1995年の入賞作品

作文部門1

<最優秀賞 大阪府知事賞>

「大和川をうつくしく」

大阪市立矢田小学校2年

大和川へ行くと、ごみがいっぱいありました。あきかんやタバコのすいがらなどなど・・・。
川には、オートバイがおちていました。
むかしは、大和川の水をのんだし、さかなも食べていたそうです。わたしは、むかしのほうがいいなって思いました。
そんなことを思いながら、ごみをひらっていると、大和川を大切にしやなって思いました。
つぎの日、川の中のごみもひらいました。川の中には、サンダルやくつやあきかんがいっぱいありました。それを見て、わたしが、
「あきかんポイすていいかげんにしいや。」
って大きな声でいいました。そしたら、先生が、
「それ、ええなぁ」
って言いました。
わたしは、三十五こゴミをひろいました。カニを見つけた子もいました。わたしは、むかしの大和川のほうがいいです。だから、ごみをすてている人に、もっと大和川を大切にしてね。タバコをすうなら、はいざらもってきてすってね。生きものがかわいそうだからね。もしわたしが、さかなだったら、ごみだらけの川なんかすみたくない。だから、みんなで大和川をうつくしい川にしましょう。

<最優秀賞 奈良県知事賞>

「言うより実行」

王寺町立王寺南中学校2年

私はこの間、友達と公園でバレーボールをしていました。私は、あやまってボールをフェンスの外に出てしまい、そのまま、葛下川に落としてしまいました。そのボールは友達のボールだったので、必死に取ろうとしましたが、だんだん真ん中に流されてしまいました。
どうしようもなくなったため、私は覚悟を決めて、川の中に入りました。川の底は、ぬるぬるしていて、ビンや空き缶がうまっていて、足が、きれそうでした、その上、ゴミもたくさん流れて来て、とてもきもち悪かったです。結局、ボールは無事取れました。しかし、今考えてみると、あの時は必死だったから川の中に入ったものの、もし今川をまじまじと見てから、川の中に入れと言われても絶対に入らないと思います。
私はこの間吉野川へ行ってきました。川に入る時、覚悟なんか決めませんでした。なぜか。その答えは一つです。ただ水がきれいだということです。同じ奈良県なのに、どうして吉野川は、あんなにきれいなのに、大和川は日本で2番目に汚いのでしょう。私は住民の人一人の心がけで、吉野川のようなきれいな川になると思います。
吉野川も大和川も、川の始まりは、同じ山の上から流れる、きれいな水なんだから、「大和川はきたない」と言い合う前に、川を大切に思って、人間として、当然の事、(例えば排水を流さない、ゴミを捨てないなど)をして徐々にきれいになればいいと思います。そして、夏には、ホタルが飛んで、よその県から、キャンプをしに来る人がいて…。そんな夢のような大和川を作ることができるのは、魔法使いの神様でも、偉大な自然界でもなく、ちっぽけな私達一人一人なのです。「言うより実行」これを私達の合言葉にして、日本中のきれいな川をギャフンと言わせるような川にしたいです。


<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>

「大和川でのこと」

大阪市立矢田西小学校6年

私はよく、一年生や二年生の時、お父さんが休みの日に大和川へ行った。行ってすることは、いつも土手すべりでダンボールはお父さんがスーパーへ行ってもらってきた。六年生になってお父さんと大和川へ行くことはない。お父さんはよく私に、
「久しぶりに大和川へ行こうか。」
と声をかけるけど私の返事はいつも、
「いや。」
その後のお父さんは少しひまそうだ。
四年生か五年生の時、お兄ちゃんとお母さんと私で大和川につりに行った。私とお兄ちゃんと二人でつっていたけど、なかなかつれないので私は少しの間でやめた。お母さんが飲み物を買いに行くと言ったので、私もついていった。買いに行ってる時に私が、
「魚つれへんのかな。」
とお母さんに言うと、
「どうかな。」
と言った。
飲み物を買って、お兄ちゃんのいる所に行くと、やっぱり魚はつれてなかった。何分たっても魚はつれなかった。それから少しして、バシャバシャと言う音がしたので見てみると、お兄ちゃんが魚をつり上げていた。すごくうれしそうな顔をしながら、
「ねばってよかった。」
と言った。
つった魚はなぜか家に持って帰るとお兄ちゃんが言った。帰る時、少し夕日が見えていた大和川がすごくきれいに見えて、さっきまでのきたない川がうそみたいだった。お兄ちゃんはすぐ家に帰って魚たくをはじめた。魚にすみをぬり、半紙を用意した。魚が口をパクパクさせていたので私は少し水を口にかけてやった。魚たくがおわり二、三ぴきの金魚が入ってる水そうにつった魚を入れた。魚が金魚を食べないかお兄ちゃんが見ていて私も見に行って、
「またお母さんもつれて、つり行こうかな。」
と私が言うと、
「うん。」
とお兄ちゃんが言った。
次の日つった魚を見てみると魚は死んでいた。その魚は、きたない川にしかすめない魚だったかもしれない。人間がごみを捨てるから、きたない所でしかすめない魚が出てくると思う。もっと大和川をきれいだったらそんな魚はでてこないはずだ。そのためには人間が大和川をきれいにすればいいと思う。


<最優秀賞 近畿地方建設局長賞>

「二一〇〇年の、或る人の作文」

王寺町立王寺南中学校2年

私の街、王寺には大和川が流れています。今は、魚がたくさん泳いでいるし、川の水も澄んできれいですが、今から一〇〇年以上前は、汚くて汚くて、日本で第二位の汚い川として有名でした。そのころの小学生や中学生は、きれいな川にしようと願いをこめて、いろいろな作文を書いたり、ごみを拾ったり、様々な活動をしていたのでした。
そして、そのかいあってか、大和川流域に住む人々が、大和川に関心をもちはじめ、みんなが立ちあがり、町もだんだん整備され、下水を流さなくてもよいようになり、ゴミもなくなり、だんだん美しい川になったそうです。
私は、昔の人々の大変な努力と、科学の進歩によって今のあの美しい大和川になった事を、とてもすばらしいと思います。とくに汚れのひどかった、一九九〇年ごろからの活動のことを思うと、そしてあの美しい大和川が見ると、胸がしめつけられます。
でもその汚い大和川のままにしていたら、今はどうなっていたのかと思います。きっと今は、下水川として使われているか、なくなっているか、だと思います。それを防ぐために、昔の人々が努力してくれたことを忘れずに、今の美しい大和川を、後世に伝えていかなければなりません。
ふるさと大和川の、歴史、文化、自然などを守り続けていこうと思います。
二一〇〇年八月


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「川の役目」

清教学園中学校2年

私の通学路には川の付近を通る所があります。石川です。石川は私が幼い頃から見ていますが、今よりも昔の方がとても水がすんでいました。魚がよく泳いでいて水面からもそれをよく見ることができました。しかし今では、昔に比べればずいぶん汚れています。なぜなのでしょうか?
現在、日本ではたくさんの自然の環境破壊が問題になっています。戦後の日本は『外国に追いつこう、追い抜かそう』という気持ちで工業を発展させてきました。その結果起こった問題は環境破壊と公害の問題でした。川は汚され、山の木は切りたおされました。今でもたくさんの環境問題が残っています。私たちはこの難しい問題に目を向けなければなりません。環境問題や公害を起こしたのは人間です。それをなくしていくのも人間です。私たちで汚した川を元通りにするのも私たちです。川は、急にきれいになりません。まず、自分のできることをしなければなりません。しかし、一人だけで一生懸命しても何も変わらないでしょう。だからみんなもっと関心をもって協力すべきだと思いました。
石川の水が汚なく変わってしまっても変わらないことがありました。それは夏になると川で遊ぶ幼い子供たちや川辺で語り合うカップルや釣りをして過ごしている人や家族づれで遊んでいる人たちです。こういう人のあたたかさを感じさせる所は何一つ変わりありません。私はこの前、この風景を見て、何かホッとしました。
これからは今まで以上に自然を大切にして川の周りにあるあたたかな風景を消してしまわないように、みんなが協力すべきだと思いました。
(編者注 石川は大和川の支川です。)


<最優秀賞 大和川水質汚濁防止連絡協議会長賞>

「大切な大和川」

王寺町立王寺南中学校3年

私は生まれ育ったのは、大阪府柏原市国分本町です。家のすぐ近くを大和川が流れ、よく父の自転車の前に乗せられて河川敷の広い所まで出て、遊んだものでした。幼稚園の年長の秋まで暮らしていたのですが、川ぞいの見事な桜並木、風邪をひいてはお世話になっていたお医者さん、あちらこちらに見られるぶどう畑、すべて私の幼い日の思い出は、大和川と共にあるのです。ある時には、通園バスを待つ所が水害で水びたしになったこともありました。今の家に変わって、もうすぐ9年になるのですが、つくづく大和川とは縁が深いものです。
人口増加の為に、水質が悪化し、年連続で全国のワースト2となっている大和川ですが、水を汚さないために暮らし方を見直してみる必要があると思います。
「自分一人くらい水を汚したってどうってことないや」なんて考えている人はいませんか。自分くらいと思う人がひとり、またひとりと増えていったら、地球の水はあっという間に、もっともっと汚くなってしまいます。
川を汚さないために、どんな小さなことでもみんなが毎日続ければ大きな力になると思います。例えば、空き缶やビニール袋がよく浮いていますね。絶対ポイ捨てはやめましょう。台所等の生活排水は川の汚れの原因70%にもなっているそうです。合成洗剤から粉せっけんに切り替えたりしましょう。とても汚れ落ちがいいです。その他、ガラスを新聞紙でふく、家具の汚れをオレンジの皮の白い部分でふくなど探せばもっともっとあるはずです。
15年間共に暮らしてきた大和川、イトマンスイミングの前の大和川ではフナが泳いでいます。もっともっとたくさんの魚が住めるような美しい川に戻れたらいいですね。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「すきとおるような大和川」

大阪市立矢田北小学校4年

「きたないな~。」
それは、私が大和川を見た時、口から出た言葉だった。そのとおり、スーパーのふくろ、あきかん、油、せんざいのあわ、魚の死体などがぷかぷかと流れているのを前に見た。それに、川の水はにごり、ぬるぬるしていた。この川で、お父さんが子供のころ、泳いでいたなんて想ぞうもできなかった。
大和川は、きたない川、全国第二位だった。私たちのこんな身近な川が全国で二番目にきたない川だなんて悲しいです。こんな川じゃ、大和川がかわいそう。
(自分のすがたを見て、大和川はないているんじゃないかな。)
って思う時がある。大和川は自分をよごし、そして、よごれた自分をきらう人間をにくんでいるんじゃないかなあ?でもそれは、当たり前だと思う。
大和川をよごしたのは、人間です。だから、今度は、川を美しくするのが人間の役目じゃないかなあって思う。大和川をみんなで魚が楽しく住めて、人も、つりや水泳ができるような川にしたい。そして、大和川をいじめるのは、やめて、ポイすて禁止の川にしたい。大和川を美しくするためには、まず、川の水の中に入っているゴミを取りのぞくこと。次は川の水を消毒したりして、すきとおる水にすること。それから、土手の所のゴミを拾ってきれいにそうじします。終わりに、土手の所に花を植えて、川に、魚とか、貝をはなします。仕上げに「ポイすて禁止」と書いたかんばんを立てて、ゴミをすてると、
「ブー!」
と鳴るきかいを取り着けます。それでかんせいです。これで大和川もゆるしてくれうでしょう。
大和川は、今、とてもよごれています。みんな、大和川をゴミ箱のように使っています。でも、それはまちがっています。川はゴミ箱ではありません。川は、私たちのとても身近な自然です。自然を守って生きていかなければならないのです。川、それは、私たちに楽しみをくれます。だから、大和川をごみ0(ゼロ)の川にして、自然を守って、それから、楽しみをふやしていこう! それが私の考えです。大和川もよろこんでくれるだろうと思います。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川の思い」

桜井市立桜井南小学校6年

去年までは、私にとってあまり親しみのなかった大和川も、今はとても身近な川に思えます。その大和川を初めて見た時の驚きは、今だに忘れられません。それは、想像していたよりはるかに汚れていたからです。日本で二番目に汚れている川と知っていたものの、本当にそうなのか、正直なところ半信半疑でした。でも、実際自分の目で確かめてみると、聞いていた以上の汚れのひどさに圧倒され、ただただ大和川がかわいそうで、どうしてあげたらいいのか、と考えさせられました。昔からこんなに汚れていたはずではないのに、ここまで汚れてしまったのは、やはり、私達人間の責任だと思います。一人一人が大和川を汚す原因となることをした時に、少しでも罪の意識を持つことができたら、こんなに汚れなかったかもしれません。もし、自分の家へ、大和川のように何でもかんでも投げこまれ、汚れた水や油を流しこまれたら、どんな気持ちになるでしょう。その投げこんだ人を見つけて、腹を立て、おこり、ゴミを持ち帰ってもらうでしょう。だれでも、自分の家はきれいにしておきたいものです。きっと、大和川も同じ気持ちだと思います。ただ、大和川はおころうにも何も言えず、ゴミを外へほかそうにも手段もなく、どうすることもできないまま、じっとがまんをしているのです。それをいいことに、私達人間は何の罪の意識もなく、平気でゴミや、汚れた水や油を捨てているのです。自分一人ぐらいなら…。このあきカン一個ぐらいなら…という考え方は大まちがいです。一人一人の気持ちの持ち方でゴミが少しずつでも減れば、川の汚れもかなりちがっていくるはずだと思います。一滴の水が集まり川となるように、一つの優しさ思いやりがたくさん集まって大きくふくらみ、必ず大和川が美しくなると、私は信じています。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「見捨てたら、最後!」

賢明学院中学校3年

昔はこの川には魚が沢山いたんだよ、とか昔はこの川で泳げたんだよ、と言われて、「今も昔も変わってないなあ」と思える川は果たして日本にどの位残されているのだろうか。
住宅街、工場のそばを流れる川-いわゆる“都会を流れる川”-はその面影すら残っていない。だから、若者は老人のその川の過去についての話を聞いて驚く。そして、今まで当たり前だと思っていたその川の状態が当たり前でないことに気付く。
私もその中の一人なのかもしれない。私の頭の中にはもうすでに、-大和川は汚れている- という先入観が住みついてしまっているのかもしれない。
余り身近な河川ではないので詳しいことはよく知らない。
知っているのは、ひどく汚れていること、そしてこの川を境に大阪市と堺市に分けられていること…位である。
いつも大和川というと、電車から、この川は大阪市と堺市を分けている川、という位の対象でしか見ていない。でも、よく大和川を眺めると、釣りをしている人達がいる。
多い年令層は私達の親より少し上位、丁度五十年前位。そう、丁度大和川の過去、綺麗だった過去を知る中でもまだ釣りができる年令の人々が集まっている。
私達なら「あんな汚い川だから魚なんて釣れる訳がない」と大和川を見捨ててしまってあまり釣りには出かけないないだろう。
しかし、過去を知る人は、違う。昔はあんなに魚がいて、あんなに綺麗で、いい川だった。今でも何処かにあの面影が残っているかもしれない…と大和川に望みを最後までかけている。だから
釣りに来るのだ。
そう、大和川を見捨ててはいけない。住民の努力次第でどんな川にでもなれるのだから。


<優秀賞 大和川工事事務所長賞>

「みんなでやろう! 水のリサイクル」

王寺町立王寺小学校6年

「あっ大和川や。」
電車の窓から、ちょっと頭を出すと、大和川と目が合った。その時の大和川は、なだらかに流れていて、魚が何十匹と鳥が二、三羽が一緒に泳いでいた。またその岸には、緑にかこまれている公園があった。私の気持ちはゆったりとしていて、とてもいい気分だった。
しばらくすると、何にもなく周りに木がある、さみしい景色だった。
「プッ。何これ。」と私は笑った。木に何か白いものがぶらさがっている。まるで洗たく物をほしているように。電車は静かに大和川の方へ近づいていった。
「えっ。」
私は笑顔がぴたりと止まった。全部ゴミだったんだ。今度はもっと近づいた。アキ缶、おかしの袋、形がはっきりと見えた。
私は、大和川と目を合わすのをやめた。自分たちの住んでいる川がこんなになってしまった。いや、今なっている。口ではいい表わせないような気持ちになった。きたないとかかわいそうとか、そんなもんな気持ちじゃなかった。心のおくへつらぬくほどいやな気持ちになった。
「よし、一回前向きに考えよう。」
私はそう思った。川のところでは、ゴミを捨てないということ。家では、米をといだとぎじるを肥料にしたり、油で石けんを作ったりいろいろな工夫があることが分かりました。私の家では、とぎじるを肥料にしたり、油をティッシュでふいたりしています。
私は大和川をきれいにしようという気持ちも大切と思うけど、大和川をきれいにしようという工夫も大切と思います。