
作文部門1
<最優秀賞 大阪府知事賞>
「大和川での出きごと」
お祭りで、金魚を取って来ました。家で飼おうと思いましたが、母は、
「家では飼えない。」
と、言ったので、しかたなく、大和川へ流しに父といっしょに出かけました。
すると、土手の所に、ダンボールのはこが置いて有りました。なにげなしに、はこの中を見て、ぎょっとしました。それは、三~四ひきの子ねこが、やせほそって死んでいました。おそるおそるさわってみました。すると、まだ死んで間もないらしく、温かみがありました。もう少し早かったら、たすけてあげられたかも…と思い、また、なぜ、こんな所に子ねこをすてるのか、なぜ、こんな所にごみをすてるのか、このおさない子ねこをすてた人は、土手がごみをすてる所だとでも、思っているのか…。と思いつつ、私は金魚を川へ流しました。すると、金魚は、はらを向けうかび上がってきました。さっきまで、ついさっきまでふくろのなかでおよいでいた金魚が、死んでいるのです。
(ああ、どうして大和川に流してしまったんだろう。これでは、私は、あの子ねこをすてた人と同じだ。)
その時、ぼうぜんとすわっている私の頭の中はあの子ねこと、金魚のことで、いっぱいでした。
<最優秀賞 奈良県知事賞>
「大和川のねがい」
王寺町立王寺小学校6年
「わあ、きれいな川だなあ。」と今の大和川を見て一言でもつぶやいた人が、いるだろうか。私は、一人もそんなことを言った人はいないのではないかと思います。それは、いつも見ている、見なれた川だから。そんな理由じゃない。大和川があまりにもきたないからだ。私はある日、大和川の鉄橋をわたっていた電車の中で川を見つめながら、そう思った。
私は、初めて大和川を見た時、いっしゅんゴミのやまかと思ったぐらいだった。もう何年も過ぎていったのに、大和川は変わらなかった。それもそのはずだった。だれもかれもが知らんふりをして通っていった。大和川はぽつんと、とり残されていった。何年も。何十年も。そのままだった。
雨の日、電車に乗っていて窓にふきつける風の音といっしょに、川の泣き声が聞こえてきた。ゴォー。ゴォー。助けを求めてさけぶように。私をせめるように。その日の泣き声がとても印象的で耳にこびりついたままはなれなかった。私は、大和川が泣いたことを、ずっと前から知っていた。だけれど、何もしなかった。めんどうだったから。ただ、これだけの理由で。誰かにたよっていて、自分が分かっていても、やろうとしなかった。雨の日に、いっしょうけんめいさけんでいる川の声を聞いていたら、私がまちがっていたことを教えられた。今からでも、川のためにできることならやってあげたい。また、やってあげられることは、たくさんあるから。もうめんどうなんて、ぜったいに思わない。
私が大和川に出会って三年間もあったのに、今ごろ大和川のよさや、大切さが分かったなんて、自分がとてもはずかしい。それでも見たかった。きれいだったころの大和川を。でも、今はもう見ることのできない大切な景色だ。昔にもどりたい。大和川はそうねがって、今でも私達に話しかけてるのかもしれない。
もしも、本当に昔へもどれるのなら、もうだれもよごすことのないように、私は大和川を、奈良と大阪をつなぐ人々の大切な天然記念物にしてあげたい。
「わあ、きれいな川だなあ。」と今の大和川を見て一言でもつぶやいた人が、いるだろうか。私は、一人もそんなことを言った人はいないのではないかと思います。それは、いつも見ている、見なれた川だから。そんな理由じゃない。大和川があまりにもきたないからだ。私はある日、大和川の鉄橋をわたっていた電車の中で川を見つめながら、そう思った。
私は、初めて大和川を見た時、いっしゅんゴミのやまかと思ったぐらいだった。もう何年も過ぎていったのに、大和川は変わらなかった。それもそのはずだった。だれもかれもが知らんふりをして通っていった。大和川はぽつんと、とり残されていった。何年も。何十年も。そのままだった。
雨の日、電車に乗っていて窓にふきつける風の音といっしょに、川の泣き声が聞こえてきた。ゴォー。ゴォー。助けを求めてさけぶように。私をせめるように。その日の泣き声がとても印象的で耳にこびりついたままはなれなかった。私は、大和川が泣いたことを、ずっと前から知っていた。だけれど、何もしなかった。めんどうだったから。ただ、これだけの理由で。誰かにたよっていて、自分が分かっていても、やろうとしなかった。雨の日に、いっしょうけんめいさけんでいる川の声を聞いていたら、私がまちがっていたことを教えられた。今からでも、川のためにできることならやってあげたい。また、やってあげられることは、たくさんあるから。もうめんどうなんて、ぜったいに思わない。
私が大和川に出会って三年間もあったのに、今ごろ大和川のよさや、大切さが分かったなんて、自分がとてもはずかしい。それでも見たかった。きれいだったころの大和川を。でも、今はもう見ることのできない大切な景色だ。昔にもどりたい。大和川はそうねがって、今でも私達に話しかけてるのかもしれない。
もしも、本当に昔へもどれるのなら、もうだれもよごすことのないように、私は大和川を、奈良と大阪をつなぐ人々の大切な天然記念物にしてあげたい。
<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>
「大和川をきれいな川に」
柏原市立柏原小学校6年
「どんな虫がいるのかな。」と思っていたけどやっぱり予想していたとおりだった。大和川は、とてもきたない川です。だから虫でも、きたない川でもすめる虫しかいない。でも昔の大和川はどうだったのだろうか。いまみたいに、川がすごくよごれていたのかな。私は、昔は水もきれいで、川にもきれいな虫や川魚とかがいて、川でも泳げたんじゃないかなと思う。そんな川をだいなしにしてしまったのが、私たち人間だ。
今は「大和川をきれいにしよう。」とかいってやってるけど一度こわされた自然は、なかなか取りもどせないと思う。どうしょうもないところだってあるけど、私たちにだってできることがある。例えば、洗たくとかで使ったよごれた水を大和川にすてないとか、前みたいに、大和川クリーンキャンペーンにいってゴミをひらったりすればいいと思う。
前にいっかい本で読んだことがあるが、その本の名前は「すばらしい犬」という本で、とてもすばらしいことをした犬がたくさんのっている本で「川にはいって、あきかんをひらう犬」というのがあった。その犬の名前はわすれてしまったけど、口にあきかんをくわえてゴミぶくろの中にいれている写真がのっていた。そういうことをして、日本には、このような活動をしている人や犬がいるのに、反対ではへいきで川や道にゴミやかんをすてる人がいる。
大和川があまりきれいにならないということは、カンなどをひろう人よりも、へいきでゴミをすてる人の方が多いと私は思う。さっき私は、一度こわされた自然は二度ともどってはこない。と書いたけど、それはもしかしたら人々の心もちがかわって日本国民全体が、一生けん命とりくめば、自然(大和川)だってそれに答えてくれるように川もどんどんきれいになっていくんじゃないかなと思う。はやく大和川がきれいになればいいのにな。
「どんな虫がいるのかな。」と思っていたけどやっぱり予想していたとおりだった。大和川は、とてもきたない川です。だから虫でも、きたない川でもすめる虫しかいない。でも昔の大和川はどうだったのだろうか。いまみたいに、川がすごくよごれていたのかな。私は、昔は水もきれいで、川にもきれいな虫や川魚とかがいて、川でも泳げたんじゃないかなと思う。そんな川をだいなしにしてしまったのが、私たち人間だ。
今は「大和川をきれいにしよう。」とかいってやってるけど一度こわされた自然は、なかなか取りもどせないと思う。どうしょうもないところだってあるけど、私たちにだってできることがある。例えば、洗たくとかで使ったよごれた水を大和川にすてないとか、前みたいに、大和川クリーンキャンペーンにいってゴミをひらったりすればいいと思う。
前にいっかい本で読んだことがあるが、その本の名前は「すばらしい犬」という本で、とてもすばらしいことをした犬がたくさんのっている本で「川にはいって、あきかんをひらう犬」というのがあった。その犬の名前はわすれてしまったけど、口にあきかんをくわえてゴミぶくろの中にいれている写真がのっていた。そういうことをして、日本には、このような活動をしている人や犬がいるのに、反対ではへいきで川や道にゴミやかんをすてる人がいる。
大和川があまりきれいにならないということは、カンなどをひろう人よりも、へいきでゴミをすてる人の方が多いと私は思う。さっき私は、一度こわされた自然は二度ともどってはこない。と書いたけど、それはもしかしたら人々の心もちがかわって日本国民全体が、一生けん命とりくめば、自然(大和川)だってそれに答えてくれるように川もどんどんきれいになっていくんじゃないかなと思う。はやく大和川がきれいになればいいのにな。
<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>
「昔のような美しい川に」
王寺町立王寺小学校4年
大和川の横を通った時、川のよごれをしめしたマークが目をつぶり、今にもなきだしそうな顔をしていました。
そんなマークを見るたびわたしは、
「早く笑顔にもどしてあげたいなあ。」
と、思います。
そのマークだけではないと思います。
きっと大和川も、昔、泳げたころ、遊んだりしていた人もきっと。
自分達がよごしたと言うのに、時どき、たばこをポイすてしながら、
「きたなあ。」
と言っている人を見かけます。
「わたしたちは、大和川に、とてもしつれいなことをしてしまったなあ。」
と、思ったら、ポイすてなんて、できないとわたしは思いました。
でも、みんな、泳げたり、楽しく遊んだりできる川がいいと思っているはずです。
つい、ポイすてしそうになったら、
「美しい大和川に。ポイすてはしない。」
と、心の中にポスターをはったつもりで、大和川にゴミ一つうかばないようがんばったら、きっと、大和川は昔のように、美しく、泳げる川に、なると思います。
大和川の横を通った時、川のよごれをしめしたマークが目をつぶり、今にもなきだしそうな顔をしていました。
そんなマークを見るたびわたしは、
「早く笑顔にもどしてあげたいなあ。」
と、思います。
そのマークだけではないと思います。
きっと大和川も、昔、泳げたころ、遊んだりしていた人もきっと。
自分達がよごしたと言うのに、時どき、たばこをポイすてしながら、
「きたなあ。」
と言っている人を見かけます。
「わたしたちは、大和川に、とてもしつれいなことをしてしまったなあ。」
と、思ったら、ポイすてなんて、できないとわたしは思いました。
でも、みんな、泳げたり、楽しく遊んだりできる川がいいと思っているはずです。
つい、ポイすてしそうになったら、
「美しい大和川に。ポイすてはしない。」
と、心の中にポスターをはったつもりで、大和川にゴミ一つうかばないようがんばったら、きっと、大和川は昔のように、美しく、泳げる川に、なると思います。
<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>
「今と昔の大和川」
大阪市立矢田西小学校6年
大和川がささやいている。
「また人間がきたわ、今度は何を捨てにきたんだろう。このごろ人間が遊びにこんな~。私ら大和川が日本ワースト2としってさけてるんかな。こんなにしたの人間なのに、他の川みたいなりたいな。」私は大和川に行くと大和川がこう言っているようにかんじる。でもこれは現在の大和川。きっと昔はこうささやいていた。
「みんな楽しそうに遊んでいる。私らもこんなに楽しく遊んでもらったらうれしいわ。」今と昔では、大和川の人間に対する考え方はひどく変わっていると思う。昔は、大和川は人間が好きだったと思う、でも今はきらいかもしれない、なぜなら人間が好きほうだいにゴミをすて下水を流ししらんふり、大和川はこういう人間に強いにくしみをもっているかもしれない。大和川は、日本ワースト2ということをしっている人はけっこういてると思う。しらなくても、きたないということはだれもがしっている。だからといって何かしようというわけではない。だいぶ前から、大和川には黄色の花がさいている、ここ2・3年にものすごくたくさんさくようになった。それは、黄色い花が一面とさくからみたかんじとってもきれい、大和川がきれいになってきたのかな~と思った。だけど、それは大ちがい、黄色い花はきたない所にさくということを先生からきいた。
私たちが、きがつかなかったうちに大和川はよごれていたのだもし大和川が人間だとすると、もう死にかけの病人だと思う。
これから、大和川をきれいにする、ものすごいお金をかけるよりもこれ以上、大和川をきたなくしないように一人一人が心がけて大和川に思いやりみたいなものをもってほしい。
大和川がささやいている。
「また人間がきたわ、今度は何を捨てにきたんだろう。このごろ人間が遊びにこんな~。私ら大和川が日本ワースト2としってさけてるんかな。こんなにしたの人間なのに、他の川みたいなりたいな。」私は大和川に行くと大和川がこう言っているようにかんじる。でもこれは現在の大和川。きっと昔はこうささやいていた。
「みんな楽しそうに遊んでいる。私らもこんなに楽しく遊んでもらったらうれしいわ。」今と昔では、大和川の人間に対する考え方はひどく変わっていると思う。昔は、大和川は人間が好きだったと思う、でも今はきらいかもしれない、なぜなら人間が好きほうだいにゴミをすて下水を流ししらんふり、大和川はこういう人間に強いにくしみをもっているかもしれない。大和川は、日本ワースト2ということをしっている人はけっこういてると思う。しらなくても、きたないということはだれもがしっている。だからといって何かしようというわけではない。だいぶ前から、大和川には黄色の花がさいている、ここ2・3年にものすごくたくさんさくようになった。それは、黄色い花が一面とさくからみたかんじとってもきれい、大和川がきれいになってきたのかな~と思った。だけど、それは大ちがい、黄色い花はきたない所にさくということを先生からきいた。
私たちが、きがつかなかったうちに大和川はよごれていたのだもし大和川が人間だとすると、もう死にかけの病人だと思う。
これから、大和川をきれいにする、ものすごいお金をかけるよりもこれ以上、大和川をきたなくしないように一人一人が心がけて大和川に思いやりみたいなものをもってほしい。
<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>
「僕から見た大和川」
三郷町立三郷中学校2年
「最近少しきれいになったかな。」
つい最近、僕が大和川を見たときの感想です。これを、だいたい二、三年前ぐらいさかのぼって感想をのべると、
「また汚くなったなあ。」
といってしまうでしょう。たぶんその二、三年前にも同じ感想をいってしまうでしょう。前の文の続きになりますが、本当に少しずつですが川の水はきれいになってきていると思いますがまだまだだとも思います。なぜなら美術の時間に写生に大和川に行ったとき、どうしても川の色に「汚さ」を出さなければならないのです。色でいってみれば「青」や「緑」だけではなく「茶色」も使っていかなければならず、多少、青を多く使った僕の川の色は本物の川の水と少し、かけ離れた色になってしまいました。
また、少しきれいになったのは、川の中だけで、河川敷のゴミとかは少し増えたような気もします。
また、水もつい最近出てきた「自然原料を使った粉せっけん」が出回ったこともあって生活廃水がきれいになったのではないかと思います。もちろん川をきれいにするために努力していただいている人もいると思いますがまた、汚くなるかと思います。
しかし、今、地球全体でエコロジーブームがわきおこっています。このブームに乗って大和川の水が少しでもきれいになったらなと思います。またさらにブームが文化になって、もっと川の水がきれいになって元の川の水にもどったらエコロジーブームのブームとしての役割も終わることだと思います。
今、僕が大和川にもとめることは、
「見るたびにきれいになっていってほしい。」
ということです。そのためには僕も少しでも努力をしていきたいと思います。
「最近少しきれいになったかな。」
つい最近、僕が大和川を見たときの感想です。これを、だいたい二、三年前ぐらいさかのぼって感想をのべると、
「また汚くなったなあ。」
といってしまうでしょう。たぶんその二、三年前にも同じ感想をいってしまうでしょう。前の文の続きになりますが、本当に少しずつですが川の水はきれいになってきていると思いますがまだまだだとも思います。なぜなら美術の時間に写生に大和川に行ったとき、どうしても川の色に「汚さ」を出さなければならないのです。色でいってみれば「青」や「緑」だけではなく「茶色」も使っていかなければならず、多少、青を多く使った僕の川の色は本物の川の水と少し、かけ離れた色になってしまいました。
また、少しきれいになったのは、川の中だけで、河川敷のゴミとかは少し増えたような気もします。
また、水もつい最近出てきた「自然原料を使った粉せっけん」が出回ったこともあって生活廃水がきれいになったのではないかと思います。もちろん川をきれいにするために努力していただいている人もいると思いますがまた、汚くなるかと思います。
しかし、今、地球全体でエコロジーブームがわきおこっています。このブームに乗って大和川の水が少しでもきれいになったらなと思います。またさらにブームが文化になって、もっと川の水がきれいになって元の川の水にもどったらエコロジーブームのブームとしての役割も終わることだと思います。
今、僕が大和川にもとめることは、
「見るたびにきれいになっていってほしい。」
ということです。そのためには僕も少しでも努力をしていきたいと思います。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「大和川の水はどこからきたの」
羽曳野市立古市南小学校4年
大和川の水はどこからきたのかな。それは雨水と家庭や工場や学校などから出された水です。雨水はきれいなので、そのまま川などへ流されます。しかし、家庭や工場などから出された水は、きたないからそのまま川などへ流すことが出来ません。よごれた水は、下水しょり場まで運ばれて、きれいにして川へもどしています。
しかし、今の大和川はきれいといえるでしょうか。工場などから出る有害なガスで空気がよごされ、たく地開発などによるうめ立て地からよごれた水が川へしみ出たり、投げすてられたかんでんちやプラスチックなどで川がよごされたり、家庭や工場などのゴミやはい水で、また川がよごされてしまったりした。いくら下水しょり場できれいにして川へもどしても、なかなか昔のような大和川にもどらない。それに、じょう水場は、大変大がかりなしせつです。水をきれいにするためには、いろんなせつびやお金、そして人手がたくさんいります。水はいくらでもほしいだけ手に入るわけじゃないんだね。もっと自分のことのように一人一人が考えてほしいなあと思いました。
ぼくはのどがかわくと、水道のじゃ口をひねって水を飲む。手がよごれると、じゃ口をひねって手をあらう。けれどひねったらいやでもうすぐにでてきてくれるこの水は、大和川から運ばれてきた水だということを、ぼくは最近まで知らなかった。
よごすのはかんたんにだれでもできる。きれいにするのも少し努力が必要だけれど、だれにでもできる。だったらみんなで大和川の水をきれいにしましょう。だってぼく、きれいな水飲みたいねん。おいしい水、飲みたいねん。ぼくの水やもん。ぼくの川やもん。
大和川の水はどこからきたのかな。それは雨水と家庭や工場や学校などから出された水です。雨水はきれいなので、そのまま川などへ流されます。しかし、家庭や工場などから出された水は、きたないからそのまま川などへ流すことが出来ません。よごれた水は、下水しょり場まで運ばれて、きれいにして川へもどしています。
しかし、今の大和川はきれいといえるでしょうか。工場などから出る有害なガスで空気がよごされ、たく地開発などによるうめ立て地からよごれた水が川へしみ出たり、投げすてられたかんでんちやプラスチックなどで川がよごされたり、家庭や工場などのゴミやはい水で、また川がよごされてしまったりした。いくら下水しょり場できれいにして川へもどしても、なかなか昔のような大和川にもどらない。それに、じょう水場は、大変大がかりなしせつです。水をきれいにするためには、いろんなせつびやお金、そして人手がたくさんいります。水はいくらでもほしいだけ手に入るわけじゃないんだね。もっと自分のことのように一人一人が考えてほしいなあと思いました。
ぼくはのどがかわくと、水道のじゃ口をひねって水を飲む。手がよごれると、じゃ口をひねって手をあらう。けれどひねったらいやでもうすぐにでてきてくれるこの水は、大和川から運ばれてきた水だということを、ぼくは最近まで知らなかった。
よごすのはかんたんにだれでもできる。きれいにするのも少し努力が必要だけれど、だれにでもできる。だったらみんなで大和川の水をきれいにしましょう。だってぼく、きれいな水飲みたいねん。おいしい水、飲みたいねん。ぼくの水やもん。ぼくの川やもん。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「きれいをめざして大和川」
王寺町立王寺小学校4年
わたしは、いつも、大和川の近くの道路を通ると、
「きたないなぁ。」
と思います。
でも、時々、わたしもゴミをポイとすてることがあります。すてた所は、川ではないけれど、道路のはじっこや、どぶなどにすてました。でも、今思えばあの時いけなかったなぁと思いました。それでこの作文を書いたからもうゴミはすてないようにしようと思いました。
それから、学校の校長室のとなりに、かけてあるきれいな大和川の絵を見ていると、本当に、あんな川になったらいいのになぁと思いました。あんな川になって、回りに花がいっぱいさいていたら、どんなに空気も、けしきもきれいになるのかなぁと思います。
わたしが、どこかの町へいったとき、なんという川かは、わからなかったけど、大和川とくらべると、すごくきれいでした。
大和川は近くにごみがたまってにごっているけどその川は、すきとおっていて中がよくみえました。
大和川もみんなで協力すると、そんな川になるとわたしは思いました。
わたしは、いつも、大和川の近くの道路を通ると、
「きたないなぁ。」
と思います。
でも、時々、わたしもゴミをポイとすてることがあります。すてた所は、川ではないけれど、道路のはじっこや、どぶなどにすてました。でも、今思えばあの時いけなかったなぁと思いました。それでこの作文を書いたからもうゴミはすてないようにしようと思いました。
それから、学校の校長室のとなりに、かけてあるきれいな大和川の絵を見ていると、本当に、あんな川になったらいいのになぁと思いました。あんな川になって、回りに花がいっぱいさいていたら、どんなに空気も、けしきもきれいになるのかなぁと思います。
わたしが、どこかの町へいったとき、なんという川かは、わからなかったけど、大和川とくらべると、すごくきれいでした。
大和川は近くにごみがたまってにごっているけどその川は、すきとおっていて中がよくみえました。
大和川もみんなで協力すると、そんな川になるとわたしは思いました。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「すきとおった大和川」
大阪市立矢田北小学校6年
私は、大和川に行くたびに思う事があります。それは、「やっぱり、きたないなぁ。ゴミもたくさんおちている。」とかです。
私が一~二年生の頃、見たニュース番組で川のよごれについてやっていました。その中で大和川は全国二位でした。私達に一番身近な川は大和川です。その川が全国二位だと知って、私は、いやな気持ちになりました。
お父さんやおばあちゃんに話を聞くと、「昔は大和川でよく泳いだし、魚もとったなぁ。」とか、「昔の大和川はきれいやった。」と言っていました。その話を聞いた時、とても信じられませんでした。だって、今の大和川は、足までつかっただけでもイヤなくさいにおいがして、とても泳げるような状態ではないのですから!!今でも大和川がきれいだったら、みんな泳いだり魚をとったりして楽しく大和川で遊べてただろうな。私も、きれいな大和川で泳ぎたい!!そう思います。
私達が、家や学校の給食などで残す、牛乳や、みそ汁、油なども大和川をよごしている原因の一つなのです。まず私達にできることとして、そういう物などを残さないようにしていくことも大切だと思います。大和川をきたない川として有名にするのではなく、きれいな川として有名にしていけるように、みんなで協力していかなければならないと思います。大和川で泳げる、大和川に魚が住んでいる、そんな昔の大和川に戻していけるように協力していこうと思います。
一人一人の力をあわせれば、いつかきれいな大和川になるでしょう。
そして、いつかきれいな大和川で泳ぎたいです。
私は、大和川に行くたびに思う事があります。それは、「やっぱり、きたないなぁ。ゴミもたくさんおちている。」とかです。
私が一~二年生の頃、見たニュース番組で川のよごれについてやっていました。その中で大和川は全国二位でした。私達に一番身近な川は大和川です。その川が全国二位だと知って、私は、いやな気持ちになりました。
お父さんやおばあちゃんに話を聞くと、「昔は大和川でよく泳いだし、魚もとったなぁ。」とか、「昔の大和川はきれいやった。」と言っていました。その話を聞いた時、とても信じられませんでした。だって、今の大和川は、足までつかっただけでもイヤなくさいにおいがして、とても泳げるような状態ではないのですから!!今でも大和川がきれいだったら、みんな泳いだり魚をとったりして楽しく大和川で遊べてただろうな。私も、きれいな大和川で泳ぎたい!!そう思います。
私達が、家や学校の給食などで残す、牛乳や、みそ汁、油なども大和川をよごしている原因の一つなのです。まず私達にできることとして、そういう物などを残さないようにしていくことも大切だと思います。大和川をきたない川として有名にするのではなく、きれいな川として有名にしていけるように、みんなで協力していかなければならないと思います。大和川で泳げる、大和川に魚が住んでいる、そんな昔の大和川に戻していけるように協力していこうと思います。
一人一人の力をあわせれば、いつかきれいな大和川になるでしょう。
そして、いつかきれいな大和川で泳ぎたいです。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「ぼくたちの大和川」
王寺町立王寺小学校5年
ぼくたちの大和川は、どうすればきれいになるだろうか。
一人一人が色々な事に気をつけて、いかないと、良い結果はでないと思う。
工場の人たちは、大和川のことを、大切に思う心で、はい水のことを考えてほしいし、ぼくたちの家庭では生ゴミのしょ理をきちんとして、よごれた油はぜったいに流さないようにしなくてはなりません。
かんきょう問題のべんきょうをしたとき、パンティーストッキングを切ってふくろにして生ゴミのしょ理にべんりだと聞いてお母さんにも教えてあげました。
よその人が、きれいな川だと言ってくれるような川になってほしいから、今からぼくたち王寺町全員が協力しあわないと大和川は今でもきたなくてゴミばっかりなのにこのままでは、もっともっとひどくなって、さいごにはきたない川日本一になるかもしれない。
川のまわりがきれいでなかったら川がよけいきたなく感じると思う。
かんやゴミのポイ捨てもなくさなくてはならない。
テレビのニュースで聞きましたが和歌山県では、カンを捨てたらばっきんをとるようにきめたそうです。
きっと、このようにきめないと、だんだんとひどくなってきたのだと思います。
飲んだ人は、食べた人は、本人が責任をもってしまつすることで、どんなにかまわりがきれいになるだろうか。
ぼくたちの大和川は、どうすればきれいになるだろうか。
一人一人が色々な事に気をつけて、いかないと、良い結果はでないと思う。
工場の人たちは、大和川のことを、大切に思う心で、はい水のことを考えてほしいし、ぼくたちの家庭では生ゴミのしょ理をきちんとして、よごれた油はぜったいに流さないようにしなくてはなりません。
かんきょう問題のべんきょうをしたとき、パンティーストッキングを切ってふくろにして生ゴミのしょ理にべんりだと聞いてお母さんにも教えてあげました。
よその人が、きれいな川だと言ってくれるような川になってほしいから、今からぼくたち王寺町全員が協力しあわないと大和川は今でもきたなくてゴミばっかりなのにこのままでは、もっともっとひどくなって、さいごにはきたない川日本一になるかもしれない。
川のまわりがきれいでなかったら川がよけいきたなく感じると思う。
かんやゴミのポイ捨てもなくさなくてはならない。
テレビのニュースで聞きましたが和歌山県では、カンを捨てたらばっきんをとるようにきめたそうです。
きっと、このようにきめないと、だんだんとひどくなってきたのだと思います。
飲んだ人は、食べた人は、本人が責任をもってしまつすることで、どんなにかまわりがきれいになるだろうか。