1987年の入賞作品

作文部門1

<最優秀賞 大阪府知事賞>

「大和川クリーンキャンペーン」

 
堺市立月州中学校3年

ゴールデンウィーク中のある晴れた日、友人と大和川へ散歩しに行きました。土手を歩いていくとクローバーが群生しているところがあり、私は、もし水がきれいだったならば、のんびり、四つ葉のクローバー探しでもしたくなるだろうと思いました。
大和川の支流の竜田川は、秋になると紅葉が大変きれいです。
百人一首には
「千早振る 神代も聞かず 竜田川
唐紅に水くくるとは」
といううたがあります。これを聞くと、川の浅瀬でひょいと顔を出している二匹の亀、土手で歌詠みの会をしている貴族の姿が目に見え、お琴の音が聞こえてきそうな気がしませんか。
その人たちが、もし、タイムスリップして今の大和川にやってくることがあったなら、何というでしょうか。私には驚きの声が聞こえてきます。
「これは、水か?」
そして、たもとで顔をおおって泣き出すかあるいは、いきなり立ち上がっておこり出すかもしれません。「人の心の乱れ、人の世の乱れが川の水をこのように汚れたものにしたのだ」
重病の老兵は今、あえぎあえぎ川上から川下へゆっくりと、のたうっています。流域に住む私達は、この老兵を、温かく見守ってあげねばなりません。死なせるか、若返らせるかは、私たち流域に住む者の肩にかかっています。私たちの父母、祖父母、曾祖父母たちが、子供の頃、楽しい思い出をわかちあったたくましかった頃の川を、取り戻さなければなりません。
暑い夏がやってきます。
大和川が、いつか、流域の憩いの場になることを願っています。

<最優秀賞 奈良県知事賞>

「むかしのようなきれいなやまと川に」

川西町立唐院小学校3年

わたしは、ほうりゅうじへ行く時、やまと川の上を通ります。その時わたしは、やまと川を見ると、いつもよごれているなあと思います。それにフェースひょうしきも、とてもよごれているになっています。わたしは、やまと川がかわいそうに思いました。
わたしは、おじいちゃんに、
「なんでやまと川はあんなにきたないの」と、聞いたことがあります。おじいちゃんは、「せんざいや工場からのよごれたはい水がながれてくるからや」
「むかしは、もっときれいで、しじみや魚もとれたんやで」
「それにやまと川でおよげたんやで」
と教えてくれました。
やまと川のはしから下を見ると,やっぱりあきカンやおかしのふくろなどがながれています。わたしもお父さんとやまと川でつりをしたことがあります。その時もとてもきたないなあと思いました。そこは、だい一じょう化センターの近くです。その時は、春だったので、なの花がいちめんにさいていたのできれいでした。だけど、川は、茶色い色をしていました。お父さんがつった時は、あきカンがつれました。
これじゃ魚がかわいそうだなあと思いました。むかしのようなやまと川にはやくもどしたいと思いました。今のこの川は、しんでいると思います。はやく生きたきれいな川に、もどしたいです。
遠足でよし野へ行きました。その時よし野川であそびました。よし野川は、すき通って小石まで見えます。やまと川もそのようにきれいになったら、夏休みに川へ行って泳ぐれんしゅうもしようと思います。
今からでもおそくはありません。みんなでど力すれば、きれいな川にもどせるはずです。


<最優秀賞 建設省近畿地方建設局長賞>

「楽しい大和川」

八尾市立龍華中学校3年

「バシャバシャ。」
子供達が歓声をあげて泳いでいる。
「よしきた。こりゃでかいぞ」
大人達は魚を釣っている。
暗くなってきた。今までにぎやかだった大和川も、一度に静かになる。いくつかのテントが川辺に並ぶ。川上の方では、ほたるが飛びかい、美しい光を放っている。そして静まりかえり、わずかに川の流れだけが聞こえる。
明るくなってくると、また人の声が聞こえてきて、大和川にたくさんの人が集まる。長い間人々の楽しそうな声につつまれていた大和川も、時間がたつにつれて静まっていき、やがて人の気配もなくなる。そして、静かな夜が過ぎていく。
一週間がたち、また大和川はにぎやかになる。八尾からはなれたところからも、大和川を見ようといろいろな人々がやってくる。にぎやかな二日間が過ぎて、また大和川は静けさにつつまれる。
大和川はたくさんの人々と話がしたいのか、日を増すごとに美しくすんだ水を流している。大和川へいく人々も、大和川をよごさないようにと、ゴミ一つ出さすに帰っていく。
これらはぼくの想像にすぎない。しかし、みんなが大和川を美しくするために力をあわせればきっとこうなることだろう。大和川を日本一のきれいな川にするために、みんなでがんばろう。そして、大和川にたくさんの人が遊びに来て、満足感を持って帰れるようにしよう。
富士山が日本を代表する美しい山として知られているように、大和川も、日本を代表する美しい川にするために、きれいにするように努めていこうではないか。


<最優秀賞 建設省近畿地方建設局長賞>

「とてもきたない大和川」

王寺町立王寺北小学校4年

ぼくの家の近くには、大和川があります。大きいことは大きいんだけど、とてもきたないです。おばあちゃんに聞いてみると、
「昔は、きれいだったよ。今にくらべて見れば、ごみも流されていなかったしね」と、言います。ぼくも、
「そんなにきれいだったのか」と思いました。そしてぼくのびっくりしたのは、日本で、きたない川十いい内に入っているのです。
お父さんと、魚つりに行った時も、一ぴきしかつれませんでした。もっと、魚のつれるような川にしてほしいです。前にだれかが、空かんをすてているのをみました。
今でも、空かんでいっぱいなのに、これい上ふやせば、空かんやごみがいっぱい流れる大和川。となってしまいます。
去年の十月に大和川クリーンキャンペーンをしました。
キャンペーンと言っても、かんばんを立てるだけです。
かんばんには、きれい、ややきれい、きたない、とてもきたないなどがあります。残念ながら、かんばんは、とてもきたないでした。
その時、ほかのきれいな川が、うらやましくなりました。
今から大和川をきれいにしょうと思えば、ぼくのよそうで、二十五年くらいかかると思います。
それとも、もうあれだけきたないんだから手おくれかもしれません。
でもできるだけがんばってほしいです。ぼくは、一年たつごとに大きくなっています。大和川は、一年たつごとにきれいになっているでしょうか。ぼくが、大きくなるころには、きれいな大和川でいてほしいです。


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「大和川と私」

賢明学院小学校5年

私と大和川といえば、木の実幼稚園へ行っていたころ、歩こう会で大和川のていぼうの上を何回も、何回も、紙にはんこをおしてもらったことがある。あの時のことで覚えていることは、大和川の上で、近鉄電車がガタン、ゴトンと音をたてながら走っていたことと、もう一つは、大和川の水がきたなかったことだ。大和川の水は、今はきたないけれども、むかしはきれいな水だったということを聞いたことがある。大和川のていぼうの上で、歌を歌いながら歩いた私たちと、大和川の流れる音のリズムは、まるで音楽会をやっているようにぴったりとあっているようだった。あの時の思い出はわすれられない。
もう一つ、大和川と私のつながりは、四年の時にできた。それは、大和川のいろいろなことを習ったからだ。私は、大和川の思い出を思い出して、興味を持ち、大和川のことについてのビデオを見た時、うきうきわくわくしていた。そして、大和川は本当にいい川だなあと、つくづくそう思った。
大和川には、うなぎ、こい、ふなが住んでいるということを聞いたことがある。でも、私は、こんなにきたなくなってしまった大和川に、うなぎやこいやふなが住んでいるということは信じられない。でも、大和川はどうしてこんなによごれてしまったのだろうか。台風のせいだといっても、川がきれいだった昔にだって台風はあったはずだ。それに、台風のために木がたおれて流れたということだとしてもおかしい。それは、昔の方が自然がいっぱいで緑もいっぱいだったにちがいない。だとすると、大和川をよごしたのは人間しかいない。人間の数がふえていき、ゴミをすてる人も多くなってきたんだろうし、車などもその原因にはいっていると思う。大和川をよごしたのは人間で後かいしているのも人間だ。これからは大和川を大切にしたいと思う。


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「ぼくは魚になってたびをした」

当麻町立磐城小学校4年

ぼくは大さかわんにすんでいる魚です。ある日、ぼくはたびに出たくなった。
ぼくはたびに出た。
ぼくは大和川を登っていった。すると白いあわがたくさんながれてきて、ぼくは、あわだらけになった。
そしてあわをとるためにペチンとはねたら、人間の子どもにかかって、その子はものすごくおこった。
そしてつかまえられかけて、やっとにげられた。ホッ、あぶなかったと一息。
また、もうちょっと登ると、大きな大きなたてものがあった。
それは、じょうかセンターと言うたてものだった。
ものすごく大きいじょうかセンターは、川をきれいにしてくれる。
はじめ160ppmでじょうかセンターにはいって、5ppmで出てくるからぼくはこの川にいれるんだな。
「ありがとう」と言ってぼくはまた、たびをする。
ぼくは川をものすごいいきおいで登った。
するとまだじょうかセンターはきえない。
「思ったよりそうとうでかいな」と思って登っていった。
ぼくは高田川を登っていると、子どもたちが、ゴミをひろっていた。
そうじでもしているのかな。
でもこれで川もきれいになっていくな。
そしてもっともっと登っていった熊谷川で、ザリガニがいて、はさみではさまれかけた。
そして、川のながれがはげしくなってきた。それは、子どもたちが遊んでいたからです。川のながれはものすごくはげしくなり、とうとうながされて、大さかわんにもどってしまった。でもたのしかったなあ。


<優秀賞>

「楽しい大和川」

柏原市立柏原小学校6年

大和川って何だろう。私は、大和川は心の持ち主だと思う。きらきらと輝きながら流れる水。風でさらさらと気持ちよくゆれる草。そんな自然の中に住んでいる虫たち。頭の中で思いうかべるだけで、なぜか楽しくなる。友達と、「どこかに、遊びに行こう」と言ったらなぜか大和川に足が向く。大和川に着いたとたん、走りまわってしまう。
大和川は、私達の心を、豊かにしてくれる。一目見るだけで「ああ、いいな」って思う。きっと、この大和川は、豊かな、すばらしい心を持っていて、その見えない大きな心を、草や花で表していると、私は思う。楽しいのは、鳥たちも同じ。きっと、鳥も、私と同じことをいつも飛びながら思っているだろう。
私は、一度でもいいから、大和川と話してみたい。もし、話せたら、大和川は、どんなことを語ってくれるでしょう。いつか、そんな日が来るといいな。こんな、すてきな川に私達市民のだれかが、ゴミなどを捨てている。もし、千人の人が、一人、一つずつゴミを捨てたとしたら、大量のゴミになる。そんな事をなくすために、未来にかけて、大和川清潔キャンペーンを日を決めて行い、大和川流域の小中学校の人たちが、大和川におちているゴミを取る運動などをしたら、今まで以上に大和川はきれいになると思う。大和川も、そのことを、望んでいるにちがいない。だれだって、自分の部屋や、服がよごれていたら、うれしくありません。今、大和川は、よごれている。だから、私達、一人一人が、ゴミを捨てないようにしたり、ゴミを拾ったりしたら、未来の大和川は、どんなにきれいになっているでしょう。いつも、私は、夢に思う。
大和川は、私達の見えない所で、大変役に立っている。やっぱり、大和川は、生きている。これからも、私達の生活をささえながら、未来に向けて、流れ続けてほしいです。


<優秀賞>

「未来の大和川」

大阪市立矢田北小学校6年

わたしの家の近くには、大和川が流れています。その大和川は、ゴミやせんざいで、黒くにごっています。この川は、日本の名前をつけられた川です。大和川の水がにごっているように、人の心もにごっていると思います。人が、川をきれいにするという、きれいな心を持っていれば、川もきれいになると思います。むかしのようなきれいな大和川が、帰ってきてほしい。川の中でおよいだりできる大和川が帰ってきてほしい。という考えをもっている人は、わたしのほかにも、たくさんいると思います。ゴミをすてられる大和川も、かわいそうだけど、わたしたちも、気もちがわるいです。大和川にゴミをすてないということは、あたりまえのことです。このあたりまえのことを、守っていけばいいことだと思います。つづけていけば、わたしが大人になるときには、水がきれいになって、ゴミも、あまりおちていない大和川になっていると思います。こんなふうになると、すてきだなーと思います。わたしの未来の大和川、水のすきとおった川。ゴミのおちていない川。水遊びのできる川。魚の住む川。ゆめのようなわたしの未来の大和川。ほんとうに、実現すればいいのになと思います。日本で一、二番にきたない川が、日本で一、二番きれいな大和川になってほしいです。日本の大和にふさわしい、大和川になってほしいです。わたした、草すべりなどでたのしくあそべる大和川を、もっともっときれいにしたいです。何年かかってもいい。大和川がきれいになるのなら。わたしの未来の大和川…。


<優秀賞>

「楽しい大和川」

柏原市立国分小学校6年

「うさぎおいし かの山 こぶなつりし かの川…」の歌のように、お父さんやお母さんが子供のころは、プールがなかったので、川や池で泳いだり「おーい、よっといで」と言いながら、めだかやフナ、タニシもとれる、すんだきれいな川だったそうだ。
だが、今の大和川は、日本でワースト1、2、を争うきたない川だ。
どうして、そのようになったのだろうか。
五年生の時に習った、公害のことを思い出した。
だんだん工場などが増え、大きくなると、使用する水の量も多くなる。その水をきちんとしょ理しないで、そのまま、はい水していた場合もあったのではないだろうか。
それに、家庭で合成洗ざいを多く使うようになったからだと聞いたことがある。
今、粉せっけんのふきゅう率は、二〇%以下だそうだ。
大人ももっと勉強しないと、後で取り返しのつかないことになると思う。
きれいな川になれば、あゆやこいをはなし、公園のようなものを作って、まわりにはサイクリングコースを作り、休みの日には、家族ですごしたい。
そのためには、きちんとマナーを守って、きれいな大和川をつくることに、みんなで協力することだと思います。


<優秀賞>

「きれいな大和川」

柏原市立国分小学校6年

私達にかかせないものは、いろいろあるが第一に『水』だと思う。私達の付近を、水と深い関係のある『大和川』が流れている。大和川は、全国でも、一位、二位を争うくらいきたない川です。
こんな川に、だれがしたのでしょうか?それは、現代の私達です。むかしの大和川の様子を聞くと、魚がたくさん泳いでいて、川で水泳をしていたということです。人が泳げたということは、むかしはとてもきれいな川だったということです。理由は2つあります。第一は、工場が多いので、空気もよごれ、水にもえいきょうする。もう一つは、川にゴミを捨てる人が多い。一つでも積もれば山になる、というのに、たくさんの人がすてるとどうなるでしょう。きっと、「ゴミの川」になるでしょうね。
私達の目的は、大和川をきれいにするということです。一人一人の協力で、むかしのような、きれいな姿の川になってほしいです。
でも、大和川がきれいになるというのは、あまり、想像できないものです。だからといって、ほっておくと、一位、二位を争うきたない川が、本当に一位に決まってしまうかもしれない。だから、私も協力をしたいです。大和川に、ゴミをなげたりしないこと。何よりも大事なのが、私達がふだん生活し、排水する水、例えば台所、お風呂、トイレから出す水など、生活排水を減らすことが大切だと思います。また私達は水辺に住む魚や昆虫、河原に集まる鳥などに、関心を持ち、自然とのふれあいも大切な事だと思います。こんなことを守っていけば、何年後かには、みちがえるほど、私達の想像のつかない、きれいな大和川になっているかもしれませんね。
工場がたくさん出来たから、こんな川になってしまった。というわけでは、ありません。一番悪いのは、現代の私達です。だから、現代の私達の手で、何年後かには、一、二位を争うくらい、きれいな川になってほしいです。