
作文部門
<大阪府知事賞>
「だいすき!やまとがわ」
大阪市立安立小学校 小学校1年
わたしのおとうさんは、うまれたときから、やまとがわのちかくのすみのえというところにすんでいます。おとうさんは、「おとうさんが、こどものときは、やまとがわは、きたないかわやった」と、おしえてくれました。なんで、きたないかわだったんだろうとおもいました。
それで、かぞくで、やまとがわにいってみました。いってみたら、きたないとおもっていたかわが、すごくきれいで、びっくりしました。さかなも、きもちよさそうにおよいでいて、びっくりしました。
ちがうかもしれないけど、かわがきたなかったのは、みんなが、ごみやぺっとぼとるやびにーるぶくろや、いろいろなごみをすてているからだとおもいます。
だけど、ごみをすてただけできたなくなるのかなとおもいました。それで、かぞくで、げすいどうかがくかんにいったときのせつめいのかみをだしてよんでみました。おうちからのきたないみずとかが、すてられていたからだとおもいました。
げすいどうかがくかんでは、きれいになったみずのなかで、きもちよさそうにおよいでいるさかなたちに、てでえさをあげました。わたしのてから、おいしそうにえさをたべてくれたので、うれしかったです。わたしのみたやまとがわとおなじきれいなみずでした。
それから、おうちのずかんで、かわのさかなをしらべてみました。とみよ、おやにらみ、いとよ、うきごりとかがのっていました。
おなじさかなが、やまとがわにもいるといいなとおもいました。わたしがおおきくなるころに、もっともっと、さかながいっぱいのやまとがわになるといいなとおもいました。
はしっているひとや、さんぽをしているひとも、きもちがいいとおもいます。
<奈良県知事賞>
「わたしたちの大和川」
王寺町立王寺小学校 小学校2年
わたしは、ほいく園のときに大和川にみんなであそびに行きました。
わたしは、ななみちゃんとらむちゃんとゆうりちゃんと、かめやさかな、シラサギなどいろいろな生きものを見ました。
いっぱいいたのは、かめでした。
あまりいなかったのは、魚でした。
なんであまり魚がいないんだろうと、ふしぎに思いました。
さかながいっぱいいる川はどんな川だろう。
ごみがなかったらきれいな川だと思います。
あと一つは水がかがやいていると、とてもきれいな川だと思います。
でも、大和川は、ごみがいっぱいでした。
だからみんなでひろってまたあそびました。
シラサギが三びききもいました。
石にのぼっていました。
かめが15ひき、こうらぼしをしていました。
おなかをいわにくっつけて、きもちよさそうでした。
かももいて、みんなでおよいでいるのがかわいかったです。
石をもちあげると、かにやざりがになどくっついていました。
赤ちゃんがにが、ちょっと歩くと、足をあげてとまり、また足をあげて歩くところが、おもしろかったです。
となりでは、そうくんが、ざりがにのからだをおもしろそうにつかんでとっていました。
わたしは、こわくてつかめませんでした。
またみんなであそびに来たいです。
つぎ、大和川にきたときは、きれいな川になっていてほしいと思います。
わたしも、おちているごみをひろったりして、すこしでも大和川が、きれいになったらいいなと思いました。
わたしは、ほいく園のときに大和川にみんなであそびに行きました。
わたしは、ななみちゃんとらむちゃんとゆうりちゃんと、かめやさかな、シラサギなどいろいろな生きものを見ました。
いっぱいいたのは、かめでした。
あまりいなかったのは、魚でした。
なんであまり魚がいないんだろうと、ふしぎに思いました。
さかながいっぱいいる川はどんな川だろう。
ごみがなかったらきれいな川だと思います。
あと一つは水がかがやいていると、とてもきれいな川だと思います。
でも、大和川は、ごみがいっぱいでした。
だからみんなでひろってまたあそびました。
シラサギが三びききもいました。
石にのぼっていました。
かめが15ひき、こうらぼしをしていました。
おなかをいわにくっつけて、きもちよさそうでした。
かももいて、みんなでおよいでいるのがかわいかったです。
石をもちあげると、かにやざりがになどくっついていました。
赤ちゃんがにが、ちょっと歩くと、足をあげてとまり、また足をあげて歩くところが、おもしろかったです。
となりでは、そうくんが、ざりがにのからだをおもしろそうにつかんでとっていました。
わたしは、こわくてつかめませんでした。
またみんなであそびに来たいです。
つぎ、大和川にきたときは、きれいな川になっていてほしいと思います。
わたしも、おちているごみをひろったりして、すこしでも大和川が、きれいになったらいいなと思いました。
<近畿地方整備局長賞>
「とびっきりの大和川」
堺市立さつき野中学校 中学校3年
母が大和川の話をしてくれました。母が子供の頃住んでいた堺市三宝地区には慰霊塔があり、よくその塔の周りで遊んでいたそうです。子供なりに母は慰霊塔の事を祖父に聞いたらしく、祖父の話では「昔、大和川の堤防が切れ洪水がおこり、多くの人達が亡くなったため慰霊塔が建てられたんやで。でも、昔はきれいな川だったからよく泳いで遊んだで。」と教えてもらったそうです。
私は大和川の事を少し調べてみる事にしました。大和川は、今の奈良県北部の奈良盆地のたくさんの川を集めて、大阪府に入ってきています。昔はその奈良県のことを「大和国(やまとのくに)」と呼びました。そこで、この川は「大和」のたくさんの川を集めて、一本の川になって流れ込んできたので「大和川」と呼ぶようになりました。大雨の時には、上流から流れてくる土砂などで川底の方が両側の田畑よりも高くなり、幾度と洪水による水害がおきました。そのため大和川は、付け替え工事を1704年2月27日からする事にしました。私は大和川の事を調べてみて、付け替え工事にたどりつくまでに五十年近い長い年月(としつき)をかけ、幕府に認めてもらう取り組みをした中(なか)甚兵衛(じんべえ)さんの苦労や、付け替えを願う村と迷惑する村の人々のふる里を愛する思い、機械がない時代での手作業による難しさと人々の知恵を知る事が出来ました。付け替え工事後においても、堺の浸水は五回もありました。成しとげても、それで永久的にすべてが解決するというわけではありません。また新しい問題点が出てきます。
現在の大和川は、生活排水による水質の悪化・川岸などに捨てられているさまざまなゴミ・人々の川に対する無関心。水害から守られるようになった分、川への関心が少なくなっています。300年前に苦労して作られた大和川です。大切にし、綺麗な川になるよう私たちも次世代に大和川の事を伝えていきたいと思います。
母が大和川の話をしてくれました。母が子供の頃住んでいた堺市三宝地区には慰霊塔があり、よくその塔の周りで遊んでいたそうです。子供なりに母は慰霊塔の事を祖父に聞いたらしく、祖父の話では「昔、大和川の堤防が切れ洪水がおこり、多くの人達が亡くなったため慰霊塔が建てられたんやで。でも、昔はきれいな川だったからよく泳いで遊んだで。」と教えてもらったそうです。
私は大和川の事を少し調べてみる事にしました。大和川は、今の奈良県北部の奈良盆地のたくさんの川を集めて、大阪府に入ってきています。昔はその奈良県のことを「大和国(やまとのくに)」と呼びました。そこで、この川は「大和」のたくさんの川を集めて、一本の川になって流れ込んできたので「大和川」と呼ぶようになりました。大雨の時には、上流から流れてくる土砂などで川底の方が両側の田畑よりも高くなり、幾度と洪水による水害がおきました。そのため大和川は、付け替え工事を1704年2月27日からする事にしました。私は大和川の事を調べてみて、付け替え工事にたどりつくまでに五十年近い長い年月(としつき)をかけ、幕府に認めてもらう取り組みをした中(なか)甚兵衛(じんべえ)さんの苦労や、付け替えを願う村と迷惑する村の人々のふる里を愛する思い、機械がない時代での手作業による難しさと人々の知恵を知る事が出来ました。付け替え工事後においても、堺の浸水は五回もありました。成しとげても、それで永久的にすべてが解決するというわけではありません。また新しい問題点が出てきます。
現在の大和川は、生活排水による水質の悪化・川岸などに捨てられているさまざまなゴミ・人々の川に対する無関心。水害から守られるようになった分、川への関心が少なくなっています。300年前に苦労して作られた大和川です。大切にし、綺麗な川になるよう私たちも次世代に大和川の事を伝えていきたいと思います。
<近畿地方整備局長賞>
「大和川について考えたこと」
葛城市立當麻小学校 小学校4年
私は、学校で社会の学習をするまで大和川の事は、名前しか知りませんでした。なので、大和川が日本で一位、二位をあらそうきたなさという事を知って、「えっ。」とおどろきました。
社会の学習で、40年ほど前までは工場で使った水や家のおふろやトイレの水などのよごれた水は、そのまま大和川に流されてよごれたことや、1970年から奈良県が下水道の仕事を始め、1974年に奈良県じょう化センターが作られ、家庭や、工場で使われてよごれた水を集めて、キレイにして大和川に流している事を勉強しました。
ですが、じょう化センターができたからといって、いくらでもよごれた水を流していいわけではないそうです。
クラスで私たちが、家でできる水をキレイにする工夫について話し合いました。食器洗いの洗ざいの量をへらす、アクリルタワシを使う、ごはんをのこさない、食器を洗う前にふき取るなどのいけんがでました。
まだまだ色々な工夫はありますが、そんな工夫をする事で、大和川は水遊びのできるキレイな川になると思います。
私は今年の夏休みの宿題で大和川のポスターをかきました。大和川にホタルが来ている様子をかきました。
私たち一人一人が大和川をキレイにする努力をしつづければ、いつか、水遊びができるキレイな川になって、ホタルも私がかいたポスターの様に飛んで来てくれたらいいなと思います。
私は、学校で社会の学習をするまで大和川の事は、名前しか知りませんでした。なので、大和川が日本で一位、二位をあらそうきたなさという事を知って、「えっ。」とおどろきました。
社会の学習で、40年ほど前までは工場で使った水や家のおふろやトイレの水などのよごれた水は、そのまま大和川に流されてよごれたことや、1970年から奈良県が下水道の仕事を始め、1974年に奈良県じょう化センターが作られ、家庭や、工場で使われてよごれた水を集めて、キレイにして大和川に流している事を勉強しました。
ですが、じょう化センターができたからといって、いくらでもよごれた水を流していいわけではないそうです。
クラスで私たちが、家でできる水をキレイにする工夫について話し合いました。食器洗いの洗ざいの量をへらす、アクリルタワシを使う、ごはんをのこさない、食器を洗う前にふき取るなどのいけんがでました。
まだまだ色々な工夫はありますが、そんな工夫をする事で、大和川は水遊びのできるキレイな川になると思います。
私は今年の夏休みの宿題で大和川のポスターをかきました。大和川にホタルが来ている様子をかきました。
私たち一人一人が大和川をキレイにする努力をしつづければ、いつか、水遊びができるキレイな川になって、ホタルも私がかいたポスターの様に飛んで来てくれたらいいなと思います。
<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>
「大和川の川の教室」
大阪市立安立小学校 小学校5年
今年の夏休みに、大和川の川の教室に参加しました。すごく暑かったけれど、大和川のそばに行くとすずしくて、気もち良かったです。私は、大和川の中の事は、ぜんぜんしらなかったので少しワクワクしました。大和川の魚の研究をしているボランティアの方々が、水そうにいろいろな魚を入れて、見せてくれました。その魚は、すべて大和川でとれた物だという事で、おどろきました。エビやフナなど、ウナギ、とってもおいしそうな魚たちが、こんな大阪にいるなんて思ってもみませんでした。魚とりをする時に、川が前より少しすき通ってきれいだったので、ジャボジャボと川の中に入っていきました。水の中は冷たくて、気持ちがまい上がり、魚とりに夢中になってしまいました。私のあみには、一ぴきもかかりませんでしたが、みんなで投げたアミは、みごとにエビやウナギ、なぜかミミズまでもかかっていました。私は、ミミズという事に気づかず、小さいウナギと思ってずっとさわっていました。事実を知り、ショックでした。
一緒に参加したお母さんは、「お母さんが子供のころ、大和川は、日本一きたない川と学校で習ったんやで。今はきれいになったなぁ。すごいなぁ。」と、感心して、大和川を見つめていました。私も、大和川の事は四年生で習ったし、ほんとに進化していっているなと感じました。今は、上流に鮎が来ているそうです。だから、もっともっと、私たちの手で大和川をきれいにしたいと思っています。前は、すごくゴミが多くて問題になっていけれど、たくさんの人の大和川への愛情が高まり、救ったんだと思います。私が大人になった時、大和川は、もっときれいな川に進化していることでしょう。これからの大和川が、楽しみです。
今年の夏休みに、大和川の川の教室に参加しました。すごく暑かったけれど、大和川のそばに行くとすずしくて、気もち良かったです。私は、大和川の中の事は、ぜんぜんしらなかったので少しワクワクしました。大和川の魚の研究をしているボランティアの方々が、水そうにいろいろな魚を入れて、見せてくれました。その魚は、すべて大和川でとれた物だという事で、おどろきました。エビやフナなど、ウナギ、とってもおいしそうな魚たちが、こんな大阪にいるなんて思ってもみませんでした。魚とりをする時に、川が前より少しすき通ってきれいだったので、ジャボジャボと川の中に入っていきました。水の中は冷たくて、気持ちがまい上がり、魚とりに夢中になってしまいました。私のあみには、一ぴきもかかりませんでしたが、みんなで投げたアミは、みごとにエビやウナギ、なぜかミミズまでもかかっていました。私は、ミミズという事に気づかず、小さいウナギと思ってずっとさわっていました。事実を知り、ショックでした。
一緒に参加したお母さんは、「お母さんが子供のころ、大和川は、日本一きたない川と学校で習ったんやで。今はきれいになったなぁ。すごいなぁ。」と、感心して、大和川を見つめていました。私も、大和川の事は四年生で習ったし、ほんとに進化していっているなと感じました。今は、上流に鮎が来ているそうです。だから、もっともっと、私たちの手で大和川をきれいにしたいと思っています。前は、すごくゴミが多くて問題になっていけれど、たくさんの人の大和川への愛情が高まり、救ったんだと思います。私が大人になった時、大和川は、もっときれいな川に進化していることでしょう。これからの大和川が、楽しみです。
<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>
「自然を大切にしよう。」
葛城市立當麻小学校 小学校4年
私は学校で大和川について勉強しました。一番心にのこった事は、一番きたない川ナンバー3という事です。
私の家では、料理に使った油はそのまますてずに、いらなくなった布にしみこませてゴミとしてすてています。せっけんや、せんざいはつけすぎないことや、水のむだ使いをなくすためにも、お米のとぎじるや、お風呂の残った水を花だんの水やりに使っています。自分が少し気をつけるだけでも、それをみんなが気をつけたら、すごい事だと思います。
浄水場の働きと仕組みの本を読んだ時に、水のたびを知りました。それは、川の水を浄水場できれいにして、家の水道におくられて行きます。家から出たきたない水は下水しょ理場できれいにされて川に流されます。川の水が海に行って、それがじょう発して、雲を作り雨がふります。山の土に雨の水がたまり、そのえいようたっぷりの水が流れていく。という事のくり返しです。
山の土に雨の水がたまっててくれるので、雨がふらない日があっても川の水はすぐになくならないのです。でも、山に水がたまるのには、木がたくさん育ってないとたまらないのです。
そこで私は気になる事がありました。それは、お泊まり会の時に、カレーを食べ終わったお皿を、水をよごさないようにティッシュでふいたことです。ティッシュは紙でできていて、その紙は木からできているので、ティッシュを使うと川にも悪くなるのでは?と思ったのです。
お母さんに聞いたら、「山や森は、木がたくさんあればいいのではなく、木が成長するために、木と木の間をあけて切るんだよ。その切られた木でわりばしとか紙を作っているから大じょうぶなんじゃないかな。」と、教えてくれました。
私はいろんな所で、いろんな働きがあるのだとわかりました。
川をきれいにするには、家で工夫する事も大切だけど山や川に行った時、必ずゴミを持って帰って自然をきれいにしないといけないんだと思いました。大和川もナンバー3より良くするために、自分の住んでいる自然も大切にしないといけないと思いました。
私は学校で大和川について勉強しました。一番心にのこった事は、一番きたない川ナンバー3という事です。
私の家では、料理に使った油はそのまますてずに、いらなくなった布にしみこませてゴミとしてすてています。せっけんや、せんざいはつけすぎないことや、水のむだ使いをなくすためにも、お米のとぎじるや、お風呂の残った水を花だんの水やりに使っています。自分が少し気をつけるだけでも、それをみんなが気をつけたら、すごい事だと思います。
浄水場の働きと仕組みの本を読んだ時に、水のたびを知りました。それは、川の水を浄水場できれいにして、家の水道におくられて行きます。家から出たきたない水は下水しょ理場できれいにされて川に流されます。川の水が海に行って、それがじょう発して、雲を作り雨がふります。山の土に雨の水がたまり、そのえいようたっぷりの水が流れていく。という事のくり返しです。
山の土に雨の水がたまっててくれるので、雨がふらない日があっても川の水はすぐになくならないのです。でも、山に水がたまるのには、木がたくさん育ってないとたまらないのです。
そこで私は気になる事がありました。それは、お泊まり会の時に、カレーを食べ終わったお皿を、水をよごさないようにティッシュでふいたことです。ティッシュは紙でできていて、その紙は木からできているので、ティッシュを使うと川にも悪くなるのでは?と思ったのです。
お母さんに聞いたら、「山や森は、木がたくさんあればいいのではなく、木が成長するために、木と木の間をあけて切るんだよ。その切られた木でわりばしとか紙を作っているから大じょうぶなんじゃないかな。」と、教えてくれました。
私はいろんな所で、いろんな働きがあるのだとわかりました。
川をきれいにするには、家で工夫する事も大切だけど山や川に行った時、必ずゴミを持って帰って自然をきれいにしないといけないんだと思いました。大和川もナンバー3より良くするために、自分の住んでいる自然も大切にしないといけないと思いました。
<大和川河川事務所長賞>
「とびっきりの大和川」
三郷町立三郷北小学校 小学校3年
8月12日、大和川に弟と、お母さんと、わたしで行きました。川はきれいでした。いつか全体がきれいになったらいいなと思いました。なぜ、全体がきれいになってほしいかというと、夏のあつい時に川であそべたらいいからです。でも、川だけが、きれいになっても、だめだと思います。なぜかというと、川がきれいでも、まわりもきれいじゃないと、きれいに見えないと思うからです。
なので、こんなんになったらいいと思います。
まず、三郷がわの草をぬいてほしいです。なぜかというと、草がはえすぎていて川を見ようとしても、草があるから、見えにくいと思います。次に、王寺がわの方は、草ははえていませんが、草ばっかりうえてあるので、お花をさかせてほしいです。お花をうえることで、明るく見えると思うからです。明るくなったら、川ももっともっときれいに見えると思います。
お父さんから聞いた話だと、おばあちゃんが子どものころはおよげるくらいきれいだったんですが、お父さんが、わたしくらいのころ、魚のしがいや、ごみがういていてにおいもくさくて近よれなかったそうです。
わたしは、おばあちゃんが子どものころみたいな、およげるくらいきれいになってほしいです。そのためには、どうしたらいいか考えてみて、思いついたことがあります。
みんなが、川にごみをすてなかったらいいと思います。ごみが出た時は、道や川にすてないで、家にもって帰ったら、川にも道にも落ちなくて、きれいになると思います。
これまで調べてきた中で思ったことは、おばあちゃんの時みたいなきれいな川でおよげるくらいになって、王寺がわにお花をさかせて、三郷がわの草をぬいて、りく地でもあそべたらもっともっとにぎやかになると思います。わたしは、友だちといっしょにあそびたいです。
8月12日、大和川に弟と、お母さんと、わたしで行きました。川はきれいでした。いつか全体がきれいになったらいいなと思いました。なぜ、全体がきれいになってほしいかというと、夏のあつい時に川であそべたらいいからです。でも、川だけが、きれいになっても、だめだと思います。なぜかというと、川がきれいでも、まわりもきれいじゃないと、きれいに見えないと思うからです。
なので、こんなんになったらいいと思います。
まず、三郷がわの草をぬいてほしいです。なぜかというと、草がはえすぎていて川を見ようとしても、草があるから、見えにくいと思います。次に、王寺がわの方は、草ははえていませんが、草ばっかりうえてあるので、お花をさかせてほしいです。お花をうえることで、明るく見えると思うからです。明るくなったら、川ももっともっときれいに見えると思います。
お父さんから聞いた話だと、おばあちゃんが子どものころはおよげるくらいきれいだったんですが、お父さんが、わたしくらいのころ、魚のしがいや、ごみがういていてにおいもくさくて近よれなかったそうです。
わたしは、おばあちゃんが子どものころみたいな、およげるくらいきれいになってほしいです。そのためには、どうしたらいいか考えてみて、思いついたことがあります。
みんなが、川にごみをすてなかったらいいと思います。ごみが出た時は、道や川にすてないで、家にもって帰ったら、川にも道にも落ちなくて、きれいになると思います。
これまで調べてきた中で思ったことは、おばあちゃんの時みたいなきれいな川でおよげるくらいになって、王寺がわにお花をさかせて、三郷がわの草をぬいて、りく地でもあそべたらもっともっとにぎやかになると思います。わたしは、友だちといっしょにあそびたいです。
<大和川河川事務所長賞>
「川をまもろう」
田原本町立北小学校 小学校2年
きょ年のふゆ、わたしは、あすか川せいそうキャンペーンにおかあさんと行きました。
あすか川は、大さかふやならけんをながれる大和川の一ぶです。
わたしは、ぐん手をして空きかんやおかしのゴミをひろいました。かんきせんや、ストーブやタイヤもすててありました。
ゴミをとったあと、フェンスについている草のつるをとりました。つるはながくてがんじょうでした。かたくてなかなかとれませんでした。
さいご、みちを歩いてかえると、フェンスもみちも川もとてもきれいになってきもちよかったです。みんなできょう力したから、きれいになったのだと思います。
大切なことは、まず、いらなくなったものやゴミをすてないことだと思いました。そして、よごれてしまったら、きょう力してそうじをすることだと思います。これからもみんなで川をまもりたいと思います。わたしは「川をまもろう」という目ひょうをめざして川をきれいにしていきたいです。
とびっきりの川は、きれいな水と魚がたくさんいる川、生きものがすんでいる川がいいなぁと思います。そして、近くにすんでいる人がきれいできもちいいなぁと思う川です。だから、みんなが「川をまもろう」というきもちになればいいなぁと思います。
きょ年のふゆ、わたしは、あすか川せいそうキャンペーンにおかあさんと行きました。
あすか川は、大さかふやならけんをながれる大和川の一ぶです。
わたしは、ぐん手をして空きかんやおかしのゴミをひろいました。かんきせんや、ストーブやタイヤもすててありました。
ゴミをとったあと、フェンスについている草のつるをとりました。つるはながくてがんじょうでした。かたくてなかなかとれませんでした。
さいご、みちを歩いてかえると、フェンスもみちも川もとてもきれいになってきもちよかったです。みんなできょう力したから、きれいになったのだと思います。
大切なことは、まず、いらなくなったものやゴミをすてないことだと思いました。そして、よごれてしまったら、きょう力してそうじをすることだと思います。これからもみんなで川をまもりたいと思います。わたしは「川をまもろう」という目ひょうをめざして川をきれいにしていきたいです。
とびっきりの川は、きれいな水と魚がたくさんいる川、生きものがすんでいる川がいいなぁと思います。そして、近くにすんでいる人がきれいできもちいいなぁと思う川です。だから、みんなが「川をまもろう」というきもちになればいいなぁと思います。
<大和川河川事務所長賞>
「石川上流に行って」
柏原市立国分東小学校 小学校3年
7月30日にやまと川水生生物調さ2011に、お父さんとさんかしました。
この日は朝からくもっていたので、あるかないか心ぱいでした。お父さんが電話で聞いてくれて、あると分かった時はとても楽しみにしていたのでうれしかったです。
石川上流まで1時間ぐらいかかりました。
川はとてもキレイでした。水もつめたかったです。ぼくは、川でサワガニと、アメンボをつかまえました。谷先生に見せたら、オオアメンボと教えてくれました。サワガニは、とてもキレイなところにしかいないと聞きました。1時間ぐらい水の中で生き物をさがしました。ほかの人もたくさんの生き物をとっていました。とても楽しかったです。また行きたいです。
帰りに玉手の水道きょくの所で、お父さんから、「さっきの川とつながっているよ。」と聞きました。
川の色は、ぜんぜんちがいました。ここには、サワガニはいないと思いました。谷先生からきれいな水の所にしかいないと聞いたからです。
石川上流から玉手までの生活はい水や工場から流されたきたない水や、ゴミのせいだと思います。みんなが川にゴミなどをすてなかったら、玉手にもサワガニなどの生き物を見つけられると思います。
谷先生が、「食べ物などをのこしたりすると、川がきたなくなる。」と言っていました。ぼくは、食べ物をのこさず食べようと思います。
そして、友だちにこのことを教えようと思います。そしたら川がキレイになると思うからです。
7月30日にやまと川水生生物調さ2011に、お父さんとさんかしました。
この日は朝からくもっていたので、あるかないか心ぱいでした。お父さんが電話で聞いてくれて、あると分かった時はとても楽しみにしていたのでうれしかったです。
石川上流まで1時間ぐらいかかりました。
川はとてもキレイでした。水もつめたかったです。ぼくは、川でサワガニと、アメンボをつかまえました。谷先生に見せたら、オオアメンボと教えてくれました。サワガニは、とてもキレイなところにしかいないと聞きました。1時間ぐらい水の中で生き物をさがしました。ほかの人もたくさんの生き物をとっていました。とても楽しかったです。また行きたいです。
帰りに玉手の水道きょくの所で、お父さんから、「さっきの川とつながっているよ。」と聞きました。
川の色は、ぜんぜんちがいました。ここには、サワガニはいないと思いました。谷先生からきれいな水の所にしかいないと聞いたからです。
石川上流から玉手までの生活はい水や工場から流されたきたない水や、ゴミのせいだと思います。みんなが川にゴミなどをすてなかったら、玉手にもサワガニなどの生き物を見つけられると思います。
谷先生が、「食べ物などをのこしたりすると、川がきたなくなる。」と言っていました。ぼくは、食べ物をのこさず食べようと思います。
そして、友だちにこのことを教えようと思います。そしたら川がキレイになると思うからです。
<大和川河川事務所長賞>
「大和川を幸せな川にしよう!」
葛城市立當麻小学校 小学校4年
ぼくは、学校で、社会の時間に、くらしと水について学習しました。一人が一日に使う水の量は、約250リットル使っていて、水は、とても必要な物だけれど、限りがある資源だと知りました。水はとても大事で、大切にしなければならないと思いました。
7月29日の新聞に「大和川ワースト3脱出」という記事がありました。僕が学校で勉強したときは、ずっとワースト3だったのに、4位になって、よかったなぁと思いました。
昔は、下水処理場がなかったので、きたない水がそのまま川に流れていたそうです。けれど、昭和45年、下水道工事が始まって、昭和49年、郡山にじょう化センターができ、昭和59年、広りょうに、第二じょう化センターができました。それで、きれいな水になって、大和川に流れ、きれいになってきたということです。それ以外にも、よごれた生活排水を流さない運動もあって、川もきれいになってきました。
でも、まだよごれている所が、たくさんあります。もっと、みんなで川をよごさないようにしなければなりません。だから、ぼくは、きたない水を流さないために、食器についているよごれや残りくずを、そのまま排水口に流さず、あらう前に、新聞紙や、もう着られなくなった衣類などでふき取ると、排水口にごみやきたない水が流されないので、いいと思います。
先日、天川村へ遊びに行きました。天川村の川は、ごみも洗ざいのあわもなく、すき通っていて、魚が気持ち良さそうに泳いでいて、ものすごくきれいな川でした。ぼくは、この川を見て、幸せな気持ちになりました。ぼくは、大和川も、天川村の川みたいに、きれいになってほしいです。
ぼくは、学校で、社会の時間に、くらしと水について学習しました。一人が一日に使う水の量は、約250リットル使っていて、水は、とても必要な物だけれど、限りがある資源だと知りました。水はとても大事で、大切にしなければならないと思いました。
7月29日の新聞に「大和川ワースト3脱出」という記事がありました。僕が学校で勉強したときは、ずっとワースト3だったのに、4位になって、よかったなぁと思いました。
昔は、下水処理場がなかったので、きたない水がそのまま川に流れていたそうです。けれど、昭和45年、下水道工事が始まって、昭和49年、郡山にじょう化センターができ、昭和59年、広りょうに、第二じょう化センターができました。それで、きれいな水になって、大和川に流れ、きれいになってきたということです。それ以外にも、よごれた生活排水を流さない運動もあって、川もきれいになってきました。
でも、まだよごれている所が、たくさんあります。もっと、みんなで川をよごさないようにしなければなりません。だから、ぼくは、きたない水を流さないために、食器についているよごれや残りくずを、そのまま排水口に流さず、あらう前に、新聞紙や、もう着られなくなった衣類などでふき取ると、排水口にごみやきたない水が流されないので、いいと思います。
先日、天川村へ遊びに行きました。天川村の川は、ごみも洗ざいのあわもなく、すき通っていて、魚が気持ち良さそうに泳いでいて、ものすごくきれいな川でした。ぼくは、この川を見て、幸せな気持ちになりました。ぼくは、大和川も、天川村の川みたいに、きれいになってほしいです。
<大和川河川事務所長賞>
「いつかは『世界一、人が笑顔になれる川』に」
大阪市立矢田南中学校 中学校1年
わたしたちが住んでいる町の近くには、みんなが知っている「大和川」があります。
大和川は、すごくきれいとは言えないけど、昔の大和川にくらべるとだいぶきれいになったそうです。大和川が昔にくらべてきれいになったのには、大阪の人もそうじゃない人も「ゴミを捨てない」とか「きたない水をながさない」とか色々なところから考え直して、気を付けたり、みんなでそうじの運動をしたりして、力を合わせたからだと思いました。
けれど今の大和川を見ていると、たまに自転車や冷蔵庫が捨ててあることがあります。せっかくきれいになってきている川にそんなことをして、もったいないとか思わないのかなぁと思いました。きたない川より、きれいな川の方がぜったい気持ちがいいと思うし、きれいなのを見て「いややなぁ」とか思う人はいないと思うから、川のことだけじゃないけど「やっぱりきれいなのっていいなぁ」と思います。
いちじき、「日本一きたない川」と言われていた川をこんなにもきれいにできたのは、とてもすごいことだと思うし、その力をもっと活かしてみんなが気持ちよく住める町にしていけたらなぁと思います。
「川」という自然がこんなにも身近に感じられるということは、とてもありがたいことだと思うので、これからも小さなところから気をつけ、心がけて、大和川に感謝しながら大事にし、「日本一きれいな川」になってほしいです。そしていつかは「世界一、人が笑顔になれる川」になってほしいです。
わたしたちが住んでいる町の近くには、みんなが知っている「大和川」があります。
大和川は、すごくきれいとは言えないけど、昔の大和川にくらべるとだいぶきれいになったそうです。大和川が昔にくらべてきれいになったのには、大阪の人もそうじゃない人も「ゴミを捨てない」とか「きたない水をながさない」とか色々なところから考え直して、気を付けたり、みんなでそうじの運動をしたりして、力を合わせたからだと思いました。
けれど今の大和川を見ていると、たまに自転車や冷蔵庫が捨ててあることがあります。せっかくきれいになってきている川にそんなことをして、もったいないとか思わないのかなぁと思いました。きたない川より、きれいな川の方がぜったい気持ちがいいと思うし、きれいなのを見て「いややなぁ」とか思う人はいないと思うから、川のことだけじゃないけど「やっぱりきれいなのっていいなぁ」と思います。
いちじき、「日本一きたない川」と言われていた川をこんなにもきれいにできたのは、とてもすごいことだと思うし、その力をもっと活かしてみんなが気持ちよく住める町にしていけたらなぁと思います。
「川」という自然がこんなにも身近に感じられるということは、とてもありがたいことだと思うので、これからも小さなところから気をつけ、心がけて、大和川に感謝しながら大事にし、「日本一きれいな川」になってほしいです。そしていつかは「世界一、人が笑顔になれる川」になってほしいです。
<大和川河川事務所長賞>
「ぼくと大和川」
藤井寺市立道明寺東小学校 小学校4年
ぼくがまだ赤ちゃんだったころ、大和川の草むらは歩く練習をする場所でした。草むらだと転んでもいたくないからだって。
ぼくが2才になった時、はとやバッタ、とんぼを追いかけて走り回るところでした。
ぼくが3才の時、お姉ちゃんとボール遊びをするところで、お姉ちゃんとよくけんかをしました。
ぼくが5才になると、野球のバットとボールでキャッチボールをしました。変な所へ打つのでたまひろいが大変だったそうです。
ぼくが7才になると、こまなし自転車の練習をしました。近くをさんぽしている犬にほえられました。
ぼくが8才になると、川の中に入り、カメや魚をとりました。帰りには川にもどしてあげました。
ぼくが9才になってクリーン作せんに参加しました。ごみをひろってもひろっても・・・なくならないのです。空き缶、ペットボトル、ビン、たばこ、おかしのふくろ、たべかけの食品、新聞、ティッシュ、服、ナイロン、花火、かさ、自転車・・・なぜこんなにあるのか?悲しくなりました。
ぼくが15才になったら、20才になったら、どんな川になっているのかな。水がとうめいでたくさんのしゅるいの生き物がいて、泳いだりできると楽しいだろうな。
そんな川になるように、自分ができることはなにか?毎日の生活の中で考えていきたいと思います。
ぼくがまだ赤ちゃんだったころ、大和川の草むらは歩く練習をする場所でした。草むらだと転んでもいたくないからだって。
ぼくが2才になった時、はとやバッタ、とんぼを追いかけて走り回るところでした。
ぼくが3才の時、お姉ちゃんとボール遊びをするところで、お姉ちゃんとよくけんかをしました。
ぼくが5才になると、野球のバットとボールでキャッチボールをしました。変な所へ打つのでたまひろいが大変だったそうです。
ぼくが7才になると、こまなし自転車の練習をしました。近くをさんぽしている犬にほえられました。
ぼくが8才になると、川の中に入り、カメや魚をとりました。帰りには川にもどしてあげました。
ぼくが9才になってクリーン作せんに参加しました。ごみをひろってもひろっても・・・なくならないのです。空き缶、ペットボトル、ビン、たばこ、おかしのふくろ、たべかけの食品、新聞、ティッシュ、服、ナイロン、花火、かさ、自転車・・・なぜこんなにあるのか?悲しくなりました。
ぼくが15才になったら、20才になったら、どんな川になっているのかな。水がとうめいでたくさんのしゅるいの生き物がいて、泳いだりできると楽しいだろうな。
そんな川になるように、自分ができることはなにか?毎日の生活の中で考えていきたいと思います。