2005年の入賞作品

作文部門1

<大阪府知事賞>

「やっぱりいいよね大和川」

大阪市立瓜破西小学校3年

 私の通っている、瓜わり西小学校の校歌は、「みどりあふれる大和川」と言う歌詞から始まっています。たぶん学校の全員が大和川に行ったことがあると思います。それぐらい近くに大和川があります。
  でもこのコンクールで賞をもらうまでは、上流がとってもきれいだと言う事をしりませんでした。
  それで今年の夏休み、お父さんとお母さんとお姉ちゃんと私で、上流たん検に行く事になりました。お父さんは、車のナビを、初瀬ダムにあわせて出発です。お父さんは、できるだけ大和川が見えるように、川にそって上流に向かいました。と中では、テニスコートでテニスしている人や野球をしている人やバーベキューをしている人や、犬のさん歩や走っている人がいました。みんなとっても楽しそうでした。そして川のと中には、川をきれいにする瀬と淵じょう化しせつもありました。
  上流に向かうにしたがって川のはばがどんどんせまくなっていきました。道もせまくなり、家も少なくなってきた道をどんどん行くと、コンクリートで出来たとっても大きな壁が見えてきました。お父さんが「やっとダムに着いた。」と言いました。私たちは車からおりて、ダムに水がいっぱいたまっているのを見ました。この水が私の住んでいる瓜わりにも流れていくのだと思うと、なにかとてもふしぎなきもちでした。お父さんが、「いける所まで行こう。」と言って車を走らせました。大和川は、川と言えないぐらいせまくなってきました。と中車からおりて川の中に入りました。水はとってもきれいで、すきとおっていて、つめたかったです。とうとうナビから大和川がきえました。上流たん検の終わりです。
  やっぱりいいよね大和川。
  今日も楽しかったよ。ありがとう大和川。

<奈良県知事賞>

「わたし、おこってます。」

大和高田市立菅原小学校2年

 わたしは、いまとってもおこっているのです。 「なんで、こんなに自ぜんがよごれてしまったのかしら?」と、いうことをです。
  ある日よう日の朝のことでした。
  春をさがしに、かぞくみんなで大和川へ出かけました。
  ぽかぽかとした太ようの下で、タンポポやれんげ草をつんであそんでいました。

 かごの中は、いろんな草花でみるみるうちに春が一ぱいになり、すごくたのしいでした。土手をどんどんおりていったわたしは、たくさんの空きかんや空きビン、それに、ビニールぶくろなどのゴミが、あたりまえのように、あちこちにすててあるのを見つけました。「ねぇ、お母さん。何かふくろがあったらちょうだい!!」
  そのきたないのにたまりかねて、わたしは土手の上で、おとうとと草をつんでいるお母さんに思わず、そうさけんでいました。
  それからのしばらくは、かぞくそろってのゴミひろいのはじまりです。
  ながれている川の水もにごっていて、クサイのなんのって……。「これじゃ、お魚だってすめやしないわね。一体、だれがこんなに川をよごしたのかしら?」と、お母さんがいいました。わたしは、だんだんとハラが立ってきました。
  昔の人たちは、自ぜんと共に生きて、とくに川や水をたいせつにしてきたことを、本でよんだことがあります。
  このよごれた川の水は、どこに流れつくのでしょうか。このままでは、きっと川はダメになるかもしれないし、人間だって、いつかどうにかなってしまうことでしょう。
  かえり道で、お父さん・お母さん・おとうとと、今日のことをいろいろ話し合いました。 そして、ときどきは、みんなでゴミをそうじしに来ようときめたのです。
  だから、おねがいです。どうか川をよごさないでください。すべての生きもののために。そして、人間のみらいのために、大和川をよごさないでください。        おわり


<近畿地方整備局長賞>

「やっぱりいいよね大和川」

柏原市立堅下南小学校5年

 ぼくは、三年生の時に、大和川は、百四の川の中で一番きたない川だとしって、びょうきにかかったと思いました。それは、4・5才の時に、おぼえてないけど、大和川で遊んでて、のどが、かわいたから大和川の水をのんでいるとお姉ちゃんに聞きました。でも、びょうきにかかってなくてよかったです。でも、大和川も、悪いとこばっかりじゃなくて、いい部分もあります。一つは、ジャングルごっこです。もし、服が、よごれたら、大和川のきれいな水がとれる所で、くんできて、その場であらえます。それに、洗っただけでは、びしょびしょなので、ほすとこは、木です。大和川の近くには、木があるのでそこでふくをほしてかわかせます。これが二つめです。これで大和川で、遊べます。三つめは、はなびです。大和川でやったらもっと、きたなくなるので、大和川の水をくんで、はなびをしたら、水道だいが節約できます。これが、三つめです。こんなに、いい川なのに、なんできたないんだろう。ぼくは、油ものとか、みそ汁とかは、ティッシュでふいてるのに、やっぱり一人一人ががんばったら大和川もきれいになると思うのに、大和川がきれいじゃなくてもいいと思っている人の方が、多いんだと思います。ぼくは大和川がきれいだったら友だちと川遊びが、できるから、コツコツがんばっていこうと思います。大和川が、きたないと、知らない人に知ってほしいです。


<近畿地方整備局長賞>

「金魚がつなぐ大和川」

橿原市立畝傍東小学校3年

 ガタンゴトンガタンゴトン。大さかへ行く電車にのっていると中、大きなはしをわたった。
「これ、大和川やで。」
お母さんとおばあちゃんが教えてくれた。
「えっ、ほんま?。」
と、ぼくと弟は、まどガラスに顔をへばりつけた。思っていたより、きたなくなかった。ぼくが思っていた大和川は、向こうぎしまでとおくて、プカプカとゴミがういていそうな川だった。
  ぼくがすんでいるのは、なら県のかし原市という所だ。ぼくの家の近くには、いくつかのあまり大きくない川がながれている。大さかから帰ってきて、ぼくは地図帳を見た。そが川、あすか川、寺川などが集まって大和川になっていた。ぼくが電車の中から見たのは、大和川となってすぐの所だったようだ。川は、スタートからゴールまでいろんなすがたがあるんだなあ。ぼくが思っていたのは、ゴールのあたりの大和川だったのかなあ。ぼくは思った。大さかのみんなは、スタートの大和川を知ってくれているかな。ぼくが小さいころから、おじいちゃんとさん歩に行く寺川は、かめがいて、かるがもの親子がいる。大さかのみんなに、大和川のスタートのことも知ってほしいな。
  ぼくは、夏のおわりに、祭りですくった金魚を寺川ににがす。その金魚が寺川をがんばって泳いで、大和川までたどりついて、大さかのみんなの所へついてほしい。
  金魚が、スタートのぼくたちとゴールのみんなをつないでくれればうれしいな。


<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>

「カタピー」

大阪市立南住吉小学校3年

 カタピーはわたしが五月の土曜日に大和川の土手でつかまえたかたつむりの名前です。お父さんとポケモンごっこをしている時ふくらんでいるかれはがありました。めくると、へんな物がついていました。お父さんに見せるとかたつむりだと言いました。はじめて見たのでかわいかったけどさわるのはちょっとむりでした。
  わたしの知っている大和川は大きくてちょっときたない川です。日本で一番きたない川だということを聞いたことがあります。そこにかたつむりがいた時はびっくりしました。
  わたしたちは家でかうことにしました。カタピーという名前を妹とつけました。カタピーをビンに入れてベランダでかい、えさは、キャベツなどをあげました。
  2週間ぐらいするとカタピーのようすがへんになってきました。その時のカタピーの気もちは「また緑の草の上を歩きたいな」だと思いました。お父さんと妹とわたしで大和川の土手の下ににがしました。カタピーはわたしが思ってたのと同じようにゆっくり動きはじめました。カタピーをそこにおいて帰りました。さみしかったです。でもその時のカタピーは「また緑の草の上を歩けてうれしいな。走りまわりたくなるほど広いな。なつかしいな。きもちいいな。」だったと思います。まわりを見わたすと、むらさき色の花さき、ありが歩いていたりばったがとんでいました。そして大和川は、よろこんでいるように、流れていました。
  わたしは今でも大和川でカタピーが元気でいてほしいです。


<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>

「大和川は水のリレー」

天理市立前裁小学校2年

 ぼくのすんでいる、奈良県の奈良ぼん地は、小さな川がたくさん集まって、大和川というひとつの大きな川になって大阪へ流れています。
  今年は、つゆに雨があまりふらなかったので、じょう化センターのプールが、夏休みになっても開かれませんでした。
  家の中では、いつものように水道から水が出ているのに、奈良県の全体では水が足りな

いからだとお母さんに教えてもらいました。
  それから、ぼくは、お母さんとインターネットを使ってしらべました。川の水は、家の水道の水だけではなくて、田んぼや畑や工場のいろいろな所で使われていて、すべての人たちにとって、とても大切なものだとわかりました。
  手を洗ったり、料理やトイレで使った水は、よごれてしまいます。その水をそのまま川に流してしまうと、よごれた川になってしまうので、プールの近くのじょう化センターできれいな水にもどしてから川に流すことも教えてもらいました。
  大和川も大阪に流れていくと、ぜんぶの川の一番目か二番目によごれている川になってしまうと聞きました。だから、小さな川の近くですんでいる人も、大きくなった川の近くですんでいる人も、いっしょになって川をきれいにしなければいけません。
  きれいな水を使った人は、次に水を使う人のために、水をきれいにして返さなくてはいけないと思いました。一人できれいな水にもどせなければ、みんなで協力してきれいな水にもどさないといけないと思いました。
  ぼくは、きれいな川のリレーをすれば、大和川は、今よりももっときれいな水の流れる川になると思いました。                           おわり


<大和川河川事務所長賞>

「大和川」

大阪狭山市立南中学校3年

 大和川は奈良県の北部、笠置山脈から大阪府の中央を流れて大阪湾に注ぐ長さ六八キロメートルの一級河川です。
  大和川は、今は高い土手に囲まれて洪水の心配もなくゆうゆうと流れていますが、昔は淀川と合流して水害が激しく村の庄屋の中甚兵衛や

江戸幕府の河村瑞賢らの努力によって、苦労に苦労を重ね出来上がった川です。掘り起こした土を利用して綿を作り商業を発展させました。
  堺市では川の流れに沿った浅香山に、水源池があり川の水をくみ上げて市民の生活に役立てています。水源池は、ツツジの名所で開花期になると一般公開され大勢が花見に来ます。
  祖母は浅香山に住んでいて、春になると土手にはツクシ、タンポポ、畑にはレンゲ草が一面に咲いて川遊びもでき、アメンボウや水すまし、エビ、カニ、糸ウナギなども取れたそうです。戦争が激しくなると、川には付近に建物がないので土手が一番安全な避難場所でした。警戒警報が鳴ると、近所の人達と一斉に土手に向かって走りました。
  昭和二十年七月十日午前一時半に米軍のB29が侵入し、照明弾を落とすと真昼間のように明るくなり、アルミ箔のようなものがヒラヒラ落ちてきてまるで花火を見ているようだったそうです。
  編隊は、頭の上を通って南の方へ飛び去りやれやれと思った。瞬間焼囲弾が雨あられのように降って来て雷が十も二十も落ちたような音がして、南の空が真っ赤に燃え上がりました。堺の中心部が火の海となり全焼してしまいました。
  大和川は、今も変わらず、流れています。人間の歴史を見ているかのように流れています。


<大和川河川事務所長賞>

「大和川が泣いたその日から」

松原市立松原第二中学校2年

 日本の汚い川第二位、大和川。大和川は昔から、こんなにも汚かったのだろうか。私は大和川が汚くなり始めたのは、ここ何年間の間のことなのではないだろうか、と考えている。これほどまでに川を汚くした理由は、私は大きく分けて、二つあると思う。まず、一つ目に、ごみのポイ捨て。ジュースを飲んだ後の紙パックや空き缶など、探すとゴロゴロ出てきそうだ。自分の物ぐらい自分でどうにかしろとよく聞くが、今はそれができない人が、どうも増えてきているのではないだろうか。
「これ一つぐらいだったらいいだろう。」
  そうして、ごみはどんどん増えていくということを、ちゃんと分っていてほしい。そして、二つ目は、ご飯などの食べ残し。ご飯に、みそ汁が出て、それを残すとする。そうすると、その残したみそ汁を流しに捨てて、最終的には川に流れてくる。そして、その汚れた川を、もとのきれいな川に戻そうとすると、みそ汁のおわん何百倍もの水が必要になる。こうなってくると、「たかがおわん一杯のみそ汁」どころではくなってくる。その一杯のみそ汁をちゃん飲めば、川は汚くならずに済むのだ。結局、川を汚しているのは全部人間だ。一人一人が気を付けていれば、こんなことにはならなかっただろう。その一つのごみを捨てない、その一杯を残さない、そういう、当たり前のことが大切なのだ。その当たり前のことを続けていくうちに、大和川はもとの姿を取り戻し、いつしか元気な笑顔を見せてくれるだろう。その笑顔が見れる時が来るまで、私は川を大切にしていこうと思います。


<大和川河川事務所長賞>

「ぼくの好きな大和川」

大阪市立遠里小野小学校4年

 九州のおばあちゃんの家のそばには、小さな川が流れています。その川には、さわがにやどんこなどの生きものがたくさんいます。夏休みにいったときには、見れないけれど、夏の初めにはホタルがたくさん飛んでいるそうです。
  大和川は、そんな九州のおばあちゃんの家のそばの川とはちがうけれど、電車が走っていたり、広い川岸があったり、そしてなによりも電車や車のまどから見るけ色が好きです。
  夜時々、家族で堺の方まで車で買い物に行きます。大和川の橋をわたるとけ色がきれいです。夕日が川にうつるとすっごくきれいだし月が川にあたってもきれいです。おばあちゃんのところの川

では、木がいっぱいあるので大和川とちょっとけ色がちがいます。大和川のすぐそばには、木や高い建て物などがないので遠くの方まで見わたせます。いたみ空港にむかう飛行機がすこしずつ高さを低くしながら次々に飛んでくるのが見れます。多分ぼくもおばあちゃんの家から帰ってくる時にも大和川の近くを飛んでいるのだと思います。飛行機の中からだと大和川は、わからないけれど、大和川から見える飛行機を見てぼくもこんな感じで帰ってくるのだろうなと思いました。
  ぼくは、九州のおばあちゃんの家が好きです。そして、九州のおばあちゃんの家のことを思い出させてくれる大和川が大好きです。いつまでも今のままの大和川であってほしいと思います。


<大和川河川事務所長賞>

「きれいなすな」

大阪市立瓜破西小学校2年

 夏体みに、大阪市立自然史はくぶつ館に行きました。そこで、ワークショップ「のぞいてみようミクロの世界」に、さんかしました。
はじめに、二つのおさらに入ったすなを、
「さわってごらん。」
と、言われました。ざらざらした方と、さらさらした方がありました。つぎに、
「ルーペで見てごらん。」

と、言われました。わたしは、ざらざらした方が大きくて、さらさらした方が小さいと思いました。さいごに、けんびきょうで見ました。そしたら、大きい方のすなは、2cmぐらいのおおきさで黒色と白色と赤色がありました。小さい方のすなは、大きい方のすなの半分ぐらいの大きさで、ビー玉みたいにとう明でとてもきれいでした。わたしは、大きいすなが大和川のすなで、小さいすなが海のすなだと、教えてもらいました。
  わたしは、大和川のすなが海に行くまで岩にくだけてながれて行ってるから、海のすなに大和川のすながまざっているかもしれないと、わかりました。わたしは「大和川は、きたない。」と、思っていたけど、じつは「きれいなところもあるんだなぁ。」と、思いました。わたしは、すなのことを聞いて、「大和川が今までかくしていたんだなぁ。」と、思いました。