1985年の入賞作品

作文部門3

<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川の季節」

堺市立月州中学校2年
 
今私は、「大和川のことだったら一つでもいいから役立つことをしてみたい。」と強く心に感じる。なぜなら思う存分汚染の原因をつきとめ、あるべき未来の川の姿を知りたいから。そして早く楽しい散歩や魚すくいのできる自由な憩いの場に遊びにいってみたいからだ。「昔はとっても水が澄んでいたよ。」と言う意見を耳にして、「残念だがその通 りだ。」と思い、時代が進むにつれて、大和川の役割が変ってしまったことに気付いた。
しかしながら、堤防から見た風景は、まるで童話の世界にいるような気分になる時がある。時々私は期待しながら堤防まで走っていく。夕方だったら、真っ赤な夕日が広がり、堺の町が遠くまで残照の下に見え、夏の朝には冷たい風が気持ちよく吹きかわいい小鳥が空高く舞い上がっていく、私にとって、こんな風景は、心が落ち着き思わずうっとりなる。
さて、大和川の水が口にできないということが今一番重大だと思う。だれのせいでというとみんな返答に困るだろう。みんな「自分のせいだ。」という気持ちが、心の隅にあるように私には思える。私だって小さなゴミを捨てたりするが、それは改めなければいけないと思う。大和川は昔、久宝寺の方向を流れていたそうだが、たびたび洪水を起こすのでつけかえられ、おかげで現在堺は工業の町で有名になった。だが、昔の人々は工業のためだけに役立つ大和川を願い、そのために苦労したのだろうか。両岸をコンクリートに固められた弱々しい流れの大和川をみたら、きっとにがにがしく思うことだろう。少しぐらいの汚染ならば、河川には自然の浄化作用があるが、今の場合、地元の人間の真剣な努力がなくてはだめだろう。大和川地域に住む私達は「汚いなあ。」と言いながら、流れの上から川を見ているに過ぎないが、私達のそういう消極性を見られているかも知れない。川は私達人間にとっての命綱であり、ダイヤモンド以上の宝物である、いつかきっと堺の人々が、この大和川の水を口にできる日が来ることを希望したい。

<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「ぼくと川」

堺市立若松台中学校2年
 
ぼくは川が好きだ。
数年前までは、よく旅行へいった。なかでも日本アルプスの一つ飛騨山脈へ行った時のことが一番印象深い。
それは小学校二年生の時の夏だった。直角に近い急な坂道を登って旅館へ着いた。
あくる日、ハイキングに出かけた。しばらく行ったところで『ザーザー』と音がした。なんだろうと思って石を投げると『ポチョン』と音がした。川だった。とてもきれいな川だ。水中のことがよく分かる。あっ魚が石のんだ。ゲンゴローがおる。
ぼくはこのような川が好きであって、ドロで濁った、何がつれるかわからない大和川のような川は決して好きではない。
ぼくの一番身近で大きい川は大和川だ。堺市で一番大きいのも大和川だと思う。今、大和川は汚染されている。地域の人はというと、中流では何の気がねもなしに洗たくのあわをブクブクと流している。下流はというと、何か中流にライバル意識を持っているように負けないぐらいブクブクとやっている。ライバルどうしの熱い火花を散らす戦いのため、川はワンツーパンチをくらいKOされてしまう。だけど川をKOして、後で痛いしっぺ返しをくらうのは人間だ。その痛さを味わう前に、川をきれいにしなくてはいけない。
今、大阪府では地ばん沈下が問題になっている。その原因が地下水のくみ上げによるものだと分かっているから、当然やめさせる。しかし、今度は水不足になってします。それで琵琶湖の水をもらうことになってしまう。今度は琵琶湖をとりまく農民が「かんがい用水がとれなくなるかもしれねえ」と言ってきかない。すると後から「ようしょくができなくなるかもしれねえ」と漁民が言ってくる。これもみな川がきたないせいだ。大和川がきれいだったら、堺市民の水ぐらい、すぐに賄うことができるだろう。大和川がきれいだったら……。
今、本当に大阪府は水不足に悩むことが多くなっている。「水がねえ~~」と後になって叫ぶより、今、今すぐにでも川をきれいに、飛騨山脈の川のようにきれいにしなくてはならない。そうしなければこの夏、川が逆襲してきたら、人間がKOされてしまう。
きれいな川の使い道はいくらでもある。
しかし、きたない、よごれた川に、使い道があるだろうか。
今、本当にぼくたちは、川に思いやりをもち、そして、きれいに、一つもゴミがないほどきれいにしなくてはならないんだと、ぼくは思う。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

大阪市立住吉中学校3年
 
いま、身近に流れる川は、ほとんどみんな汚れている。にごった水は悪臭を放ち、やたらとごみを浮かべている。きれいな、澄んだ水の流れる川なんか、遠足に行った時しか、みたことない。人が大勢住むところには、なぜだか知らないけれど、きたない川しか流れてくれない。
川に遊びに行ったことがある。バーベキューをするのだと張り切って、肉だの野菜だのスイカまで持っていった。あいにく前日に雨が降り、泳ぐことはできなかったが、浅瀬で遊ぶくらいならできた。裸足で流れに入ると、丸い石ころが足をくすぐる。すべって転んでズボンをぬ らすという、おろかなこともやってのけたが、それがまた楽しい。たっぷりと遊んだ後には、川が冷やしてくれた、甘いスイカを食べる。タネを飛ばす。その後にはバーベキューが待っていた。牛肉の焼ける音。したたる肉汁と油。いいにおいがただよう。さらに、おもむろにそいつをほおばる。おいしい。いつの間にか、食べる話ばかりになったけれど、とても楽しかった。
近所に川が流れている。水はどす黒くにごり、指一本でさえ、突っ込む気にはなれない。みんなその川に、空き缶 や紙くずを放り、つばをはく。下流のほうに行けば、工場がひしめいている。そのどこからも、汚れた排水を注ぎ続けている。魚一匹すみついてやしない。
これから、何年も何十年もたってから、川はどうなるんだ。いつでも楽しい川遊びができる、生きた川になるか。それとも、どす黒い死んだ川になるか。それが決まるのは今、ぼくたちの時代なんだ。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

大和郡山市立昭和小学校2年
 
大和川のクリーンキャンペーン 親子しぜんかんさつ教室におかあさんとおにいちゃんと、ぼくとがさんかしました。さいしょひらはたにあつまりました。八条の池まで歩きました。そこで、先生に、ぼうえんきょうを見せてもらいました。ツバメ・ケリ・コチ鳥などが、目の前にいるように大きく見えました。それから、さほ川の方に行きました。すると、カイツブリが二ひきうかんでいました。もぐって、魚をとっているようでした。それから、ファミリープールの前のところからは、キジバトが、見えました。それで、じょうかセンターの所で、べんとうを食べました。おなかがすいていたので、おにぎりが、おいしかったです。昼からしゅっぱつしました。さほ川のはしから見ると、小さぎが見えまして。白くて大きくて、きれいでした。それでまた、歩いて行くと、雨がふってきたので、かっぱをきました。ほうりゅうじにつくと、鳥の名まえを、先生に教えてもらいました。さいごに、みんなで、しゃしんをうつしてもらった。楽しかったので、こんども、行きたいと思いました。川が、もっと、きれいだったら、鳥がいっぱいきてたのになあと、思いました。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川を生き返らせよう」

王寺町立王寺小学校6年

ぼくらの町、王寺町では、毎年花火大会がある。それと大和川がどう関係あるかといえば、花火大会は大和川の岸で行われているのです。また、花火大会だけでなく、置いてある遊具はみんなの遊び場になっています。だから、いまさらここでいうまでもなく川、とくに大和川のような一級河川の河原いろんなことに使えます。
しかし、いろんな利益をもたらす川も、ひとたび大雨がふるとたいへんです。三年前の夏休みの水害はすごかったです。ぼくは緑ヶ丘という大和川や葛下川からはなれた高台にあるので直接関係はなかったけど、奈良県下でもかなり大きな規模の駅である王寺駅が水につかって、そこの車庫のほうに止まっていた数十両の車両はダメになってしまいました。そしてひとまずついてから被害の多かった久度の方へ見にいくと家具を全部二階にあげた家など、とてもいたいたしかったです。そして、そのあとから本格的な治水作業が始まったのだから(もし、ぼくの見まちがいだったらゆるしてください)いろいろ問題があったにしろなぜ早めにやっておけなかったのかなあと思います。
でも、治水作業のためかどうかはしらないけど、岸の桜が全部切られていたのは、胸に何か考えさせられました。これは川だけでなく、林や海の開発などのように、利益と害の両方をなしてると思います。そしてこの開発は工業などの発達を助け、最後は汚せんされていくのでしょう。その汚せんされつくした川が、この奈良盆地を流れ、王寺町の水の要所として発達させてくれた大和川なのです。昔は、川は大切な輸送路や水源として大切にあつかわれ、都市の発達は川なしにしてはできなかったと思います。そして“水を治めるは国を治める”としてみんなが川を大切にしていたと思います。
だから、今生きているぼくたちも、昔の人と同じ、いやそれ以上に大和川だけでなく、全部の自然を守らなければならないと思います。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川は限りない働き手」

王寺町立王寺小学校6年

川は、大切な役目を果たしながら、流れている。
発電・運送・のみ水など数えきれない。一度流れだすと、雷電だって、ヘラクレスだって、止められない。止められない。
川より働き者はいないだろう。しかし、その川より、上手が出て来た。汚れだ。汚れはすぐに川をとりまいて、殺す。川は負けじとがん張って、流れる、が、汚れにはかなわない。たちまち川は、ドロドロ……。ダークグリーン色になって、流れはじめる。
死んだのだ。川は死んだ。
太古、45億年前、地球のこ動がきこえ、やがて、いくすじもの水路が、あらわれた。その結合点に広大な、水たまりができ、生物ができはじめた。それから、40数億年、進かして来た。アメーバ→こきゅうする単さいぼう動物→両せい類→はちゅうるい→ほにゅうるい。それを手伝って来たのも、川だ。
時に川は、逆流・はんらん・洪水をおこし人間をこまらすが、その倍、いやそれ以上のおかえしをしてくれている。人間はそのおかえしをうけ、生きて来た。人間はそのお礼に何をしたか。汚れだ。汚をあげた。川は、すんなりもらった。おかげで川は死んだ。川や海がつくってくれた、ぼくたち、れい長目。ヒト科ホモサピエンスは、何をしたんだ。川を殺すなんて。
よし、太古40数億年のつかれをいやしてやろう。人間を代表していいます。
「おフロにはいりたくないかい。川…。」 


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私たち」

 當麻町立磐城小学校6年

私は、「海は川のお母さん」という言葉が、大好きです。もし私がお母さんと遠くはなれた所に住んでいて久しぶりに会いにゆくのだったら、美しいすがたで会いに行きたいと思います。川も、私達と同じだと思います。ゴミや、どろだらけでお母さんに会いに行きたくないと思います。そんな川をよごすといったら、やっぱり人間です。たくさんの人が、あきかんやゴミを捨てているのです。もしも私が川だったらどんなにつらいでしょう。そして人をうらむにちがいありません。平気で捨てようとしている人を、川は今もおそれているかもしれません。ひっきりなしに人は、川にゴミを捨てているのですから。川は、いつもだまってがまんしているけど、心の中ではきっとこんなすがたでお母さんに会いに行きたくないと思っていることでしょう。
川の水は、いつも海にだどりつくことを、ゆめに見ているのです。人間と川とは、きっと心の中は同じでしょう。だったら美しいすがたで、海に送ってあげたいと心がけていきたいと思います。
私は川を美しくしていくということはそんなにむずかしいことではないと思います。でも私だってそれがなかなかできません。でもこれからは、人それぞれに個性を持って川をやさしい気持ちでみつめていけば川をすぐにでもきれいにできると思います。近ごろ、自分のことばかりで、川のことまで気づかなかった私ですが、これからは身の回りのことも、しっかり目を向けていこうと思うようになりました。
私はみんなが、ゴミを一つでもおとさないように心がけていくことで川を美しくする工夫が、できてくるのだと思います。
川は、みんなの心が一つになる日を待ちつづけているのかもしれません。


<優秀賞>大和川工事事務所長賞

「川と私」

 王寺町立王寺中学校3年

小学校二、三年の時だったかな。おばあちゃんに手を引っぱってもらって川の近くまで行ったのは。あのころは、川が大っきく見えて、今よりずっときれいでつめたかった。川辺を走り回っているうちにヘップを川にとばしてしまい、いそいで川の中へ入った。「流れて行ったらどうしよう、お母さんにおこられる」なんて涙、ポロポロ流してわきめもふらずにヘップを、おっていた。ヘップを手でつかんだ時、本当にうれしかった。水から出たら服も何もビショビショ、あわてておばあちゃんが飛んで来て私をしかった。私、おこられた時よりもヘップをひらえた時の方がうれしくて、うれしくて、家に帰っても泣いていたのを、おぼえています。
それに夏、川の近くで花火がうち上げられ川の上の道では、夜店がならぶ。私は、うれしさが顔に出てウキウキしながら友達と行った。花火がうち上げられる前に夜店を回り、いろいろと楽しんだ。花火がうち上げられるようになると川原は、人でいっぱいになった。ドーンドーンと花火が打ちあげられ、大輪の花が川に映し出された。美しかった。
しかしここ数年の内に大和川の姿もずい分かわった。川べりのたくさんの桜の木が切りたおされた。おばあちゃんが言ってた。「あの桜の木は、おじいちゃんや大ぜいの人が植て大切にそだてたのに」って言葉を聞いて私、桜の木のくずを少しばかり小ビンにつめてもって帰った。今でも大切に大切に机の中にしまってる。私たちの住んでいる所はまだ古い町並みがいっぱい残っています。けど小さいころとは、全然ちがってしまって。すくなくとも私の思い出がたくさんある所だからこれ以上、川をよごしてほしくないいえよごしてはいけないのです。