1995年の入賞作品

作文部門2

<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「魚達への罪」

 
大阪市立矢田西中学校1年

「チャッポン」
ポイ捨ての音。人は平気でする。けれど魚達は、苦しむ。人が平気で川をよごして、魚は、そのよごれた川で苦しみながら生きてく。きっと魚達は、
「チャッポン」
この音が一度なるだけでまた苦しむ。私達は、川の中で生活をしたことがない。だから、川に住む生物の苦しみがわからない。わかろうとしない。もし、ある日、とつぜん魚達との立場が逆になって、私達の手によって、よごされていったこの川で、生活しなくてはならなくなれば、きっと人は、魚達の苦しみを、人間がどれほどの罪を犯していたか、気づくであろう。けれど、人はそうならなくては気づかない。ポイ捨てぐらい…。などと思っている人がいるからだ。ポイ捨てぐらいとは、どこを見て言っているのか。私達には確かにあまり生活に支障がないのかもしれない。けれど川に住む生物にとっては、命の問題である。軽い気持ちで投げたゴミが、一つの尊い命を失っていくのだから、それのどこが罪ではないのか。たとえ、魚であろうが、人間と同じたった一つの尊い命なのに…。世の中には、人の方がえらい、と思っている人がたくさんいる。きっとその人達がポイ捨てをしているんだ。
立場が逆にならなくても、自分で、私達が軽い気持ちでするポイ捨が、尊い物を失くしていっていることを、自分の犯している罪に自分からきちんとわかってほしい。そうすればきっと、川もきれいになる。きっと魚達の
「チャッポン」
この音を気にしながら生きることは、なくなるだろう。

<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川の水」

広陵町立広陵西小学校3年

今日の朝の新聞(七月二十九日)に、
『大和川またワースト2』という見出しがのっていました。ぼくは、その記事を見て、朝からとってもかなしいやらはらがたつやらへんな気分でした。
二年生の時も、クリーンキャンペーンで、大和川をきれいにしようとみんなによびかけたのに、今年もまたワースト2だなんて。
お父さんと車でていぼうを走って、いつも魚をつっている人を見たり、野鳥が水べに止まっているのを見て、だいぶきれいになってきたんだなと思っていただけに、ぼくはショックでした。
同じ川でも、吉野川では、たくさんの人たちが、キャンプをしたり、およいだりしているのに、大和川の川原では、だれもキャンプしたり、およいだりしている人はいません。
ぼくは、大和川がとてもかわいそうに思いました。
生物は、水の中から生まれたのに、その水にたいしてすまないなあ、と思います。
ぼくは、みんなときょう力して、かんひろいとかもやって、吉野川みたいなきれいな川にしたいです。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「私の大和川」

大阪市立矢田西中学校1年

私の母のふる里は京都で、家から少し行くと由良川がある。母はこの由良川が自慢でよくつれて行ってくれます。夏に行くとバーベキューをしたり、およいだりしてとても楽しいです。
以前バーベキューをした後、母は一生懸命にかたづけているので、「もういいやん」と言ってしかられた事があります。「あんたは、この川を大事に思ってへんから、ゴミがあっても平気やねん」と、私ははっとしました。私は大和川の事をこんなふうに考えた事はなかったからです。私の川やないから、ちょっとぐらい、よごれてても平気やったかもしれません。私の母の様に、自分の川だと思う人が、一人でもいたら、きっと由良川のように、魚やメダカが、いっぱいおって、およげる川になっていたと思います。
人の気持ち一つで川だって、生きてくるんだと思うと、大事にしなきゃと思えてきました。いつか、私も人に自慢の出来る、きれいな大和川にしてみたいです。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川沿いを歩いて」

王寺町立王寺南中学校2年

大和川が汚いというのは前から知っていた。でも、今年の調査で「汚さ全国ワースト2」に入っていると聞き、ぜひともこの内容について考えていかなくては、と思った。
実際、私は大和川沿いを歩いてみた。電気用品の残がいが捨てられ雑草がからんでいる。あき缶やナイロン袋などはもう悠々と流れているのである。これではいけない、大和川に清流を取り戻そう、と思った。私は、そこら辺に流れているあき缶を拾ってゴミ箱へ捨てに行った。あき缶の中に入っている緑色水が今でも目に焼き付いている。
大和川の水質は、流域に人口や工場が増えて来た高度成長期の七〇年代から急激に悪化している。生物化学的酸素要求量(BOD)値も二十ミリグラムを記録している。建設省などは「導水事業」や、「直接浄化事業」を五億円の予算を組んで取り組んでいる。しかし、流域の汚れのうち八五%は家庭からの排水が原因だとされている。みそ汁一杯を捨てた排水を、魚が住めるまでにするには、浴槽にして四・五杯の水が必要になる。だから、私の家ではお米の研ぎ汁を植物にやっている。川を汚さなくてすむ上、植物の成長にも役だつ、これこそ一石二鳥だと思った。これだけではない。私達にできる事はもっとある。だから大和川をきれいにするには、上流から下流までの流域を含めたすべての住民の一人、一人の心がけだと思う。
大和川沿いを歩いていろいろ事を考え、悩んだ。百聞は一見にしかずという様に、やはり自分の目で確かめる事が大切だと思った。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「大和川の言いたいこと」

大阪市立矢田西中学校1年

最近、私は有名になったと思う。もちろん汚いという意味で。私は完全にゴミ箱である。私の所に訪れる人のほとんどが、
「臭い、汚い。」
と私に文句を言ってゴミまで捨てていく。わたしが何かしたとでも言うの?私は、役にたつと思うよ。だって水を飲んだり、泳いだりできるじゃない。でも今では心のよごれている一部の人間によって私はよごされた。
昔は魚もたくさん泳いでいた。人間もたくさん泳いでた。今じゃ、泳いでる人間を見かけない。だいたい足までしか入らない。そういえばこの前、一人の女の子が、わたしの所に訪れた。魚がはねた。すると女の子は、
「何あれ、何かはねたよ、もしかしておばけ。」
と言った。この女の子はまだ二、三才ぐらいだった。私は思った。この女の子は、きたない大和川しか知らないのだろう。だから、めったに魚を見ないのだろう、残念だ。私は、どうしてもきれいな大和川を見てほしい。でも、これだけよごされてしまったら、元に戻れない。だから私をよごした人間達よ、私のために、あの女の子のために、生きもののために、自分のために、きれいにして下さい。
それが私の願いです。


<優秀賞 (財)河川環境管理財団大阪事務所長賞>

「2番目にきたなかった、と」

三郷町立三郷中学校3年

私たちの町を流れる大和川は、わりときれいな方です。少なくとも日本で2番目にきたないようには見えません。橋の上からのぞくと、黒い魚がいるのが見えます。たくさんいます。ゴミはあまり見えません。しかし、川原や堤防にあるたくさんのゴミを見ると、いつになったら「日本で2番目にきたない」なんて言われなくてすむのだろう、と思ってしまいました。
先生や近所のおばさんたちは、大和川の話をすると、いつも
「子供のころは泳いで遊んでいた」
と、おっしゃっています。毎度聞くとその言葉には「また泳げるような、きれいな川になって欲しい」そんな気持ちが含まれているような気がします。それならば、一人一人がもっときれいな川、きれいな水の美しさがどういうものなのか、またそれがどんなに大切なことなのかを知って欲しいと思います。料理のあとの油を気を付けるだけでも、生ゴミの始末をきちっとするだけでも、川は少しずつきれいになるのです。そして、私が大人になったときには、
「子供のころは日本で2番目にきたない川、なんていわれてたんだよ。」
そういうふうに言えるようになりたいです。
私たちが今の川を悲しく思う以上に、川や、川の魚は泣いているということを、忘れてはいけないと思います。二十ぐらいの間に変わってしまった、いえ私たちが変えてしまった川に対して、反省しその気持ちを、今度は良い方向へ川を変えるために使っていきたいと思います。そして、この思いがただの「思い」で終わらないという事を信じています。川や、川に住む生き物のためにも。