2015年の入賞作品

作文部門

<大阪府知事賞>

「付け替えに感謝!!そして未来へ」

大阪市立安立小学校 小学校5年
 
 「もしも、大和川だったら…。」
 決壊して、街にあふれるだく流の中に、小さく見える家々があった。まるで、雨の日のどろの水たまりの中の、小石のようで、背筋が、「ぞくっ」とした。なぜなら、それは、水たまりでもなく小石でもなく、まさに、数時間前まで幸せに生活していた、暖かな家庭に住む人々の家なのだから。天災の恐ろしさを知った。おだやかに、優しく、キラキラ光る川の水が一瞬で、ばけ物に変わってしまったかのようだ。九月に起きた鬼怒川の決壊のニュースを見て思ったことがある。それは、もしも、これが、大和川だったら、私の家はどうなっていたのだろう。避難所で、恐怖や悲しみをこらえながら過ごしていたのが私だったら、どんなに辛いだろう。決壊した鬼怒川沿いの人が気の毒でならない。それと同時に、これが、大和川でなくて本当に良かったと思った。
 大和川は、付け替えのおかげで、決壊することはなくなった。中甚兵衛さんや当時の大勢の人々に感謝する気持ちでいっぱいだ。
 数日後、今日も、大和川は、おだやかに、優しく、キラキラ光る川の水が流れている。鳥がとび、魚が泳ぐ、平穏な姿に安心する。
 鬼怒川沿いのある人は、
 「決壊しない河川にして欲しい。」
 と言っていた。その言葉から、私は、大和川の付け替えに甘えていてはいけないと思った。当時の人々に感謝する事も忘れて、過去に汚水の川にしてしまったことは、本当に恥ずかしい事だと思う。付け替えのおかげで、決壊のない今の生活があることを、今一度、思い出して、これからも、増々、美しい大和川であり続けられるように、色々な活動を通して、もっと大和川を大切にしなければいけないと思った。私達子供が大人になった時、次の子供達が安全である事はもちろん、魚がいっぱいで、泳げる程の美しい水の大和川であって欲しいと思う。そうなるように、大和川は、明るい未来に向かってはばたいて欲しい。

<奈良県知事賞>

「おうえんありがとう、大和川」

奈良市立椿井小学校 小学校3年

 小学校に入学する時大和川が、
「がんばってきてね。」
と言ったように感じました。
 その日の帰り道、
「よくがんばったね。」
と言ったように感じました。
 なぜなら、入学式の日はきんちょうしてドキドキしていましたが、さくらがきれいにさいている大和川を見てがんばれたからです。
 ぼくは小学校一、二年生の時は大安寺西小学校に通っていました。小学校の前に大和川がながれていて、あつい夏の日も大雨の日も雪の日も毎日行きや帰りに見てきました。友だちといっしょに元気に泳いでる魚やカメをみつけて楽しんだ事もありました。
 しかし、三年生から椿井小学校へてん校する事になり思い出のいっぱいつまった大和川を毎日見られなくなってしまいました。
引っこす時、
「いつもみてくれてありがとう。」
と言ったように感じました。
 だから椿井小学校でもがんばる事ができたんだなと思いました。ぼくはいつもきれいにながれている大和川をもっときれいにしたいです。時にはあふれたりするけれど、いつもぼくたちを見守りながらさらさらとながれてくれています。
 いつまでも魚たちが元気に泳げるきれいな大和川であってほしいので、ごみを川にすてないなどみんなでどりょくしたいです。
 そして春にはさくらがまんかいで、夏は緑がいっぱいで、秋には葉が赤く色づき、冬は雪がふる感じで大和川にはすてきな一年をすごしてほしいです。


<近畿地方整備局長賞>

「大和川とぼくのせい長」

堺市立錦綾小学校 小学校3年

 ぼくは、小さい時から、大和川を見てそだちました。小さい時は、大和川の水が、にごっていてあんまりきれいでなかったです。でも、毎年大和川を見てて、気づいたのは、大和川が、ぼくといっしょにせい長していることです。大和川に、ゴミもへってきたし、すてる人もいなくなり、きれいな水の大和川になってくれているので川遊びができてすごく楽しかったです。学校からも大和川に行って地いきの人たちといっしょに川遊びをしてとても楽しかったです。川遊びが出来るようになったのは大和川がきれいにせい長してくれて、ぼくも同じくせい長して、大きくなってきたから川に入って楽しく遊べるようになったことがぼくにとって一番うれしいことです。これからぼくがどんどん大きくなってきたら、大和川もどんどんきれいになってくれると思います。大和川のせい長には、いろいろな人のきょう力がいります。ぼくのせい長は家族のきょう力がいります。大和川もぼくも一人ではむ理です。大和川をきれいにせい長させるためには、みんなが川をよごさないようにすることが大事です。ぼくは、ずっと前から思ってきた事は、大和川で泳ぐ事です。でも今は、まだ早いです。大和川が、泳げる川にせい長してないからです。ぼくもまだ車のうん転が出来ないのは大人にせい長していないのと同じです。大和川もいつかはせい長してくれて、泳げる日がかならず来ます。その時、ぼくがなん才になってるかはわかりませんが泳げる日が来るのをしんじてまっています。大和川とぼくのせい長はどちらが早いか、きょうそうなのでおたがいにがんばろう。


<近畿地方整備局長賞>

「大和川」

王寺町立王寺南中学校 中学校1年

 私の祖父母は大阪府の柏原市に住んでいます。国道25号線沿いには、大和川が流れています。私の母は、私がお腹の中にいる時、産婦人科の先生に「安産のために歩きなさい!。」とうるさく言われていたらしく、この大和川の河川敷を毎日毎日散歩していたそうです。そしてお腹の中にいる私に「早く会いたいね。」「元気に産まれてきてね。」と、たくさん話しかけ、2人っきりの幸せな時間だったと教えてくれました。弟が産まれてからも、キャッチボールにサッカー、夏は花火大会、お正月はたこあげ、と、家族で過ごした楽しい思い出がたくさんあります。今思い返すと、コマなし自転車や一輪車の練習も、大和川で祖父母が必死になって付き合ってくれました。中学校に入学しテニス部に入り、友達関係で悩み、初めての挫折を知った時も、祖父母が、テニスが上手になる様にと、大和川の橋の下にある壁打ち練習が出来るスポットを探してきてくれて何度も連れて行ってくれました。色んな事を思いながら練習したのを覚えています。そしてこの夏、私は、大和川が近くに流れる王寺町の中学校へ転校します。不思議な縁を感じています。新しい環境で不安がたくさんありますが、この大和川の流れつく先には、祖父母がいます。私の成長を喜び、ずっと大切にしてくれた祖父母が応援し、見守っていてくれると思うと、勇気がわいてきます。私が大人になって、祖父母が高齢になり今の様に足が動けなくなったら今度は私が祖父母の手を引いて、大和川に散歩に連れて行ってあげたいです。そして私が、お母さんになったころには、子供が大和川で泳ぐほどきれいな川になっている事を願います。


<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>

「歴史の長い大和川」

大阪市立矢田南中学校 中学校1年

 ぼくは、大和川にたくさんの思い出があります。
 一つ目は花見に行ったことです。家族のみんなで弁当を食べました。花を見ながら食べる弁当はおいしかったです。そして食べ終わった後に家族と遊んで楽しかったです。
 二つ目は、幼稚園のときに大和川でマラソン大会がありました。幼稚園ではこのマラソン大会は一年に一回しかないのでぼくはワクワクしていました。そして大和川を走りました。みんなのお父さんやお母さんがカメラを持って自分の子どもの走る姿をとりに来ていました。一生懸命に走ってぼくは3位で走りきりました。みんなが走り終わると大和川の近くの公園で表彰式が行われます。5位までに入った人は表彰台に上がってメダルをもらいます。ぼくは、3位だったのでメダルをもらうことができました。このマラソン大会は幼稚園にいるときの最高の思い出でした。
 三つ目はたこ揚げに行ったことです。ぼくは今まで一、二回しかないのですこし楽しみでした。大和川へ行くと、ほかの人がみんなたこ揚げをしに来ていました。そして早速お父さんはたこ揚げをしました。この日は晴れていて風もあってたこ揚げには最適な日でした。お父さんはたこを空高くまで揚げてとてもうまかったです。そしてたこが高く揚がっている間にお父さんがぼくにたこを渡しました。するとたこがずるずると下がっていって地面に落ちました。ぼくは何回もたこ揚げをしたけどぜんぜんうまくいきませんでした。そのときはとても悔しかったです。
 四つ目は花火をしに行きました。いろんな種類の花火を買い家族で花火をやりました。花火の色が変わったり花火の弾け方が違ったりとてもきれいでした。そして最後に打ち上げ花火をしました。すごく迫力があっておもしろかったです。今思い返してみれば大和川にたくさんの思い出があるんだなと思いました。


<大和川クリーンキャンペーン審査委員長賞>

「私達の川「大和川」」

葛城市立當麻小学校 小学校5年

 奈良県は、大きく分けて4つの河川があります。それは、宇陀地域を源流とする淀川、大和高原を源流とする大和川、高見山や大台ヶ原を源流とする紀ノ川、大台ヶ原や大峰山地を源流とする熊野川があります。その中でも大和川は私達のくらしにかかせない大切な川です。私達は、毎日、飲み物や料理、洗濯などに、とてもたくさんの水を使います。水道水のほとんどは、川の水を利用しています。また、直接私達が使う水以外にも、農作物を作ったり、工業製品を作ったりするためにも、たくさんの川の水が使われています。毎日なにげなく水道水を使っていると、水の大切さを忘れそうになりますが、今回作文を書いたことで川の大切さを学ぼうと思います。
 私は、四年生の時に浄水場に見学に行きました。そこで、家や川から流れてきた水を消どくし、キレイにしてまた、飲めるようにするしくみを教えてもらいました。どうやってキレイになっていくかというと、家で使った汚れや水は家の下の配管を通って浄化センターで空気を送って、微生物の働きを利用して、汚れを取りのぞいています。キレイになった水は、消どくして川に流します。実際に汚れて流れた水を見てみるとなんと、びっくり微生物がごみを食べている所を見ました。水をキレイにしているのは、職員の人だけだと思っていたけど微生物も汚れを取っていてくれたんだなぁーと思いました。こうしてキレイになった水を私達は利用しています。
 私は、二上山のすぐ下の葛城市に住んでいます。学校の登下校の時にくまたに川を通ります。近くには、工場があって時々川がにごります。それでも魚達は元気に泳いでいます。
お母さんは、
「ママが小学生の時くまたに川にほたるがいたんだよ。今はもう川が汚れてほたるはいないのよ。」
といつも言っています。家族で出かけた時に大和川を見ますが、少しにごっている感じに見えます。魚はいるのかな?汚れていないかな?と気になります。川をキレイにするには自分達のことだけではなくて、こん虫や微生物にも目を向けて微生物が住みやすい川にしたらいいと思います。そのためには、まず、私達が川にごみをすてたりしないこと、家で食べ残しや汚れた汁を流さないことが大切だと思います。一度汚れた水をキレイにするには、とても多くの量の水が必要です。と本に書いてありました。水は大切な資源だから、私達は川を汚さないことと、水のむだ使いをしないようにしなければならないと思いました。


<大和川水環境協議会賞>

「はばたけ未来へ大和川」

堺市立浅香山小学校 小学校6年

 ぼくは野球をやっています。学校が終わると大和川に行って練習をします。走ったり素ぶりをしたりしていると、犬の散歩のおじさんやウォーキングをしているおばさんに話しかけられます。なので、一人で練習していても楽しいです。
 この前、ぼくが練習をしていると友だちのお母さんが来ました。友だちの弟が野球のグローブをおきわすれたと探しに来ました。ぼくは一緒に探しました。するといつも話しかけてくれたおじさんがぼくのグローブとまちがえて持ってきてくれました。ぼくは、ぼくのグローブではなかったけど、おじさんが持ってきてくれた事がとてもうれしかったです。その後、ぼくと友だちの弟は、一緒にキャッチボールをして遊びました。それからもおじさんに会うたび声をかけてくれています。おじさんも昔、野球をしていたみたいで、野球の話をよくしてくれて、とても楽しいです。おじさんもとても楽しそうに話してくれるのでうれしいです。
 大和川では水あそびもバーベキューも楽しいですが、こうして夕方におじさんと野球の話をしたり、友だちのお母さんと学校の話をするのもとても楽しい時間だなぁと思いました。
 ぼくにはまだ小さい弟もいてるので、もう少し大きくなったら、一緒に野球をしたり、ゆっくり話をしたりできたらいいなぁと思います。これからも大和川で色々な事を楽しみたいです。


<大和川水環境協議会賞>

「はばたけ大和川」

天理市立西中学校 中学校2年

 僕が小学生のころ、よく大和川で遊んでいました。友達と水のかけあいをしたり、どっちが長く息を止められるかや、草でボートを作ってどっちが速く進むかなど、きれいな大和川で遊ぶのが大好きでした。
お父さんが休みの日は、上流まで行って、釣りをしました。大きなアユが上から見ても分かるぐらいの大きさのものがいっぱいいました。釣れたアユは、持って帰ったり、食べたりしました。とてもおいしかったことは覚えています。
 たまに絵を描いたりもしました。上手ではなかったけれど、お母さんがほめてくれました。ファミリー公園の桜の木と大和川を描いたこともありました。
 とてもひまなときに、川の横の歩道を歩きに行きました。その日は、風がすこし強く、草がユラユラとゆれていました。とても、心地の良い風で、水面も、少し波ができていました。僕が
「なんか、川が逆流してるみたいで、おもしろい。」
と言うと、お母さんが
「ほんまやね。」
と言って笑っていました。
 大和川には、たくさんの思い出がつまっています。大和川は、公園や市民プールと同じような、僕の遊ぶ場所です。これからも、大和川には、ゴミを捨てず、きれいな大和川でいればいいなと思いました。


<大和川河川事務所長賞>

「私の大和川」

大阪市立大空小学校 小学校6年

 私の家から大和川まで、自転車で約20分ほどで行くことができます。小さいころは、一人で、自転車に乗って、こぐことができないので、お母さんの自転車の後ろいすでした。その時は、川をわたっていても、わかっていませんでした。
 けれど、大きくなって、自分の自転車のこぎ方で、こぐことが、出来るようになりました。そのおかげで、ゆっくりこいだり、急いでこいだりすることが、出来るようになりました。
 ゆっくり見ていると、ショベルカーが工事をしていたり、白くて、美しい鳥がとまっているのを、発見することが、出来るようになりました。
 そんな大和川ですが、時には、大量のゴミが流れていたりもします。
 私は、大雨の後の、大和川をぐう然に、見ることができました。通りすぎただけですが、土手に生えている、木々の枝の先にまで、ゴミ袋、空きビンや空きカンが、ひっかかっていました。
 私は、
(川の水で、ここまで上がるんやな~水の力はすごいな)
 と、思いました。すると、お母さんが、
「流れているのは、魚じゃないんかなあ。」
と、言いました。私は、
(ほんまや。魚流れてないんかな~)
 と思いました。
 今までは、テレビのニュースで、『川の水が増水しています』と、何度も聞いたことは、ありました。けれど、実際に見た時は、予想をはるかにこえていて、
(すごいな水の量)
(そらー水の力で消防車が、上がっちゃうもんな~)
 と思いました。
 私は今まで、川で泳ぐために、旅行に行ったことがあります。けれど、ふと、考えると、
(大和川があるやん)
 と、気が付きました。
 これからの大和川は、ゴミを流す川でなくきれいな水の力で、人を集めてほしいです。魚を見たり、つったりして、いろいろな人がいろいろなふれあい方で、ふれあってほしいと思います。


<大和川河川事務所長賞>

「川と僕」

天理市立西中学校 中学校2年

 小学校二、三年の時だったかな。おばあちゃんに手を引っ張ってもらって、川の近くまで行ったのは。あのころは、川が大っきく見えて、今よりずっときれいで冷たかった。川辺を走り回っているうちにヘップを川にとばしてしまい、いそいで川の中へ入った。「流れて行ったらどうしよう、お母さんにおこられる」なんて涙、ポロポロ流してわきめもふらずにヘップを、おっていた。ヘップを手でつかんだ時、本当にうれしかった。水から出たら服も何もビショビショ、あわてておばあちゃんが飛んで来て私を叱った。僕、おこられた時よりもヘップをひらえた時の方がうれしくて、うれしくて、家に帰っても泣いていたのを、おぼえています。
 それに夏、川の近くで花火がうち上げられ川の上の道では、夜店がならぶ。僕は、うれしさが顔に出てウキウキしながら友達と行った。花火がうち上げられる前に夜店を回り、いろいろと楽しんだ。花火がうち上げられるようになると川原は、人でいっぱいになった。ドーンドーンと花火が打ちあげられ、大輪の花が川に映し出された。美しかった。
 しかしここ数年の内に大和川の姿もずい分かわった。川べりのたくさんの桜の木が切りたおされた。おばあちゃんが言ってた。「あの桜の木は、おじいちゃんや大ぜいの人が植えて大切にそだてたのに」って言葉を聞いて僕桜の木のくずを少しばかり小ビンにつめてもって帰った。
 私たちの住んでいる所はまだ古い町並みがいっぱい残っています。けど小さいころとは、全然違ってしまって。すくなくとも僕の思い出がたくさんある所だからこれ以上、川をよごしてほしくないいえよごしてはいけないのです。



<大和川河川事務所長賞>

「未来の川」

田原本町市立北小学校 小学校4年

 私の想ぞうする未来の川は、水がとうめいで鳥がいっぱい遊びに来ていて、魚もきもちよさそうに泳いでいる。水は、おだやかで足をつけたらすごくきもちがいいそんな川です。
 未来の川は、本当にそうなるでしょうか。むずかしいと思うけどできるんじゃないかと私は思います。
 私は、保育園の時から今まで四回ぐらい自分の町の川にゴミひろいに行っています。最初のころは、暑いしきたないしやりたくないなぁと思っていました。川の周りの草は、ボウボウでゴミは空きカンやタバコのすいがら、大きい物では、車のタイヤや電子レンジ、よくわからない機かいの部品などがいっぱいおちていました。
 でも、今年のゴミひろいはだいぶ違っていました。まず、ゴミひろいに来た人が多くてしかも前よりゴミが少なくあまりなかった。川のにおいは全くかんじなくて、草はキレイにかってあり、川の横の道にキレイな花が植えられていた。私は、きもちがよくお母さんとおしゃべりしながらゴミひろいをするのが楽しかったです。お母さんの知り合いの人に会ってほめてもらいました。
 私はこれからいっぱい参加して、未来の川が美しくなるようにがんばりたいと思いました。それにゴミひろいに来ていた人もきっと同じように思っていると思います。だからこそ、この川は、キレイになっていると思います。