1991年の入賞作品

作文部門2

<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「べんしょうせんなあかん人間」

 
羽曳野市立古市南小学校3年

ぼくのおばちゃんの家の近くに、大和川がながれています。ある日おばちゃんの家に遊びに行った時、とてもあつかったので、気もちがいいだろうなぁと思って、大和川に入りました。ぼくの家の近くにある石川よりも水はとてもつめたいとかんじた。その日はいつもよりあつかったからかな。それても大和川の方が海に近いからかな。でも石川と大和川はつながっていて、兄弟の川なのになあ。
ジュースのかんやびん、おかしのふくろ、かた方だけのビーチサンダル、つぶれた自てん車やどろが、川の中にあった。きたない。それに下水のにおいのように、プーンとくさい。けど、とてもあついから水をかけたりして遊んだ。しかし、あまりいい気もちはしなかった。
近くで魚つりをしていた人が、こいをつり上げた。黒っぽいのでなんとなくきたなく、食べられない魚のように見えた。川がきたないので、魚もきたないと思った。その魚を食べようと思ったら、ぜんたっきで魚をジャブジャブあらえばいいのかな。そうしたら、食べられるかな。それとも、川をあらえるような、大きなせんたっきがあればいいのかなあ。
おばちゃんの話しでは、むかしお母さんたちをつれて、川へ泳ぎに行ったそうです。
川はとてもきれいだったのだろう。けど、今は泳げない。きたない。だれがよごしたのかな。それは、ぼくたち人間だ。魚の家は、海や川なのに、自分勝手な人間がよごしてしまった。だから人間が魚に川をきれいにして、べんしょうせなあかんと思います。ごめんね、魚さん。ぼくたちをゆるして下さい。これからは、川をよごしません。だって、ぼくの家を、魚さんによごされたくないもん。

<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「いつかきっと」

王寺町立王寺小学校6年

川が汚れていることは、見ただけでもわかるけど、どんな物が落ちていて汚れているかまではわからないと私は思います。それで、私は友達とその実験をしてみました。
私の町を流れるかつげ川は、大和川に流れ込む川です。大和川では、立つ所がないので水がすくないかつげ川で実験をしました。
砂地にまずおりて、見えている物からひろいました。落ちていた物は、ラーメンカップやお菓子の袋でした。
次に、砂地の中や、水がすくないところでひろいました。そこで落ちていた物は、川にはいつも落ちている空きカン、ゴム長ぐつ、くつ、せともののかけらでした。
私も私の友達も、ゴミを拾うたびに、
「変な物が落ちてたよ。」
と友達を呼び合っては変なゴミを見て笑いました。ゴミ拾いが終わってから、私は、悲しくなりました。私の友達も同じ気持ちだったと思います。私達八人がひろった空きカンはすべてど言ってよいほど、さびきっていて、穴が何個もついていて、だいぶ前から川に落ちていたみたいでした。かつ下川の本流、大和川がきれいになることは、まだまだ先のことだと私は思います。でも、一人一人が気をつけ合えば、絶対に大和川はきれいになると思います。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「やまとがわ」

大阪市立矢田小学校4年

やまとがわへいった。
やた小の友だちといった。
*はるごとでいった。
かわにはいった。
つめたかった。
やまとがわへいった。

和田君は、「障害」を持たされている子です。
指導者と話をして、でてきた言葉です。
*はるごと・・・行事です。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「ゴミだらけの大和川」

王寺町立王寺小学校6年

今年の夏も、大和川のていぼうで花火大会が行われます。私はたいてい、ていぼうの上の、屋台が並んでいるところで花火を見物していますが、ある年、
「下の方へおりて行きたいなぁ。」
と思い、下へおりてみました。そして、花火大会が終わると、
「今年もすばらしい花火大会だったなぁ」と思いました。そして、花火大会が終わったので、ていぼうの上へのぼろうとしました。そして、ふと大和川をなにげなくみました。
私はとてもおどろきました。川の近くも、川の中も、かき氷のカップやあきかんなどのゴミばかりです。とてもいやな気分でした。
私は、
「なぜ、大和川は、ゴミばかりできたないのだろう。」と、家に帰ると中、ずっと考えていました。
きっと、私たち人間のせいじゃないでしょうか。私たちは、よごれることを考えず、ポイポイと大和川へゴミを捨てます。そんな時川は、私たちに向かって、
「川にゴミを捨てないでよー。」
と、泣いているにちがいありません。
他の川でもいっしょです。前、私たちは友達をさそいあって“エコロジー・グループ”というのを作りました。そして、初めての活動で“葛下川のそうじ”をしました。ゴミは、いろいろなところにありました。どろの中にうまっていたり、中におたまじゃくしがいたり・・・・などさまざまです。ゴミは、紙袋、ビニール袋あわせて大5袋ほどありました。
川、大きくいえば自然は、みんなのものです。自分に向かってあきかんやゴミを投げつけられるといやでしょう。自然は、人間に、そんなことをやられているんです。身近なことからでも、友達のような両親のような自然を守っていきたいです。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「又、きれいになってほしい大☆和☆川」

大阪市立矢田中学校1年

私は、大和川の気持ちとなって書きたいと思います。いつも、毎日、毎日休まず、大和川に、家庭で使った、きたない水とかが流れてきます。大和川は、毎日毎日泣いていると思います。大和川に、家庭からの水が流れてきては泣き、人が大和川にごみをすてては泣いているのだと思います。それで、大和川は、ここに、“こんなきたない水を流したり、ごみを捨てたりしてると、何年かたつと、海まですーごく汚れてくるぞ”と、大和川の近くの人に言いたいと思います。だから、これからは大和川の近くの人は、川が汚れないような洗剤を使ったり、そういう運動をしてほしいです。
これからは、大和川の近くの学校は、一ヵ月に一回だけ、大和川に行き、ごみを取ればいいと思います。でも、ごみ取りに行かなくてもいいように、大和川に、ごみを捨てなければいいと思います。早くいろんな運動を始めて、ちょっとづつ大和川を、きれいにしていきたいです。又、きれいな大和川にもどり、泳ぎたいです。きれいになるのは、ずーとずーと先かもしれないけど、いつも楽しみにまっていたいです。大和川も、早く、昔みたいに、魚がたくさん住んでいて、子供達がいっぱい泳ぎにきてほしいと思っているでしょうだから一日も早く、昔の大和川にもどして行きたいです。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「故郷の大和川」

三郷町立三郷中学校3年

ぼくに故郷と聞かれたら、一番に思うことは、やっぱり信貴山や大和川の景色を思いだす。信貴山を見ていても、美しいと思う。だが、大和川はどうだろう。やはり、きたない。
昔の大和川はどうだろう、友達のお父さんや釣りのしている人に聞いてみたら
「昔は泳げるぐらいの澄んだ川やったで。」と、みんなそう言う。それから何十年もたった今、大変に変わってしまった。
今までに、かぞえ切れないほど大和川の景色を見てきた。快晴の空の太陽が大和川に反射する景色や大雨にうたれる大和川、数々の大和川の景色を、今までに何度も見てきた。
十五年たった今、ぼくは昔のように澄んだきれいな大和川は見たことがない。なぜ、見れなくなったのであろう。
とうぜん汚くなったからである。なぜ、あんなふうに、なってしまったのであろうか。
やはり考えられることは、経済が発展するにつれて国が豊かになり人口が増えたため、上流のはさんだ山々を切り開き住みやすくした。そこへ移り住み大和川にプラスチックのゴミや石けんや洗剤など川が汚くなるようなものは、気をつけて使っていった方がいい、そのほかに工場の排水にも原因がある。どうしたらきれいになって行くだろう。
それはまず、自分自身が空かんやプラスチックなどのゴミを平気で捨てずに気を付けていくのも一つの方法だ。もう一つは工場などの排水は、浄化してから川に流してほしい。もう一つはぼくの案だが、何ヵ所にあみのようなものを設けて、ゴミを取っていくのも一つの案だ。とにかく自分自身が心掛けていけば何十年後には昔のような大和川になるだろう。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川」

大阪市立矢田西中学校3年

今年で大和川クリーンキャンペーンも三回目。最近、あまり大和川の土手を見ていなかったから、どんな様子か分からなかった。
学校を出発して気づいたのが、通る道が違ったことだ。「なんでやろ。」って思った。向こうに着いてすぐに答えが出た。土手がだいぶきれいになっている。「すごいなぁ。」って本当に思った。「ゴミ捨てたらあかんわ。」って思ってくれた人が増えたのか、または、誰かが掃除をしてくれたのか……はっきりしたことは分からないけど、気持ちよかった。「ゴミがないとだいぶ違うねんなぁ。」って痛感した。だからできるだけ、ゴミを少なくしようと掃除した。気付いた事は、やっぱりまだ車からの“ポイ捨て”が多いことだ。なぜなら土手の上の方ばかりに毎年恒例の空き缶があるからだ。「またかぁ。」そう思いながら取っていった。下の方は、下の方で、花火をして、そのまま掃除されずに残っているものもあった。そういうのがあるということは、ある意味では、「大和川なら大いにできる。」という身近な存在で大和川を感じている証拠だと思う。だけど、しっかり後始末してほしいものだ。
こういう、あき缶・花火、ビニル袋がたくさんあった。-とはいうものの、去年、おととしと比べると土手のゴミは本当に少なかった。だから、「掃除するってことは、とても大事なことやなぁ。」って感じた。
残念なのがやっぱり川の水。「どうにか、なれへんかなぁ。」じゃ、先に絶対進まない。一人一人の心の持ち方で変わるものだと、私は思う。一日でもはやく、きれいな大和川になることを心から願っていたい、と思う。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「みんながほったらゴミだらけ」

大阪市立矢田小学校4年

学校の帰りにたまに人がゴミを大和川にほっていた。
わたしは、注意したいけど年上のおにいちゃんたちがほっているので注意できなかった。そのとき、とてもつらかった。こうゆうことからゴミがふえているのかな。なんて思いながら家にかえろうとしたとき、大和川の水がすくなかったので見ながら帰っていたら、ピンク色の自転車がほられていました。わたしは、なんでこんなものがほられているのかなあと思った。
よく見るとせんぷうきやあきかんやダンボールばこやいらなくなった古本がほられていました。
わたしは、走って家に帰りました。
そのつぎの学校の帰りにまわりの人を見ていた。だれもゴミをほらなかったので、そのままかえろうとした。その時ガシャッと音がした。見てみたらあきかんがほられていた。
これをつづけたらこんどは、下高野橋がよごれてしまうと思った。
みんながゴミをほったらゴミだらけになるなぁと、思った。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「自満のできる川に」

王寺町立王寺小学校6年

「大和川って、どうして、あんなにきたないのぉ?」
と、ある人に聞いてみたら、
「それは、工場とかからでる、はい水のせいだよ。」
と、いったので、まだ幼かったぼくは、
「じゃ空きカンや、米つぶとかは。」
と聞くと
「そ、それは、ねえぇ……。」
としか、答えてくれませんでした。
何故?なぜ答えてくれないの?
その時には、解けない、問題でした。
それから、何年かたって、TVを見ていると、
「現在の、川がよごれている原因は、……。」
(やったぁ、大和川のよごれの原因が分かるぞ)と思い、さあ早く、何なの?などと考えて、見ていると……。
「-家庭からでる、ゴミのせい、それと、産業はいき物などです。-」
「えーぇ。」
(そ それじゃあ、川よごしてるのは、ぼくたちなの。)と、何だか信じられませんでした。けれど、
(道理で、米つぶが流れてた理由だ)
と思いました。ぼくは、ちょっと、ぞっとしました。ふだん、何げなく、おにぎりなどを作って、手についたごはんを、流したのが、そのまま川に流れでてしまうなんて。
けれど、うちでは、こんな工夫をしていました。よく、あみ戸にはる、あみを、流し台の水をすてる所にすえつけるのです。こうすれば、ごみは、川に流れずに済むのです。
このように、ちょっとした心がけが、大和川を、元にもどすんだなぁと思いました。
そして、大和川を、全国の人々に、自満できる川にしたいです。今なんか、きたない川として有名ですけどね。でもきっときれいに。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川のごみ拾い」

大阪市立矢田西中学校2年

ごみ拾いに行ってなんかいやな気になった。川が、すっごくよごれてゴミとかいっぱい浮かんでいた。大和川がよごれていたら、この矢田の町もよごれているような気がした。ごみを拾っていてもいろいろ思った。
“ごみは、ごみばこに捨てたらいいのに大和川の土手や川の中になぜ投げこむのかと思った”
ぼくも、投げ捨てとかをするのが町や大和川をきたなくしているのかなぁと思うし、昔は、大和川がきれかったので、一度、底まで見えて、魚がたくさん泳いでて、そこで子供たちが遊んでいるようになれたらいいなぁと思う。大和川は、町のメーターだと思う。大和川がきたないと町もきたないし、大和川がきれいだと町もきれくなっていると思います。
きれいな大和川でいろんなことして遊んでみたいです。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「これからの大和川について」

川西町三宅町中学校組合立式下中学校2年

「昔の大和川は、とてもきれいな川で、よく泳いで遊んでいた。魚もたくさん泳ぎ回っていた。」
小学校六年生の時の担任の先生の、話を思いだした。だけど、ほんとうにきれいな川だったのかと疑いたくなるほど今では全国でも汚い川だと言われている。確かに、大和川を見ればジュースの缶やお菓子の袋などのゴミがたくさん濁った水といっしょに流れている。
こんな大和川を見てぼくは、川西町に住んでいる人々が川に関心をもってもらうことが大事だと思う。いろいろなイベントや川についての研究会をし、そして、その中から川の大切さを知ってもらい、「きれいな大和川」にするために、一人でも多くの人を集め、今の大和川から、きれいな大和川にするために町の人々がいろんな努力をしなければならない。ゴミを拾うのも簡単な努力の一つと思うし、川をきれいにするための第一歩になると思う。
ほかの川でも、汚い川からきれいな川になり、その近くに住んでいる人々がよい環境になってよろこんでいる所の本を見たことがある。ぼくたちの回りを流れている大和川が、こんなふうになったらとてもうれしい。