
作文部門2
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「みんなの願い-ヘルシー大和川-」
現在の大和川は、魚がすんでいない、いえ、すめない川になってしまったのです。それというのも、全部、私達、人間が悪いことです。
みんなが知っているように、私達が、缶カンやゴミをすてるからです。でもみんながみんな、ゴミをすててるのではありません。矢田の地域の小学校・中学校は、一年に一回、大和川にそうじに行っています。これが、クリーンキャンペーンです。私達は、一年生のときからずっとこのクリーンキャンペーンに行っているのですが、全然きれいになりません。日に日にきたなくなるいっぽうです。
過去の大和川と比べてみてください。過去の大和川は、消毒もしないで飲める水だったし、みんな泳いで遊んでいたそうですが、現在の大和川は、消毒もしないで水を飲むなんて、とんでもない、泳ぐことは、できるかもしれないけど、やっぱりきれいな大和川で、泳ぐ方が、だれだっていいと思う。そう思うならみんなで力を合わせて現在の大和川を、過去の大和川に、いえ、それ以上にきれいな大和川にしたいと思いませんか?したいのなら、みんなが努力すればいいのです。努力すれば、かなったとき、努力した分何倍も喜びがかえってくるから、みんなに笑顔がよみがえるから…。
小学校生活最後のクリーンキャンペーンをみんなは、どういう行動をとるのか?もちろん私は、小学校生活最後のこの活動を、友達と力を合わせて、がんばろうと思っている。
いつまでも元気でいきいきしているヘルシー大和川であってほしいから。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「みんなの願い-ヘルシー大和川-」
三郷町三郷北小学校5年
この夏、福井の方へ行く機械があり、あの九頭竜川を見ることができた。
九頭竜川は延長一一六七キロメートル、川幅四六〇メートルもある偉大な川がある。一見して、水量が豊かで色も深く、ダムも見られた。実際、上流部に二ヶ所のダムがあり、福井平野殻倉の形成、発電に大活躍している。
超一級河川らしく雄然とヘルシーな川であった。
一方、昔、和歌に詠まれた竜田川、つまり王寺付近の大和川は、同じく一級河川でありながら、ヘルシーに関してワースト1である。
大和川は延長六七キロメートルで、奈良盆地の水を集め、生駒、金剛山地を貫いて大阪湾に注ぐ川である。この川にダムはなく、大和と難波を結ぶ水路として活躍した。
これらの違いは、水源、用途、風景などにはっきりあらわれる。何がどうなって、今となるのか、私なりに考えてみた。
二つの川の大きな違い、風景について考えてみた。田園地帯を流れる川に比べて、町中を走る川、草ぶくの川沿いに比べて、中途半端な堤防-自然のままにしておいてはよくならない。又、九頭竜川の水の色は深い。これはプランクトンが多く生息しているとすれば、大和川はプランクトンも住めない程水が汚れていることになる。九頭竜川のような川にするためには水の浄化を考えなければならない。
大和川へは周辺の住宅街からの家庭排水が多量に流れ込んでいると思う。だから、下水の設備を完備して、それらの汚ない水をできるだけきれいにしてから、川へ流すようにしてはどうだろう。家庭排水を出す人間が、浄化に関してもっと協力していくべきだと思う。そうすると、川と人の良いつながり-その川に一人でも多くの人が良い接し方をすれば、ヘルシー大和川にきっと生まれかわる。
この夏、福井の方へ行く機械があり、あの九頭竜川を見ることができた。
九頭竜川は延長一一六七キロメートル、川幅四六〇メートルもある偉大な川がある。一見して、水量が豊かで色も深く、ダムも見られた。実際、上流部に二ヶ所のダムがあり、福井平野殻倉の形成、発電に大活躍している。
超一級河川らしく雄然とヘルシーな川であった。
一方、昔、和歌に詠まれた竜田川、つまり王寺付近の大和川は、同じく一級河川でありながら、ヘルシーに関してワースト1である。
大和川は延長六七キロメートルで、奈良盆地の水を集め、生駒、金剛山地を貫いて大阪湾に注ぐ川である。この川にダムはなく、大和と難波を結ぶ水路として活躍した。
これらの違いは、水源、用途、風景などにはっきりあらわれる。何がどうなって、今となるのか、私なりに考えてみた。
二つの川の大きな違い、風景について考えてみた。田園地帯を流れる川に比べて、町中を走る川、草ぶくの川沿いに比べて、中途半端な堤防-自然のままにしておいてはよくならない。又、九頭竜川の水の色は深い。これはプランクトンが多く生息しているとすれば、大和川はプランクトンも住めない程水が汚れていることになる。九頭竜川のような川にするためには水の浄化を考えなければならない。
大和川へは周辺の住宅街からの家庭排水が多量に流れ込んでいると思う。だから、下水の設備を完備して、それらの汚ない水をできるだけきれいにしてから、川へ流すようにしてはどうだろう。家庭排水を出す人間が、浄化に関してもっと協力していくべきだと思う。そうすると、川と人の良いつながり-その川に一人でも多くの人が良い接し方をすれば、ヘルシー大和川にきっと生まれかわる。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「大和川について」
大阪市立敷津浦小学校6年
大和川は、昔とちがい大変きたなくなっています。昔は、たくさん人が集まり、魚をつったり、泳いだり、よもぎなどを取ったりすることができたのに、今では、魚もあまり取れないし、よもぎもめったにみられません。
その原因は、人が川にゴミを捨てたり、草が生えている所をコンクリートなどでうめたてたりして、昔とは、ずいぶん様子が変わって生物が生活しにくくなったからです。
これからは、直接川をよごす原因ですが、私達のふだんの生活の中にも川をよごす原因があります。
それは、水といっしょに油や洗剤などを流すことです。その油や洗剤が川をよごし、魚や植物に被害をあたえることは、まちがいないと思います。また、それ以外にも川をよごす原因があります。それは、おぼんの日や、七夕などのお祭りの行事です。それらの日に、川に人々が集まり、みんなで、箱の上に、野菜や果物、ちょうちんなどをおそえなえして、それらを川に流すからです。しかし、おぼんの日におそなえ物を流すのは、最近はあまり行われていないようです。
その他、工場のはい水など川をよごす原因はたくさんあると思います。
私達が気持ちよく生活できるためには、このような川をよごす原因を絶対になくさなければならないと思います。そのためには、何よりもまず一人一人が、川をよごさないように心がけることが大切です。川にゴミを捨てないことはもちろん、油もかためて捨てたり、工夫された洗剤を使うなど生活の中でも、いろいろ考えてみるといいと思う。
人間は、いろいろな発達によって、川をよごす原因をつくってきたが、これからは、きれいな川を取りもどすために、いろんな発達を利用し、研究を進めていかなければならないと思います。私も、少しでも昔の大和川に近づくように、ふだんの生活の中で心がけたいと思います。
大和川は、昔とちがい大変きたなくなっています。昔は、たくさん人が集まり、魚をつったり、泳いだり、よもぎなどを取ったりすることができたのに、今では、魚もあまり取れないし、よもぎもめったにみられません。
その原因は、人が川にゴミを捨てたり、草が生えている所をコンクリートなどでうめたてたりして、昔とは、ずいぶん様子が変わって生物が生活しにくくなったからです。
これからは、直接川をよごす原因ですが、私達のふだんの生活の中にも川をよごす原因があります。
それは、水といっしょに油や洗剤などを流すことです。その油や洗剤が川をよごし、魚や植物に被害をあたえることは、まちがいないと思います。また、それ以外にも川をよごす原因があります。それは、おぼんの日や、七夕などのお祭りの行事です。それらの日に、川に人々が集まり、みんなで、箱の上に、野菜や果物、ちょうちんなどをおそえなえして、それらを川に流すからです。しかし、おぼんの日におそなえ物を流すのは、最近はあまり行われていないようです。
その他、工場のはい水など川をよごす原因はたくさんあると思います。
私達が気持ちよく生活できるためには、このような川をよごす原因を絶対になくさなければならないと思います。そのためには、何よりもまず一人一人が、川をよごさないように心がけることが大切です。川にゴミを捨てないことはもちろん、油もかためて捨てたり、工夫された洗剤を使うなど生活の中でも、いろいろ考えてみるといいと思う。
人間は、いろいろな発達によって、川をよごす原因をつくってきたが、これからは、きれいな川を取りもどすために、いろんな発達を利用し、研究を進めていかなければならないと思います。私も、少しでも昔の大和川に近づくように、ふだんの生活の中で心がけたいと思います。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「きれいな川、よごれた川」
桜井市立城島小学校6年
人間の一生は、水に始まり水に終わるという話を聞いたことがあります。母のおなかの中で赤ちゃんは羊水という水に浮かんでいて自由に体を動かして成長しているそうです。反対に人は、死んで骨になって、つぼに入れてお墓にうめられますが、最後の最後、何十年もたつと、その骨も水の粒になると父から聞いたことがあります。私たちが生きていくためには水と無関係では、生きてゆけません。
同じ一生を送るのならば、私が育った母のおなかの中の羊水のように、人々が育って行く価値のあるきれいな水がほしいです。でも実際、私の周りをながめても、きれいな水の川は見られません。私達が生活していくために、出る生活排水は仕方がないといえば、それまでですが、私だけでも気を付けようという小さい意識だけでは、きれいな川にはならないと思います。私だけではなく、この地球にいつまでも人々の命の続く限り、その人々のためにもきれいな水の流れる川を残しておくのが、私達のこれから生きていく大きな宿題であると思います。
いわなという魚は、きれいな水にしか、住めないのだそうです。反対にきたない水だから住む魚もあるのです。それは、私達に自然が教えてくれるサインのようなものでは、ないでしょうか。
父が子供のころ遊んだ初瀬川のきれいな水を、取りもどすことはできませんがこれから四十年、五十年先の事を考えて暮し方を改良したり、工夫したりすることだったら私にもできると思います。
私の母は、洗たくの洗剤を少なめにしたり、食事の後片付の時なるべく洗剤を使わなくてすむように、熱いめの湯で食器を洗ったり工夫をしています。こんな小さな事でも多くの人がすれば必ず川はその努力に応えてくれるような気がします。
人間の一生は、水に始まり水に終わるという話を聞いたことがあります。母のおなかの中で赤ちゃんは羊水という水に浮かんでいて自由に体を動かして成長しているそうです。反対に人は、死んで骨になって、つぼに入れてお墓にうめられますが、最後の最後、何十年もたつと、その骨も水の粒になると父から聞いたことがあります。私たちが生きていくためには水と無関係では、生きてゆけません。
同じ一生を送るのならば、私が育った母のおなかの中の羊水のように、人々が育って行く価値のあるきれいな水がほしいです。でも実際、私の周りをながめても、きれいな水の川は見られません。私達が生活していくために、出る生活排水は仕方がないといえば、それまでですが、私だけでも気を付けようという小さい意識だけでは、きれいな川にはならないと思います。私だけではなく、この地球にいつまでも人々の命の続く限り、その人々のためにもきれいな水の流れる川を残しておくのが、私達のこれから生きていく大きな宿題であると思います。
いわなという魚は、きれいな水にしか、住めないのだそうです。反対にきたない水だから住む魚もあるのです。それは、私達に自然が教えてくれるサインのようなものでは、ないでしょうか。
父が子供のころ遊んだ初瀬川のきれいな水を、取りもどすことはできませんがこれから四十年、五十年先の事を考えて暮し方を改良したり、工夫したりすることだったら私にもできると思います。
私の母は、洗たくの洗剤を少なめにしたり、食事の後片付の時なるべく洗剤を使わなくてすむように、熱いめの湯で食器を洗ったり工夫をしています。こんな小さな事でも多くの人がすれば必ず川はその努力に応えてくれるような気がします。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「汚染された大和川」
大阪市立矢田南中学校1年
大和川は汚染されている。どこのだれが見ても分かるだろう。川に空き缶が流れ、川底にはガラスのかけらにヘドロ。土手にはビニールぶくろやいろいろなゴミだらけ。その上、川の水には、家庭排水もまじってしまい、今はまだほんの少しの魚が住んでいるが、このままではその魚までいなくなってしまう。このような事実があるのに、見むきもしない人がいる。けれどその反面クリーンキャンペーンなどのイベントに積極的に参加し、川をきれいにしようとする人もいる。しかし僕はどちらかというと見むきもしない人の方だから、とやかく言う資格もないのに大和川にきたないと文句を言うばかりだった。けれど、今こんな風に作文を書いているうちに思いついた事がある。「汚染」この中の汚の字にはさんずいが含まれている。さんずいは水を表すから汚の字は川の汚れから由来したんではないかと考えてみた。
いろいろな視野から見ていくと、大和川はいいところとも言える。それは少しだが、魚や鳥がいることだ。こういうのを見るときに思うのは、やっぱり川は川だなということだ。それに夏は二才~十才ぐらいの子供が遊んでいる。やっぱりきたなくても川だ。そしてよごれていてもこだから、きれいになると絶対にたくさんの人のいこいの場として親しまれていくだろう。しかしそうなるのは何年、何十年か先のことだ。それも、たくさんの人々、協力し合ってこそきれいな川になる。
そして協力し合うことで仲間がふえたりもする。だからいろいろな意味も含めて大和川クリーンキャンペーンはなくてはならない活動であると僕は思う。今日はみんなで大和川に行きクリーンキャンペーンをするけれど、こういうのは、たくさんの人がいてできると思う。一人でやっているとさみしくなるし、投げ出したくもなる。けれど、たくさんの人だと協力できてやりがいもある。でも、まだ少ない方だ。地区でいっせいにやっても、まだ多くはないだろう。
大和川だけでなく、日本中どころか世界中で汚染は問題になってきている。みんなでこの問題にとりくんで行きたいと僕は思う。
大和川は汚染されている。どこのだれが見ても分かるだろう。川に空き缶が流れ、川底にはガラスのかけらにヘドロ。土手にはビニールぶくろやいろいろなゴミだらけ。その上、川の水には、家庭排水もまじってしまい、今はまだほんの少しの魚が住んでいるが、このままではその魚までいなくなってしまう。このような事実があるのに、見むきもしない人がいる。けれどその反面クリーンキャンペーンなどのイベントに積極的に参加し、川をきれいにしようとする人もいる。しかし僕はどちらかというと見むきもしない人の方だから、とやかく言う資格もないのに大和川にきたないと文句を言うばかりだった。けれど、今こんな風に作文を書いているうちに思いついた事がある。「汚染」この中の汚の字にはさんずいが含まれている。さんずいは水を表すから汚の字は川の汚れから由来したんではないかと考えてみた。
いろいろな視野から見ていくと、大和川はいいところとも言える。それは少しだが、魚や鳥がいることだ。こういうのを見るときに思うのは、やっぱり川は川だなということだ。それに夏は二才~十才ぐらいの子供が遊んでいる。やっぱりきたなくても川だ。そしてよごれていてもこだから、きれいになると絶対にたくさんの人のいこいの場として親しまれていくだろう。しかしそうなるのは何年、何十年か先のことだ。それも、たくさんの人々、協力し合ってこそきれいな川になる。
そして協力し合うことで仲間がふえたりもする。だからいろいろな意味も含めて大和川クリーンキャンペーンはなくてはならない活動であると僕は思う。今日はみんなで大和川に行きクリーンキャンペーンをするけれど、こういうのは、たくさんの人がいてできると思う。一人でやっているとさみしくなるし、投げ出したくもなる。けれど、たくさんの人だと協力できてやりがいもある。でも、まだ少ない方だ。地区でいっせいにやっても、まだ多くはないだろう。
大和川だけでなく、日本中どころか世界中で汚染は問題になってきている。みんなでこの問題にとりくんで行きたいと僕は思う。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「川が美しくなるための第一歩」
王寺町立王寺南中学校2年
昔の大和川は澄んでいてとてもきれいだったようだ。私は今にそんな事を聞かされてもあの川では想像がつかない。川の近くを通るとつい鼻をつまんでしまうほど。でも、最近はましになってきて鼻もつままなくなった。
少しは前よりもましになって昔の大和川に一歩は近づいたような気がした。
この前、大和川で大きなおたまじゃくしを見つけた。このおたまじゃくしは少しばかりの浅い水たまりに数ひきいた。それも澄んだ水たまりばかりに。そのおたまじゃくしたちがなんだか、「この川よりも、浅いけどきれいな水たまりで生きてた方がましだよ」と言っているようで、川をきれいにしてほしいという願いがなんだか伝わったような気がした。
私はそんな事を思いながら、ふと胸がいたくなった。川の汚染は全てが人間が原因でなったものだからだ。ゴミ、空き缶やビニール袋や洗剤、泡や色のついている液などが川には流され、やがて今のような川になってしまった。空き缶ひとつ川にポイ捨てるだけで、川の生き物を何びきも死なせているかも知れない。人間だって、生き物だって命の大切さのおもみは変わらないし、生きてて損する事もない。だから川の汚染には本当に気をくばってほしいと思う。川の中の生き物だけではなく周りの生き物も迷惑してしまうのだから。これからゴミを捨てる時、考えて下さい。
生き物の事と自分の事を。命のおもみを。
昔の大和川に戻るには人、一人一人の気配りが汚染ストップ可能になるのだ。
早く泳ぎたいね。
昔の大和川は澄んでいてとてもきれいだったようだ。私は今にそんな事を聞かされてもあの川では想像がつかない。川の近くを通るとつい鼻をつまんでしまうほど。でも、最近はましになってきて鼻もつままなくなった。
少しは前よりもましになって昔の大和川に一歩は近づいたような気がした。
この前、大和川で大きなおたまじゃくしを見つけた。このおたまじゃくしは少しばかりの浅い水たまりに数ひきいた。それも澄んだ水たまりばかりに。そのおたまじゃくしたちがなんだか、「この川よりも、浅いけどきれいな水たまりで生きてた方がましだよ」と言っているようで、川をきれいにしてほしいという願いがなんだか伝わったような気がした。
私はそんな事を思いながら、ふと胸がいたくなった。川の汚染は全てが人間が原因でなったものだからだ。ゴミ、空き缶やビニール袋や洗剤、泡や色のついている液などが川には流され、やがて今のような川になってしまった。空き缶ひとつ川にポイ捨てるだけで、川の生き物を何びきも死なせているかも知れない。人間だって、生き物だって命の大切さのおもみは変わらないし、生きてて損する事もない。だから川の汚染には本当に気をくばってほしいと思う。川の中の生き物だけではなく周りの生き物も迷惑してしまうのだから。これからゴミを捨てる時、考えて下さい。
生き物の事と自分の事を。命のおもみを。
昔の大和川に戻るには人、一人一人の気配りが汚染ストップ可能になるのだ。
早く泳ぎたいね。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「今、大和川は…」
賢明学院中学校1年
今、実際に私も見たり聞いたりしたが、大和川は非常な危機におちいっている。
大和川は、日本じゅう、何百という河川の中で二番目にきたない川となってしまったのだ。私はよく電車に乗って大阪市内に出る時は、座っていても必ず後ろを振り向いて、川の水ばかりを眺めている。
「そんなに言うほど水は汚れてはなさそうだけど…」
まあ、人の目では川の汚れは普段は分からないかもしれないが、雨の日、水があふれでるぐらい川に流れこんでいる時、水の色に注目してみると茶色、むしろ黄土色をしている。「これは汚れてるな。」
と私は思った。けど、大和川の汚れは川の汚れだけでなく、川原の汚れもある。川原などには、ごみが沢山捨ててある。そこらじゅう至る所に、ごみが落ちている。
ここに、ごみを捨てた人の考えは、私には理解できない。今や危機にさらされて、大変な時期なのに、また、川を汚すごみが人間界からはき出されては、川は汚れる一方であるしかし、今、この作文を書いている私にも、私の友人も、親せきも、家族も実を言えば罪がある。洗濯した時、お皿を洗った後の泡、料理した後の油など、身近なこと、このほんの三点でも日本じゅうのみんながすればすごい勢いで汚染される。
これは、一日や二日では解決されない問題なので、せめて身近にできることから始める必要があると思う。
大和川に限らず、どこの川であっても同じである。だから、まず川原、川原だけでなく道路、みぞ、海岸などにはごみを捨てない、これから実行していけば、少しかもしれないけど、大和川が美しくなるかもしれない。
それでも、遅くてもいいから、日に日にきれいにしていくという気持ちが大切です。
今、実際に私も見たり聞いたりしたが、大和川は非常な危機におちいっている。
大和川は、日本じゅう、何百という河川の中で二番目にきたない川となってしまったのだ。私はよく電車に乗って大阪市内に出る時は、座っていても必ず後ろを振り向いて、川の水ばかりを眺めている。
「そんなに言うほど水は汚れてはなさそうだけど…」
まあ、人の目では川の汚れは普段は分からないかもしれないが、雨の日、水があふれでるぐらい川に流れこんでいる時、水の色に注目してみると茶色、むしろ黄土色をしている。「これは汚れてるな。」
と私は思った。けど、大和川の汚れは川の汚れだけでなく、川原の汚れもある。川原などには、ごみが沢山捨ててある。そこらじゅう至る所に、ごみが落ちている。
ここに、ごみを捨てた人の考えは、私には理解できない。今や危機にさらされて、大変な時期なのに、また、川を汚すごみが人間界からはき出されては、川は汚れる一方であるしかし、今、この作文を書いている私にも、私の友人も、親せきも、家族も実を言えば罪がある。洗濯した時、お皿を洗った後の泡、料理した後の油など、身近なこと、このほんの三点でも日本じゅうのみんながすればすごい勢いで汚染される。
これは、一日や二日では解決されない問題なので、せめて身近にできることから始める必要があると思う。
大和川に限らず、どこの川であっても同じである。だから、まず川原、川原だけでなく道路、みぞ、海岸などにはごみを捨てない、これから実行していけば、少しかもしれないけど、大和川が美しくなるかもしれない。
それでも、遅くてもいいから、日に日にきれいにしていくという気持ちが大切です。
<優秀賞 大和川工事事務所長賞>
「みんなの願い-ヘルシー大和川-」
三郷町立三郷中学校2年
信貴山下から王寺へぬける電車。下には、大和川が見える。国でも5本の指に入るくらいに汚れている川。昔はきれいだったのに、私達が汚してしまった川だ。
祖父は昔、大和川で泳いだことがあったと言う。当時小さかった私は、とても驚いた。どんなにきたない川も、昔からきたないわけじゃないのだ。そういう事にひどく感心した。
小学校高学年のころ、やたらと台風が多い年があり、大和川の水がどっと増えた。いつもより、汚れて、ごうごうと流れる川を見ていると、こわく思えてくるから不思議だ。しかし、天気のいい午後、窓際の席に座って、きらきら光る川を見ていると、素直にきれいだなと思える。
川はずっとずっと昔から、そこにあった。
住宅地がひらけ、マンションが並ぶずっと前からそこに。水運業の発展の役に立ち、人々の飲み水になり、時には反乱をおこして困らせたりしたけれど、人間は水なしでは生きていられないのだから、十分に役に立っているといえる。けれど私達は何をしているだろう経済の発展のために、多少のことに目をつぶらなくてはいけないのは分かるが、少しやりすぎではないだろうか。せっかく川があるのに、汚いだけでおわってはもったいない。私達には子孫のために、川をきれいに保つ義務があるのだ。
どんなにきたない川も、昔からきたないわけじゃないのだ。私は、自分達が努力すれば必ず大和川はきれいになると信じている。
信貴山下から王寺へぬける電車。下には、大和川が見える。国でも5本の指に入るくらいに汚れている川。昔はきれいだったのに、私達が汚してしまった川だ。
祖父は昔、大和川で泳いだことがあったと言う。当時小さかった私は、とても驚いた。どんなにきたない川も、昔からきたないわけじゃないのだ。そういう事にひどく感心した。
小学校高学年のころ、やたらと台風が多い年があり、大和川の水がどっと増えた。いつもより、汚れて、ごうごうと流れる川を見ていると、こわく思えてくるから不思議だ。しかし、天気のいい午後、窓際の席に座って、きらきら光る川を見ていると、素直にきれいだなと思える。
川はずっとずっと昔から、そこにあった。
住宅地がひらけ、マンションが並ぶずっと前からそこに。水運業の発展の役に立ち、人々の飲み水になり、時には反乱をおこして困らせたりしたけれど、人間は水なしでは生きていられないのだから、十分に役に立っているといえる。けれど私達は何をしているだろう経済の発展のために、多少のことに目をつぶらなくてはいけないのは分かるが、少しやりすぎではないだろうか。せっかく川があるのに、汚いだけでおわってはもったいない。私達には子孫のために、川をきれいに保つ義務があるのだ。
どんなにきたない川も、昔からきたないわけじゃないのだ。私は、自分達が努力すれば必ず大和川はきれいになると信じている。
<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>
「大和川をながめて」
大阪市立矢田南中学校1年
「大和川」それは私達にとってとても大切な川です。でもその大和川はすごくよごれています。なぜ川がよごれてしまうのでしょう。
それは人がゴミを捨てるからです。大切にしないからです。私達にとって大切な川なのにどうしてゴミを捨てる人がいるのでしょうか。
その人たちはどう考えて捨てているのか知りたいです。
大和川は自然をつくる大事な川です。大和川は話しません。たぶん大和川はこんなことをする私達に腹を立てていると思います。もしも大和川が話せたらきっと私達をおこると思います。でもおこってもまた捨てる人がでてくると私は思います。いくらおこってもいくら言っても捨てる人が絶対にでてくると思います。おこるのではなくてみんなに分かってもらわないとだめだと思います。一人一人にきちんと分かってもらわないとだめだと思います。
大和川は今はとてもきたないです。でも昔はきれいだったとほとんどの人が言います。なぜ昔はきれいな川だったのに、今はとてもよごれているのでしょう。
昔の人はきっと大和川を大事にしていたにちがいありません。
私達は大和川をゴミ箱のように扱っています。昔の人との考え方がちがっているからだんだんよごれていったんだと思います。私達は大和川をきれいにするどころかよごしていってるのではないでしょうか。昔の人のようにどうして考えられないのでしょうか。私もそんな人たちの中に入っていると思います。
大和川を昔のようにするためにはどうしたらよいでしょう。それは私達みんなの心が一つになれば、昔よりはるかにきれいな川になるのではないでしょうか。私達が力をあわせてがんばれば、かならずすばらしい川になると思います。だれかがするのではなくて、自分自身がするのです。一人でできない時はみんながいます。みんな同じ考え方ができると思います。これからは私達がこの川を変えていくのです。私達がしないと、だれが大和川を変えてくれるのでしょう。私達しかいません。
みんなの心や考えが一つになるのには、時間がかかると思います。でも時間なんて気にしなくてもいいのです。私達の心が一つになるのなら、どれだけ時間がかかってもいいと思います。みんなの心が一つになればだれもがおどろくすばらしい川になっていると思います。大和川は待っています。私達の心が一つになるのを…。
「大和川」それは私達にとってとても大切な川です。でもその大和川はすごくよごれています。なぜ川がよごれてしまうのでしょう。
それは人がゴミを捨てるからです。大切にしないからです。私達にとって大切な川なのにどうしてゴミを捨てる人がいるのでしょうか。
その人たちはどう考えて捨てているのか知りたいです。
大和川は自然をつくる大事な川です。大和川は話しません。たぶん大和川はこんなことをする私達に腹を立てていると思います。もしも大和川が話せたらきっと私達をおこると思います。でもおこってもまた捨てる人がでてくると私は思います。いくらおこってもいくら言っても捨てる人が絶対にでてくると思います。おこるのではなくてみんなに分かってもらわないとだめだと思います。一人一人にきちんと分かってもらわないとだめだと思います。
大和川は今はとてもきたないです。でも昔はきれいだったとほとんどの人が言います。なぜ昔はきれいな川だったのに、今はとてもよごれているのでしょう。
昔の人はきっと大和川を大事にしていたにちがいありません。
私達は大和川をゴミ箱のように扱っています。昔の人との考え方がちがっているからだんだんよごれていったんだと思います。私達は大和川をきれいにするどころかよごしていってるのではないでしょうか。昔の人のようにどうして考えられないのでしょうか。私もそんな人たちの中に入っていると思います。
大和川を昔のようにするためにはどうしたらよいでしょう。それは私達みんなの心が一つになれば、昔よりはるかにきれいな川になるのではないでしょうか。私達が力をあわせてがんばれば、かならずすばらしい川になると思います。だれかがするのではなくて、自分自身がするのです。一人でできない時はみんながいます。みんな同じ考え方ができると思います。これからは私達がこの川を変えていくのです。私達がしないと、だれが大和川を変えてくれるのでしょう。私達しかいません。
みんなの心や考えが一つになるのには、時間がかかると思います。でも時間なんて気にしなくてもいいのです。私達の心が一つになるのなら、どれだけ時間がかかってもいいと思います。みんなの心が一つになればだれもがおどろくすばらしい川になっていると思います。大和川は待っています。私達の心が一つになるのを…。
<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>
「昔の大和川をとりもどそう」
田原本町立田原本小学校4年
大和川は、昔の大和川とはちがう大和川になった。大和川のまわりに木がたっていてその木や自然などが、『アブナイ』と知らせてくれているのに、人はまだきずかない。どうしてだ。大和川は、人間にとっていいことをしてくれているのにどうして、人間は、大和川に悪いことをするのだろう。家庭ですてる水は川にながれる。その水をもう一度きれいにするにはだいぶ、日にちがかかり時間もかかります。水をきれいにする工場の人もこまっていらっしゃる。
大和川は、人のためにがんばってくれているのにみんなはきづかないのだろうか。
川をきれいにしようという活動が始まっている。その人たちは、川をきれいにしようと思っていると思う。その人たちの、気持ちをわすれてあげたらかわいそうだ。ということを考えてあげてください。
もう、川を見すてないで、川や自然のことを考えて、あげたいと思います。
この前の、話だけど、自転車のだんたいが、カンを、川にポイとなげすてて、いきました。わたしは、それを見て、「すててはいけない」ということを、小さい声でいいました。でもきづいてくれませんでした。でも、あとからカンを拾ってあげました。その時は、いいことをしたという感じがしてきもちよかったです。
大和川は、昔の大和川とはちがう大和川になった。大和川のまわりに木がたっていてその木や自然などが、『アブナイ』と知らせてくれているのに、人はまだきずかない。どうしてだ。大和川は、人間にとっていいことをしてくれているのにどうして、人間は、大和川に悪いことをするのだろう。家庭ですてる水は川にながれる。その水をもう一度きれいにするにはだいぶ、日にちがかかり時間もかかります。水をきれいにする工場の人もこまっていらっしゃる。
大和川は、人のためにがんばってくれているのにみんなはきづかないのだろうか。
川をきれいにしようという活動が始まっている。その人たちは、川をきれいにしようと思っていると思う。その人たちの、気持ちをわすれてあげたらかわいそうだ。ということを考えてあげてください。
もう、川を見すてないで、川や自然のことを考えて、あげたいと思います。
この前の、話だけど、自転車のだんたいが、カンを、川にポイとなげすてて、いきました。わたしは、それを見て、「すててはいけない」ということを、小さい声でいいました。でもきづいてくれませんでした。でも、あとからカンを拾ってあげました。その時は、いいことをしたという感じがしてきもちよかったです。