1988年の入賞作品

作文部門1

<最優秀賞 大阪府知事賞>

「大和川は生きている」

 
大阪市立南田辺小学校2年

わたしのおじいちゃんは大和川のすぐ近くで生まれて、子どものころから、いつも大和川であそんでいたそうです。わたしが、「どんなことして、あそんでいたの。」って聞くと、おじいちゃんはニッコリして、それから何か遠くを見つめるような目をして、こんなお話をしてくれました。
「もう六十年いじょうも前のことやけど、おじいちゃんのころは、大和川の水はもっとすんでいて、きれいやった。ふなや、こいがおよぐのが、よう見えたよ。おじいちゃんは友だちと、水かけごっこや、石なげきょうそうをしたり、おたまじゃくしや、やごをつかまえたりしたもんや、おじいちゃんは毎日のように、大和川であそんでた。そうして気がついたことが一つあるんや。」わたしは、む中でたずねました。
「なんに気がついたん?」
おじいちゃんはわたしの目を、じっと見ながら、お話を続けました。
「大和川は生きてるってことが、わかったんや。この地きゅうに人間が生まれる前から、大和川は生まれてたんやないか、とおじいちゃんは思ったんや。太陽が生きてるみたいに、大和川も何にもしゃべれへんけど、たしかに生きてるんや。もし、太陽がしんだら、人間も、しょくぶつも、どうぶつも、みんなしんでしまうように、もし大和川がしんだら、きっと大へんなことになるよ。」
「でも大和川がしぬって、どういうこと?」
「みんなが大和川を大じにせんで、いろんなきたないものを川にすてたりして、川をよごしてしまうことや。大和川の近くに住んでる人は、もっと大和川をかわいがってあげな、いかん、とおじいちゃんは思うよ。」おじいちゃんは本とうに大和川がすきです。わたしも、これから大和川のことを、一生けんめい、べんきょうしようと思いました。

<最優秀賞 奈良県知事賞>

「ふるさと大和川」

新庄町立新庄小学校6年

家の近くに、大和川の支流があります。四年生の時、一度このルーツを知りたくて、川にそって西山(葛城山系)に行ったことがあります。川幅が狭くなるにつれて水の色が変わり、両岸の草も小さくなってゆくのがわかりました。水が集まって川になり、海へと流れて行くのが、信じられないほどでした。
「がんばって。」と、思わず声をかけてしまいました。
水は私たち生物にとっては、無くてはならない大切なものです。山で生まれたこのきれいな水が、小さな虫に命を与え、草花を美しく咲かせてくれるのです。ところが、水は空気と同じで、いつでも、どこでもあるように思いがちです。水に対するありがたいという感謝の気持ちがうすれてきて、それが川の汚染につながっていると思います。
大和川は、水質検査によれば、近畿地方ではワースト1、全国でもワースト2だと、新聞に書かれていました。お父さんに聞くと、子どもの頃は川に入ってメダカやフナをすくったり、泳いだりしたそうです。川をのぞいてみると、ビンや缶、発砲スチロール、スイカなどが、流れてゆきます。目に見える物以外にも、いろんな物が流されていると思います。このような物を見るにつけ、ぼくは一人一人が、自分のできる身近なことから注意をして、水に命を与えてゆかなければいけないと思っています。家庭で流す排水にしても、自分くらいはゴミを流してもと考えるとか、自分だけはゴミを流さないでと考えるかで、大きな違いが出てきます。
水の一滴一滴が集まって川となり、海へと広がってゆくように、一人一人の水を大切にする気持ちが集まってゆけば、きっと大和川も、きれいになると思います。


<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>

「大和川」

賢明学院小学校5年

私は、大和川のつけかえ工事のために力をつくした九兵衛、甚兵衛親子のことを知って感動しました。
毎年のようにおこる大和川のこう水を見て九兵衛さんは、こう水をなくそうと、上流、中流などの水の流れや深さを調べ、流れのつけかえを考えて、何回もばく府に工事をねがい出たのだそうです。そのきょかがおりるまで、なんと、五十年もかかったということです。多くの人々の反対、たくさんかかる費用のうえ、便利な機械や道具のなかったころのことですから、どんなに苦労があったことでしょう。
長年の苦労にもくじけず、ただ、人々の生活をこう水から守ることだけに命をかけた九兵衛、甚兵衛さんは、本当にえらかったと思います。
今の私たちは、九兵衛、甚兵衛さんやつけかえ工事のために働いた多くの人々の苦労をわすれてしまっているのではないでしょうか。
こう水もおさまり田をうるおしてくれる大和川、飲み水にできるくらいきれいだった大和川、魚も住んでいて、泳げたりもした大和川、それを私たちは、今のようによごしてしまったのです。
でも、わたしはみんなで努力すれば、きっと大和川をもとのようにきれいな川にできると思います。
それにはどうしたらいいのでしょうか。
一人一人が、「大和川をきれいにしよう。」と心から思うことです。そして工場や家庭からの下水を平気で川に流さないこと、まるでごみすて場のように川にごみをすてないことです。もとどおりの美しい大和川にするには、何十年いや百年かかるかもしれません。でも、みんなが心と力をあわせればきっとできると信じます。昔の人々の苦労を、決して、忘れてはいけないと思います。


<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>

「川はゆめ見てる」

川西町立唐院小学校4年

青いすみきった空の下で、
「バジャバジャバジャ」「キャキャキャ」とにぎやかな声。子どもたちは、水遊びをしたり、泳いだり、魚をおいかけたり、むこうの方では、
「おーい。こんな大きな魚がつれたぞ。」
「こっちの方には、もっと大きな魚がいるぞ。」
「どれ、どれ。」
と、自まんし合っている大人の声。
川の中では、魚たちがのんびりと泳いでいる。水辺は、とてもにぎやかだ。
「なんだかとってもいい気持ち。」
大和川は、ゆめを見ていたのだ。見がさめてあたりを見回すと、あのすばらしい子どもたちの声、魚のピチピチとはねる音はなく、ブーンといやなにおいがした。川は、「あーあ」とため息をついた。そして、「もうあのすばらしい川は、もどってこないのかなあ」と思った。
わたしは、時々、そが川のていぼうを自転車にのって走ります。」そんな時、川を見て、「たいへんきたないなあ」と思います。
わたしたち四年生は、この前、社会の時間に第一浄化センターを見学しました。浄化センターには、たくさんのきかいや大きなちんでん池がありました。「このきかいを使って水をきれいにして川へ流している」とおじさんが話してくれました。だから、川は少しずつ少しずつ、きれいになっているのじゃないかなあと思いました。わたしたちはいくら浄化センターの人が、ど力しても、わたしたちみんなが協力しないと、ぜったいにきれいな川にもどらないと思います。みんなが協力すると、川原のごみはなくなるし、川の水もきれいになると思います。川がゆめ見たように、一日も早くきれいな川になってほしいです。


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「大和川をきれいにするための僕の考え」

大阪市立矢田西中学校2年

大和川をきれいにする方法はいくつかありますが、その中から僕の考えを出しました。
まず初めに、大和川のごみを全部拾い、掃除をして一つでもごみが残らないようにします。そして、ショベルカーで川の底にたまっているごみやヘドロ等を取り除きます。それから、川に住んでいる鯉やふな等は、川の堤防の所に池を作り、そこに水と水草等を入れて、工事の間だけ、その池に魚を住ませるといいと思います。そして、ヘドロやごみ等を川底から取った後、川に新鮮な土や小石を静かに入れます。だけど、また水の方が汚れているので、大和川の上流の市や町に下水道や浄化装置を設置してもらい、家庭排水や洗剤のたれ流しをストップさせる運動を起こしてもらうと、また昔のようにきれいな水が帰って来てくれると思います。そして、それだけではまた大和川が汚れるかもしれないので50mごとにごみ箱やトイレ、ベンチや花だんを設置し、ごみ箱にたまったごみは、そこを流れる市町村の方にお願いして、焼却処分して頂いたらいいと思います。そして、大和川の堤防の道に車を通行させなくしたら、車窓から捨てられるごみはなくなるし、そして、排気ガスで自然が破壊されることもなくなると思います。そして、池で飼っていた鯉やふな等を入れてやると、川が一層美しく見えると思います。それから、川の両岸に広くて、楽しくて、花が咲きみだれるようなこうえん、お年寄りの方のために、ベンチや、遊歩道等の色々な設置を作ると、また昔のように大和川に遊びに来る人がたくさんいるだろうと思います。そして、公園等の池に、大和川歩行道路・サイクリング専用道路や、大和川の水を利用した、川の水が流れるプールと噴水、せせらぎの小川等を作ると、みんな大和川を見直すにちがいありません。もともと、大和川はきれいだったから、元のきれいな大和川に戻すためには、なかなかの技術と、ばく大なお金がかかると思います。だけど、技術的な面はすぐれているから、元に戻せるかもしれません。もし、工事するお金があったら、そのお金で工事をしてもらうと、大和川が喜ぶのではないでしょうか。今、こんなに汚れている大和川は、みんなにのけ者にされているみたいです。ある子が「なあ、今日、どこ行って遊ぶ?」と聞かれた相手の子は、たぶん、「今日は、大和川行こうや。」と言わないと思います。だけど、このごろになると、大和川での行事が盛んに行われているので、みんな大和川を見捨てたり、忘れていたりしていないのだなーと思いました。
最後に、本当に大和川の工事やそれに関係することを実行して頂くと、大変嬉しいと思っています。


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「なくな大和川」

当麻町立磐城小学校4年

むかしは、よかったんだなあ。どこの川もきれいで、大和川も、きれいだったから。
おばあちゃんは、
「今の大和川は、きたなくなったねえ。」
とみんなに言っていた。
お父さんは、うだ川じょう化センターに、はたらきにいっているので、こう言った。
「ほんっとにきたなくなったなあ。」
と言った。もどれないきれいな大和川をみんなは思い出している、みたいだった。
わたしは聞いているだけで、ただただ、
「むかしは、いいなあ。」
と思った。
「今の川は、元気がないなあ。」
と思った。
かぜを、ひいているのかな?
と心配しました。
「元気だしなよ。」
「でも、これだけ、きたない、大和川なら、むりかなあ。」
とも思いました。
みんなは、むかしの大和川は、ピンピンしていたと、言っていた。
こまっている、大和川を、私は見た。
ないている、大和川を、わたしは、見た。
大和川は、こまっている。
わたしは、大和川を、たすけてあげたいなあと、思った。悲しんでいる大和川の、おい者さんに、なってあげたい。
川が、喜んで、キラキラと、かがやく、そんな川に、してあげたい。そして、子ども達の声が、キャーキャーうれしそうな、大和川を見てみたい。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川」

柏原市立旭ヶ丘小学校4年

お父さんやお母さんの知っていた大和川は子どもの時まだ水泳の出来た川。ぼくが知っているのは日本でワースト2の大和川。大雨の後の大和川はにごった水に大小のゴミが、プカプカ浮かんでいる。一ヵ月ほど前には下流の方でたくさんの魚が死んだ。底にたまっていたヘドロが大雨のためにかき回されて悪い毒をふき出したから死んだそうだ。人間が農薬をまいたり合せい洗ざいを流したりゴミをすてたり有毒な物をまいたり生き物を取りすぎたりしているうちに川の命がうまく回らなくなってたく山の命がこれまでにもなくなっていきました。それでも川はしんどいしんどいと言いながらも、まだなんとか息をしてます。息をしているうちに、ぼくらがもうこれ以上水をよごさない工夫をしなければいけないと思う。
ぼくの家は工夫をしている。
1、合せい洗ざいを使わない。洗たくも体も頭も食きも石ケンで洗う。
2、石ケンも出来るだけ使わない。食きはかやふきんで油のついたものには、かみでふいてからお湯で洗う。
3、米のとぎしるや食きを洗った水は庭の水やりに使う。
4、虫をころす薬はまかない。地下水や川や海に流れこむから。
毛虫はかわいそうやけど1ぴきずつとって死んでもらいます。あぶら虫はホースの水をつよくだして洗い流す。何回かしたら本当にいなくなった。こんな風にちょっとした工夫だけど一人がやるより大ぜいやった方が川の水がきれいになると思う。
まわりまわって水はいつか飲み水になってぼくらの元に帰ってくる。みんなきれいな川にするようにがんばろうよ。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「わたしの見たゆめ」

当麻町立磐城小学校4年

『十年後の大和川』
そんなゆめを私は見た。
あたりは、人のすがたが見られない。
森の中を流れていく川の音だけが、
私の耳にとどいてくる。
魚がいきおいよく、
とびはねて、およいでいった。
私は、川原の石にこしをおろして、
じっと川をながめている。
あんなによごれていたはずの大和川、
今は、川底まですきとおっている。
川の流れは、にじのようにきれい。

わたしは、やっと立ち上がると、
魚つりをやり始めた。
きらきらと光る魚がかかる。
元気のいい魚を川にはなしてやる。
また魚は、たくさんのなかまと、
およぎ始める。
何度はなしてやっても、魚はつれる。
にじ色の魚がつれた。
今度は、ゆっくりと、川へ流してやった。
しっぽをふって、
かわいい後ろすがたでおよいでいった。

だんだん日がくれてきた。
あんなに元気よくおよいでいた魚が、
きなくなり、
とんぼが、いつのまにか、
私の近くに来ている。
きれいな大和川を、
もっときれいにするかざりだ。
とんぼの、じゃまになりそうだから、
私は家へ帰ることにした。
何度も何度も、大和川の方を、
ふりむきながら、
大和川をさって行った。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ふるさと大和川」

柏原市立国分小学校4年

わたしの、お姉ちゃんが言っていたことなんだけど、
「川とか、海はわたしたちにとって、とっても大切なのよ。」
と言っていました。
わたしは、むかしの大和川は、どんな様子だったのか、一度、お父さんに聞くと、「とってもきれいで、泳げたし、魚もとれた。」と言っていました。
わたしがまだ3才のころ、家族で大和川に遊びに行った時、とってもおもしろかったのは、テニスをした後みんなで休けいをしていたら、わたし一人で川に、手を入れて遊んでいると、川に自分の顔がうつっているのにだれかの顔とまちがえて、こわいから、ないてしまいました。
こわくなったので、お母さんの所へ行ってお母さんにしがみつくとお母さんが
「どうしたの。」
と言ったから、わたしは、
「だれかおる。」
と言ったら、
「ついていったるから速く行き」
と言ったので、行ってみると、お母さんが、
「これ恭子の顔よ。」
と言ったのでなっとくして家に帰りました。こんなにたのしい思い出ができてうれしかったので、この大和川を日本一にしたいです。だって大和川は、きたないのでゆうめいと言われるといやなので、きれいにしたいです。
みんな協力してほしいです。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川」

賢明学院小学校5年

春休みのあいだ、母と天王寺に行くことになって、JR阪和線三国ヶ丘駅から電車に乗りました。
堺市駅を過ぎ、浅香駅を出ると、電車は大和川にさしかかります。この川は大阪市とぼくらの学校のある堺市とを区切る川です。
電車が鉄橋を渡ると下の川に空かんが流れていくのが見えました。川の端にはあわがあってどんどん流れていきます。
川水は少なくなっていました。あっという間に電車は大和川を過ぎてしまいましたが、ぼくは大和川のことが気になっていました。上流の人は何を考えているのだろう。ただでさえ水が少ないのにごみをすててきたなくなる一方じゃないか。それだけじゃない、大和川が向かっている大阪湾だってきたなくなるじゃないか、と思いました。
川がよごれれば、海もよごれてしまいます。海がよごれれば、魚は住めなくなります。社会科で、日本の沿岸漁業がふるわなくなってきている理由の一つは、海のよごれがあるとならいましたが、なるほど、大和川にも関係があると残念に思いました。世界一の水産国日本の将来も気になります。
ぼくが読んだ『川は生きている』によると川は、ぼくたち人間と仲良くなりたいのです。
川をいじめてはいけないのです。
むかしにくらべ、ぼくたちは、ごみを出しすぎているようです。祖母の時代は、一つぶのお米も大切にし、決してすてたりせず、あまったものは、家畜のえさにしたり、土にうめたりしたそうです。紙も着るものもつかえるだけつかい、あとは、火にくべて燃料にしたそうです。ぼくたちも川原にボンボンすてることを考えなおさなければなりません。薬品、油、洗ざいなどを平気でながしてはいけないのです。川をよごすのはぼくたちです。
大和川と仲良くくらしていきたいです。