1987年の入賞作品

作文部門2

<優秀賞>

「私達の大和川」

 
賢明学院中学校3年

「大和川 奈良川の北部と大阪府の中央を流れる川。笠置山脈に発源。大阪湾に注ぐ。流程七一キロメートル」「大和川」という言葉は、歴史的なあたたかみをもっているような感じがするので、私は大好きです。
その言葉を含んでいる川が、私の住んでいる大阪府に流れているとは、とてもうれしいことです。
人間が住んでいる「土地」に流れる川は、たいてい汚水していて、昔の川の姿をなくしています。
人間は、自分の持ち物なら清潔にいつまでも大切に扱うのに、公のものだと誰かがやってくれるだろうといういやな考えが心の中にあります。
川には○○さんの持ち物ということがないので、ついついそう考えがちですが、川があったからこそ、その川が海に流れこんでいたからこそ、人間がここまで生き延びているといっても、おおげさですが過言ではないと思います。
人間は、年をとると若い頃にもどりたいと一度は思うでしょう。
川も同じだと思います。
年月がたつと「昔の美しい川にもどりたいと…」
この川の願いをかなえてやれるのは、人間です。
人間は、優れた知恵をもっています。
しかし、その知恵を主に利用するのは、機械などにで、自然は、それらほど利用されません。
だから、すごくきたない死んでしまった川でも、生きかえらせることは、人間なら可能だと思います。
川ぐらいきたなくても…、と思う人がいるでしょう。
そういう人は考えてみて下さい。
自分の部屋がとてもきれいにかたずいているとします。
それなのに、ジュースがこぼれていたりしたら、絶対に、きれいにするでしょう。
川についても同じだと思います。
大和川付近の町がどんなに国際化・機械化しても、川がきたなくてはよい土地とはいえません。
春になると、浅香山の浄水場にとてもきれいなツツジがたくさん咲いています。
今は、ツツジの方が大和川よりも輝いてみえますが、いつかきっと、ツツジにまけないくらい輝きをもった大和川が見れるように、私達は努力し、実践するべきです。

<優秀賞>

「わたしの大和川」

賢明学院中学校2年

「お母さん、あのドブきたないねえ」これは、阪和線の電車の中であったことです。5・6才の男の子が、お母さんと話をしていました。私は、どの「ドブ」かなぁーとさがしていたら、どうも、その男の子は、大和川のことを言っているみたいなんです。
「あれは大和川っていう川よ」
「ふーん、じゃあ、誰の川?」
「みんなの川よ」
「みんなの川だったら、きれいにしようね。お母さん」私は、これが5・6才の子のいう言葉かと思いました。そして、はずかしくなりました。川などにわざと油やゴミを流したりする人もこの電車の中にいたら、きっとはずかしくなると思います。だから、この男の子のためにも、きれいにしていかないといけないと思います。
もし、大和川がきれいになったら、魚やいろいろなものが、気持ちよく住めるし、みんなの飲み水にもなると思います。
そういう、きれいな大和川になるには、長い時間がかかると思います。だけど、みんなできれいにしていけば、すぐきれいになると思います。


<優秀賞>

「楽しい大和川」

八尾市立龍華中学校3年

私が小さかったころ、家族みんなで大和川に行ったことがある。その時、私は小学校三年生で、弟が大変つりが好きだったので行くことになった。私はせっかちだからすぐさおを動かして、結局一匹もつれなかった。私は、「大和川には魚がおれへんのやなあ」と思った。そのあとにお母さんが、たて続けに二匹もつったので、「香織のさおが悪いねんなあ」と思い直した。なつかしい思い出の一つ。
小さい時はよく遊びに来ていた大和川も、最近はめったに行かなくなり、たまに横を通りすぎても川も見ずに通りすぎていた。
「楽しい大和川っていう作文を六月ぐらいに書くから、しっかり考えときや」五月の中ば、国語の先生が言った。私は「久しぶりに大和川へ行ってみよか」と思った。大和川へは自転車で行った。川付近の急な坂道で汗をかいた。「運動不足やな」と思った。
川にはたくさん人がいた。一生懸命マラソンをしている人。川原で堂々と寝ている人。遠くで何かしている人達。「あっ小さいころと同じ。みんな大和川に集まってるな」やさしい風にあたりながらそう思った。
作文を書きながら思った。今は昔のことを思い出しながら書いてるけど、「未来の大和川はどうなるんやろ」と。今の大和川はだれが見てもきたなくて、水をさわるのもいやなぐらいだ。何年かすると、私の家の横を流れるどぶ川みたいになるかもしれない。でも私は、そうなってほしくない。みんなの大和川がそんなふうになってしまうのは、さみしい。人間が全滅寸前に追いつめた動物でも、人間はそれをくいとめることが出来る。大和川も私達人間がよごしたんだからきれいな川にもどせるはず。クリーンキャンペーンはその第一歩、そのきっかけだと思う。


<優秀賞>

「大和川の夢」

大阪市立矢田中学校2年

私の教室の窓から大和川の堤防が見えます。この東住吉区の、のんびりとした風景にとてもあっている。学校などで、むかしの春ごとの話を聞くと楽しそうな声が伝わってくるようだ。
むかしの人はとても良い時代に生きた人々だったのでしょう。でも今の私を含め、子供たちは大和川の本当の姿を知ることができないのです。それは、とても悲しいことです。
勉強があまり好きとはいえない私は、大和川がなぜ今のようになったのか、くわしくは知りません。だけど汚れているということは、汚した人もいるということだと思います。でもそれは個人の責任だけではないと私は思う。工場を建て、進歩ばかりを望む人々たちの自然への気持ちの問題もあるのではないでしょうか?やはり人間は自然への感謝の心を忘れてはいけないのです。いつの時代でも自然は私たちを育て、守り、生かしてくれるのです。それを思えば、私たちと自然は一体であり、仲間なのです。仲間とは何でしょうか?汚したり、いじめたりするものでしょうか?だれもそうは思わないでしょう。大切にし、はげましあうのが仲間なら大和川も同じです。だけどそれに気付く人は多くありません。心で思っていても実行にうつさないとだめだと思う。実際に私もその一人だと思います。実行といっても、まず何をすればいいのか?きっとそれは、ささいなことから始まっていくのだと思います。そして、その始まりをきっかけとして、日本中、世界の人々が協力し合えば、川の本当の姿を知るのがそうとおくはないと思う。この夢が実現できれば、またむかしのように自然と仲間になれるでしょう。そのとき人間・動物・植物などあらゆるものがしあわせになれるんだと私は思う。大和川もきっと私たちに夢を実現させてほしいと願っているでしょう。その夢を私はぜひかなえてあげたいのです。


<優秀賞>

「楽しい大和川」

大阪市立矢田南中学校1年

わたしは、ときどき、大和川の土手で遊びます。例えば、春になったら、とくしを取ったりします。しかし、大和川は、きれいではありません。ゴミが流れてきたり、動物の死がいもときどぎ流れてきたりします。だから、よく子ども会から遊びに行くときも、「よく、あんなきたない所で遊びたいと思うなぁ」と思うことさえ、何度もあります。しかし、大和川をあんなにきたなくしたのも、みんなわたしたち人間のしたこたことが原因だと思います。
何も考えずに、ゴミや、洗たくの後の水や、工場のきたない水。みんな大和川にすてています。そんなことをしたら、たとえ昔がきれいな川であっても、すぐにきたない川に変わってしまいます。だから、みんなわたしたちのしわざだと思います。
大和川は、昔はきれいな川だと、いろんな人たちに聞きました。大和川で、よく泳いだという話しさえ聞きました。しかし、今の大和川では、泳ぐことは、とてもできないと思います。
大和川で、泳いでいる魚は、どういう気持ちで泳いでいるのでしょうか。わたしが思うには、きっと、「人間はかってだな」ということをきっと思っていると思います。今、大和川を昔のようなきれいな川にしょうということで、「大和川クリーンキャンペーン」という行事をしています。わたしは、もっといろんな行事をして大和川をきれいな川にしていってほしいです。


<優秀賞>

「大和川、元気がないね」

桜井市立初瀬小学校4年

わたしたちは、今日、大和川にいって遊んできました。
今日の大和川は、なんだか元気のない川でした。水あちょっとにごっていました。水の流れもちょっとだけ、岩のあいだをくねくねまがってながれていました。川原にはごみもあって、すこしかなしそうでした。
でも、川遊びはとってもたのしいでした。
山口神社の下の川は水もたっぷりあって、わたしたちをながすぐらい元気でした。わたしたちが遊びにきて、さみしかった大和川は元気になったのかなあ。
わたしは、子どもたちがもっと遊びにきてくれたら元気をだすとおもいます。きっと元気になります。あっちゃんは、あきかんと、あきびんをひろっていました。あっちゃんのすきなジュースのかんとびんです。
川をあがって町のほうへいくと、小さな川はすごくにごっていました。その水が流れこむ大和川は、元気なような、さみしいようなかんじでした。
あるいてかえるとき、足の切れているのにきがつきました。ちょっといたかったけれど、がまんしていました。家にかえると、お母さんが、
「ばいきんでもはいったらえらいこっちゃ。ようしょうどくしたか」といいました。でもだいじょうぶでした。きょうの川遊びはとても楽しいでした。


<優秀賞>

「楽しい川遊び」

桜井市立初瀬小学校4年

みんなといっしょに、大和川へいって遊びました。はじめに、先生の話をきいてはいりました。初瀬のこのあたりは中流ぐらいかなと思います。大きい岩もあるし川原もあって、角ばった石もたくさんあるのです。わたしは足で川のふかさをはかりました。
そこはとても深く、こけそうになる子や、すべってズボンをぬらす子もいました。男の子は砂のたまった、すのところに立って「あそこは中流だから、ここは下流ぐらいやな」といいながら、こんどは上へ上へとのぼっていきます。山口神社のひかげになったところを流れているので、つめたくて気もちがいいでした。わたしは上流や下流やいろんなところにはいって、ふかさをはかりました。半分ふかさをかはっても、半分遊んでいるように思いました。
大和川は、こんなにも楽しい川です。でもお母さんにきくと、この川は楽しいだけでなく、こわいときもあったそうです。わたしの弟が生まれてくる日、大和川の水があふれ出して、町の人はにげたそうです。それから授ぎょうで「初瀬流れ」のべん強もしました。
初瀬流れは文化八年(一八一一)六月十五日の夜起こりました。とつぜんの大雨に初瀬川がはんらん、家二百七軒、くら三十二が流れ、死者百二十六人を数えたそうです。大和川は、水が多すぎてもこまります。水がかれてしまってもこまります。それから遊んでいるとき気づいたことなんだけど、木のくずやプラスチックが、たくさん流れていました。
大和川は、わたしたちの大切な川です。たっぷりと水があってもっときれいになったら、今よりももっと楽しい川になると思います。はしったり、歩いたりわたしは大和川で遊ぶのはとてもたのしみです。


<優秀賞>

「魚の川の旅」

当麻町立磐城小学校4年

魚になった私は
大阪わんにいる
私はいちど川がきれいか
旅に出ようと思った
だから旅に出た
大和川を通った
大和川はきれいだった
そこで、川をよごさないように
少し遊んだ
そして、旅をつづけた
じょう化センターは
きたない水をきれいにするのは
人間のいい所だ
と思った
そして、旅をつづけた
すると
子供が川でなにかをしている
だから、そおっとかくれてみた
すると、川をきれいにしている
クリーン当麻の日でもない
おやに言われてもいないのに
子供たちは
川をきれいにしている
私は
人間はすごいと思った


<優秀賞>

「ぼくの佐保川クリーンキャンペーン」

奈良女子大学文学部附属小学校4年

ぼくの家の近くには、佐保川が流れています。佐保川は、水がすきとおって、魚がたくさん泳いでいます。でも、ゴミなどが所々に流れていて、かおをそのままあらえるほど、きれいな水ではありません。ぼくは、きたない水のげんいんは、何かふしぎに思って、佐保川に行って調べてみました。
すると、どてのパイプから、せっけんの水や、油などの、生活はい水がそのまま川に流されていた。とうめい色だが、すごくくさいにおいがする。川がよごれるのは、生活はい水がげんいんだったようだ。でも、空きカンなどは、どこから流れてくるのかを考えてみました。橋を見ていると、ジュースの空きカンを、川へ落としていた。すぐそばに、「ゴミをすてるな」と、立て札に書いているのに、空きカンを川へすてて、悪いと思わないのかな。そういう人が多いので、年に一度五月に、近くの人が集まって、どての草かりや、川の中の空きカンや、ゴミをとったりして、佐保川のせいそうをしている。そうじが終ると、川へ、たくさん魚をにがしている。それに、ゴミをひっかけて、とったり、にごりをしずませたりするように、大きめの石を、たくさんひている。
ほかに、たきを作り、空気を水の中におくって、らぱ虫など、にごりを食べるび生物をふやし、にごりを食べてもらうくふうや、川をきれいに見せたり、美しく見せるために、六十二年に、さくらの木をたくさん川のまわりに植えた。人間の手で、たくさんの川をきれいにする方法などを考えているのだな。もっときれいにする方法を多く作り、ゴミをすてないように、みんなで美しい川にしたい。


<優秀賞>

「よごれた川」

桜井市立織田小学校5年

「昔は、この川でよく泳いだものや」
散歩をしている時、お父さんがそう言いました。
今は、川はばがせばまり、水といったらよごれきっています。その上に、たくさんのゴミがありました。まわりは、悪いにおいがたちこめ、「ゴミをすてるな」のかん板もこうかがないようです。
「理科の勉強でメダカを取ってきなさい」と先生に言われました。ところがさがしてみましたがどこにもいません。それどころか、
「いたっ」
とあきかんをふんでしまってばかりです。おばあちゃんが、
「前までメダカなんてたくさんいたのに。川の水もすきとおってきれいやったよ」
と言ってました。これでは魚も住めへんわ、と思っていました。
人間の生活が豊かになった反面、こうやって人間の力で自然をこわしていっています。
よごれやごみを平気ですてる心が、大変こわいと思いました。
私は小さいころ、メダカの学校という歌が大すきで歌っていました。川の中で魚たちが自由に泳ぎまわれる川をもう一度、私達の手で、とりもどさなければいけないんだと思いました。
「そうっとのぞいてみてごらん」
そんなことのできる川にもどして、私達が大きくなった時に、泳いだり、魚をとったりという思い出をつくれる川にしたいと思います。もしかして、私が大人になった時、もっと文明が進んでいて、ボタン一つできれいな水をつくり出せるようになっているかもしれません。川のせせらぎを耳にし、私達が豊かにくらせるようになれば、人間の心もこの川のように、すんでいくのではないかと思います。二十一世紀にむけて、私達のしなければいけないことが明らかにされてきました。