
作文部門3
<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>
「ぼくたちと大和川」
ぼくは、小学校の六年生の理科の時間にした勉強で、大和川の本当のきたない原因を教えてもらった。
大和川がよごれる原因は、ふだんさりげなく使っていたものからの被害が強かった。たとえばラーメン一ぱい分のおつゆが下水道を通ってその分量の何倍もの水がよごれてしまう。きれいにするには、大変な量の水を使わないとだめだ。また大和川もきれいにする力を持っている(工場から出たよごれを時間をかけて下につもらせる力)という事も。だけど少しの量ならできるが、多い量だとだめだという事も、多い量だと作用が弱まりできないという事だった。
ぼくは、この勉強をする前までは、大和川はゴミをなげすてる事が大和川のよごれる原因だと思っていた。もちろんその原因もあるかもしれないけど、一番の原因は家庭からでるよごれが大和川のよごれでもある事を知った。勉強した後は、ぼくの心の中には、だれも、この事を見て見ぬふりはできないんだという事が強く残った。ぼくも、だれもが川の水を使っているかぎりだめなんだと思った。
ぼくと大和川のかかわりは、遊ぶ場所とかいう事ではとどまらないほど深くかかわってきた、かかわっていたんだと思った。
魚とのかかわりも、大和川は強いと思う。魚のくらしはいいかと質問したら、ほとんどの人が「いいえ」と答えるだろう。魚がくらせたらいいではなくて、住みごこちがいいくらしにする。そんな事を考えるきれいにしようと思った人が多くなったから、少しずつきれいになってるんだと思う。
ぼくの大和川への理想は、見ているだけで心がやすらぎ、魚が数多く泳ぎ、のんびりと魚をつっている人がいるようなおちつく場所に大和川がなるという事だ。何年先になっても、この理想が実現できたらいいなと思う。
<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>
「七年後には」
王寺町立王寺小学校6年
私が王寺町に住むようになってから、もう三年目です。王寺町に引っ越してきた時、初めて「大和川」という川があるのを知って、「大和川っていう川だもん。そうとうきれいな川だよね。」と思っていました。大和川が見える道路を車で走っていた時、私は見ました。自分で、「とてもきれい」と思っていた、大和川の本当の姿を。
「えーっ、何これ。」こんな言葉が出るなんて、夢にも思いませんでした。川の水はおうど色ににごっていて、川の水とは思えません。まるで溝の水です。
そして、何よりも目から放れない物は、土手に生えている草の根元に引っかかっている空カンやビニール袋、草に引っかからずに、そのまま流されていってしまうゴミです。こんな汚ない川が「大和川」なんて呼ばれていたのは、絶対に変。大和川という名を付けられたら、本当は、川の底が見えるようなきれいな水で、魚も住んでいるような川だと思います。大和川の汚なさが環境を悪くしています。
和歌山県の川へ行った時、一番さきにおどろいたことは、川の水がすきとおってきれいでゴミを捨てる人は罰金を払うという看板が立っていたことです。川を見ると、草が生えている所も、流れていく水の上にもゴミ一つありませんでした。王寺町の大和川も、ゴミを捨てたら罰金を払うくらいの事をしないと、ゴミは無くならないのでしょうか。でも私は、その必要はないと思います。一人一人が「ゴミは絶対に捨てない」という気持ちを持って、それを行動に表わしていれば、これ以上大和川のゴミは増えないと思います。
いつ決まったのかは分からないけれど、七年後にはきれいな川に変わるということを聞きました。私はすごくうれしいです。自分達が住んでいる町の川が日本で一番汚ないなんて思われたくありません。やっと大和川が姿を変えてくれるんだ、と思うと、七年後が楽しみになってきます。いつか、和歌山に負けないような、日本中の川に負けないような、日本一立派で自慢できるような川になってほしいです。
私が王寺町に来てから今まで、姿を変えなかった大和川。王寺町の宝の大和川が、立派になってくれることを期待しています。みんなで願おう。気持ちで協力しよう。きっと姿を変えてくれるよね、七年後には…。
私が王寺町に住むようになってから、もう三年目です。王寺町に引っ越してきた時、初めて「大和川」という川があるのを知って、「大和川っていう川だもん。そうとうきれいな川だよね。」と思っていました。大和川が見える道路を車で走っていた時、私は見ました。自分で、「とてもきれい」と思っていた、大和川の本当の姿を。
「えーっ、何これ。」こんな言葉が出るなんて、夢にも思いませんでした。川の水はおうど色ににごっていて、川の水とは思えません。まるで溝の水です。
そして、何よりも目から放れない物は、土手に生えている草の根元に引っかかっている空カンやビニール袋、草に引っかからずに、そのまま流されていってしまうゴミです。こんな汚ない川が「大和川」なんて呼ばれていたのは、絶対に変。大和川という名を付けられたら、本当は、川の底が見えるようなきれいな水で、魚も住んでいるような川だと思います。大和川の汚なさが環境を悪くしています。
和歌山県の川へ行った時、一番さきにおどろいたことは、川の水がすきとおってきれいでゴミを捨てる人は罰金を払うという看板が立っていたことです。川を見ると、草が生えている所も、流れていく水の上にもゴミ一つありませんでした。王寺町の大和川も、ゴミを捨てたら罰金を払うくらいの事をしないと、ゴミは無くならないのでしょうか。でも私は、その必要はないと思います。一人一人が「ゴミは絶対に捨てない」という気持ちを持って、それを行動に表わしていれば、これ以上大和川のゴミは増えないと思います。
いつ決まったのかは分からないけれど、七年後にはきれいな川に変わるということを聞きました。私はすごくうれしいです。自分達が住んでいる町の川が日本で一番汚ないなんて思われたくありません。やっと大和川が姿を変えてくれるんだ、と思うと、七年後が楽しみになってきます。いつか、和歌山に負けないような、日本中の川に負けないような、日本一立派で自慢できるような川になってほしいです。
私が王寺町に来てから今まで、姿を変えなかった大和川。王寺町の宝の大和川が、立派になってくれることを期待しています。みんなで願おう。気持ちで協力しよう。きっと姿を変えてくれるよね、七年後には…。