住む生き物たちへの影響は、どんなものだろうと考えると、ぞっとします。下流は、中流よりも汚く、普通に、ペットボトルや、ゴミが流れています。それでは、当然、魚や、生物は住めません。しかも、そのゴミやペットボトルが、そのまま大阪湾に流れ込んでいます。これでは、大和川どころか海までもが、汚れてしまうのは当然です。私たちは、これ以上、川や海を汚さなくする為に、出来る事は、何があるでしょう?それは私たち一人一人が、まずゴミは決められた所に捨てるというごく簡単な、あたり前の事から、始める事だと思います。そこから、スタートする事が、もっとも大事なことだと、私は、思います。大和川を美しくしたいです。


<大和川河川事務所長賞>

「美しくしたい大和川」

堺市立浅香山小学校4年

 ぼくは、よく大和川に行きます。それは、虫とりをするためです。セミやバッタがたくさんいます。ぼくの父は、子どもの頃、よくザリガニや小魚をとりに行っていたそうです。
  川で遊んでいると、よくぶたやニワトリの死がいが流れてきたと言っていました。
  家ちくが死ぬと、そのまま大和川にすてていた飼主がいたからです。
  ぼくは、父からこの話を聞いたとき、とても気味悪く思いました。ぼくがいつも見ている大和川に家ちくの死がいが流れてくるなんて想像もつきません。でも、父の子どもの頃はそれが当たり前だったのです。死がいだけでなく、いろいろなゴミも流れてきたと聞きました。でも、その後法りつができ、今はもう死がいは流れてきません。ところが、ごみはまだたくさん残っています。川の中だけでなくまわりの公園などにも、空きかんやたばこのすいがらがよく落ちています。どうしてみんなゴミを平気ですてるのだろうか。ひとりひとりがもっと気をつければ、ゴミはへるはずなのに。そうすれば、川の水だってもっときれいになると思います。
  父は、昔よりはきれいになったと言いますが、
「本当に昔よりきれいになったのかなぁ。」
とぼくは思いました。
  なぜなら、大和川は日本にある川の中で汚い川として有名だからです。自分の住んでいる町に流れる川がそんなことで有名になるのはいやです。
  できることなら、美しい川として有名になってほしいです。そのためにも、みんなの協力が必要だと思います。ぼくも、できることからがんばって、大和川が少しでも美しい川になるようにしていきたいです。そして、自分が大人になって子どもが生まれたら、いつかその子どもと一緒に美しくなった大和川で遊べたらいいなと思います。


<大和川河川事務所長賞>

「やまとがわ」

大阪市立瓜破西小学校1年

 わたしのいえは、やまとがわのちかくにあります。だから、いつもおとうさんやおかあさんといっしょにさんぽにいきます。
  やまとがわには、とりがたくさんいます。はとや、しろいおおきいとりが、たのしそうにとんでいます。
  このまえ、おじいちゃんとおばあちゃんがとまりにきたとき、ポップコーンをもってやまとがわにあそびにいきました。はとがすぐにたくさんあつまってきました。くろいはとがおばあちゃんのてに、のってきました。あっというまにポップコーンはなくなりました。
  やまとがわには、いぬのさんぽのひとやあるいているひとや、はしっているひとがたくさんいます。
  でも、たくさんあめがふったあとに、やまとがわにいくとかわのみずがいっぱいになっています。ながれもはやくなっていて、みているとこわくなってきました。みずもどろのいろになって、いろんなものがながれていました。とりもいなくなっていました。
  でも、おてんきがつづくとすぐにもとのやまとがわにもどります。そして、とりもかえってきます。
  わたしは、もっとやまとがわがきれいになったらいいとおもいます。そしたら、もっとたくさんのひとや、とりがくるとおもいます。


<大和川河川事務所長賞>

「みんなにつたえたいやまと川」

大阪市立遠里小野小学校2年

 ぼくは、お父さんやきんじょのおっちゃんと、ときどきやまと川へ行きます。
  やまと川にいるバッタやふなやおたまじゃくしや、こいやエビやハゼのなかまなど、みんなめずらしいです。とくにやまと川にいるおたまじゃくしは、ふつうとちがって、大きいです。ぼくは、そのおたまじゃくしを、やまと川のちょっとおくのほうで、ものをよけて見つけました。ぼくはそのおたまじゃくしをつかまえてかいました。すごくでかくなりました。でもやまと川は、みんながあきかんやゴミをすてるからきたないです。ゴミがあったらさかなが見えにくいです。だからすてないでほしいです。ぼくも、ぜったいにすてません。
  それと、やまと川はならのほうにつながっているから、ときどき、なみがきたりみずがふかくなります。でも虫やいきものがしあわせにくらせているから、いいです。
  テトラポットの上では黄色いトカゲやカメがいます。ほかにはときどき、うみへびがでてきます。それからカメがたまごをうみにきたりします。夕方になるととんぼもでてきます。そんなやまと川がぼくは大すきです。