
作文部門2
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「大和川をうつくしく」
私は、ときどき父と大和川やとみお川へつりに行きます。コイやフナがよくつれます。この前、子供新聞に、きれいな水にいる生き物と、よごれた水にいる生き物のことが書いてあり、フナやコイやよごれた水にいることがわかりました。つりに行くと、あきカンやビニールや野さいなどのごみがたくさん落ちています。また、川の水はあわがたくさんできています。父に聞くと大和川は、日本で二番目によごれている川だそうです。昔の大和川は、水もきれいで、アユも住み、泳ぐことができていたのに、なぜ、こんなことになったのだろう。一学きに見学した近くのカーペット工場は、きたない水をそのままながさないで、きれいにしてからながしている。ほかの工場も見ならえばいいのにと思う 二年生のとき、先生にくま本けんの水また病の話を聞いた。工場から水ぎんの入った水を海にすてたため、尾びれやせびれのない魚や、形のかわった魚がとれたそうです。魚をとる人たちは、
「かわった魚だなあ。」
といいながら、へんな魚だけりくにすてて、おかしくない魚だけ食たそうです。りくにすてた魚をねこが食べて道でおどりだし、しんでしまいました。おかしくない魚にも、少し水ぎんが入っていたため、その魚を食べた人たちも病気になってしまいました。大和川だって、もしそんなことで、フナやコイがしんだらかわいそうだし、人が病気になるかもしれない。
私の住んでいる安堵町の近くには、大和川のほかに、とみお川や岡ざき川や、いろいろな川がたくさんあります。そんな川がみんなよごれた川だったら、とてもかなしいです。
みんなで気をつけて、川にあきかんやビニールや野さいをすてないようにして、洗たくのときの水を、川にながさなかったらいいと思う。きれいな水にして、昔のようにアユがいたり、泳げるような川になってほしい。
大和川と、とみお川がいっしょになった所に水しつのフェイスマークがあります。いまはとてもおこった顔をしているけれど、はやくわらった顔にしてあげたい。みんなできょう力すればできるかもしれない。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「わたしの大和川」
川西町立式下中学校1年
大和川は、とてもよごれています。その原因は家庭での排水がほとんどなのです。みんなが少しぐらいならいいだろうと思って捨てるというのがいけないんだと思います。米のとぎ汁一升を大和川の汚れと同じになるまでうすめるために、ドラムカン一・五本の清水が必要なのです。日本酒カップ一杯の場合だと、ドラムカン十五本分の清水が必要なのです。みんな一人一人が気を付けること。みんなが大和川をきれいにする気持ちをもって実行することが必要なんだなぁと思います。いろいろな工夫をこらして、できるだけ排水を流さないようにして空き缶などのゴミをほかさないようにしなければいけません。下水道の整備、排水規制の徹底とともに家庭での工夫、努力が大切なのです。
排水にもいろいろな利用方法がありますし、油よごれなども流してしまわないように一回一回気を付けること。近くの水路や川の清掃をする。洗剤の使い方にも気をつける必要があると思います。工場、事業場では、法令できめられた排水基準を守ることが大切です。まず一人一人が川をきれいにしようと思うようにならなければいけないなぁと思います。
大和川水系の水質フェイスマークでもとてもよごれているになっています。はやく努力してきれいの笑顔のマークがついてほしいなぁと思います。
大和川の水も昔はきれいな水だったはずです。そのきれいな川を私達の手でとりもどさなければいけないのです。
大和川は、とてもよごれています。その原因は家庭での排水がほとんどなのです。みんなが少しぐらいならいいだろうと思って捨てるというのがいけないんだと思います。米のとぎ汁一升を大和川の汚れと同じになるまでうすめるために、ドラムカン一・五本の清水が必要なのです。日本酒カップ一杯の場合だと、ドラムカン十五本分の清水が必要なのです。みんな一人一人が気を付けること。みんなが大和川をきれいにする気持ちをもって実行することが必要なんだなぁと思います。いろいろな工夫をこらして、できるだけ排水を流さないようにして空き缶などのゴミをほかさないようにしなければいけません。下水道の整備、排水規制の徹底とともに家庭での工夫、努力が大切なのです。
排水にもいろいろな利用方法がありますし、油よごれなども流してしまわないように一回一回気を付けること。近くの水路や川の清掃をする。洗剤の使い方にも気をつける必要があると思います。工場、事業場では、法令できめられた排水基準を守ることが大切です。まず一人一人が川をきれいにしようと思うようにならなければいけないなぁと思います。
大和川水系の水質フェイスマークでもとてもよごれているになっています。はやく努力してきれいの笑顔のマークがついてほしいなぁと思います。
大和川の水も昔はきれいな水だったはずです。そのきれいな川を私達の手でとりもどさなければいけないのです。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「わたしの大和川」
当麻町立磐城小学校5年
今年の夏、家族で鳥取県へ旅行に行った時のことです。
近くの川で、ますのつかみどりをしました。川を石などで囲ってあって、そこにますを放流してあるのです。
ワクワクしながら川に入ると、とびあがるほど冷たくて、足がしびれるほどでした。まるで、足がこおりの中へ入っているようでした。こんな冷たい川に入ったのは初めてでした。
そして、冷たいだけではなく、とてもきれいでした。
そんな川で、ますは、きれいにすんだ水の底をすいすいと泳ぎまわっていました。この時ぼくは、「ます」というのは、よほどきれいな水にしかすまないといわれるだけはあるなぁと思いました。
それほど水はきれいで、すきとおっていました。ますも、こんなきれいな川でおよいでいたら、さぞ気持ちがいいだろうと思いました。
また、川には金や銀色のきれいな鯉が放流してありました。そして、気持ちよさそうにゆったりとおよいでいました。
この鯉に、石を軽くポーンと投げると、ぼくたちの手のとどきそうな所まで近づいてきました。
たぶん、エサをくれると思ったのでしょう。それにしても、よくなついていると思いました。
おそらく、他の人が投げても、鯉は近づいて来たと思います。それなのに、だれも取らずにこの辺の人々は、鯉を大事にしているんだと思いました。このような思いやりの心のある人たちがいてるから、こんなきれいな川が生まれてくるんだなと思いました。
大和川も昔はもっときれいだったそうです。ゴミ一つない、水のすんだ大和川だったのです。
それが今は、残念なことに、きたなくにごっています。むかしの大和川とくらべたら、あんなきれいな川がこんな川に……。とうそのようです。
だから、もう一度、きれいな川にもどってほしいです。
もともときれいな川だったのだから、もどれるはずです。よみがえれ!大和川!
今年の夏、家族で鳥取県へ旅行に行った時のことです。
近くの川で、ますのつかみどりをしました。川を石などで囲ってあって、そこにますを放流してあるのです。
ワクワクしながら川に入ると、とびあがるほど冷たくて、足がしびれるほどでした。まるで、足がこおりの中へ入っているようでした。こんな冷たい川に入ったのは初めてでした。
そして、冷たいだけではなく、とてもきれいでした。
そんな川で、ますは、きれいにすんだ水の底をすいすいと泳ぎまわっていました。この時ぼくは、「ます」というのは、よほどきれいな水にしかすまないといわれるだけはあるなぁと思いました。
それほど水はきれいで、すきとおっていました。ますも、こんなきれいな川でおよいでいたら、さぞ気持ちがいいだろうと思いました。
また、川には金や銀色のきれいな鯉が放流してありました。そして、気持ちよさそうにゆったりとおよいでいました。
この鯉に、石を軽くポーンと投げると、ぼくたちの手のとどきそうな所まで近づいてきました。
たぶん、エサをくれると思ったのでしょう。それにしても、よくなついていると思いました。
おそらく、他の人が投げても、鯉は近づいて来たと思います。それなのに、だれも取らずにこの辺の人々は、鯉を大事にしているんだと思いました。このような思いやりの心のある人たちがいてるから、こんなきれいな川が生まれてくるんだなと思いました。
大和川も昔はもっときれいだったそうです。ゴミ一つない、水のすんだ大和川だったのです。
それが今は、残念なことに、きたなくにごっています。むかしの大和川とくらべたら、あんなきれいな川がこんな川に……。とうそのようです。
だから、もう一度、きれいな川にもどってほしいです。
もともときれいな川だったのだから、もどれるはずです。よみがえれ!大和川!
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「私の大和川」
大阪市立大和川中学校2年
小学一年の時に住吉に越して来てから、もう九年目になろうとしています。私が今、住んでいるマンションの下をゆっくりと流れている川、それが大和川です。大和川は、“きたない川だ”としてこの辺りでは知られています。確かにゴミが多くて、“きれいな川”とはいえません。でもそれは、川の責任でもなければ、好きでそうなったわけではないのです。だから、川がかわいそうです。
私は、きたないとは思いません。大和川が作り出す景色を、もう少し観察してみたら、そんな風には言えないのです。
寒い冬の朝、まだ少し曇っていて寝ぼけた太陽が差しかける頃、川は辺り一面真白です。雪ではありません。それは、沢山の水鳥が群れをなして、川に下りてくるのです。
真夏の昼間は、カンカン照りの太陽と、吸い込まれそうな青い空と、真白な入道雲。それを跳ね返す鏡の様な川は、まともに目を向けられない輝きです。時折、静かだった川面に幾重にも輪ができます。それは、元気がいいのかとても高く飛び跳ねる、魚の仕業です。
夜は、夜で、堺の夜景をものの見事に写し出してくれます。高速道路の車のライトと、南海線の電車の灯りが、まるでミニチュア模型の様です。
だけど、私がその中で一番好きなのは夕焼けです。太陽だけが真赤にもえ、空全体がピンク色に染まり、空の青とのグラデーションを作り出す。見る毎に違う作品だけど、それに応じて川が何とも言えない美しさを見せてくれます。そういう景色は、川が生み出した最高の傑作作品だといえます。
もちろん、ゴミを出さない様にするのが、川にとって一番いいことだけど、川の汚れをなげくばかりでなく、景色の様に、違うところから、もう一度見つめ直してみるということも大切だと思います。
小学一年の時に住吉に越して来てから、もう九年目になろうとしています。私が今、住んでいるマンションの下をゆっくりと流れている川、それが大和川です。大和川は、“きたない川だ”としてこの辺りでは知られています。確かにゴミが多くて、“きれいな川”とはいえません。でもそれは、川の責任でもなければ、好きでそうなったわけではないのです。だから、川がかわいそうです。
私は、きたないとは思いません。大和川が作り出す景色を、もう少し観察してみたら、そんな風には言えないのです。
寒い冬の朝、まだ少し曇っていて寝ぼけた太陽が差しかける頃、川は辺り一面真白です。雪ではありません。それは、沢山の水鳥が群れをなして、川に下りてくるのです。
真夏の昼間は、カンカン照りの太陽と、吸い込まれそうな青い空と、真白な入道雲。それを跳ね返す鏡の様な川は、まともに目を向けられない輝きです。時折、静かだった川面に幾重にも輪ができます。それは、元気がいいのかとても高く飛び跳ねる、魚の仕業です。
夜は、夜で、堺の夜景をものの見事に写し出してくれます。高速道路の車のライトと、南海線の電車の灯りが、まるでミニチュア模型の様です。
だけど、私がその中で一番好きなのは夕焼けです。太陽だけが真赤にもえ、空全体がピンク色に染まり、空の青とのグラデーションを作り出す。見る毎に違う作品だけど、それに応じて川が何とも言えない美しさを見せてくれます。そういう景色は、川が生み出した最高の傑作作品だといえます。
もちろん、ゴミを出さない様にするのが、川にとって一番いいことだけど、川の汚れをなげくばかりでなく、景色の様に、違うところから、もう一度見つめ直してみるということも大切だと思います。
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「わたしの大和川」
大阪市立大和川中学校3年
大和川は汚い。いくら近所でも、親しみがあってひいき目でみても、決して奇麗な川とは言えない。でも私は、素敵な場所だとも思える。だってあんなに汚れているのにたくさんの人が釣りをしているし、犬の散歩とかでよく会うおっちゃんとかと仲よくなったりするからだ。でもこの間は驚いた。おじいさんが大和川で泳いでいたからだ。泳ぐというよりか、浮かぶって感じて背泳ぎをしていたからだ。びっくりして思わず立ち止まった。破傷風みたいな病気になったらどうすんのよっと一人でどぎまぎ心配していたのに、気持ちよさそうに泳いでいるから、ちょっと腹が立ったけど、おじいさんが昔を懐かしんでいるように見えたので許してあげることにした。そう言えば、お父さんも、小さい頃は大和川で泳いだという。信じられないけど、昔は大和川もきれかったんだろう。今は、大雨なんか降るとなかなか消えない泡が一面に広がっている。すくってみるとスポンジが汚れて腐ったやつみたいで消えないから怖い。
夏になると、大和川の土手にあるお地蔵さんで地蔵盆がある。小学校の頃は友達とよくいった。名前いりちょうちんが欲しくて、お母さんに買ってもらったこともあったし、朝から行って、お供えに来る人の留守番役などした。お菓子とかいっぱい食べたけど役にたってるとおもってた。でも、本当に役にたってたかは、わからない。夜になると、大人の人達が集まって賑やかになった。私達も仲間に入れてもらった。もっと小さい頃、近所のおばちゃんと、お弁当を持って行って食べたこともある。今考えると恥ずかしい。けどみんないい思い出だ。だから私が大人になっても、いい思い出の場所になってほしい。
見あきた風景でも、汚い川でも、ちょっと素敵に見えるのは、愛着があるってことかな。
大和川は汚い。いくら近所でも、親しみがあってひいき目でみても、決して奇麗な川とは言えない。でも私は、素敵な場所だとも思える。だってあんなに汚れているのにたくさんの人が釣りをしているし、犬の散歩とかでよく会うおっちゃんとかと仲よくなったりするからだ。でもこの間は驚いた。おじいさんが大和川で泳いでいたからだ。泳ぐというよりか、浮かぶって感じて背泳ぎをしていたからだ。びっくりして思わず立ち止まった。破傷風みたいな病気になったらどうすんのよっと一人でどぎまぎ心配していたのに、気持ちよさそうに泳いでいるから、ちょっと腹が立ったけど、おじいさんが昔を懐かしんでいるように見えたので許してあげることにした。そう言えば、お父さんも、小さい頃は大和川で泳いだという。信じられないけど、昔は大和川もきれかったんだろう。今は、大雨なんか降るとなかなか消えない泡が一面に広がっている。すくってみるとスポンジが汚れて腐ったやつみたいで消えないから怖い。
夏になると、大和川の土手にあるお地蔵さんで地蔵盆がある。小学校の頃は友達とよくいった。名前いりちょうちんが欲しくて、お母さんに買ってもらったこともあったし、朝から行って、お供えに来る人の留守番役などした。お菓子とかいっぱい食べたけど役にたってるとおもってた。でも、本当に役にたってたかは、わからない。夜になると、大人の人達が集まって賑やかになった。私達も仲間に入れてもらった。もっと小さい頃、近所のおばちゃんと、お弁当を持って行って食べたこともある。今考えると恥ずかしい。けどみんないい思い出だ。だから私が大人になっても、いい思い出の場所になってほしい。
見あきた風景でも、汚い川でも、ちょっと素敵に見えるのは、愛着があるってことかな。
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「みらいの大和川」
大阪市立矢田北小学校5年
川が死んでいる。今の大和川は重病人みたいと、わたしは思います。くさいにおい、きたない水、よごれたすな、たくさんのごみ、こんな川は早く生きかえらせないといけないと思います。わたしのみらいの大和川は、きれいで、すきとおったさらさらと流れる水の中であめんぼうや魚が泳いでいて父と母がボートにのってたのしそうにわらっている。わたしとおねえさんがその横で魚といっしょに遊んでいる。魚もたくさんいて、人が近くにいてもにげずに、いっしょにたのしく、遊びまわっていて、川の土手には、子供達の遊び場があって、すべりだいやジャングルジム、ふらんこ、てつぼう、ボートのりばなどができ、車のとおるところとちがう道で、ゆっくりあるいていける、たのしいトネンルもあって空も工場のけむりでよごれた空でなく、くもだけがぽっかりうかんで、初夏ではほたるが、水のうえに光で絵をかいているみたいにとび回っている。あきには、赤トンボがたくさんとびまわっていて、小さかったころのおとうさん、おかあさんたちが見てきたようになってほしいとわたしは思います。虫のなき声もにぎやかにきこえ、歌をうたっているみたいで、ススキも風でそよそよとなびいて、春にはなのはなや、タンポポで黄色くなって反対側をみるとれんげ草でピンク色にそまり、ちょうちょうがとんで空気のきれいな、だれもが行ってみようと思うような大和川であったらよいなーとわたしは、思います。
川が死んでいる。今の大和川は重病人みたいと、わたしは思います。くさいにおい、きたない水、よごれたすな、たくさんのごみ、こんな川は早く生きかえらせないといけないと思います。わたしのみらいの大和川は、きれいで、すきとおったさらさらと流れる水の中であめんぼうや魚が泳いでいて父と母がボートにのってたのしそうにわらっている。わたしとおねえさんがその横で魚といっしょに遊んでいる。魚もたくさんいて、人が近くにいてもにげずに、いっしょにたのしく、遊びまわっていて、川の土手には、子供達の遊び場があって、すべりだいやジャングルジム、ふらんこ、てつぼう、ボートのりばなどができ、車のとおるところとちがう道で、ゆっくりあるいていける、たのしいトネンルもあって空も工場のけむりでよごれた空でなく、くもだけがぽっかりうかんで、初夏ではほたるが、水のうえに光で絵をかいているみたいにとび回っている。あきには、赤トンボがたくさんとびまわっていて、小さかったころのおとうさん、おかあさんたちが見てきたようになってほしいとわたしは思います。虫のなき声もにぎやかにきこえ、歌をうたっているみたいで、ススキも風でそよそよとなびいて、春にはなのはなや、タンポポで黄色くなって反対側をみるとれんげ草でピンク色にそまり、ちょうちょうがとんで空気のきれいな、だれもが行ってみようと思うような大和川であったらよいなーとわたしは、思います。
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「わたしの大和川」
大阪市立矢田中学校3年
わたしは幼い頃、よく父に大和川に連れていってもらった。川の中に足を入れたり、石を投げたりして遊んだ。その頃は、日曜日になると必ずと言ってよいほど、大和川に行っていた。
その大和川も、小学校に入学して二-三年経つと、ほとんど行かなくなってしまった。それが、四年生の冬、行く機会ができた。クラブで大和川の堤防を走るのである。久しぶりの大和川だったが、さすがに親しみはもてた。しかし、川原がコンクリートになっており、幼い頃のように石を投げて遊ぶことができなくなっていた。これはわたしにとって、大切な何かが欠けてしまったような感じだった。それに、川を見ると、幼い頃に見た大和川とは違って、ゴミや空カンが投げ込まれており、水も汚くなっている。これでは足も入れられない。たった数年の間に、こんなにも変わるものか、と悲しく思えた。
中学校に入学してからも、クラブでよく大和川に行った。あれから何年も経っているのに、大和川はきれいにはならなかった。そんな頃、大和川の汚染度は、日本で第二位であるという話を聞いた。大和川は変わってしまった。わたしの好きな大和川ではなくなってしまっている。それからわたしは、食器を洗ったりしていると「これが、大和川を汚しているのか」という目で洗剤を見るようになった。生活用水だった川の水が今では汚染度が日本で二位。昔の人がこの事態を知ったら、どれほど悲しむだろうか。今のわたしたちでもこのような状態なのに、この川の水を飲んだりしていた人たちはどう思うだろうか。のどが乾いて水を飲みに来たら、悪臭が漂い、とても飲める水ではない。この人たちは、嘆かれるだろう。自然は、一度破壊されると戻るには数十年、数百年かかる。大げさかもしれないが、これくらいの見当をつけても良いと思う。しかし、それはわたしたちの態度によって変わる。わたしたちの努力しだいで、もとの大和川に戻る可能性はあるのだ。気の遠くなる話かもしれないが、たった一つでも大和川をきれいにする努力をしてほしい。それだけでも大和川は少しずつ少しずつ、目には見えないけれど、きれいになっていると思う。
わたしは幼い頃、よく父に大和川に連れていってもらった。川の中に足を入れたり、石を投げたりして遊んだ。その頃は、日曜日になると必ずと言ってよいほど、大和川に行っていた。
その大和川も、小学校に入学して二-三年経つと、ほとんど行かなくなってしまった。それが、四年生の冬、行く機会ができた。クラブで大和川の堤防を走るのである。久しぶりの大和川だったが、さすがに親しみはもてた。しかし、川原がコンクリートになっており、幼い頃のように石を投げて遊ぶことができなくなっていた。これはわたしにとって、大切な何かが欠けてしまったような感じだった。それに、川を見ると、幼い頃に見た大和川とは違って、ゴミや空カンが投げ込まれており、水も汚くなっている。これでは足も入れられない。たった数年の間に、こんなにも変わるものか、と悲しく思えた。
中学校に入学してからも、クラブでよく大和川に行った。あれから何年も経っているのに、大和川はきれいにはならなかった。そんな頃、大和川の汚染度は、日本で第二位であるという話を聞いた。大和川は変わってしまった。わたしの好きな大和川ではなくなってしまっている。それからわたしは、食器を洗ったりしていると「これが、大和川を汚しているのか」という目で洗剤を見るようになった。生活用水だった川の水が今では汚染度が日本で二位。昔の人がこの事態を知ったら、どれほど悲しむだろうか。今のわたしたちでもこのような状態なのに、この川の水を飲んだりしていた人たちはどう思うだろうか。のどが乾いて水を飲みに来たら、悪臭が漂い、とても飲める水ではない。この人たちは、嘆かれるだろう。自然は、一度破壊されると戻るには数十年、数百年かかる。大げさかもしれないが、これくらいの見当をつけても良いと思う。しかし、それはわたしたちの態度によって変わる。わたしたちの努力しだいで、もとの大和川に戻る可能性はあるのだ。気の遠くなる話かもしれないが、たった一つでも大和川をきれいにする努力をしてほしい。それだけでも大和川は少しずつ少しずつ、目には見えないけれど、きれいになっていると思う。
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「大和川を見て」
堺市立美木多中学校2年
私は何年か前吉野にキャンプに行ったことがあります。その時に遊んだ川、吉野川はとてもきれいでした。冷たい水、美し景色、私は、楽しい三日間を過ごしました。私の心には、吉野の思い出と共に、美しく楽しい川が、深く心に残りました。
しかし、帰ってきて大和川を見るとどうでしょう。水は汚れ、あきカンなどのゴミがちらばっています。同じ川なのにどうしてこんなにちがうのかと、私はびっくりしました。
「自然から出たゴミは、自然がみんな片づけてくれるが、人間がだすゴミは、そうはいかない。」という話を聞いたことがあります。人間は、自然の偉大な力でも始末できないくらいゴミを作りだし、そしてそれをみんな川や海へおしつけたのです。どうして人間だけが、自分のした事の後始末をしようとはしないのでしょうか。すべての川がよごれ、すべての空気がよごれてから気がついてもおそいのです。
私の母が子供のころには、よくお弁当を持って、大和川まで泳ぎにでかけたそうです。しかし、今、私たちの前に泳げる大和川は存在しません。私にとって泳げる大和川など想像もできないほど遠いものなのです。しかも、だれがこんなことをしたかといえば、私達人間なのです。
自分達がよごしておきながら、こんな事をいうのは、本当に勝手ですが、私は、川が好きです。冷たい水やきらきら光る川面など、川は刻々と変わりながらも絶えることがありません。また川は、多くの魚の住みかであり、人間と多くの動物たちの貴重な飲み水ともなっているのです。
きっと、私も私の知らない所で川を汚しているのでしょう。とすれば、これから川をきれいにし守っていく責任は、私にもあるのです。少しでもきれいな大和川を、そして、私たちの子供の世代には、みんなで泳ぎにいける大和川にするために、これから大人になっていく私たちは考えなくてはいけません。
私は何年か前吉野にキャンプに行ったことがあります。その時に遊んだ川、吉野川はとてもきれいでした。冷たい水、美し景色、私は、楽しい三日間を過ごしました。私の心には、吉野の思い出と共に、美しく楽しい川が、深く心に残りました。
しかし、帰ってきて大和川を見るとどうでしょう。水は汚れ、あきカンなどのゴミがちらばっています。同じ川なのにどうしてこんなにちがうのかと、私はびっくりしました。
「自然から出たゴミは、自然がみんな片づけてくれるが、人間がだすゴミは、そうはいかない。」という話を聞いたことがあります。人間は、自然の偉大な力でも始末できないくらいゴミを作りだし、そしてそれをみんな川や海へおしつけたのです。どうして人間だけが、自分のした事の後始末をしようとはしないのでしょうか。すべての川がよごれ、すべての空気がよごれてから気がついてもおそいのです。
私の母が子供のころには、よくお弁当を持って、大和川まで泳ぎにでかけたそうです。しかし、今、私たちの前に泳げる大和川は存在しません。私にとって泳げる大和川など想像もできないほど遠いものなのです。しかも、だれがこんなことをしたかといえば、私達人間なのです。
自分達がよごしておきながら、こんな事をいうのは、本当に勝手ですが、私は、川が好きです。冷たい水やきらきら光る川面など、川は刻々と変わりながらも絶えることがありません。また川は、多くの魚の住みかであり、人間と多くの動物たちの貴重な飲み水ともなっているのです。
きっと、私も私の知らない所で川を汚しているのでしょう。とすれば、これから川をきれいにし守っていく責任は、私にもあるのです。少しでもきれいな大和川を、そして、私たちの子供の世代には、みんなで泳ぎにいける大和川にするために、これから大人になっていく私たちは考えなくてはいけません。
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「私の大和川」
富田林市立葛城中学校3年
大和川、それは私にとって市を流れる石川よりもはるかになれ親しんだ川である。よく乗る電車の窓から見えるのでそうなのだが、私の成長と共に大和川の様子もずい分変わってきた。
小学校の一、二年生のころまでは、日本で一番長く、大きな川だと思っていた。もちろん美しさからも他の川にひけをとらないと思っていた。多くの人々が大和川を知ることにほこりを感じたし、自分の事のように喜びをもった。
ところが、小学校の四、五年生のころだったか-だれかが、大和川って日本で一番きたない川なんだって。と、言っているのを聞いた。その時私は、私の中で何かがくずれ去っていくのを感じていた。まったく思いもしなかったのだ。“大和川が汚い”なんて。
それからは、通るたびに注意して見ていた。
毎回見ていて気付いたことは、いつみても川がにごっている。そして、よく見るとゴミや魚の死体などが浮き沈みしているのだ。時には、そんなに川の様子を無視して魚つりしている人もいる。つれるはずもない所でなぜ?ゴミつりでもしているのでは、と思ってしまう。
電車の中にも時々変なことを言っている人がいる。「大和川はいつ見ても汚いなあ。周辺の人たちは何しているんや。」自分達のすんでる日本の川だろうが。自分から進んで美しくしょうという気はないのか。私もこういうことを言えるものじゃないけど大和川が日に日によごれていくのは見るに耐えない。つい最近、大和川を工事しているのを見た。土が大量に大和川へ入れれらていく。なぜか私までが身体の一部をそぎとられていくような気がしてならなかった。
川を汚しておきながら、まだ足りないのか。川は人々にとってどういう存在なのか。それを知らないしいやがれているのは一部の人達だけじゃなく今の世の中だ。こういう世界が続く限り川は、汚れ続けるのではないか?今の人間の心には川を美しくする、そんなささいな事が入りこめないぐらい忙しいのか。自己利益にとらわれて目先のことしか考えていないのではないか。
昔、水道の発達していないころは、川の水が大切な水資源だった。生きるためにも川を汚すなんてことは頭のはしにもおいてなかっただろう。
今は、水道があり水のきれいさなど考えなくてもよい。そう思っている連中はその水がどこからくるのか考えたことがあるのだろうか。なぜ水の中に薬をいれなければ飲めないのか思った事はあるのだろうか。
現在大阪のほとんどの所で淀川の水が飲まれている。大和川?それは何年・何十年も後に人々の心に大和川への愛情と疑問が投げかけられた時、初めて実現するのだと思う。
大和川、それは私にとって市を流れる石川よりもはるかになれ親しんだ川である。よく乗る電車の窓から見えるのでそうなのだが、私の成長と共に大和川の様子もずい分変わってきた。
小学校の一、二年生のころまでは、日本で一番長く、大きな川だと思っていた。もちろん美しさからも他の川にひけをとらないと思っていた。多くの人々が大和川を知ることにほこりを感じたし、自分の事のように喜びをもった。
ところが、小学校の四、五年生のころだったか-だれかが、大和川って日本で一番きたない川なんだって。と、言っているのを聞いた。その時私は、私の中で何かがくずれ去っていくのを感じていた。まったく思いもしなかったのだ。“大和川が汚い”なんて。
それからは、通るたびに注意して見ていた。
毎回見ていて気付いたことは、いつみても川がにごっている。そして、よく見るとゴミや魚の死体などが浮き沈みしているのだ。時には、そんなに川の様子を無視して魚つりしている人もいる。つれるはずもない所でなぜ?ゴミつりでもしているのでは、と思ってしまう。
電車の中にも時々変なことを言っている人がいる。「大和川はいつ見ても汚いなあ。周辺の人たちは何しているんや。」自分達のすんでる日本の川だろうが。自分から進んで美しくしょうという気はないのか。私もこういうことを言えるものじゃないけど大和川が日に日によごれていくのは見るに耐えない。つい最近、大和川を工事しているのを見た。土が大量に大和川へ入れれらていく。なぜか私までが身体の一部をそぎとられていくような気がしてならなかった。
川を汚しておきながら、まだ足りないのか。川は人々にとってどういう存在なのか。それを知らないしいやがれているのは一部の人達だけじゃなく今の世の中だ。こういう世界が続く限り川は、汚れ続けるのではないか?今の人間の心には川を美しくする、そんなささいな事が入りこめないぐらい忙しいのか。自己利益にとらわれて目先のことしか考えていないのではないか。
昔、水道の発達していないころは、川の水が大切な水資源だった。生きるためにも川を汚すなんてことは頭のはしにもおいてなかっただろう。
今は、水道があり水のきれいさなど考えなくてもよい。そう思っている連中はその水がどこからくるのか考えたことがあるのだろうか。なぜ水の中に薬をいれなければ飲めないのか思った事はあるのだろうか。
現在大阪のほとんどの所で淀川の水が飲まれている。大和川?それは何年・何十年も後に人々の心に大和川への愛情と疑問が投げかけられた時、初めて実現するのだと思う。
<佳作 大和川工事事務所長賞>
「わたしの大和川」
斑鳩町立斑鳩中学校2年
私がこの作文を書くきっかけになったのは昨日、ラジオを聞いていたら日本で一番汚い川は大和川だと、アナウンサーが言っているのを耳にしたからでした。
今まで大和川が大変汚れていることは、知っていたけれど日本で一番汚ないんだってきいて、なんか悲しくなるような感じでした。
私が小さいころ、大和川に入って遊んだりしたことを覚えています。でも今、大和川に入って魚をとっていわれても絶対入れないと思います。入りたくないのです。この数年間で大和川がこんなに変わってきたなんて、全然知らなかったです。
そして、この間の大雨の時、たまたま大和川を通ったら、水かさが増して堤防の下まで水があふれていました。その水の色といったらコーヒーにミルクを混ぜたような、まるでコーヒー牛乳のような色だったのです。そして、雨がやんで、晴れてよい天気、あざやかな青い空の下での大和川をのぞくと、堤防の下の河川敷では、水がひいてあとには、あき缶、死んだ魚、それにうっすらとただよう悪臭で、そこにいるのがいやになるくらいのありさまでした。
川はいろんな川がつながっているから、もとの上流がきたないからじゃないの?なんてじょうだん半分に考えながらいろんなことを思い出しました。
三・四年前、私は信州の方へ観光で行きました。少し雪が残っている山へ登ったり、すばらしい高原へ行ったり。そして、なんという川か忘れたけれど大和川とくらべものにならないほどのきれいな川を見つけました。とてもキラキラしていて、水はすきとおっているので魚が気持ちよさそうに泳いでるのも目につきました。そして素足になって、おもわず川へ入って遊びました。
そんなことを思い出したら、大和川がこんなに汚なくなったのは、もとの上流から流れてくる水のせいとは、じょうだんでも思えなくなりました。だって、もっときれいな川がいっぱいあったんだから……。
こんなに私の身辺を流れている大和川を、こんなふうにして、ラジオで流れるようにはさせたくないです。
そして、私は誰だれでも分かる川の汚れる当たり前の原因を思いながら、自分が今、口にしているジュースのあき缶と、お菓子のふくろをゴミばこに捨てて、家へ帰りました。
本根は、その辺にポイと捨てたかっただろうな。
私がこの作文を書くきっかけになったのは昨日、ラジオを聞いていたら日本で一番汚い川は大和川だと、アナウンサーが言っているのを耳にしたからでした。
今まで大和川が大変汚れていることは、知っていたけれど日本で一番汚ないんだってきいて、なんか悲しくなるような感じでした。
私が小さいころ、大和川に入って遊んだりしたことを覚えています。でも今、大和川に入って魚をとっていわれても絶対入れないと思います。入りたくないのです。この数年間で大和川がこんなに変わってきたなんて、全然知らなかったです。
そして、この間の大雨の時、たまたま大和川を通ったら、水かさが増して堤防の下まで水があふれていました。その水の色といったらコーヒーにミルクを混ぜたような、まるでコーヒー牛乳のような色だったのです。そして、雨がやんで、晴れてよい天気、あざやかな青い空の下での大和川をのぞくと、堤防の下の河川敷では、水がひいてあとには、あき缶、死んだ魚、それにうっすらとただよう悪臭で、そこにいるのがいやになるくらいのありさまでした。
川はいろんな川がつながっているから、もとの上流がきたないからじゃないの?なんてじょうだん半分に考えながらいろんなことを思い出しました。
三・四年前、私は信州の方へ観光で行きました。少し雪が残っている山へ登ったり、すばらしい高原へ行ったり。そして、なんという川か忘れたけれど大和川とくらべものにならないほどのきれいな川を見つけました。とてもキラキラしていて、水はすきとおっているので魚が気持ちよさそうに泳いでるのも目につきました。そして素足になって、おもわず川へ入って遊びました。
そんなことを思い出したら、大和川がこんなに汚なくなったのは、もとの上流から流れてくる水のせいとは、じょうだんでも思えなくなりました。だって、もっときれいな川がいっぱいあったんだから……。
こんなに私の身辺を流れている大和川を、こんなふうにして、ラジオで流れるようにはさせたくないです。
そして、私は誰だれでも分かる川の汚れる当たり前の原因を思いながら、自分が今、口にしているジュースのあき缶と、お菓子のふくろをゴミばこに捨てて、家へ帰りました。
本根は、その辺にポイと捨てたかっただろうな。