1998年の入賞作品

作文部門2

<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川を美しく」

 
大和郡山市立矢田南小学校3年

わたしは、ガールスカウトで、大和川が、どれだけきたないのか、どれだけきれいなのかというのを、川用のくすりでしらべました。やり方は、プラスチックのつつに、はりで、あなをあけ、大和川の川の水を半分ぐらい入れてよくふったら、ピンクいろっぽい色か、キイロっぽい色か、緑っぽい色や、むらさきっぽいいろになります。きれいないろじゅんにならべてみると、こうなります。
ピンク→すごくきれい。むらさき→きれい。みどり→きたない。きいろ→すごくきたない。となります。大和川は、緑っぽい色でした。きょ年はきいろでした。きょ年よりは、きれいになったのは、分かるけど、やっぱり、せんざいや、シャンプーが、ながれているんだなあと思いました。日本で一番きたない川が奈良にあるのが、わたしにとってもいやです。でも、そのきたない川が、日本にあるのは、もっといやです。大和川だけじゃなく、日本のきたない川を、きれいな川にしたいです。でもわたしだけが、シャンプーのりょうを、へらしても、だめだから、みんな、きょうりょくしてきれいにしたいです。前は、自てん車とか大きいゴミが、2・3こすててあったけど今は、アキカンとか、ペットボトルとか、小さいゴミだけになっていたので、少しよかったと思いました。大和川は、えど時だいぐらいからあって、ゆうめいなのに、どうして、そのちかくに、すんでいる人や、そこに来る人たちは、ゴミをすてるんだろう、と思いました。わたしだったら、むかしからある、ゆうめいな川だから、ぜったいゴミをすてません。
大和川は、今では、きれいだからではなくて、きたなくてゆうめいになってるんじゃないかと思います。わたしは、大和川を、きれいで、ゆうめいな川に、したいです。

<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「やまと川について」

大和郡山市立矢田南小学校2年

やまと川は日本で一番きたない川です。なぜかと言うとあし川、とみお川とたか田川、さみた川だった川、まつお山の川とかからながれてゴミもふえてやまと川にながれるからです。
わたしはガールスカウトでならったからです。みつえ村の川は大さかの人にきれいな水を、のんでもらおうとどりょくしているのにならけんのやまと川はすごくきたないからわたしはそうじをしたいと思います。たつた川もたかだ川も大和川にながれる川ぜんぶをそうじしてならけんの大和川もきれいにしたいです。でも何で川にゴミをすてるのでしょう。川はゴミバコじゃないです。今は、みちにもゴミをほかしています。
せんざいとかシャンプーのえきもながすと魚がしんでしまいます。川の水はさいご海にながされてはりがねでクラゲとかアシカとかがしんでしまうのを本で見ました。
ほんとは大和川がきたないのではありません。ほかの川の水がながれてきてよごれるのです。だから、大和川はほかの川がきれいだったらきれいだったかもしれません。
わたしはとぎじるはうえきにあげてあんまりつかわないほうがいいと思います。きれいであんまり水をつかわないのが一ばんいいと思います。
わたしたち人げんもどうぶつも水がだいじです。しょくぶつもだいじです。よごさないようにしてください。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川」

大阪市立矢田小学校4年

昔の大和川はきれいで泳げたし水も飲めたしいろいろできた。でも今の大和川は、にごっていてごみもいっぱい流れている。昔より今のほうがきたない。どうして大和川はきたなくなるのだろう。それは人がごみをいっぱいすてて、犬のふんは、持ち帰らない。みんなそうじをしようという気持ちがないのかな。花火の後はぜんぜんそうじしない。川には、かみきれ、ふくろ、ペットボトル、かみパック、たばこのすいがらなどいっぱいあった。くさはらには、ビニールぶくろ、かみきれ、犬のふん、おかしのふくろ、お酒のパック、マッチ、手ぶくろいっぱいあった、ほとんど同じものがおちている。どうしてみんなはそうじしないのかな。昔の大和川に一回ぐらいしてみたい。でもみんな、「少しでもキレイにしたい。」という気持ちはないと思う。こんなにみんなごみをすてていたらだめだと思う。ちょっとでも大和川のそうじをみんなでしたい。とちゅうで終わってまたきたらもうごみだらけになっていると思う。自分は、そうじをしていないのにごみをすてるなんてひどい。みんなのごみは、ごみばこへすてたらいいのにめんどくさいから大和川にすてていると思う。大和川のあちこちにごみばこがあるのにどうしてすてないんだろう。また、みんなで大和川を美しくて、きれい、昔のような大和川にしたいです。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川はきれいになったの?」

堺市立湊西小学校4年

このまえ、お母さんが新聞を読んでいて、「あ、大和川のことのってるよ。」とおしえてくれたので、わたしも読んでみました。今までは日本で一番きたない川だったのに、今年の調べでは二番目になったという事でした。
まえに、横山ノック知事と吉本のお笑いの人なんかがいっしょになって大和川のゴミひろいをしたりしていた事を見た事があります。でもあきかんやゴミを捨てる人の数の方が多くてきれいにしようと気をつけている人の数が少なすぎると思います。私は、学校で水の事を勉強したり、また、ゴミの問題について調べたりした事もあって、それからは少し気を付けています。でも真けんに考えている人はどれくらいいるんでしょうか。きのうもなんばにいくと中の電車の中から大和川を見ましたが、あまり前と変わりないように思えました。水の色も土色のようなにごった色をしていたし、あいかわらずそこらへんには、あきかんも落ちていたりします。犬の散歩をしてふんの始末をしていない人もいるようです。
新聞を読んでいて「ワースト1からワースト2になったと言っても目くそ鼻くそをわらうやな。」とお母さんが言っていました。「それどういう意味や。」と聞いたら、「しいて言えば目くその方が少しきれいかもしれないけど、鼻くそのことをきたないとバカにするほどのことはないという事や。」と教えてくれました。私もほんとにそのとおりや、と思いました。
大阪を代表する大和川がこれから先、みんなの努力で日本で一番きれいな川だと言われるようになってほしいです。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「水一滴」

王寺町立王寺南中学校1年

「水」というと、私は無限にあるというイメージがある。だが水はそう無限にはない。阪神大震災で私は水の大切さが分かった。地震にあった人達は一日にたったのコップ一杯で生活していた。顔を洗い、歯もみがき、その他いろいろな事をコップ一杯でこなしていた。私だったらコップ一杯ではどんな事ができるだろう、と思った。
そして私は「水」というと川を思い出す、いつか新聞で「住民、県庁周辺をデモ」という記事を読んだ。これは山添村の産廃処分場問題で山添村の住民二十人余りが、「奈良市の水がめ布目ダムがダイオキシンで汚染される」と書いた新聞を配ったという記事だ。たったの二十人だけど自分の住んでいる所をきれいにしたいと思う二十人の力はすごいものだと知った。
それから私は大和川がきたない川で有名なことが一番いやだ。大和川の流れている所に「大和川をきれいに」と書いた看板がある。いくら看板を置いても、きれいになっていない。空きカンなどが捨ててあるのをよく見る。私は当たり前の事だが、今まで川にゴミを捨てたことがない。自分でできる事といえばこんなことかもしれない。でも、こらからは自分の足元に落ちているゴミぐらいは拾うようにしようかな、と思う。
水道を回せばすぐ出てくる水。でもこの一滴、一滴はとても大切なものだと思いました。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川は変わろうとしている」

三郷町立三郷中学校3年

大和川は日本で一番きたない川だと言われているが、僕は、今はちがうと思う。僕たち陸上部の長距離はよく大和川の川原で練習しているので分かることなのだが、僕が一年の時よりも、川原がきれいになったと思う。というのも、昔は、空き缶、食べたあとのビニールなど、捨ててあるのが当たり前だと思っていたが、今は探そうとしなければ、空き缶、ビニールなどはみつからなくなってきているからだ。みんながゴミを集めにくるようになったのだ。川原がきれいになったということは、大和川もきれいになったということだと思う。いや確信している。
一度こんなことがあった。僕たち長距離は毎日練習をしているのだが、前夜大雨になり、次の朝には晴れて、いつもどおりの朝練をしているときだった。もちろん芝は濡れていて走れる状態ではない。足をいためるが、仕方なくアスファルトを走っていたのだが、芝の中に銀色にきらきら光るものがあった。小魚だった。多分、前夜の大雨で川が溢れた時に、川原まで流されたのだろう。まだその魚は元気よく跳ねていた。今までは、大雨でも小魚などはいなく、くさいだけだった。僕は、この小魚は大和川がきれいになったなによりの証拠だと思う。このように、大和川は徐徐にきれいになっているのだ。
大和川が他の川よりきたないことは確かだ。しかし、僕が中学一年から今までの三年間という短い間にも、一人一人が心から、少しでも大和川をきれいにしようと思い、ゴミを拾うなどの行動ができるようになったと思う。僕は、少なくともこの三郷町、そして王寺町を流れる間の大和川を汚したくない。いや、きれいにしなければならない。各地域の人がそういう心をもって大和川に接すれば、日本一きれいな川になることも決して夢ではないと思う。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「きたない大和川」

柏原市立柏原東小学校4年

ぼくは、この前のおぼんに、とよおかと、津い山へ帰りました。
とよおかには、はか参りをしにいったのです。行くと中に、小川がありました。それは、とてもきれいで、大和川とはくらべものにはならないくらいきれいでした。
親せきの子にその事を話すと、
「うそやぁ」
とおどろいていました。
ぼくは、(なぜ大和川がきたなくなったのかなぁ)と思います。大和川には、ペットボトルや、スーパーのふくろやナイロンぶくろと、とにかくごみがういています。
それにくらべて、とよおかの川は、すきとおってるきれいな川です。ごみなんか一つもういてなかったです。
しかも、魚も見えます。
大和川は、魚は、見えることは見えるけど、よごれてるから、あまり見えないです。ぼくは、(こんな大和川をきれいにするにはどうすればいいのかなぁ)と思います。
ぼくは、お母さんに昔は大和川はきれいだったというようなことを聞いてます。
ぼくは、大和川を、きれいにしたいと思います。ぼくはつりをするから、大和川をきれいにして、つりをしたいです。
きれいにするには、大和川にごみを流さないことと思います。
それは、一人一人の地道など力と思います。
西川きよしの言うように、
「小さなことからこつこつと」
と、本当にそう思います。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「今の私にできること」

金光八尾中学校1年

「今年はワースト2に昇格したんやて。」
「そらそうやろ。私が大和川クリーンキャンペーンに参加して、がんばったんやもん。」
これは、母と私の会話です。私が、大和川クリーンキャンペーンに初めて参加したのは、去年のことです。母が八尾市生活排水ハドバイザーになり、くっついていったのがきっかけでした。あまりのゴミの多さに、びっくりしたのを覚えています。今年3月、2回目のクリーンキャンペーンに参加した時のこと、父や母やたくさんの人達と大きな袋をもってゴミ拾いをしていると、野球の応援をしていたおばさんが、ゴミ袋を私の目の前に捨てていったのです。私は文句を言いたかったのですが、言う事ができませんでした。怒るというより悲しくなりました。こういう人がいるから、いつまでたってもきれいになれへんねんと思いながら、一生懸命ゴミ拾いを続けました。そして、今年7月、また、大和川清掃活動があり、父と母と参加しました。ところが、ゴミがほとんどなかったのです。うれしい、拍子抜けでした。
今、私ができる事といったら何でしょうか。ゴミは家に持って帰るとか、生活排水で川の水を汚さないようにするとか、いろいろあります。でも、もっと必要なことは、川の現状をもっとよく知ること、そして、これからどうしたらよいかとよく考える事だと思います。これから私が大人になった時の為にもっと勉強しようと思いました。
「知る」「考える」「勉強する」これが今の私にできる事。数年後には、魚が泳ぎ、水遊びのできる大和川になっている事を夢みて、来年のクリーンキャンペーンにも参加したいと思っています。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「大和川の思い出」

三郷町立三郷中学校3年

大和川は今、日本で一番汚れている川です。私はよく明治橋を渡って王寺へ行ったりするので大和川をよく見ますが、私が見ていてもやっぱり汚れているな、と思います。どうせならもっときれいで透き通っている様な川だったら…といつも思います。にごっていてゴミも流されてるし、本当にどうにかならないかな…と思ったりもします。でも、なぜか私は、そんな大和川を嫌いになれません。
大和川は私の家から五分くらい歩いた所にあって、そんな大和川に私の小さい頃からの思い出はたくさんあります。
まず、一番の思い出は、大和川の堤防で自転車の練習をした事です。四才の時にお父さんと練習した事をすごく覚えています。他にも花火大会とか、友達と遊んだ事、おばあちゃんとよもぎを摘みに行った事、と大和川を思い浮かべるとたくさんの思い出が私の頭の中をかけ巡ります。クラブで試合に行った時には王寺から歩いて帰ってくるので明治橋を通りますが、いつも大和川が出迎えてくれるような気がします。この様に大和川は今では私の中でなくてはならない存在になっています。
その様な事もあって、平気でゴミを捨てていく人を見るとすごく腹が立ちます。
この前も平気な顔をして空き缶を川へ投げ捨てる人を見ました。空き缶一個くらいで…と思っているのかもしれませんが、大きな間違いです。一人一人のその様な考え方が大和川を日本一汚くしたのではないでしょうか。だから一人一人が気をつければ大和川もきれいになっていくのではないかと思います。たとえ一人でも大和川をきれいにしたい、という気持ちのある人が増えれば、と思います。いつかきれいな大和川が見れる時が来てほしいです。


<銅賞 大和川工事事務所長賞>

「友達の言葉で」

三郷町立三郷中学校3年

この前の花火大会の時、私は友達と三人で行った。私達がいくと、もう始まっており、かなりたくさんの人がいて、道がふさがれていた。そして、私達は、友達を探すために、花火の真下まで行くことにした。歩いていくにつれて、人が増え、あちこちで、缶の転がる音が響いていた。歩いていると道路ぞいにたっていた人達が、かき氷のカップをポイ捨てしたり、土手の所では、フランクフルトの棒が投げられているのが気になった。そしてきれいな花火の光で見える大和川は、ゴミだらけで、私には泣いているように見えた。
数日後、私は友達五人で奈良に行った。そこで突然の夕方ちにあい、私達は、ゲームセンターにとじこめられた。しかも、その水はとても汚く、ゴキブリが浮いていて、友達の一人が
「なんか大和川みたい。」
と言った時、私は、心がちくっとしたような気がした。そして、雨が止み、私達は、急いで帰った。王寺駅で乗りかえて、三郷駅に向かう途中、さっきの夕立ちで大和川がゴミだらけ、しかも、水が増えて、そのゴミもいっしょに流されていた。このまま海にでるのかなと思って心配していたら、友達の一人が、
「奈良の雨水より汚い。」
と言った。すると、ちがう子が、
「うわぁめっちゃそうじしたくなってきた。」
「そうやな。」
この言葉を聞いた時、私は、何か胸にギュッとくるものがあった。そして、自分たちが住んでいる町のシンボルになるぐらいのきれいな大和川にしたいと思った。この四人の友達のような考えをみんな持っていたら、この汚い大和川も、あと何年かしたら、みんなの努力と共に、きれいな大和川になれると私は思った。