1994年の入賞作品

作文部門2

<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川の気持ち」

 
大阪市立矢田西小学校6年

わたしは、今の大和川は、とても気に入りません。人間もきらいです。こんな大和川にまでして、まだよごす気なのか。自分も、その中に入っているのか、とても残念だ。口では、大和川をきれいにしよう!とか言っているけれど外に出れば、大和川を、よごしてしまっている。外に捨てた、ごみは、風で飛んでいき、大和川に、うかぶだろう。みんなそうなのだ。口では、うまいことを言い外では、大和川を、きづつけている。大和川の気持ちは、「きっと」人間をにくんでいるだろう。ずっと、大和川は、自分が、きれいになるまで、にくみ続けるだろう。でも、それで、あたり前と、わたしは、思う。大和川の心は、今、邪悪に、みちているだろう。その大和川の、邪悪を、すくえるのは、わたし達人間なのだ。人間が大和川を、きづつけた。それをもう一度、すくって、大和川を助けてあげよう。今、大和川をすくえば、大和川の気持ちも分かるし、かんきょうも、豊かになる。そうなれば、大和川も、人間も、うれしいはずだ。あれだけ、よごれていても、きっと、わたし達の力ですくえるはずだ。公害をなくし、自分を守って、これからでも、未来は、かわる。もし、このまま、自然をつぶしたり、公害の元になることをしていると、川がよごれ、空気がきたなくなって、世の中がきたなくなってくるだろう。そうゆうふうにならないために、大和川も、自然も守っていかなくてはならないのだ。

<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川について」

大阪市立敷津浦小学校6年

私の住んでいる町のすぐ近くにある大和川。あまり利用はしないけど、今、大和川は、私たちから見ていても、どんどん使われ方があらくなっているのではないかと思います。
この前、新聞を見ていると川の水のきたない所がのっていて、その中に、大和川も入っていました。人に聞くと、何十年か前の大和川は泳げるほどきれいだったそうです。それが何十年か後にはきたなくなっているということは、みんなの使い方が悪くなっていると考えられるのではないかと思います。
また今は鳥の群れなどもいるし、もうちょっとみんなが協力してきれいにすれば、昔のような大和川になると思います。
では大和川をきれいにしていくためには、どういうふうな努力をすればいいのでしょうか。
まず、第一に、ゴミをすてないようにすることだと思います。
みんながいろんなゴミをすてるから、川はきたなくなる一方なのだと思います。みんなが川にゴミをすてなければ、もうちょっと水の質もきれいになっていくと思います。
つぎに、工場などのはい水をおさえることです。これは、たまに人間の体に悪い物質なども入っていたりするので、工場ももう少しはい水を少なくする方法を考えた方がいいと思います。
その他に、家庭のはい水もそうです。下水にあまりすてない方がいいと思います。
川の水をきれいにするための方法をあげてみたけど、やっぱりみんなの協力が必要です。私たちの住んでいる町のたった一つの川、せめてその川だけでもきれいにしたいと思います。大和川をもっと大切にしていきたいと思います。大和川にかぎらず、他の川に対しても気をつけていくと、もっと世の中が便利になると思います。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「清流 大和川」

大阪市立矢田西中学校1年

私達の一番身近な自然「大和川」は、遠くから見るとゆったりした川の流れ、群れ遊ぶ鳥、緑の土手が青空に映えて、とても美しい。近づくにつれ、ゴミや空きカンが目立ってきて、水面を泳ぐゴミの顔とにごった水が見えてくる。
地球は遠くからながめると青い、とても美しい星だと言われている。地球におりてみると、きれいな自然も残っているだろうが、人間がよごしている所もたくさんあるだろう。
人間が住める唯一の星地球は人間だけのものではない。あらゆる生き物と共に暮らしていけるために、もっと大切にしなければならないと思う。
身近な自然「大和川」を大切にするということから始めようと思う。
「清流 大和川」は「美しい地球」へと続いているのだから。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川の清掃活動について」

大阪市立大和川中学校3年

私は、はっきり言って清掃なんかしたくありませんでした。たかが、清掃なんて地域の人がやればいいんだ、と思っていました。
しかし、いざ大和川に行ってみるとやらなきゃいけないな、と思うぐらい汚れていました。空きかんやビニール袋が主だったと思います。それでもまだ、私は半分いやだなぁ、と思っていました。それにすごく暑くてたまりませんでした。
でも、クラスの友達の北口さんがすごくがんばっていました。体が弱いのに汗まみれになって、一生懸命になっていました。その姿に私は感動し、たかが掃除なんて、と思っていた自分が、はずかしく思えました。
大和川は現在、汚れた川で有名です。私達にとって身近の川が汚れている、などを聞くのはいい気分ではありません。そのためにも清掃しなくてはならないと思いましたが、川が汚れている一番の理由は地域の人が大切にしていないということではないでしょうか。一人一人が、ゴミに気をつけたりしたら昔のままとはいきませんが、今よりはもっときれいな川だと思います。
今日、大和川だけではなく、地球上の川や海が汚れてきています。私たち人類は、もともと水から生まれてきた生命なのですから、きちんと恩返しをしてきれいにしなくてはいけないと思います。現在の地球の青さをより濃くするためには、私達が何かをしなくてはなりません。自然と生きる。このことを私たち人類はもう一度考え直さなければなりません。そして、誕生したばかりの地球を、自然を取り戻さなくてはならないのです。大和川の清掃はその第一歩だったと思います。そしてこれからもいろんな清掃に協力できればいいなあ、と思いました。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川で行われた花火大会」

王寺町立王寺南中学校3年

私が生まれる前の大和川は、人々に美しく思われていたのか、それとも、きたないと思われていたのか、それはあまりわからない。けれど今現在、私の身の周りで、
「大和川ってきれいだなぁ。」
と言っている人は、ほとんどいないと思う。もちろん私もきれいとは思わない。川の色は悪くて、空き缶やゴミといっしょに水が流れている状態。このまま、この状態が続くと、いったいこの大和川はどうなるのだろうか。
毎年、大和川周辺で花火大会が行われている。今年も花火大会が行われたが、去年までとは、大きく違うことがあった。それは、私達にとって花火と同じぐらい、楽しみだった夜店が出なかったこと。友達と、
「どうして夜店出ないの。」
と言っていた。
私は色々な事を考えた。最初は夜店が出なかった理由は、今ちょうど水不足だから、水をできるだけ使わないようにしているのかなぁと考えていた。けれど、汚れてる大和川にもっとふさわしい理由が浮かんできた。それは、夜店がたくさん出ると、ゴミがたくさん増えてしまう。そうすると、大和川にゴミを流したり、近くの人家にも迷惑をかけてしまうからではないだろうか。きっと花火大会で夜店を出して次の日になると、前の日以上に川は汚れてしまうだろう。
花火大会に来る人全員が、ゴミはきちんとゴミ箱に入れるか、家に持ち帰るなどのルールを守らなければならないと思う。毎年、ゴミの後始末をきちんとして、水不足がなかったら、夜店が出たのではないだろうか。
みんなの大和川なのだから、何年かかってもよいから、みんなでいつかは美しい川にしたいと思う。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川と僕たち」

王寺町立王寺南中学校3年

先日、テレビを見ていたらニュース番組の中で「西日本河川ワースト3」というのが目に映った。(どうせまた大和川がいちばんきたないんだろうな)と思って見ていると、案の定大和川がワースト1位だった。その時僕は、西日本一きたない川が自分の住んでいる町を流れているなんてすごい不名誉だと本気で思った。同時に少し情けない気がした。
昔から奈良の池は文化や歴史の中心だったはずだ。聖徳太子が法隆寺を建てた頃の飛鳥文化にはじまり、平城京や奈良時代など多くの歴史、文化がある。万葉集にもその頃の美しい奈良の自然が多くうたわれている。そんな時代の大和川はとてもきれいだったにちがいない。
だからこそ昔の人々はこの川に想いや願いを乗せていたのだろう。だが今ではだれもこの川に願いを乗せない。川の流れを見て、きたないなと思うだけだ。川は悲しんでいるだろう。昔のように人々に愛されたいにちがいない。だから今に生きる人々は大和川だけでなく、自分たちのふるさとの川を好きになって自分たちの手で美しかった頃の姿を取り戻さなくてはならない。自然を取り戻すことは自然をよごしてきた人間の永遠の課題であり義務だと思う。人類は今こそ自然の声に耳をかたむけるべきだ。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川を美しく」

大阪市立瓜破小学校4年

わたしは、大和川にバイクのタイヤや自転車のタイヤや車のタイヤが、落ちているのをみています。そして、犬のふんや、鳥のふんもありました。なぜ、みんなそういうことをするのかなと思うときがあります。なんで、自分たちが楽しく遊んだら遊んだでいいと思うけど、あとしまつをちゃんとしないで、
「なにが楽しかったわ」
とか、「よく、言える立場やなぁ」と思うときがあります。そして、大和川は、みんなの物なのに、ゴミやあきかん、お菓子を食べた後のゴミ、どうして、ちゃんと、もって帰らないのかなと思うときがあります。そして、ちいきで大和川へ行くときに、食べ物やかんジュースなどを持って行く人は、かならず、ふくろをもってきて、食べ物のかすやあきかんを、ふくろに入れて、もって帰ればいいと思います。そして、ふくろに入れたゴミを、家にもって帰って、家のごみ箱や公園のゴミ箱に入れればいいと思います。そして、犬のふんは、さんぽにつれてきた家のひとが、ふくろにふんを入れて、帰ればいいとか、決めればいいと思います。このまま、ゴミを、ほったらかしにしていたら、どんどん、ゴミがふえて水がよごれるだけになります。
そして、川の近くや、大和川の入口に花をかざればいいと思います。夏はひまわり、秋は三つ葉、冬は雪みたいな白い花、春はチューリップ、すみれ、たんぽぽ、きせつに、よって、花のしゅるいをかえたらいいと思います。
そしてもっとゴミのあとしまつをきちんとすれば、もっと川はきれいになると思います。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「なぜ?大和川はきたないの」

田原本町立田原本小学校5年

学校の近くの寺川に魚をつりにいった時です。
「カン。」
と言う音がなった。
そして、
「ブーン。」車はにげていったように遠くに行きました。そしてさっきの「カン。」と言う音は、カンだったのです。よごれるとかわっているのになげている。ぼくは、思った。あのままカンが流れていくと大和川も寺川もよごれてしまうんではないか。そして、カンは、まだまにあう所にあったので、おいかけて手でとろうとしました。そしてとるとカンのなかには、何もなかった。もしや、寺川の水で、流されたかもしれない。走って見にいったがそんなものがない。それじゃ大和川もよごされるかもしれない。ぼくは、半泣きになった。ぼくは、
「ごめんなさい。」とあやまった。
でも、ゆるしてくれないだろう。ぼくが、一足速かったらまだあっただろう。本当に、
「ごめんなさい。」
大和川までよごしてしまう。ぼくのせいだった。ぼくの走りが速かったら川をよごしてなかった、ぼくは川にきずをつけた。川は水となかよくしているとこに水をよごした。
「どうしよう。」
「どうしよう。」
「ごめんなさい水さん。」
「よごしてしまってごめんなさい。」


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川と自然破壊」

大阪市立矢田南中学校1年

大和川の水質が汚染されているのは、人間が使う合成洗剤に大きな原因があると思う。私だって使っている。だから、合成洗剤を使わずに、石けん洗剤を使えばよいのだが、使った後、髪がパサパサになり、枝毛、切れ毛も多くなる。髪の表面はきれいになっても、頭皮の汚れまで、すっきりさせることは無理である。
それでは、植物性洗剤を使えばよいと思うが、植物性洗剤も、やっぱり、化学薬品を使っている。エデト酸や、香料、着色料、安定剤など。だが、植物性洗剤も条件が悪い。ぬけ毛が激しいということだ。
だから、やっぱり合成洗剤を使ってしまう。でも、合成洗剤にはおそろしい症状がでてくる。薬品を頭皮にしみこますのだから。以上のことを分かっているつもりなのに、使っている私は何と矛盾しているのだろう。自然にとっては、最悪の人間かもしれない。それでも、いつもまとまりのいい髪でいたい。
生活の中でも、油の処理、洗たくした後の水など自然のことも考えて、生活していきたい。
私たち人間は、自然のちからがなければできないこともある。車道のそばの大きな木は車から出てくる汚い排気ガスを木が吸ってくれて新しい新鮮な空気に返してくれる。毎月二十日はノーマイカーデーだが、いつもと車の数はかわらない。ちょっとの移動のために車なんか使わないでほしい。自然がなくなるということは、地球の青さがなくなるということだ。
青さや、緑の大地を守るためにも自然保護を私たち人間は行っていきたい。そして、行っていかなければならないと思う。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川のこれからの発展」

 王寺町立王寺南中学校2年

大和川は、奈良県いや日本でも第二位をほこるほどのきたない川です。このようなことが実際におきてしまったのは、やはり人口の急増などから、人々のくらしが変わってきたからだと思う。具体的に人口急増については生活用水また工業用水などが第一のよごれの実態だと思います。
こんなことが起こることによって、大和川をはじめ多くの川がよごれ、美しい自然が壊されるようになってきたと思います。
大和川はこんな実態になっているので、一九六六年大和川上流調査、また第一浄化センター、第二浄化センターを建設したと思います。
今、大和川はいっそうよごれを激しくし、環境問題を悪くしています。
この川を、これから美しくしていくためには、次にあげることを守っていけば、まだ今の大和川よりはずっときれいな川と変化していくと思います。まず、生活排水の特に使用する洗剤、油の使い方について考えていかなければならないと思います。第二、第三として、工場用水を流さない、ゴミのポイ捨てをなくすことです。先日ある人の話で聞いたことだが、みそ汁の残り汁、お茶碗一杯分排水に流したとする。その水を魚の住める状態まできれいにするのに、浴槽五~六杯分の水が必要という話を聞いた事がある。
こういうことをしていくと、大和川には、メダカなどの生物が住めるような、川底が透き通った美しい川へと少しずつ変化していく事だろう。
これからの二一・二二世紀に向けて美しい大和川と呼ばれていくためには、みんなの一人一人の心掛け、努力、関心が大和川を変えていく一番の大事のことだと思います。