1988年の入賞作品

作文部門2

<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川」

 
賢明学院小学校5年

私の家の近くに、大和川が流れています。
休みになると、私は姉とよくバトミントンをしに行きます。大きなかん板に、「大和川をみんなできれいにしよう」と書いてあるのが、目につきます。
私は、はじめは、あまり気にとめずに通りすぎていたけれど、学校で大和川についてならったときから、関心を持つようになりました。
堺市の水道が長い間利用してきた大和川はよごれてしまい、水道の水として使えなくなったそうです。それは、ちょうど私たちが生まれた昭和五十三年からだと知って、おしいなあと思いました。浅香山浄水場は、私の家から五分の所にあります。五月にはつつじがさき、その時だけ、中に入らせてもらえます。それ以外は、かぎがかけてあります。
大和川を、みんなできれいにすれば、わざわざ淀川から水を引いてこなくても、もう一度、大和川から水をいれることができるようになります。
ほかに、どんなよいことがおこるでしょう。
まず、魚たちが、かえってくるっことでしょう。ヤマメ、アマゴ、イワシ……などが泳ぎまわることでしょう。川原でつりをしたり、マラソンをしたりする人もふえることでしょう。魚だけでなく、私たちも泳げるようになり、楽しいうれしいことばかりだろうなと想像したりします。そのためには、どんなことに気をつけたらいいでしょう。
よごれた水を工場からはきださないこと、家庭からも洗ざいなどのまじった水を流さないこと、川原にごみをすてないこと…
みんなの不注意で、長い間かかって、よごれてしまった大和川です。こらから、みんなで一人一人が気をつけて、きれいにしていかなければなりません。
みなさん、大和川をきれいにしましょう。

<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川」

賢明学院小学校5年

ぼくが、母といっしょに、なんばや天王寺に行くとき、大和川の橋をわたると、水面はうす茶色に見える。
むかしは、水がすんでいて、大和川で魚つりをしたりプールのかわりに泳いでいた人もたくさんいたそうだ。
ぼくたちが飲んでいる水がどこから運ばれているかふだんは、気にとめていない。しかし、よく考えてみると淀川の水を飲んでいる。近くに、大和川という大きな川があるのに、なぜ淀川からわざわざ運んでくるのか。
ぼくらの生まれる前は、大和川の水を飲んでいたそうだ。けれどだんだん、飲み水として利用できないほど、水がよごれてきた。それは、人間が、川にごみやきたない水を流したり、流いきの工場がきたない水を流すからだ。
川をきれいにするには、工場のきたない水を工場内できれいにしてから、川に流すこと。人々は、川に何でもかんでも、すてないようにすることが大切だ。
だれかが川にごみをすてたからといって自分もすててはいけない。一人ぐらいは、と思っていると、大和川は、ますますよごれてしまう。
「めだかとりわたしもしたいあの川で」
これは、めだかがすむほどきれいな川にしたいという思いを読んだものだ。
川がきれいになると、川に魚が住むようになる。魚がどんどんふえてくると、それをえさに、鳥たちがやってくる。そして、河岸には、たくさんの植物が生えてくる。そうすると、川べりにいろいろな生き物が、住みつくようになる。なんと楽しいことだろう。
川と、ぼくたち人間の生活は、切っても切りはなせない。水がなければぼくたちは生きていけないことを、もう一度じっくり考えて、ふるさとの大和川を、大切に守っていこう。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川の自然の水が飲みたい!!」

大阪市立矢田西中学校1年

私が転校してくる前に住んでいた所の近くにも川がありました。その川も、大和川ほどではないけどゴミがうかんでいたりして、やっぱりよごれていました。
川の水は、生活用水に使うのが多いと思いますが、もし、その水がよごれていたら、どうでしょう。私なら、単純に、「きたないわぁ。」と言うでしょうが、よごれていても、使わなければ生きていけません。だから、浄水場があります。
しかし、浄水場の水、つまり私達が飲んでいる水は、本当にきれいなのでしょうか。
浄水場では、よごれた水の中にひそむ、細菌を薬で殺しているのです。よごれた色など、目で見える物はとり除かれたとしても、目で見えない物が代わりに入っているのです。だから田舎から来た人が大阪みたいな、川の水がきたなくて、薬をたくさん使わなければならないような水を飲むと、おなかをこわしたり、くさいなぁ、と思ったり、変な味がすると思ったりするのです。
でも、かと言って、浄水場をなくすと、もっとひどいことになるかもしれません。だから、学校で、子供会で、その他のいろいろな会で、少しでもまわりからきれいにしようと、ゴミを拾い集めたりして努力しています。私達も、この間行ってきました。空きカン、ビニルぶくろ、などなど、まわりに落ちているのは、この辺の人達の、日用品ばかりです。水の中だって、たぶん合成洗剤を使った水、シャンプーやリンスなどを使った水だらけなのではないでしょうか。
私達は、今、さまざまな開発をして、私達の生活により便利な品物をうみ出そうとしています。しかし、そうしてうみ出された物によって、自然がなくなり、人間が困っているのかもしれません。だから私は、今少しくらい不自由でもいいから、自然の水が飲めるような川「大和川」にしたいです。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ふるさと大和川」

大阪市立矢田中学校1年

私の教室の窓から、時々とても嫌なニオイが風と一緒に入ってきます。
日曜日、友達と大和川へ行くと、窓から入る、あのニオイがします。川の水が見れば、油が浮いていたり、浅い所はぼろ切れや、あきカン・くつなんかがプカプカユラユラ流れていって、じっと見ていると、だんだん気分が悪くなってきます。
昔の大和川はどうだったのでしょう。
昔の子供達は休みの日は“つり”とか、水泳をして遊んでいたでしょう。水はすきとおってサラサラと流れ、だれもが大和川を親しんでいたと思います。その川が、今になってこんなに汚れて、魚が死んで、日本で二番目にきたない川と言われて…川がにごるように人の心もにごってしまった今、楽しく遊んだ過去を思い出し、心の中で悲しんでいる人はこの矢田の街以外にもたくさん居ると思います。だから、そんな人のためにも、こらから生まれてくる人達のため、そして自分達のためにも、どうしても大和川を美しい川にしていかなければならないと思います。そうしてもしも美しい川になったとしたら、また人の心もそれだけ清らかになれるし、昔のように遊んだりもできます。
すぐには、川一つを美しくする事ができないけれど、じっくりと時間をかけてでもいい私も、みんなも、もっと立ち上って、きれいな大和川をめざしていきたいです。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

ふるさと大和川「夕方の大和川は…」

大阪市立矢田中学校1年

わたしは、夏になるとよく大和川に散歩をしにいきます。夕方になると川の水が真っ赤になってとてもきれいです。大和川には、草があり、虫がいます。わたしは、こんな風景がとてもすきです。緑の草にかこまれて、川をみていると、『パシャッ』と音をたてて魚がはねています。元気な魚がいるということは、水がきれくなってきているんだなぁ…と思います。真っ赤な大和川は、いきいきしています。真っ赤な大和川は、矢田の大事な川だと思うことがあります。大和川は、きたない川といわれているけど、夕方の大和川は、とてもきれいです。大和川の水のよごれは、人の心かもしれません。大和川をきれいにするには、口だけでは、いけない。手で一つ一つのゴミを拾わなければいけないと思います。夕方の大和川は、とってもきれいですよ…。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ふるさと大和川」

大阪市立矢田中学校1年

私は、人に、
「矢田ってどんな所?」
と、聞かれても、“大和川のある所”と言いたいけれど、きたない川だからそんなことは言えない。大和川がきれいだったら、“大和川のある所”といっても、
「あんなきれいな川が近くにあっていいな。」っていわれると思う。私は、一度でいいから、そんなことをいわれてみたい。でも、大和川にごみ拾いに行った時、私の心の中の思いはどこかへ飛んでいってしまった。久しぶりに大和川を見た私の目に映ったものは、水がにごって、あきかんやあきびんが転がっていて、ごみが散らばっている、前の大和川とは想像もつかないきたない川だった。その時私には、もう一つの思いが浮かんでいた。その思いというのは、ほんの、わずかな私たちのごみ拾いだけで、大和川はきれいになるのかなあ…というものだった。いつになったら大和川は『きれいな川』と言ってもらえるのだろう。大和川の水のよごれは、生活はい水だと聞いている。一人一人が気をつけたとしても、完ぺきにはなくならないと思う。でも、すきとおった水ぐらいにはなると思う。しかし大和川のきたない所はもう一つある。土手だ。ごみがいっぱいある。水はあまりきれいにならなくても、一人一人が真けんに大和川をきれいにしようと思ってごみを拾ったり、ごみを捨てないようにすれば、きれいになると思う。こんな大和川では、これから生まれて来る子たちにはずかしいと思う。
私はがんばって、みんなに自まんできるような、みんなを連れて来てもはずかしくないような川に、大和川にしたい。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ふるさと大和川」

大阪市立矢田中学校3年

ふと、窓の外を眺めていると、大和川の流れがそよそよと風にまじって聴こえて来るような気がしました。15年間、この街で育った私。15年という長い年月の間、人々は変わっているのに大和川は変わりません。春には、土手に、れんげやたんぽぽなどが咲き、夏の初め、今ごろは、すすきの穂が緑色に光っています。川の周りはとても美しいのに、川全体が醜くその姿をさらけ出し流れている。
土手の高い所で川の流れを観ていると、流れは、真珠や金剛石のようにまぶしく輝いていました。でも近くで流れを観ると川底ではいろいろなごみが顔を出しています。どうしたら遠くでも近くも同じくらいきれいに見え、魚が沢山住めるのでしょうか。
私は、川底のごみが全て無くなればいいなと思います。まず、私達がごみを捨てなければ、川底のごみは無くなっていくでしょう。
川のよごれはどうすればいいでしょうか。川がよごれる原因の第一位は、生活用水による下水です。合成洗剤を使わないようにするとか、油よごれは、ふきとってから洗うなどすればいいと、書いてありました。他にも、細いあみ目のものを使うなどいろいろ方法があるそうです。
いろいろな方法で大和川は、きれいになりまたきたなくもなるのです。私達自身の手でこのふるさとの自然を変えて行けるのです。大和川は、皆が川をきれいにしていくことをよろこんでくれています。知らず知らずよごれてしまった大和川。私達の大和川。
ほら、聴こえてきませんか、大和川の呼び声が。早く昔のような美しい川にもどせと。私達の手でよごしてしまったのだから私達の手でもとにもどせるはずです。
身近かにある私達の憩いの場、大和川。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「よみがえれ大和川ふる里の川」

大和高田市立磐園小学校6年

「大和川はきたない」「ごみだらけの川」ということをよく耳にします。確かにみててもきたない、これじゃ魚がいないのも当然です。原因は何か、いつ頃からこのようになったか考えてみてはどうでしょうか。
昔は太陽に照らされ、きらきら、星のようにかがやいていたと祖母はよくいいます。考えて見れば、昔は工場も少なく、油料理もすくなかったはずです。もちろん不便で、料理だって今にかなうものはなかったでしょう。けれど川だけや今より美しく、中には魚もおよいでいたと思います。想像しただけで気分がよく、頭の中がすうっとして空にいるような気がします。工場がふえたから、油料理が多くなったから、それから、もっともっと——こんなに原因があるのなら、どれから手をつければよいか迷います。結局人間が川をきたなくしていたなんて、何でいまごろ気がついたんだろうかとこうかいしてしまいます。
市民一人一人が、いえ国民一人一人が、もっと気をつけ、川の様子を見直していけばいいと思います。こんなこと口先だけで実際には、なかなか大変だけど、それでも一人だけでも協力してくれれば、だいぶちがうと思います。都市化していくとともに川もきたなくなっていく、みんな都市化していくことばかりみて、川をみてくれない、こんな悲しいことはありません。
大和川に、魚がおよいで、人もおよげてというゆめみたいなことが、もし本当になれば毎日の生活もかわってくるでしょう。昔のように空より青くすみきって、井戸水のように冷たく美しくすんだ色になる日をわたしはゆめ見ています。
大和川、大和川よみがえれ、昔のように、よみがえって、わたし達の生活をうるおしておくれ。この気持ち、みんなに伝わるといいな。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ふるさと大和川を大切に」

大和高田市立磐園小学校6年

ぼく達の住んでいる奈良県の北部には、大和川という大きな川が流れています。
ぼくが、「川」という言葉から想像して、まず最初に思いつくのは、水が豊かで自然なかん境の中で魚達が楽しそうに泳ぎ回り、とてもきれいでさわやかです。しかし、今の大和川は、ちがっていると思います。水はにごり、川のまわりは悪しゅうでいっぱいになり目もあてられないほど、きたなく変わってきました。
ところが、その原因は、人間一人一人の責任だと思います。例えば、食べたり、飲んだりした後や、工場のはい水のしまつはだれがするのでしょうか。人一人一人の気持ちさえまちがっていなければ、こんなことにはなりません。そして、ぼく達市民が、死んでいる大和川をよみがえらさなければならないのです。
大和川をきれいにしましょう。
大和川を大切にしましょう。
この二つのことをいつまでも忘れることなく、大和川を長生きさせてほしいです。
ぼくの考えですが、大和川のていぼうをもっとしっかり築き、桜の木を数百本いや数千本ほど植えてはどうでしょうか。そして、春には、桜が満かいにさきみだれ、美しくなった大和川がよりいっそう美しくなるのではないでしょうか。そして、大和川のグループを作り、大和川の大切さをちらしや放そうで感じてもうらのもよいのではないのかなあと思います。そして、多くの人々に大和川のありがたさを広めていくようせいいっぱい努力してほしいです。
これからも、大和川を大切にして、一こくもはやく、もとの大和川によみがえさなければならないと思います。そして、何年かのちには、すばらしく美しい大和川になっていてほしいです。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ふるさと大和川」

王寺町立王寺小学校6年

私たちの住んでいる王寺町には、大和川が流れています。
大和川は、とても、よごれていてきたない川です。水はにごっていて、ともてきたないです。アキカンなどのゴミが川にういている時もあります。こんなにきたない川の水が海に流れていくと、海の水も、すごくにごったきたない水だと思います。
私のお父さんは、生まれた時から、ずっとこの王寺町に住んでいます。お父さんは小さい時、学校から帰ってくると、しんせきの子や、友達といっしょに、大和川へ泳ぎに行ったそうです。そのころは、大和川の水もすきとおっていて、ザリガニや、カニや、いろんなお魚もいっぱい、いっぱい住んでいたそうです。お魚も、つかまえて大和川で遊んだそうです。
私も、お父さんの小さいころのきれいな大和川で一度遊んでみたいです。泳いで、お魚もたくさんつかまえたいです。
そんなきれいな大和川にして泳ごうと思うには、みんなの協力が必要だと思います。ゴミは川へほかさないようにすることや、クリーンキャンペーンをして、みんなで川のゴミを取りのぞいて、そうじをすることも、川をきれいにする大切な仕事だと思います。
こういう事に気をつけて生活すれば、川の水のにごりも、ゴミだらけということも、なくなっていくと思います。
私も、ドブや、道ばたに、ポイとゴミをすてたことがあります。でも、もういけないことだとわかって、すてたりはしていません。
これからも、気をつけて生活して、ゴミを出したり、川の水をよごさないようにがんばります。
一日もはやく、お父さんたちの小さいころのようなきれいな大和川にもどってほしいです。