1985年の入賞作品

作文部門2

<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「私と大和川」

浅香識字学級
 
今から六十五年ほど前のことになります。
私がまだ九つか十ぐらいの時のことです。
そのころ夏になると友だち四五人とよく大和川で水遊びをしたものです。
学校から帰るとすぐご飯を食べてお母さんに、「川へ遊びに行ってもいい。」ときいて、日本手ぬ ぐいと着がえを少し持って喜んで川へ走っていきました。友だちもみんな同じでした。
その当時、大和川へ行くのはお寺の下の細い道を通りました。またお寺の下には家がなくて河川敷には芋なえを取り終わった。
畑にきれいに芋がうえられていました。
川のそばには大きな柳の木が川に向ってはえていて、その木の下のあたりには少しだけ川の水が深くなっていました。泳ぎに自信のある子はその柳の木から川に向ってとびこんでいました。そのころの川の様子は水がすきとおり水かきも少なく小さな魚の泳ぐのも、はっきりみえました。私たちはその魚を取るため友達と日本手ぬ ぐいの両はしを持ってキャーキャー言いながら魚を追いかけました。取れた魚を岸近くに小さな池をほって入れておきました。また浅いところまでパチャパチャと泳いだりして、腰のところまでの深さになると、こわくなって急いで浅いところにもどったりしていました。そのころは、おこしまきをして泳いでいましたので水にはいるとおこしまきが水をふくんでふくれてきました。そうなると大いそぎでおさえたものです。
泳いだあとは、下着をきかえてぬれた下着は砂原に干して、かわかして帰りました。
夏には大和川の水が少なくて向う岸の砂原には飲み水を取るために砂をほって、かこいがしてありました。そしてそこから水をくんで「たんご」かついで川を渡っている人がいました。
私の今の家のところから、大和川がよく見えますけれども、川の水はにごっていて川の底などは見えません。砂原もいっぱいきたないものが流れてきています。私が小さいころ遊んだ、きれいな水の大和川を思い出すと本当になつかしくなります。
おわり

<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「大和川の思い出」

浅香識字学級
 
浅香と大和川とは生活や遊びにとって、ひじょうに関係深いとくに飲み水は川にたよっていたから毎日の生活に生命の水になっていました。川の水汲みについては余りおぼえていませんが、川の水がなくなった時、砂地の所を掘って木くわをつくり、わき水をくんでいたことは知っています。それを家のかめに入れ砂でこしてのんでいたのですが味についてはおぼえていません。
大和川の一番の思いではやはり幼い頃にしたビリ取りです。昼は子守りをしたりぼろつなぎをしたりしたが夕方になると川へ行った。
ビリとはうなぎの子だと思いますが、糸のように細く、長さは五センチぐらいで群をなして泳いでいます。それを友たちとタオルの両はしをもって浅瀬に追い込みタオルをあみのかわりにして取り、ビンに入れて遊んだことが、今でも思い出されます。
又昔は川の向う側には松林がつづいており村の若い者の散歩道であったが戦争中に松やにを取るために切られてしまってあとかたもないのが残念です。それから川の下の方に新池というのがあり、川から水をあげていたように思いますが、その水の冷たかった感じは今でもおぼえています。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

王寺町立王寺小学校6年
 
「川」といえば、にごった水の川を思い出します。なぜかといえば、ふだんから、そういうような川しか見ていないからだ。
もとは、とてもすんだ美しい青色をしていた川が、日が立つにつれて、にごり、美しい青色は、消えてしまう。日が立つにつれて、よごれていくのは川。日が立つにつれて、よごしていくのはわたしたち、人間。
人間は、何か新しい発見をする。そのため、くらしは便利にはなるけど、その反対に、自然に害をあたえている。工場のはい液が川に流れこんだり、海に有害プランクトンが発生したり……。とくに、川への害は、ひどい。
工場のはい液、せんざいのよごれた水、ゴミ、よごれた土など、その他いろいろなものが川へ流れこんでくる。そんな時、川はどう思っているのだろう。
「お願いだから、よごれた水を流したり、ゴミを捨てないで。これ以上、よごさないで。」
と思い続けているにちがいない。
川が思っていることを、私たちが行動で答えてあげなければいけない。
・川にゴミを捨てない。
これだけでもやめると、川が前より、ずっとちがってくると思う。たったこれだけのことが守れないので、川がよごれる。また、人間にも害をあたえる。だからこそ、「川にゴミを捨てない」というきまりを守らなければいけない。それだけでも、川は半分ぐらいしか喜んでいないかもしれない。残りの半分は、まだ悲しんでいるように思える。そして、「川にゴミを捨てない」というきまりを人間がいつ実行してくれるのかと、よごされながらも思っているにちがいない。 おわり


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

當麻町立磐城小学校6年
 
まだ、小さかった碧穂ちゃんは、お友達があまりいませんでした。一番仲が良かったお友達といえば、碧穂ちゃんのおうちの近所に流れる、きれいにすんだ川と、そこに泳ぐ魚たちぐらいなものでした。
ある年、お父さんのお仕事の都合で、ちがう土地に引っこすことになりました。
碧穂ちゃんは、仲よしだった、川と魚たちと、お別れすることになったのでした。
あらから7年間たちました。
碧穂ちゃんは、もとの町にもどってきました。
元気にかえってきた碧穂ちゃんの明るい笑顔は、みるみるくもってゆきました。それは、青いきれいな川でなく、どんよりとしたきたない川が、碧穂ちゃんの目の中に飛びこんできたからです。
碧穂ちゃんは決心しました。
次の日、引っこしの荷物の整理でいそがしい中、碧穂ちゃんは川の中をそうじしました。
あきかん、あきびん、ビニルにくつ。川の中にはたくさんのゴミがしずんでいました。
油っぽい、そのきたない川をそうじするのは、ふつうの人では、とてもつらく、にげだしたいかもしれません。しかし、碧穂ちゃんは平気でした。
この碧穂ちゃんを支えているのは、碧穂ちゃんの心に流れている、かつて美しかったこの川でしたから。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

當麻町立磐城小学校6年

学校からの帰り、ふと川を見ると、少しにごた水の中に、一ぴきの金魚がいた、それは、小さな体を水草の中にかくして、まわりの様子をうかがっているように思えた。
この川は、ずっとずっと向こうの山の方から流れてきていて、初めはすみきっているのに、ここまでくるうちに、どんどんよごされてきたのです。家庭からの排水が流れ混じって、赤い金魚も元気がないようです。きっと、金魚はこの川で生まれたのではなく、この付近にある金魚を育てている所から、逃げ出したものにちがいありません。
もともとこの川は、思い出すと一、二年前までは、信じられないことですが『どじょう』がすみついていたのです。ぼくは、(せっかくここまで来て住みついているんだから……。)と、見て楽しんでいたけれど、みんなは取っていって、ついにはいなくなって次の年からはもう来なくなったのでした。
いや、原因はそればかりではありません。空きカンやビンが、川にたくさん捨てられて住む所がなくなってきているからでしょう。子供会でも、川のそうじをすると少ししただけで、たくさんのゴミが集まり、ぼくはびっくりして一生けん命したけれど、全部拾うことはできなかったのです。
もう一度元の美しい川を、と願いますが、これは一人一人の人達が気をつけて、進んで川を美しくしていかないといけません。ぼくは一度、夜店で取った50ぴき以上もの金魚を、友達といっしょに川に放したことがありますけれども、それを楽しむのも一週間となく、たちまちいなくなってしまいました。
こんな川を町からなくして、生き物が元気に泳げる清らかな川をみんなでつくったら、どんなにいいでしょう。みんなが心がけて、自然の川を自然のまま、残していきましょう。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私」

橿原市立白橿中学校2年

布留川南流、私がここほどよく親しんでたくさん遊んだ場所が他にあったでしょうか。そうです。私は十二年間この川のそばで毎日この川を見て暮らしてきました。そして私がこれから書くことはこの川で楽しく遊んだ過ぎ去りし日々の思い出なのです。
春、まだ水も冷たいというのに長ぐつでちゃぷちゃぷ歩いた川。ままごと遊びのお母さん達はどろんこ料理に大いそがし。
夏、ちょっとあたたかくなり初めると油断もすきもない私達。さっそくビーチサンダルをひっぱり出してきて、川の中をじゃぶじゃぶ、魚とりに探険、服のぬ れるのも汚れるのもちっとも気になりませんでした。またこの川についての自由研究もやりましたっけ……。
台風がくると、きたないどろ色の水が勢いよくたくさん流れてくるので少しおそろしい気もしたけれど、ちょっと水がひいてくるともう天国。いろんな魚がいっぱい流れてきて魚とりに大いそがし、それはそれは大漁で本当にすごかったんですよ。
秋、もうそろそろ水の冷たい季節。そこで初めるのが土遊びに橋づくり。ダムもつくったんですよ。またしてもどろだらけ。
洗たく大変だったでしょうね。お母さん。でも私、服をよごしておこられたことは一度もありませんでした。私のお母さんいつも楽しそうに遊ぶ私達を喜んで見てくれていました。ありがとう、お母さん。
冬、もうもちろん川に入っては遊びませんでしたが寒い日に張る氷を割るのが楽しみで。あれを一番のりに割りに行くのが大好きでした。その他土手で焼きいもをしたり、スノーボートで土手すべりをしたり……。冬は冬なりにちゃんと遊んでいたんですね。私達……。
今はもう、思い出ばかりのあの川ですけど今度あの川を見るときは、あの頃の気持ちに帰って見たいな。昔の無邪気な心のままで。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

大阪市立加美南部小学校4年

大和川は、わたしたちの家の近くにある大きな川です。この前おとうさんの車で近くをとおると、ごみが、いっぱいういたり、水がにごっていました。むかしの大和川は泳いだり、魚を取ることができたらしいです。今の大和川ではそんなことはできません。かせんじきは、とてもきれいになり、あそべるようになっていますが、わたしたちは、大和川で泳いだり、さかなとりをしてあそびたいです。今はとおく、三重県の方に、川あそびをしに行きます。そこで、ザリガニや、魚やホタルをとってあそびます。とてもたのしいです。でもお父さんは、しんどいと言っています。わたしたちの、近くの大和川が三重県の川みたいにきれいだったらいいのになあと思います。私たちのために、あまり、川の水をよごさないでください。もしわたしが大きくなってお母さんになったら、わたしたちの子どものために、せんざいやごみを川にすてないでむかしの川のように、川で泳いだり魚を取ったり、ザリガニをとったり、ホタルが飛べるような川にしたいと思います。川のそばにある工場のおじさんたちも協力してほしいと思います。何年かかるかわからないけど、みんなで力をあわせると、できると思います。川のすみに、ゆうらんせんをおき、中にはレストランを作り、大和川を見ながら、食事ができるようになればいいと思います。川の深いところへ行くと、ウインドサーフィンの練習をするところがほしいです。こんなすばらしいゆめが、じつげんしたらいいなあと思います。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

大阪市立遠里小野小学校6年

私が大和川で遊んだ思い出といえば、お父さんと弟とでつりに行った時のことです。
私と弟が、あみで遊んでいたら、あみの中に大きなかめがいました。私はびっくりしました。そのかめを、家にもって帰ってせわをしたけど、また大和川にかえしてやりました。
もう一つ思い出があります。春に、しんせきのお兄さんと、私のかわいがっていた犬とで、散歩をしたことです。とてもきれいな、菜の花がさいていて菜花畑のようでした。
大和川とは、思えないくらいきれいな、葉の花が咲いていました。今でも、あの景色が、思い出されます。大和川でも、こんないい思い出があるのに、今ではみんな大和川はきたないと言っています。私も大和川は、きれいな川とは言えません。昔の大和川は、水遊びをしたり、魚つりをしてとてもきれいな川だったと言います。この川をきれいに、するには、どうしたらいいのでしょうか。
人々は、あの川は危険だと言って近よる人も少なくなりました。この川は、みんなの物だから力をあわせてきれいな川にしたらどうでしょうか。ほとんどの人は、昔の川のように、水遊びをしたり、魚つりをしたいと思っている人も多いでしょう。あの大和川だって、泣いています。私はできるだけみんなの力であの川をもとのきれいな川にしたいです。
今では、ゴミばかりが流れていて、魚の姿はあまり見られません。私たちができることと言ったら、川にゴミを捨てないことだと思います。でもすぐにできる人は少ないと思います。できる人たちからやっていったら、みんなも協力すると思います。それに、ゴミだけでなく、においもあまり、良いにおいとは言えないでしょう。それは、私たち生きている人間があのきれいだった川をよごしたのです。
けっして川が悪いのではないのです。もっともっと多くの人々が協力することを願っています。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

羽曳野市立古市南小学校6年

「キャァーおもしろいねぇー。」「うん、おもしろい。おもしろい。」と楽しそうな声が石川から聞こえてくるはずだったのです。
ある日、友達といっしょに石川グランドで遊んでいました。すると、向こうの方から、「キャハハハッ。」と大きな声。何ごとかなと思って、聞こえてくる方に、顔をむけると、中学、高校くらいの人たちが、ジュースを飲みながら楽しそうに話しています。それから何をするのかなぁと思って、じっと見てますと、ある一人が、アキカンをカラカラとならしはじめました。私は、(石川にアキカンほるつもりなのかな。)と、友達と話しあっていました。すると「ポチャン。」と小さな音が聞こえました。やっぱし、私の思った通 りでした。石川にアキカンが一つ、あっ二つ、また三つ、四つ、五つ。だんだんだんだん、数がふえていきます。あっ、おかしのふくろまでが浮いています。その人たちは、なにもかまわず川にすてています。だからだから、石川から楽しそうな声が聞こえてこないんです。
私たちも石川でしたいことが山ほどあるんです。例えば、つり、足だけ入れて、ジャブジャブするの、他、いろいろして遊びたいんです。水泳はちょっと無理かもしれないけどとにかく遊びたいんです。
みんなも多分、同じ気持ちをしていることでしょう。それにきれいになれば、見ているだけでも気持ちがいいし、魚も大だすかりでしょう。これから夏です。あつくなってきます余計に、川に入りたくなってきます。
石川に、ゴミやアキカンをすてる人、今後いっさいやめて下さい。私たちを川で遊ばせて下さい。お願いします。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

 大阪市立墨江丘中学校2年

私の知っている大和川は、日曜日に、バレーボールの練習をしている風景や、つりざおを下げている風景しか見たことがありません。もっとすばらしい大和川を、知りたくて、昔の事を、おばあちゃんや、お母さんに聞いてみました。
70年ほど前のことですが、おばあちゃんが子供の時、松原に住んでいました。家が、大和川の近くで、台風がくると、堤防が低いので、家の中まで、よく水が入り、困ったそうです。それに、水量 が多かったので、雨が降った次の日は、橋にすわり、足をぶらぶら、させると、水面にさわれたそうです。
お母さんが、小さかった頃、8月1日の、住吉祭りの時、住吉神社のおみこしを、堺の神社へ渡す、おわたりを、みんなで、見に行ったそうです。その日は、わたがしや、アイスキャンディーなどの店もでていたので、おわたりの行列が来るまで、お母さんたち、子供は、川で、泳ぎ、おばあちゃんたちは、川で洗たくをしたそうです。今の大和川では、考えられない事です。おわたりの行列は、白い馬を先頭に、おみこしなどが続いています。大和川までつくと、橋を通 って行くのですがおみこしだけは、男の人が、かけ声をかけながら、川の中心まで行きます。真ん中まで行くと、堺の人が待ちうけています。雨が降って、水量 が増えている時には、男の人の背の高さぐらいあるそうです。けれど、おみこしだけは、ぬ らさないように渡って行ったそうです。
私の家では、七月の七夕の日、笹に願いを書き、八日の夜、大和川に流しに行きます。川を、きれいにしなくてはいけないと思うと同時に、伝説も、大切にしたいと思うのです。公害問題などを、もっと考えなければいけないのでしょうか。だんだんと夢がなくなっていくような、気がするのですが。