1993年の入賞作品

作文部門1

<最優秀賞 大阪府知事賞>

「大和川を見て考える」

 
大阪市立矢田西小学校6年

私は去年、大和川のクリーンキャンペーンに行った時、(少しはきれいになったかなぁ)と思って見ると、きれいになるどころか、もっときたなくなっていた。足でふみつけたあとのある空かんやわれたビン、土の中にうもれている新聞紙、ぼうぼうに伸びきった草とかでいっぱいでした。土手や川を見ていると、イライラしてきます。毎年、毎年大和川のそうじをしているというのに、ごみは増える一方だからです。大和川をよごさないために、一人一人がちゃんと考えてほしいです。
私も、ごみを捨てている所を見たことがあります。小さいころ、大和川を通りかかった時、大人の人が犬をつれて来ていました。その人は、犬を放してつりをしていました。犬は土をほりまわしたり、おもいっきり走り回ったりしていました。大人の人は、つりをしながらジュースを飲んでいました。そして飲み終わると、ジュースのかんを、捨てました。(つりしてるのに川にかんを捨てたら、魚つれへんのちゃうんかなぁ)と思いました。だけど、私も道ばたにごみを捨てたことがあります。妹と歩いている時、飲み終わったかんを、とめてある車の近くに捨てました。私は川をきれいにするためには、自分でも、そういうところから直さないといけないと思います。
それに、テレビで見た事で、犬が空かんを拾っていました。犬でもできるんだから、人間ができないなんておかしいと思います。大和川は、あんなによごれているから、きれいにしていくのは少し難しいけど、今よりもよごさない事は、できると思います。そしてごみの少ないきれいな大和川になってほしいです。

<最優秀賞 奈良県知事賞>

「よみがえれ大和川」

王寺町立王寺小学校6年

ぼくの生まれた町を流れる大和川。大阪と奈良を結び発展させてくれた大和川。でも今は、汚れた川のイメージの大和川。まるで病人のような大和川。
ぼくは、川遊びが好きで、すずしかったこの夏も、いろんな川へ出かけました。ジャブジャブと川の中へ入っていって、思いきりあそぶのです。でも、大和川では出きません。あまりにきたないから。母が小学生のころはすごくきれいでここで泳ぎの練習をしたそうです。きれいに水がすんでいて、魚がいっぱいだったというのに。
ぼくは、ボーイスカウトの一員です。以前、葛下川のゴミを拾って歩いた時、友達とあまりの汚なさに言葉がでませんでした。ただ無言で何時間もゴミをひらい続けました。悲しくて。
きたなくしたのは、ぼく達です。葛下川の本流、大和川を病気にしたは、ぼく達人間です。
ぼくが生まれた年の八月、王寺町は水害にみまわれました。ぼくは、大和川の人間に対しての怒りの反乱だと思いました。大和川の汚染はぼく達の責任です。悲しんでいる大和川。元気にきれいになりたい大和川。ぼく達の手でもう一度、取りもどそう!昔の大和川を。一人一人が気を付けて、工場や家庭から出る汚水は浄化して、ゴミなど決して捨てぬよう。そして、緑と花をいっぱいにして飾ってあげよう。
人から「君のふる里は?」と聞かれた時、「あのきれいな大和川の流れる王寺町です。」と胸を張って言えるように。
おわり


<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>

「いったい何が大和川を…」

大阪市立矢田南中学校1年

大和川でよく川に石を投げて何回“ピョンピョン”とはねるかを競争して遊んでいた。それでひらべったい石のほうがはねやすいからひらべったい石をさがしていた。ちょうどよくはねそうなひらべったい石があったと思ってそれを手にとると、プラスチックのようなものだった。そういうもの以外にもお茶わんやなにかの部品のようなものがいっぱいあった。それと水がたまっているところに、油も浮いていた。私はやっぱり大和川ってきたないなぁと思った。帰る時手のにおいをかいでみるとすごくくさかった。なんかゴミとかいっぱいまじったにおいになっていた。ふつうの川でもなんか土とかのくさいにおいはするけど、なんか大和川はそんなにおいじゃなかった。とにかくくさくて私はすぐ手をあらいたかった。私はこんなきたない川が昔は泳げるぐらいきれいだったなんて信じられなかった。今でも魚や鳥は泳いでるけどあんまり見たことがない。泳いでる魚より、死んでる魚のほうをよく見る。これだけきたなかったら魚も死ぬんだろうなぁと思った。
これだけきたなくなるのは工場の排水以外に家庭の排水にも原因があるとテレビとかでよくきく。その中でも、ラーメンとかの汁は洗面器になんばいもの水でうすめないと川をよごす原因になるというのが、一番印象に残っている。私はラーメンの汁は飲まなくていつも捨ててたけど、ラーメンの汁くらいで川はそんなよごれないだろうと、そんなこときくまでは思っていた。でも、こういうちょっとしたことが、川をよごす原因になるんだろうなと思った。


<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>

「やまとがわ」

王寺町立王寺小学校1年

わたしはおかあさんから、むかしのやまとがわのはなしをきいたことがあります。おかあさんが、しょうがくせいのとき、やまとがわはきれいなかわでおよげたんだって。
いまのやまとがわは、きたないけれど、こいや、かめがすんでいるのをみたことがあります。
わたしは、かにや、あゆや、あまごや、いわなのすめるようなかわで、くらすのおともだちとあそびたいし、わたしはつりがすきだから、さかなつりができたらいいなとおもいます。あまごはおいしいです。
だからものをすてたり、きたないみずをながさないように、みんなでどりょくをしてきれいなかわになってほしいとおもいます。
きれいになったらてんとをはってつりをします。


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「川はやさしいけどこわい」

羽曳野市立古市南小学校5年

大和川はまるでお母さんのようだ。今日の大和川はとてもおだかやでとても静かだ。水の表情を見ているだけで、仲良しの友達とけんかした時やテストで悪い点とった時なんかとてもおちこんだ心を、パッと明るくしてくれる。明日友達にあやまろうというやさしい気持ちに自然とさせてくれる。テストも今度は少しでもいい点とれるようにガンバルぞという気持ちになせてくれる。そんな大和川はあったかくてやさしいお母さんのようだ。
しかし、一度大雨でもふろうものなら、水面はまるでお母さんがぼくにしかる時のように、水面は上下左右にあれにあれる。ぼくはただぼう然としているしかない。ただこわいと感じるだけだ。あんなにやさしかった川が、いっしゅんのうちにこわい川にかわってしまうのです。雲ぜんの水無川のように大岩がせまってきたら、ぼくどこへ逃げたらいいのかな。北海道の奥尻島のように家がこわされたらどこに住めばいいのかな。大和川もあんなふうになってしまうことがあるのかな。もしもあんなふうになったら、かなしいだけでなくて、こわいだろうなあ。にげようと思っても、足が自分の意志では動かなくなるのだろうなあ。きっと『あっ。』と言う間もなくおし流されて死んでしまうのだろうなあ。道路のさかいに右と左とでは、まるで天と地ほどちがう。まるでこの道がおばあちゃんの言っているさんずの川のようだ。大和川がさんずの川にならないでほしいと思った。
自然というやつはやっぱり大切にしないと、時々神様が人間をこらしめにくるんだと思った。神様にいじわるされないためにも、一人一人が自分で出来ることは何かを考えながら行動しなければいけないと思いました。


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「大和川と剣先舟」

奈良市立平城東中学校2年

私たちの町の大和川は、古来、奈良盆地と大阪平野を結ぶ重要なルートで、水運が利用されていて、魚梁船や剣先船という船が活躍していたそうですが、私にはちょっと信じられないと思いました。
剣先船というのは、江戸時代に奈良、大阪で使われていた運送用の船で、船の先が剣のようにとがっているので、この名がついたそうです。
交通機関が発達するにつれて、大和川の水運は利用されなくなってゆき、変わりに、鉄道や車が多く利用されるようになったので、今ではもう、剣先船の姿は全く消えてしまったのでしょう。
私は、この剣先船を大和川に再現させられたらいいなと思います。そうすることによって、大和川の歴史をずっと先まで残せると思うからです。それとともに、ごみで汚れてしまった川の周りも、私達の力できれいにしていきたいです。もし、剣先船を再現することが実現しても、その川の周りが、空き缶だらけだと、せっかくの船が台無しです。だから、私は、大和川をより美しくする活動に、積極的に参加していきたいです。
私はこの作文を書くまで、大和川を通って奈良と大阪の間を船が行き来していたことは全然、知りませんでした。剣先船のことも、今回いろいろ調べてみて初めてわかったことです。だからやっぱり、剣先船やまた他の物でも、それを見て「ああ、これが江戸時代には使われていたんだなぁ。」とわかるような何かを大和川に残してほしいと思います。そういう歴史を残すことも、大和川を美しくする方法の一つではないかと、私は思います。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川がきれいになってほしい」

大阪市立瓜破西小学校4年

ぼくは、このまえ花火をともだちと大和川でしました。ぼくは、大和川に花火をほってしまった。ぼくはいけないとおもった。ぼくは、花火をおいかけていった。でも、空がまっ暗らだった。だからみえなかった。
だからもとにもどった。またともだちが花火をほった。ぼくは言った。
「こんなきれいな大和川よごれるやんか。」と、ぼくは言った。ぼくは思った。
「なんでこんなきれいな大和川をよごすのかな。」と、思った。でも、ぼくは、花火を始めた。ぼくは、こんんどこそほらないぞと心の中で思った。でもぼくはまた花火をほってしまった。ぼくは、こんどこそとるぞっ、と思った。
そして、あみでとろうとした。そして、ぼくは、あみでとった。うれしかった。そして一回めにほってしまったのも、はいってあった。
ぼくは、また、うれしかった。でも、ともだちは言った。「まだまだ人もおんねんで」と、ぼくは言った。みんなは、きいてくれなかった。でもぼくは思った。「いまからきれいにしていかな、もっともっと、きたなくなるねんで、だから花火が終ったらみんなでそうじしような」とぼくは、言った。そして花火が終った。まずぼくが川のちかくをした。ともだちはうえや、まんなかをしたり、せんろがわもそうじをした。ゴミがたまった。
ゴミをふくろに入れてみんなかえりました。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「みんなの願い-ヘルシー大和川-」

三郷町立三郷北小学校3年

私は、この間、みえ県の赤目というところへ行ってきました。その時、赤目の水はとてもきれいでした。魚が上からでも見えるくらいでした。
それから、べつの日に、近所へサイクリングへ行きました。そのとき小さい川のよこを通りました。するとブクブクとせんざいのようなあわがういていました。それは大和川に行くんだなぁと思いました。私はなぜか悲しくなりました。きっと魚もあのあわをのむのかなぁと思ったからです。赤目の水はとてもきれいで魚が上からでも見えるのに、大和川は、とてもきたなくて、魚もぜんぜんみえません。
私のお母さんは、お米のといだあとの水をお花にながします。私が「どうして。」と聞くと「川がよごれるから。」といいます。
お母さんも、川をよごさないためにも、きょう力しているんだなぁと思いました。みんなが一つの心になって、みんなできょう力すれば、きれいな、大和川ができるということがわかりました。
また、みんな一人一人きまりをまもれば大和川をきれいにできるということがわかりました。
せんざいは、人の体や、服をきれいにするけれど、魚や川はきれいにしないと思います。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「昔の大和川と今の大和川」

大阪市立矢田西小学校5年

わたしは思った。だんだんきたなく、よごれて、みんな見なくなった大和川は、昔とくらべると、だいぶんちがったと思う。わたしのおばあちゃんも、
「昔の大和川は、きれくて、魚もたくさんいたのに、今の大和川は、昔とは、まったくかわってしまったなあ。」と言っていた。
昔、水害が多かったのでいっしょうけんめい作ったあの大和川。今の人たちは、そんなことなにも考えず、大和川をきたなくしている。魚は、今の大和川をきらって、ほかのきれいな川に住んでいると思う。昔のように、今の大和川がきれいなら、みんなの心も、きれいになるだろう。みんなは、「大和川、いつみてもきたないなあ。きれいにしたらいいのに。」と言っているにもかかわらず。大和川にごみをほっている人もたくさんいる。わたしも、そうだ。
人間は、世界の王といわれて、どんな生物よりも、頭がいいとみんな思っているだろう。自由に生き物をころし、食べて、いろいろな研究もしてきたが、どれだけ頭がよくても、川にごみやいろんなものをすてたりして、自然をこわしている人間は、かしこいと、いえるのだろうか?。
わたしは、言えないと思う。言えるのは、どれだけ、頭がわるくても、自然をこわさないのが一番えらいと言えるのではないかと思う。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川をきれいに」

桜井市立桜井南小学校4年

ぼくは、この間、家族で十津川に遊びに行きました。川はすき通っていて深い所はエメラルドグリーンの色でした。
ぼくたちは、一日中、魚をつったり泳いだりして、遊びました。
ぼくのおばあちゃんの家の前には寺川が流れていて、ぼくは、時々小さな魚をとって遊びます。でも十津川や吉野川とは全然ちがって、川はにごっていて、あきかんなどのゴミがたくさん捨ててあります。
大和川は、桜井市など、奈良県の町の中を流れている小さな川が一つになった川です。この川は、大阪を通って、大阪湾に出ます。
大和川の上流は、きっと十津川や吉野川に負けないくらいきれいだと思います。けれど、奈良県を出るころには、とてもきたない川になっています。それは、町の中を通っている間にゴミや、せんざい、あきかんなどをのみこんでくるからです。少しずつのみこまれたゴミは、下流になるほど、どんどんふえて、くさくて、ドロドロした川になってしまします。きたなくなった川は、奈良県を出て、大阪を流れ、大阪湾に、「くさいドロドロ」をはき出します。そして、海までよごしてしまうのです。
大和川は、奈良県の川です。奈良県に住む人みんなが、「自分たちの川だ。」という気もちを忘れてはいけないと思います。
ぼくは、「クリーンキャンペーン」という言葉を聞いたことがあります。今、「このままでは、いけない。」と気付く人がふえています。そんな人たちが、どんどんふえると、川は、もっともっときれいになります。
そして、いつかきっと、大和川にも、エメラルドグリーンの色と、たくさんの魚が、帰って来てほしいと思います。