
作文部門1
<最優秀賞 大阪府知事賞>
「大和川によせて」
阪堺線の鉄橋から大和川を見下ろすと、土手は菜の花の花盛りです。ときおりジョギングしている人や、釣り糸を垂れている人もいます。きのうなど、カモメが四羽、五羽、空を低く飛んでいました。
いかにものどかな春、一幅の絵になりそうな景色です。
でも土手へ一歩足を踏みいれて見ると……。
草むらには空き缶がごろごろ、よどみにひっかかっているゴミの入ったビニール袋。
ああ、なんとかしてよと、川が泣いています。土手も泣いています。私の気持ちも暗澹としてきます。
あのゴミは、だれかが捨てたからあそこにあるのです。この空き缶だってそうです。だれかが捨てたのです。
どうして、どうして、どうして。
せっかくこんなにのどかな川なのに、菜の花だってあんなにきれいに咲いているのに、カモメも飛んでいるのに。
今の大和川は、一七〇四年につけかえられたものだと聞きました。機動力のない当時なのに、工事は十か月で完成したのだそうです。と、いうことは、いかにたくさんの人がその工事に汗を流したか、想像もつきません。
それ以後、大和川は、何度かは暴れましたが、また、流域の多くの人々の心にたくさんの甘美な思い出を与えたでしょう。
そのうちの一人に、私の父がいて、母がいます。新緑のころになると、しじみ狩りに出かけ、夏祭りにはきれいな着物をきせてもらっておみこしのお渡りを見に歩き、夏休みの宿題の絵を描きに行ったのは、母の子供のころの思い出です。
それは、たかだが三十年位前の話です。今の大和川は、生まれて二百八十年あまり。たった三十年の間にこれだけ汚れたのです。
今日の新聞に載っていました。川が汚れるのは下水処理が不完全だからだと。日本は欧米先進国に格段劣り、三十六パーセントしか処理できないそうなのです。レ・ミゼラブルでは、すでにその主人公、ジャン・ヴァルジャンがパリの下水道を伝って逃げることができたのに。
政治を司る人達も、この下水処理を完成させれるように、予算をたててほしいと思います。
今の堺の人々の飲み水は、淀川の水です。大和川の水が汚れすぎて取水できなくなったからです。
大和川の水に再び清い流れがよみがえったら、ジョギングの人、釣り人がまた集まるにちがいありません。そして、有形無形の思い出を人々に与えてくれるでしょう。
私たちの力で、もう一度美しい流れをとりもどしましょう。大和川を見ると心が和むように。
<最優秀賞 奈良県知事賞>
「大和川」
橿原市立金橋小学校3年
夏休みにお母さんのお友だちの、王寺に住んでいるきよみおばちゃんの所へ行きました。
おばちゃんと大和川の近くの公園へテニスをしに行きました。
「おばちゃんの子どものころは智ちゃんより黒かったよ、なんでか分かるかなあ。」とおばちゃんは言いました。
おばちゃんは大和川で毎日泳いでいたから黒くなったのです。
大和川はおばちゃんの子どものころは、とってもきれいな水だったので泳げました。おばちゃんはお友だちと犬かきできょうそうもしたそうです。
わたしは公園で泳ぐまねをしました。クロールや犬かき、バタ足をしました。おばちゃんは「智子ちゃん泳いでいるのね。」と、言いました。
「そうや、おばちゃんわたしも大和川で泳いでいるのよ。おもしろいでしょう。」二人でげらげらわらいました。おばちゃんは「本当に大和川で泳げたらよかったのにね。」とざんねんそうでした。
わたしは大和川をのぞきに行きました。緑色で川のそこは見えませんでした。ゴミがいっぱいつまっていました。これでは、やっぱり泳げないなあと思いました。
川をきれいにそうじをして、吉野川みたいにきれいな水をいっぱいながしたらよいと思います。ぜったいきれいな川にしてほしいです。
わたしは、市民プールや学校のプールで泳いでいますが、きれいになったら大和川へ、行きます。
やっぱり大和川みたいに大きな川で泳ぎたいです。
夏休みにお母さんのお友だちの、王寺に住んでいるきよみおばちゃんの所へ行きました。
おばちゃんと大和川の近くの公園へテニスをしに行きました。
「おばちゃんの子どものころは智ちゃんより黒かったよ、なんでか分かるかなあ。」とおばちゃんは言いました。
おばちゃんは大和川で毎日泳いでいたから黒くなったのです。
大和川はおばちゃんの子どものころは、とってもきれいな水だったので泳げました。おばちゃんはお友だちと犬かきできょうそうもしたそうです。
わたしは公園で泳ぐまねをしました。クロールや犬かき、バタ足をしました。おばちゃんは「智子ちゃん泳いでいるのね。」と、言いました。
「そうや、おばちゃんわたしも大和川で泳いでいるのよ。おもしろいでしょう。」二人でげらげらわらいました。おばちゃんは「本当に大和川で泳げたらよかったのにね。」とざんねんそうでした。
わたしは大和川をのぞきに行きました。緑色で川のそこは見えませんでした。ゴミがいっぱいつまっていました。これでは、やっぱり泳げないなあと思いました。
川をきれいにそうじをして、吉野川みたいにきれいな水をいっぱいながしたらよいと思います。ぜったいきれいな川にしてほしいです。
わたしは、市民プールや学校のプールで泳いでいますが、きれいになったら大和川へ、行きます。
やっぱり大和川みたいに大きな川で泳ぎたいです。
<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>
「大和川クリーンキャンペーンに参加したこと」
吹田市立南山田小学校5年
五月二十五日に父と仲良しの明子ちゃんと三人で大和川クリーンキャンペーンに参加しました。
なぜ行くようになったかと言うと、父が「大和川クリーンキャンペーン親子教室に行かない」
と、聞いてきたからです。私達は水生生物にちょう戦してみました。
行く場所は天見川と石川です。この二つの川が大和川とどんな関係があるのかというと天見川は、細いとてもきれいな川です、その天見川を下流の方ではとても大きな川になり石川とよばれています。その石川が大和川と合流しているのです。
朝七時に家を出て、近鉄高野線に乗り天見駅には九時に着きました。
着くと親子教室の谷先生が大和川はワースト2ですと言うことを話しました。私は「日本中で二番目にきたない川ってどのくらいきたないのかなあ」
と、不思議に思いワクワクしました。
天見川へ行くまで谷先生は植物の説明も、して下さいました。私は今まで見たこともない植物を沢山見ました。道ばたに多く生えているもの、大阪では見られないものばかりです。溝でかえるが何びきも飛んでいるので、ぞっとしてしまいました。
天見川へ着くと、みんなビーチサンダルをはきました。
私と明子ちゃんは長ぐつを持ってきてしまったので、ちょっと不安でした。ざるを持ち先生にやり方を教えていただきました。石をざるにいれその中でさがすのです。
さっそく水にはいりやってみました。私はこわくて、見つけると父に取ってもらいました。天見川は小さく草などにおおわれ、虫が沢山います。尾をふり泳ぐ物、背中をまげ泳ぐ物、さまざまです。どれも一センチメートル以内で小さいけれど頑張って泳いでいます。小さくても生物だなあと思いました。全員で集まって観察しあいました。色が少しずつちがって、天見の自然はすばらしいと思いました。先生はポケットからフィルム入れの長い物の中に入っている、からなどを沢山見せてくれました。それを一つ一つしっかり観察しました。おべんとうやおかしを食べると集合時間になりました。そして又、天見駅から電車に乗り道明寺駅まで行きました。道明寺駅付近は天見の方とはちがい住宅が立ちならび車の行き来も多いです。又、生物をつかまえられると楽しみにしているとどうでしょう川は、はい色で洗ざいの容器が沢山すててあります。がんばって取ろうとしても何もいません。だれがこんなにきたなくしたのでしょう。
社会や理科などて川をきれいにしましょうとよびかけているのに気にもとめなかった私が初めてかん心をもったのです。「こんなにきたなかったら、なにも住めないよ。」
とてもきたない川を見て私は、はらが立ってきました。なにげなくすてているゴミも、たちまち、このようになってしまうのです。
私は、これから川をきれいにしょうという事を頭に置いて、なにげなくでもゴミばこへいれることが大切だと思いました。
五月二十五日に父と仲良しの明子ちゃんと三人で大和川クリーンキャンペーンに参加しました。
なぜ行くようになったかと言うと、父が「大和川クリーンキャンペーン親子教室に行かない」
と、聞いてきたからです。私達は水生生物にちょう戦してみました。
行く場所は天見川と石川です。この二つの川が大和川とどんな関係があるのかというと天見川は、細いとてもきれいな川です、その天見川を下流の方ではとても大きな川になり石川とよばれています。その石川が大和川と合流しているのです。
朝七時に家を出て、近鉄高野線に乗り天見駅には九時に着きました。
着くと親子教室の谷先生が大和川はワースト2ですと言うことを話しました。私は「日本中で二番目にきたない川ってどのくらいきたないのかなあ」
と、不思議に思いワクワクしました。
天見川へ行くまで谷先生は植物の説明も、して下さいました。私は今まで見たこともない植物を沢山見ました。道ばたに多く生えているもの、大阪では見られないものばかりです。溝でかえるが何びきも飛んでいるので、ぞっとしてしまいました。
天見川へ着くと、みんなビーチサンダルをはきました。
私と明子ちゃんは長ぐつを持ってきてしまったので、ちょっと不安でした。ざるを持ち先生にやり方を教えていただきました。石をざるにいれその中でさがすのです。
さっそく水にはいりやってみました。私はこわくて、見つけると父に取ってもらいました。天見川は小さく草などにおおわれ、虫が沢山います。尾をふり泳ぐ物、背中をまげ泳ぐ物、さまざまです。どれも一センチメートル以内で小さいけれど頑張って泳いでいます。小さくても生物だなあと思いました。全員で集まって観察しあいました。色が少しずつちがって、天見の自然はすばらしいと思いました。先生はポケットからフィルム入れの長い物の中に入っている、からなどを沢山見せてくれました。それを一つ一つしっかり観察しました。おべんとうやおかしを食べると集合時間になりました。そして又、天見駅から電車に乗り道明寺駅まで行きました。道明寺駅付近は天見の方とはちがい住宅が立ちならび車の行き来も多いです。又、生物をつかまえられると楽しみにしているとどうでしょう川は、はい色で洗ざいの容器が沢山すててあります。がんばって取ろうとしても何もいません。だれがこんなにきたなくしたのでしょう。
社会や理科などて川をきれいにしましょうとよびかけているのに気にもとめなかった私が初めてかん心をもったのです。「こんなにきたなかったら、なにも住めないよ。」
とてもきたない川を見て私は、はらが立ってきました。なにげなくすてているゴミも、たちまち、このようになってしまうのです。
私は、これから川をきれいにしょうという事を頭に置いて、なにげなくでもゴミばこへいれることが大切だと思いました。
<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>
「わたしのやまとがわ」
平群町立平群南小学校1年
やまとがわは、いつもおとうさんが、とおっていくところです。やまとがわは、きたないけど、こいがいます。どうしてかな。ふしぎだな。
やまとがわが、もっときれいになっておよげるようになったらおよぎにいきます。ちかくやし、こいといっしょにおよげるし、おもしろいとおもいます。
ぼくは、三えけんの、くしだがわにおよぎにいきました。めをあけて、もぐってもめがいたくありませんでした。
やまとがわは、ごみがいっぱいできたなくて、みずもよごれています。
どようび、おとうさんと、いもうとと、ぼくでやまとがわへつりにいきました。なまずと、こいと、ふなと、かめがいました。けっきょくおとうさんが、ふなを一ぴきつりました。くらくなってきたのでおうちにかえりました。ぼくは、一ぴきもつれなくてくやしかったです。やまとがわのフェイスマークもおれんじいろでないていました。
やまとがわは、いつもおとうさんが、とおっていくところです。やまとがわは、きたないけど、こいがいます。どうしてかな。ふしぎだな。
やまとがわが、もっときれいになっておよげるようになったらおよぎにいきます。ちかくやし、こいといっしょにおよげるし、おもしろいとおもいます。
ぼくは、三えけんの、くしだがわにおよぎにいきました。めをあけて、もぐってもめがいたくありませんでした。
やまとがわは、ごみがいっぱいできたなくて、みずもよごれています。
どようび、おとうさんと、いもうとと、ぼくでやまとがわへつりにいきました。なまずと、こいと、ふなと、かめがいました。けっきょくおとうさんが、ふなを一ぴきつりました。くらくなってきたのでおうちにかえりました。ぼくは、一ぴきもつれなくてくやしかったです。やまとがわのフェイスマークもおれんじいろでないていました。
<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>
「わたしの大和川」
富田林市立寺池台小学校4年
「暑いなぁー」
ゴクゴクゴク-外から帰って飲む麦茶のおいしさ、頭からかぶるシャワーの水の気持ちのよさ。もしこの水が真っ黒によごれていたら、どんなんだろう。水道のじゃ口をひねってどろだらけの水がでたら、そんなこと考えた事があったかなぁ?。水はいつもきれいなものと思っているから、いつもは、あんまり気にせずに飲んでいましたが、社会の勉強で汚水処理場を見学してから少し水の事を考えるようになりました。
最初、処理場に流れてくる水の赤茶色できたない事、そして色々な種類のゴミの山。それが処理場を出るときは、魚が気持ちよく泳げるほどのきれいな水になっているのでびっくりしました。でも、どうして水が赤茶色によごれているのか、ゴミがあんなに入っているのか?。川の上流の方ではそのまま手にすくってのめるようなきれいな水が、町の中ではあんなによごれてしまう。きれいな水をよごす原因は?、工場からのはい水や、家庭からのはい水、そしてゴミ。その中で私や、家族が川をよごさないためにできる事はと、お母さんにたずねるとお母さんは、
「せんたくに粉せっけんを使ってるよ。」と、いいました。
「へえ、何かふつうのせんざいとちがうの。」と、聞くと、
「自然の原料でできてるから、川にもどっても自然に帰れるから。」
って教えてくれました。むずかし事はよくわかりませんが、私もぜったいに川にゴミをすてたりしないようにしようと思います。
そして、橋から川ののぞくとすき通った水が流れていて魚がうれしそうに泳いでいるのが見えたらほんとうにうれしいと思います。
「暑いなぁー」
ゴクゴクゴク-外から帰って飲む麦茶のおいしさ、頭からかぶるシャワーの水の気持ちのよさ。もしこの水が真っ黒によごれていたら、どんなんだろう。水道のじゃ口をひねってどろだらけの水がでたら、そんなこと考えた事があったかなぁ?。水はいつもきれいなものと思っているから、いつもは、あんまり気にせずに飲んでいましたが、社会の勉強で汚水処理場を見学してから少し水の事を考えるようになりました。
最初、処理場に流れてくる水の赤茶色できたない事、そして色々な種類のゴミの山。それが処理場を出るときは、魚が気持ちよく泳げるほどのきれいな水になっているのでびっくりしました。でも、どうして水が赤茶色によごれているのか、ゴミがあんなに入っているのか?。川の上流の方ではそのまま手にすくってのめるようなきれいな水が、町の中ではあんなによごれてしまう。きれいな水をよごす原因は?、工場からのはい水や、家庭からのはい水、そしてゴミ。その中で私や、家族が川をよごさないためにできる事はと、お母さんにたずねるとお母さんは、
「せんたくに粉せっけんを使ってるよ。」と、いいました。
「へえ、何かふつうのせんざいとちがうの。」と、聞くと、
「自然の原料でできてるから、川にもどっても自然に帰れるから。」
って教えてくれました。むずかし事はよくわかりませんが、私もぜったいに川にゴミをすてたりしないようにしようと思います。
そして、橋から川ののぞくとすき通った水が流れていて魚がうれしそうに泳いでいるのが見えたらほんとうにうれしいと思います。
<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>
「わたしの大和川」
川西町立式下中学校1年
私の家の近くには、大きな工場があります。その工場からは、白い、汚水が、たくさん、流されています。その付で魚つりをしている人達を見ていると、一ぴきもつれていない人がいました。やっぱり、その白い汚水で、魚がみんな死んでしまったんだなぁと私は思いました。
しかし、家へ帰ってみると、私のお母さんが、お米を洗った後の白い水を持って、その水を、植木に、やっていたのです。それで私は、何をしているのかなぁと思って聞いてみると、お母さんは、
「この、お米を洗った後の水を、そのままほかしてしまうと、もったいないし、その水をうすめるには、水が十ぱいも必要なのでそんな苦労するより、この方がいちばん良いから。」と、こたえてくれました。
でも、私は、一人だけそんな事をしたって同じだと思いましたが、私のお母さんは、その一人が気をつけていかないと川や、私達が、毎日、必要とする、大切なお水などが、いつきたなくなるか分からないよといいました。
それで私は、一人でも協力する事によって大和川も、もっともっと、きれいに、していく事が、必要だと思いました。
私の家の近くには、大きな工場があります。その工場からは、白い、汚水が、たくさん、流されています。その付で魚つりをしている人達を見ていると、一ぴきもつれていない人がいました。やっぱり、その白い汚水で、魚がみんな死んでしまったんだなぁと私は思いました。
しかし、家へ帰ってみると、私のお母さんが、お米を洗った後の白い水を持って、その水を、植木に、やっていたのです。それで私は、何をしているのかなぁと思って聞いてみると、お母さんは、
「この、お米を洗った後の水を、そのままほかしてしまうと、もったいないし、その水をうすめるには、水が十ぱいも必要なのでそんな苦労するより、この方がいちばん良いから。」と、こたえてくれました。
でも、私は、一人だけそんな事をしたって同じだと思いましたが、私のお母さんは、その一人が気をつけていかないと川や、私達が、毎日、必要とする、大切なお水などが、いつきたなくなるか分からないよといいました。
それで私は、一人でも協力する事によって大和川も、もっともっと、きれいに、していく事が、必要だと思いました。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「きれいな大和川にしたい」
大阪市立矢田小学校6年
私は、大和川に、つり大会で残った、魚をにがしに行きました。本当は残りの魚をほしかったけど、死んだらかわいそうだし、えさも食べなかったらかわいそうだからです。でも、私は。大和川ににがすことは、反対していました。だって大和川は、よごれていてきたないし、大和川ににがしたら病気をもつようになるし、背ぼねもまがるからです。それでも魚は、にげたがっていました。
そんな魚を見ていたらほっておけません。だからにがすのにさんせいをしました。魚はげんきにどこかへおよいでいってしまいました。
私は、学校を帰る時いつも楽しみの一つとしているものがあります。それは、橋の上から魚を見ることです。つり大会の時の魚とはちがう魚です。でもつり大会の時の魚もいればいいと思います。いつもみるさかなは、とても元気におよいでいます。おなかの所が太陽の光で光っていて、とてもきれいです。おなかの部分がひかるので魚がいるのがわかります。でもひかってわかるというのは、おかしいです。水があさいからよこになるのと、ひからないのとわからないのがおかしいと思う。すきとおった水で太陽の光が反しゃしてまぶしく魚もきれいな水で泳ぎたいと思っているにちがいない。私だってきれいな水で、水だって今のふかさの二倍ぐらいあれば友達とおよげるし、魚もとれると思います。すきとおった水がほしい、ゴミなどほられないぐらいのきれいな川がほしいです。川をよごす人間が同じだなんてとても考えたくないです。
私は、大和川に、つり大会で残った、魚をにがしに行きました。本当は残りの魚をほしかったけど、死んだらかわいそうだし、えさも食べなかったらかわいそうだからです。でも、私は。大和川ににがすことは、反対していました。だって大和川は、よごれていてきたないし、大和川ににがしたら病気をもつようになるし、背ぼねもまがるからです。それでも魚は、にげたがっていました。
そんな魚を見ていたらほっておけません。だからにがすのにさんせいをしました。魚はげんきにどこかへおよいでいってしまいました。
私は、学校を帰る時いつも楽しみの一つとしているものがあります。それは、橋の上から魚を見ることです。つり大会の時の魚とはちがう魚です。でもつり大会の時の魚もいればいいと思います。いつもみるさかなは、とても元気におよいでいます。おなかの所が太陽の光で光っていて、とてもきれいです。おなかの部分がひかるので魚がいるのがわかります。でもひかってわかるというのは、おかしいです。水があさいからよこになるのと、ひからないのとわからないのがおかしいと思う。すきとおった水で太陽の光が反しゃしてまぶしく魚もきれいな水で泳ぎたいと思っているにちがいない。私だってきれいな水で、水だって今のふかさの二倍ぐらいあれば友達とおよげるし、魚もとれると思います。すきとおった水がほしい、ゴミなどほられないぐらいのきれいな川がほしいです。川をよごす人間が同じだなんてとても考えたくないです。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「私と大和川」
大阪市立矢田中学校3年
ぼくは、釣りが好きでよく大和川に行きますが、ときどき変わった魚が釣れることがあります。たとえば、片目だったり、おなかがへこんでいたり、いろいろな魚が釣れます。ぼくは、コイも釣りに行くけど、大和川にいるコイはあまり深いところにはいないで、浅いところでじっとしています。そのわけは、大和川はきたなくて、水中の酸素が少ないので浅瀬にいないと呼吸ができないのです。それとぼくは、大和川の上流の方も自転車で行ったことがあるけど、川原におりてみてびっくりしました。立っている足下が沈むのです。あわててひっこぬくと悪臭がただよいました。
それはヘドロの沼でした。
なぜ、大和川はきたない川になったのか。昔は大和川の水を飲んだり、もぐってあそんだり、今では考えられないことです。しかし、現実に昔はしていたのです。昔からのうつり変わりをみると、戦前に一時、工場がたちならびました。その工場廃水によって汚染されました。つぎに戦後、こんどは化学物質による汚染。有機リンなどの有害な洗ざいや、もっとひどい物が流され、それによってヘドロができて同時にプランクトンがふえて、水中の酸素がへった。それに缶ジュースなどの空缶や空びんなどが平気にどんどんすてられていきました。
これだけよごれたら、あと十年はこのまま汚染されてるでしょう。しかし、私たちが今から努力に努力をかさねたら。百年後ぐらいには、もしかするともとにもどっているかもしれません。ぼくたち釣り人も自分で出したゴミは焼くか持ってかえるかしなければなりません。私たちが川を思っているかぎり、一生このクリーンキャンペーンをつづけなくてはならないと思います。私たちの手でもう一度、あのきれいだった大和川にもどさなくてはなりません。
ぼくは、釣りが好きでよく大和川に行きますが、ときどき変わった魚が釣れることがあります。たとえば、片目だったり、おなかがへこんでいたり、いろいろな魚が釣れます。ぼくは、コイも釣りに行くけど、大和川にいるコイはあまり深いところにはいないで、浅いところでじっとしています。そのわけは、大和川はきたなくて、水中の酸素が少ないので浅瀬にいないと呼吸ができないのです。それとぼくは、大和川の上流の方も自転車で行ったことがあるけど、川原におりてみてびっくりしました。立っている足下が沈むのです。あわててひっこぬくと悪臭がただよいました。
それはヘドロの沼でした。
なぜ、大和川はきたない川になったのか。昔は大和川の水を飲んだり、もぐってあそんだり、今では考えられないことです。しかし、現実に昔はしていたのです。昔からのうつり変わりをみると、戦前に一時、工場がたちならびました。その工場廃水によって汚染されました。つぎに戦後、こんどは化学物質による汚染。有機リンなどの有害な洗ざいや、もっとひどい物が流され、それによってヘドロができて同時にプランクトンがふえて、水中の酸素がへった。それに缶ジュースなどの空缶や空びんなどが平気にどんどんすてられていきました。
これだけよごれたら、あと十年はこのまま汚染されてるでしょう。しかし、私たちが今から努力に努力をかさねたら。百年後ぐらいには、もしかするともとにもどっているかもしれません。ぼくたち釣り人も自分で出したゴミは焼くか持ってかえるかしなければなりません。私たちが川を思っているかぎり、一生このクリーンキャンペーンをつづけなくてはならないと思います。私たちの手でもう一度、あのきれいだった大和川にもどさなくてはなりません。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「わたしの大和川」
賢明学院中学校3年
大和川は、奈良盆地周辺の山地を源流とし、盆地内の多数の河川を集めて、大和川本流になり、生駒、金剛の山脈の間をぬって大阪平野に出て、大阪湾に注いでいる。
大和川本流は、初瀬川であり、その流域面積は、一〇七〇平方キロメートルであり、そのうち堺市の部分は、約三十平方キロメートルである。と、「堺の環境」という本に書かれている。
源流となる奈良盆地周辺の初瀬川と、堺周辺の大和川とは、比較にならないくらい大きく違っているだろう。水質、水量、川幅、そして周りの環境など、どれをとってもそうであろう。私にとっての大和川は、残念ながら汚れているとか、水量が少ないとか、大阪市と堺市との境界線代わりというイメージがあるが、最近は河原も整備されてきて以前より少しきれいになったように思うが、まだまだ他の河川と比べれば汚いと思う。しかし、小さい頃も今もそうだが、どこかに出かける時、大和川の鉄橋を渡ると
「さあ、出発だ。」
と、いう気になり、戻って来た時あの川を渡ると、家に到着したような気になってしまうから、不思議なものだ。その大和川も、昔のままのながれではない。
一七〇四年(宝永元年)、河内平野南部の洪水の被害をなくすために、流れを変える工事が行われた。旧川の河原には、新田が開発され、旧河床には綿が植えられた。その後、大阪の近郊地帯として都市化し、今までの農村や花や、野菜の栽培を始め、商業を営むようになり、鉄道が開設され、住宅地化していった。都市化が進んだといっても、流域の農村にとっては、今でも大和川は大切な灌がい用の水源である。そして、堺市民にとっては、大切な上水道として役立っている。
大和川のことをよりよく知るために、図書館に通い、大和川に関するいろいろな本を読み、郷土の川として、大切にしなくてはいけないと感じた。
大和川は、奈良盆地周辺の山地を源流とし、盆地内の多数の河川を集めて、大和川本流になり、生駒、金剛の山脈の間をぬって大阪平野に出て、大阪湾に注いでいる。
大和川本流は、初瀬川であり、その流域面積は、一〇七〇平方キロメートルであり、そのうち堺市の部分は、約三十平方キロメートルである。と、「堺の環境」という本に書かれている。
源流となる奈良盆地周辺の初瀬川と、堺周辺の大和川とは、比較にならないくらい大きく違っているだろう。水質、水量、川幅、そして周りの環境など、どれをとってもそうであろう。私にとっての大和川は、残念ながら汚れているとか、水量が少ないとか、大阪市と堺市との境界線代わりというイメージがあるが、最近は河原も整備されてきて以前より少しきれいになったように思うが、まだまだ他の河川と比べれば汚いと思う。しかし、小さい頃も今もそうだが、どこかに出かける時、大和川の鉄橋を渡ると
「さあ、出発だ。」
と、いう気になり、戻って来た時あの川を渡ると、家に到着したような気になってしまうから、不思議なものだ。その大和川も、昔のままのながれではない。
一七〇四年(宝永元年)、河内平野南部の洪水の被害をなくすために、流れを変える工事が行われた。旧川の河原には、新田が開発され、旧河床には綿が植えられた。その後、大阪の近郊地帯として都市化し、今までの農村や花や、野菜の栽培を始め、商業を営むようになり、鉄道が開設され、住宅地化していった。都市化が進んだといっても、流域の農村にとっては、今でも大和川は大切な灌がい用の水源である。そして、堺市民にとっては、大切な上水道として役立っている。
大和川のことをよりよく知るために、図書館に通い、大和川に関するいろいろな本を読み、郷土の川として、大切にしなくてはいけないと感じた。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「新しい川」
富田林市立葛城中学校3年
大和川についてかくわけだけど、何も知らず書くわけにもいかないので、大和川について、少し、調べた。
つけかえがはじまったのが、一七〇三年十月というから、江戸時代のことですが、のべおよそ二四〇万人という大工事だったそうです。幅百八十メートル、長さ十四・三キロメートルという広く、長い川だったのですが、残念なのは、川がつくられたのは、江戸時代だったので、出来たばかりのころの川の写真がないことです。どういう意味かというと、きれいな大和川を見たことがないのです。
できたころは当然、川辺も水もきれいだろうと思うのです。ちょっと感覚が違うとは思うけど、幼いころよく新しいおもちゃや、とくに“くつ”なんて買ってもらうと、“汚したくない”と思って泥のあるところや、水たまりをさけて通ったりして汚さないように、心がけたものですが、ちょっとよごれたりしたり、よごれなくても日数が立つと、“もう、汚れてもいいや”みたいなで、ついこないだとはちがって、水たまりを平気で通ったりしたもので、新しいころばかり大事にしてしまう-。そんなことをだれでも一度は経験があるはずです。大和川の近くに住んでいた人たちも、そんな風に、変わっていったんだと思います。近年になって、ますますきたなくなったといううわさを、よく聞きますが、みんなも、先に、のべたようなところがあるのだろうと思っています。“みんな、ここに空き缶すててるし、どうせ、こんなきたないのだから、いいや”みたいなかんじで、徐々に、川が、よけいに汚れて、きているのです。
今からつくり、なおす、わけにもいかないし、洗剤を使って、ゴシ、ゴシ、ゴシ、なんてわけにもいかないのだから“どうせ、こんなにきたないのだから、いいや”などという気持ちを、捨てて“もし、このゴミを捨てなければ、このゴミの分だけ、きれいになるんだ”と考え、“もし、このゴミをここで、拾ったら、このゴミの分だけきれいになっていくんだ”と思って、一人、一人、注意をしていけばいいと思います。
幼いころ、新しいくつを買ったときのような、あんな気持ちにかえって、道具を、つかった工事ではなしに、そんな「気持ち」をつかった工事をしたら、新しい、きれいな、大和川をこの目で、みることができるのだと思います。
大和川についてかくわけだけど、何も知らず書くわけにもいかないので、大和川について、少し、調べた。
つけかえがはじまったのが、一七〇三年十月というから、江戸時代のことですが、のべおよそ二四〇万人という大工事だったそうです。幅百八十メートル、長さ十四・三キロメートルという広く、長い川だったのですが、残念なのは、川がつくられたのは、江戸時代だったので、出来たばかりのころの川の写真がないことです。どういう意味かというと、きれいな大和川を見たことがないのです。
できたころは当然、川辺も水もきれいだろうと思うのです。ちょっと感覚が違うとは思うけど、幼いころよく新しいおもちゃや、とくに“くつ”なんて買ってもらうと、“汚したくない”と思って泥のあるところや、水たまりをさけて通ったりして汚さないように、心がけたものですが、ちょっとよごれたりしたり、よごれなくても日数が立つと、“もう、汚れてもいいや”みたいなで、ついこないだとはちがって、水たまりを平気で通ったりしたもので、新しいころばかり大事にしてしまう-。そんなことをだれでも一度は経験があるはずです。大和川の近くに住んでいた人たちも、そんな風に、変わっていったんだと思います。近年になって、ますますきたなくなったといううわさを、よく聞きますが、みんなも、先に、のべたようなところがあるのだろうと思っています。“みんな、ここに空き缶すててるし、どうせ、こんなきたないのだから、いいや”みたいなかんじで、徐々に、川が、よけいに汚れて、きているのです。
今からつくり、なおす、わけにもいかないし、洗剤を使って、ゴシ、ゴシ、ゴシ、なんてわけにもいかないのだから“どうせ、こんなにきたないのだから、いいや”などという気持ちを、捨てて“もし、このゴミを捨てなければ、このゴミの分だけ、きれいになるんだ”と考え、“もし、このゴミをここで、拾ったら、このゴミの分だけきれいになっていくんだ”と思って、一人、一人、注意をしていけばいいと思います。
幼いころ、新しいくつを買ったときのような、あんな気持ちにかえって、道具を、つかった工事ではなしに、そんな「気持ち」をつかった工事をしたら、新しい、きれいな、大和川をこの目で、みることができるのだと思います。